――首都マスハイムには、シュペック亭という酒場がある。
今より20年程前、まだ王城の位置が今の場所へと移動されるその前より街にある、ある若夫婦が経営していた小さな店だ。
流石に高級店には及ばないものの、扱う酒や料理の質は悪いものでは無く。価格の手頃さも相まって客の入りはそれなりにあり。
訪れる人達との関係も良好で、常連の数も多かったらしい。その性質上から貴族層よりも庶民層に人気のあった店であった。
若夫婦の間にも二人の子供が生まれ、順風満帆にも思えた日々であったが……それは長くは続かなかった。店の要であった若夫婦が倒れてしまったのだ。
当然ながら、残された二人の子供――シーラとカメリナは非常に困惑する事になった。両親が居なくなった事への悲しみもあったが、一番はシュペック亭の事だ。
如何にこれまで店の手伝いをしていたとは言っても、本格的に経営するとなると勝手が違う。料理、接客、仕入れ……全て両親と同じようには行く筈も無い。
幼馴染であるフレットの道具屋や、それまで築いてきた常連の助けもあり何とか存続させる事だけは出来たものの、気づけば以前のような人気は無くなっていた。
大丈夫だ、これからは時間をかけて自分たちのやり方を見つけ、店を盛り上げていけばいい。シーラ達二人は心の中で笑う両親にそう誓い、明日への意思を強く持つ。
……が、しかし物事はそう簡単には立ちいかず、更なる苦難が彼女達へと降りかかった。
「――ふん。小汚い店だが、まぁいい。金ならくれてやるから、権利書を渡せ」
マスハイムが誇る一流店、七天使亭のオーナーであるグスタフが、店の権利を譲渡するようシーラ達に強要し始めたのだ。
当時の彼女達はまだ知らぬ事であったが、シュペック亭の位置する土地は王城に程近く、更に人通りも多い街門の前。所謂一等地と呼ばれる場所であった。
開店当時は王城と離れた場所にあったため大して注目される理由も無かったのだが、城の移動が完了した現在となっては価値も変わる。
グスタフはシーラの両親の件をチャンスとして、土地の権利書を手に入れるための行動を起こしたのだ。迷惑千万である。
そして当然の事ながら、シーラ達はそれに反対をした。両親との思い出が詰まったこの店を手放すなど考えられない、増してやこのような感じの悪い男に。
「小娘が、後悔するなよ」
グスタフも一回で話が纏まるとは思っていなかったのか、その場は直ぐに引き返したものの――それから事あるごとに店に顔を出す様になった。
嫌味と共に、罵倒と共に。わざわざ客の居る時間を狙って訪れたり、軽い嫌がらせを伴って。
直接的な攻撃はされていなかったが、それでもシュペック亭のような小規模の店にそのような事をされれば、評判に小さくないダメージが蓄積されていく。
そしてそれと呼応するように七天使亭も宣伝に攻勢をかけ、店の客が徐々にそちらへと流れていくようになった。実にいやらしい手口である。
しかしシーラはそんな状況にありながら逆に発奮し、フレットを巻き込んで大きく行動する事にした。
食材を買うお金がない? ならば自分の手で集めよう。
お客が少ない? ならばもっと注目を集めよう。
彼女はコスト削減の為に世界中を冒険し、自らの手で食材を狩り集め。
そして街で毎週開かれる料理コンテストで成績を残し、シュペック亭をグスタフに物を言わせないほどの有名処にしようと決意したのだ。
……勿論、事はそう簡単ではない。マスハイムには七天使亭の他にも数多くの有名店がある。そこを勝ち抜くとなれば、相応の困難が待ち受けるのも当然の事。
幾ら冒険を重ね、武力のレベルを上げた所で料理が上手くなる訳がないのだ。良い食材を狩り採ることには成功しても、それを活かした料理を作らねばならない。
そしてコンテストでの格付けランクを上げるには、一定以上の店の売上が必要になってくる。
最近では運良くコンテストで良い成績を残せたとしても、店の売上が足りずにランクを上げる事が出来ないもどかしい日々が続いていた。
何か売上を伸ばす方法を考えなくては――そう思ったシーラは新メニューの開発等に取り組んでみたが、一朝一夕で解決する訳も無し。
逆にメニュー開発に失敗し、貴重な食材であるロクスタンを無駄に消費してしまう事態になったりと、空回りする日々が続いていたのだが――――
