――光を抜けた先は、どこまでも続く森であった。
「…………」
いや本当、前を向いても後ろを向いても右も左も全てが緑。唯一上を向けば空の青が見えるものの、それも生い茂る葉に遮られ満足には届かない。
……モンスターの気配も無く、トラップやゲートも無い。ここがどんな所なのかは詳しく分からないが、少なくともこの付近は物騒な場所では無いようだ。
土に関わる者としてはこれ以上に良い幸先は無いだろう。ある種安心感のようなものを抱き、そのまま深く深呼吸。故郷のものとはまた別の自然の香りを味わった。うむ、違いが分からん。
「…………」
まぁともかくそうして一通り若草の香りを楽しんだ後、気を取り直してこちらに疑問の目を向ける友人達を撫でつつ背後のすれちがいダンジョンの種を振り返る。
今さっきボク達を吐き出したそれは相も変わらずそこにあり、緑の下の土に深く根を張りどっしりとした安定感を放っていた。最もこの場所は畑ではないため、明日には直ぐに枯れてしまうだろうけど。
ボクはHOMEボタンを押して機能設定を開き、すれちがいの登録がなされたままである事を再確認し――リュックから取り出したる名工カマイタチを用い、一息にすれちがいダンジョンの種を刈り取った。
何の気なしに放たれた軽い一閃がダンジョンの種の根本を薙ぎ、強い存在感を放っていたそれを一つの種袋と変え地に落とす。地下を這う根の痕跡も、刈り取った筈の作物の姿もそこには無い。ただ綺麗な大地が広がるだけ。
いやはや、ボクにとっては見慣れた光景ではあるが、やはり不思議な現象である。ブルーフェアリーの「しずく」が気を利かせて拾い上げてくれた種を受け取りつつそう思う。
――カマでの刈り取り。本来ならば作物の収穫と引き換えに作物のレベルを上げ価値を高める為の作業だ。
しかしダンジョンの種においてはそも出荷ができないため、何となくレベルを上げる意気が湧かずボクの持つダンジョンの種は皆低レベルのままである。
いや、一つだけ自力で10にまで上げたものがあるにはあるが……まぁいいや。今考える事でもないので忘れておく。今はそう、楽しまなきゃ。旅を。
「コケ、コケッホッホ……」
まるで先導するかのように歩くコケッホッホー……Dr.チキンヘッドさんの背を何となく追いかけながら、つらつらと今後の計画を立てる。
とりあえず、世界の良し悪しに関わらず、気に入った畑を見つけてすれちがいダンジョンの種が育ちきるまではこの世界に滞在し続けようと思う。
イザとなればノビール系のクスリもある事だし、ある程度時間の操作は効くのだ。いい所ならば長く居て、嫌な所なら直ぐ出発。うん、旅らしくて良いんじゃなかろうか。
それにボクらは何年経っても変わらないのだ、ゆっくり行っても困る事はない――――そう行き当たりばったりに楽観視、足取り軽く森の中を歩む。
「…………」
はてさて、何処かに良い畑とかは無いものか。手持ち無沙汰にクワを装備し振り回しつつ、ボクはチキンヘッドさんに続いて深く深く森の奥へと分け入った。
「コケホッホ」
* * *
森を抜け、しずくとじゃれ合いつつ平野を歩く事しばし。日が傾き始めた時間帯、ようやく人の住んでいるらしき家景を発見した。
すわ第一村人発見かとワクワクしながら走り寄ったボクだったが――そこに近づくにつれ高揚感が急降下。自然と歩みも遅くなる。
何というか、広がる光景が期待していたものとは違ったのだ。
故郷とは異なる文化に基づくギャップのようなものを期待していたボクの眼の前にあったのは、木組みされただけの簡素な家々とそこかしこに広がる畑、そして作業着と麦わら帽をかぶった老人達の姿。
全くもってボクの村とそっくりな何の変哲もない農村の光景である。何か帰ってきた気分。
そうして少々がっくり来かけていた所――――ちょいちょいと何かが袖を引く。のっそりと目を向ければ、ボクの袖を握ったしずくがどこか遠方を指し示していた。
なんじゃらほいとその方角に目をやれば、そこには建物や山の隙間からうっすらと建造物の影が見えた。彼我の距離を考えると、相当大きな建物である事が察せられる。
……あの大きさならば確実に民家ではあるまい。おそらく、キリカからの話でしか聞いた事の無かった城や神殿なる物なのでは無かろうか。
どうやら落胆するのはまだ早いかもしれない。一転期待の炎を膨らませたボクはステップを連打、牛の如き速度からカンガルーもかくやの飛び跳ねを見せ、村への道をぴょんぴょこ辿ったのであった。
この世界が平和なのか、それとも単にお金が無いのか。特に検問も何も無いままあっさりと農村へ侵入出来たのだが、防犯的に大丈夫なのかな。
見はり櫓すら無い事にちょっと不安が擡げたが、まぁ手間がないのは良い事だと思考を放棄。念のためしずくを服の影に隠し、それなりに手入れされた村の畑を眺めつつてくてく歩く。
やはり予想していた通り長閑な場所である。余りよそ者の類が訪れない場所なのか通り過ぎる住人達から何回かチラリと目線を向けられるけれど、それもすぐに外れた。
考えてみれば当たり前か。今のボクは、クワを掲げチキンヘッドさんを連れた由緒正しい田舎者スタイルをとっている。この場においては全く違和感のない格好であり、何らかの関係者にでも思われているのだろう。
見ない顔だ何だと絡まれるよりは動きやすくてありがたい。麦わら帽子や自由のうぎょう靴も持って来るべきだったかな。
まぁそれはさておいて。
服の端からこっそり頭を覗かせるしずくとじゃれ合いつつ改めて下画面の地図表示を見てみると、この村はキチジョージ村という名前らしい。どことなく異国風味あふれる言葉の並びである。
全体図としてはそれ程大きくないようで、方角的にすぐ傍にある森林に繋がる道と城のような場所へと繋がる道があるようだ。ボクが選ぶ道は勿論後者。植物に興味が無い訳では無いけれど、それは後でゆっくり見れば良いだろう。
懸念材料としては宿探しについてだけれど、カルディアという街から取り寄せた寝袋がある。野宿は今まで体験した事が無かったので、そうなったらそうなったで割と楽しみ。
まぁなーんも考えず気楽に見て回ろう――そう思い、歩き続けていると。
「……なぁオイ、アンタそれそのまんまにしてそっち行くのか? あいつらに目ェ付けられても知んないぞ」
――突然、ボクの背に声がかけられた。
振り向いてみれば、そこに居たのは頭の高い位置に髪を纏めた四角い顔の少年だ。
おそらく10かそこらといった所だろう。いかにもわんぱく盛りといった風情の彼は、ボクの持つクワに胡乱げな視線を向けていた。
……あいつら?
「ラグジュアリーズに決まってるだろ。あいつらの居る所に行く時は田舎臭いもんに布かぶせてく……子供のおれだって知ってるんだぞ、そんなの」
少年は鼻を鳴らしてそれだけ告げると、不貞腐れたように背を向け歩き去る。何か嫌な事でもあったのだろうか、ボクの事じゃないと信じたい。
それはともかくとして、ラグジュアリーズとは何ぞや。さっきの言葉からしてあまりよろしく無いもの――「あいつら」という表現からして団体だろうが――のように思えるのだが。今歩き出そうとしていた道の先を見て、少々不安に襲われる。
いや、曲がりなりにもシアレンスの迷宮に挑んだものとして、戦闘能力や回避能力には一応の自信がある。そのラグジュアリーズとやらがどのようにして現れたとしても対処や逃走は易かろう。
しかしせっかくの旅行なのだから、必要に駆られた時以外はそういった物騒なものは無しという方針で行きたい。人間タミタヤと呼ばれる程の平和主義者なのだ、ボク。
……となると、早い所手に入れておきたいものが出来た。この村――というか、この地域での常識とルールだ。
「うおっ!? ちょっ、なんだよお前! おいって!!」
そんな事を考えていると、またもや背中側から声が飛ぶ。見れば先程の少年がズボンをチキヘッドさんに咥えられこちらへと引っぱられている所だった。
どうやらボクの結論を先読みして知識を教えてくれそうな人を確保してくれたらしい。全く人間の出来たコケッホッホーである。
「お、おい! これアンタの家畜だろ!? だったら早く何とかして――ッダダダダァーーーッ!? 噛むな! 肌を! 肌をッ!」
……ちょっと怒りっぽいのが玉に瑕だけど。
ボクは苦笑を一つ零し、ギャーギャーと騒ぐ少年達の下へと歩を進めた。
* * *
その少年は、イサカルと名乗った。
生まれも育ちもキチジョージ村であり、幼いながらも農夫をやっているそうだ。同じく子供の時より畑に慣れ親しんだ身として、何となくシンパシーを感じる。
「で、何だって? キチジョージ村……っつーか、ミカド国の話だったっけ?」
道の真ん中で立ち話するのも何なので、腰を落ち着けるために訪れた村の広場。イサカルは膝上にチキンヘッドさんを乗せながらそう切り出す。
彼の目の前には礼と称して渡したかぼちゃの煮つけが広がっており、二人して美味しそうに突っついている。どうやら仲良くなったらしい。なんで?
疑問には思ったものの、諍いが無いのならばそれでよし。今はこの地域――ミカド国のルールの事を聞くのが第一だ。
流石にそれを尋ねた際には「何言ってんだこいつ」という目で見られたのだが、自分が旅人である事を話すと酷くあっさりと納得し、快く対話に応じてくれた。
……その代わり期待に満ちた目で旅の話を求められた訳だが、すいませんボクも旅行初心者なんです。勘弁して下さい。
「じゃあまずあれだ、カジュアリティーズとラグジュアリーズの話からしてやるよ」
そうして語られた話は、彼の主観や子どもならではの語彙の少なさが混じり非常に偏った物だったけど、大切な部分は理解出来た。気がする。
何でもこの東のミカド国は貧富の差がハッキリと分かれているらしく、商人や貴族を始めとしたきらびやかな層をラグジュアリーズ。農夫や酪農家と言った素朴な層をカジュアリティーズと呼んで区別しているそうな。
当然両者間の仲は到底良いものとは言えず、ラグジュアリーズはカジュアリティーズを見下し、カジュアリティーズはラグジュアリーズに毒づいている構図が常となっているのだとか。
遠目に見える城――ミカド城等の近辺はラグジュアリーズの管轄になっているらしく、カジュアリティーズのシンボルとも言えるクワを翳したままあの道の先を行けば、質の悪いラグジュアリーズに因縁をつけられる可能性が大きいらしい。
流石に暴力沙汰にはならないだろうが、彼に止められねば少々面倒な事になるのは確実だったとの事だ。恩着せがましくそう語るイサカルに素直に感謝一つ、空になった食器の中にかぼちゃの煮つけを足してやる。
「そんで、それとは別にサムライ衆ってのが居てさ。すっげぇかっこいいんだ!」
イサカルはこれまでとは違い目を輝かせた様子で、それはもう嬉しそうに話を続ける。
話を聞く限り、ボク達の世界で言う自警団や騎士団のようなもので、彼はそのサムライ衆になる事を夢見ているらしい。
どうも18歳になるとサムライとしての適性試験があるそうで、それに備え日々鍛錬をしているそうな。といっても、精々が仲の良い友人と剣術ごっこをする程度のもののようだが。
ああ、よくあるよくある。ボクも小さい頃はよくやったもんだよ。微笑ましげに見守る。
「……と、まぁおれが教えられるのはこんくらいかな。他に何かあるか?」
その他色々と法律や何やら細々としたものを聞いてみたが、やってはいけない事や犯罪に当たる事等は大方ボクの居た村と違い無いようで一安心。
ただ、これから行こうとしていたミカド城近辺は祭日などでないと開放されていないとの事でちょっと残念。懐のしずくがぽむぽむ胸を叩いて励ましてくれた。
気を取り直しつつ、他の観光名所となりそうな場所を聞く。
「えーと、アキュラの広場とか……まぁ、気に入らねぇけどラグジュアリーズの居住区とか豪華だぜ。あとは……」
と、そこで言葉を切り、イサカルは逡巡した様子でこちらを睨む。
「……まぁ、せっかくの旅人さんだもんな。いいぜ、とっておきのとこ教えてやるよ」
しかしそれも短い時間の事で、直ぐに相好を崩しニヤリと笑い。そしてチキンヘッドさんを膝の上からどかして立ち上がる。
そうして宝物を自慢するような表情で、村の外を指し示したのであった。
「――どうだ、ここ。ヤスクニの丘ってんだぜ。すごいだろ」
案内された場所は、キチジョージ村と同じく長閑な雰囲気の丘だった。
しかし予想よりもかなり大きかったミカドの国とミカド城、綺麗な湖、そしてそれらを囲む高い山々全てを一望できるその景色は筆舌に尽くし難く、ボクの村では決して見る事の出来ない光景だ。
口を開けて目を奪わているボクの様子にイサカルは得意気に笑い、鼻の下を擦る。
「ここって滅多に人が来なくってさ、おれとフリン……友達との秘密の場所なんだ。感謝しろよ?」
イサカルの言う通り、確かに感謝する価値のある場所かもしれない。ボクはアップルパイを渡し改めて礼を伝えると、周辺の散策に移る事にした。
ここに来る途中幾つか畑になり得るであろう荒れ地を見つけたし、どうせならこの辺りを一先ずの拠点とするのも悪く無いと思ったのだ。
流石にイサカルの秘密の場所に手を入れるのもアレなので少し離れた場所にはなるだろうが、それでも景色がいい事には変わりあるまい。
星空の夜の下で眠り、朝早く寝袋から起き抜ければ眼前に広がるミカド国――それは中々に風情のある光景なのではなかろうか。うん。
「へぇ、野宿なんて旅人っぽいな。そういうのよくやるのか?」
いや、むしろ寝ないで徹夜しての強行軍やってます。やり過ぎるといつの間にか部屋に戻っちゃうんだけど。
面白そうという理由からついてくるイサカルとおしゃべりしつつ歩きまわり、いい感じの場所を発見。ヤスクニの丘には負けるけれど、それでも綺麗な景色が見える。
荒れ地のマスは全部で54と少なめではあるけど、作物を育てる事がメインではないので問題は無いだろう。ボクは頷きを一つして、リュックの中から整地用の奇跡のオノを取り出し、構えた。
「……そういやアンタ、旅人なのに何でクワとか木こりオノとか持ってんだ? 農夫みたいで格好悪いぜ、それ」
んまー失礼な事を言うお子様である。先程から薄々感じてはいたが、やはり彼は農夫である事に不満を持っていたらしい。
ボクとしてもその気持ちは分からないではないのだが、「格好悪い」と評されればむかっ腹の一つは立つ。
――ので、ちょっと全力を賭して農作業をする事に決めた。大人げない? 知らんな、何語ですかそれ。
「…………!」
見据える荒れ地に散らばるのは、幾十もの木の枝と大地を埋め尽くす程の枯草だ。以前のボクならば片付けるだけで少しは時間を取られていただろうが、今ならば何の障害にもなりはしない。
しっかりオノの柄を握り直し、一段、二段、最大限までルーンをチャージ。手元から迸るのは白き光球。農具が放つ極みの力。
ボクはそれをイサカルに魅せつけるようなオーバーアクションで持って振り上げ――――思い切り、その刃を地へと叩きつけた。
「――――ッ!!」
――バカカカカカンッ!
乾いた音が連続して響き、ふわりと辺り一帯に木の香が舞う。
見れば荒れ地を埋め尽くしていた樹の枝が全て砕け、単なる薪となっていた。中には枝以上の大きさになっている物もあり物理法則が乱れているような気もするが、まぁ今更の事と割りきっておく。
そうして畑に散らばる薪を集めるよう何時もの様にしずく達に頼み――――と、そう言えばしずくの事は秘密なんだったっけ。まぁ既に頼んじゃったし、別にいいか。
とりあえず楽観視しつつ、今度はクワに持ち替え最大チャージ。先程からイサカルが上げている惑いと驚きの声を聞きながら、同じようにして大仰に振り下ろす。
――ボゴンッ!
すると小さな地響きと共に荒れ地一帯が土塊を吹き上げ、枯草諸共かき混ぜられて。そして巻き上げられた土煙が収まれば、後には完膚無きまでに耕された健康的な作物畑がその姿を見せた。
元の荒れ地など見る影もない。枯草の混ぜ込まれたそれは栄養満点にして品質良好、畑としては最高レベルの土だ。
人呼んで超全力畑整地。一連の作業が完了するまで僅か6秒弱。アクビするより短い時間での犯行である。犯行? いや人聞きの悪い。
「は……え?」
そうしてしずく達が最後の薪を回収したのを見届けた後、クワを肩に乗せゆっくりとイサカルへと振り返った。
彼は相変わらず戸惑いの声を上げたまま、視線をボクと畑としずくの間で彷徨わせ面白い表情を浮かべていた。その「超驚きました」と言わんばかりの様子に幾分か胸の内がスッキリ、無意識の内に唇の端が釣り上がる。
――どうよ、農作業も馬鹿にしたもんじゃないでしょう。
そんな感情の込められたボクの視線に、イサカルは混乱したまま目を瞬かせたのであった。ぱちくり。
イサカル魔改造? いや、農奴改造よ。