――――結果だけを見れば、その失敗がある出会いを齎し、転じて福となった訳である。
* * *
「さて、そろそろ小娘の顔でも見に行ってやるとするか」
夜の帳も深く落ち、月が輝き始める時間帯。
七天使亭の扉を開けたグスタフは、嫌らしい笑みを浮かべながら夜の街へと繰り出した。目的の場所はシュペック亭、未だ無駄な足掻きを続ける馬鹿娘のいる場所だ。
「全く、さっさと土地を差し出していればいいものを。面倒をかけさせおってからに……」
グスタフは、シーラ達姉妹を嫌っている。当たり前だ、自らの邪魔をする輩をどうして好きになれようか。
代償として少なくない額の大金を払ってやるのだし、潔く店を諦めれば苦しまずに済むというのに。全く、ホントに持って全く。
ちまちまと裏で暗躍し、嫌がらせをするこちらの身にもなって欲しい――そんなどこかズレた被害者意識を燻らせつつ、悠然と街道を歩く。
「……ふん、やはり人通りは向こうの方が多いか」
そうしてすれ違う通行人をつぶさに観察し、鼻を鳴らした。
七天使亭があるこの通りも決して人通りが悪い訳ではない。魔法学校や大聖堂もあり、むしろ多いとも言える。
しかし街門の真正面、王城へと続く道がすらに比べればどうしても見劣りするのだ。客の入りだけでなく、景観の点からしても。
やはり、あの絶好の場所を彩るのは我が七天使亭が相応しい。あんなボロ店などでは断じて無い。グスタフは心持ちを新たにすると足を早める。
さて、今日はどのような嫌味を吐いてやろうか。言いたい事なら山程あるので語録には困らない。胸裏に浮かぶ悪意を隠そうともせず、彼はニヤニヤと笑みを深め――――
「うん? 何だ、この歌は」
向かう先、シュペック亭のある方角から何やら聞き慣れない歌が聞こえてくるのに気がついた。
爽やかに、涼やかに。それは今まで聞いた事の無い雰囲気の物で、グスタフも一瞬聞き惚れる程の物だ。
そしてどうやらその声は忌々しいシュペック亭から聞こえているらしい。歌を聞く為にか普段より多くの客が店に集い、通りを埋め尽くしている。
「ええい邪魔だ邪魔だ! どけ、どかんか!」
ボロ屋に客が集るとは、まったくもってけしからん。
一体何が起こっているのだ。苛立ちともに通行人を振り払い、店の前へと近づいて行く。
するとタイミング良く、一人の客が店の扉を開き外に出るのが目に付いた。
それは大きなニワトリを連れた、男とも女とも見られるナヨっちぃ風体の者だ。大きめのリュックを背負い、手には大きな畑しか見所のないオステンライン村への案内図を持っている。
「――ああ、そこのお前。少し待たんか」
「?」
丁度いい。せっかくだから事の委細を聞いてみよう。
グスタフは客の進行を横に大きな身体で強引に阻み、何があったのかと問いかけた。
「……んー」単なる旅人であるらしいその客はグスタフの問いに困ったような声を漏らすと、そっと扉を開いて顎を振る。どうやら直接見た方が早いという事のようだ。
グスタフは客の態度に不快感を感じつつも、現状把握が第一とそれに従い店の中をこっそりと覗く。
「……あれは……?」
――彼の目に映ったもの。それは店のカウンターに作られた急造のお立ち台に立って歌う、小さな人形のような少女であった。
緑色の髪をした彼女は、何処からか流れてくるジャズ調の曲に合わせ可憐に歌う。
店に訪れた客もその歌声に聞き惚れているようで、多分に酒も入っている所為かあちこちから手拍子も聞こえ大きく盛り上がっていた。
……あれは一体何だ、モンスターの一種か?
困惑に固まったグスタフだったが、それを見かねたらしい先程のナヨっちぃ客が微笑みながら軽く説明をしてくれた。
「――――」
その客曰く、何でもあの少女は歌う事が大好きな妖精であるらしい。
本当は自らの主のために歌う存在であるのだが、その主が行方不明となってしまい歌う事も出来なくなり途方に暮れていたそうだ。
しかし紆余曲折あった末、この忌々しい店に住み着く事になり、主が戻ってくるまでここで歌わせて貰えるようになったのだとか。
妖精は寂しくなくなり、店は歌のお陰でご覧の通り大盛況。Win―Winの結果である。
満足気にそう語る客の目は何故かシュペック亭の裏庭――家庭菜園用の小さな畑がある方角を見ていたが、グスタフはそれに気が付くどころでは無かった。これはマズイ、ちょっぴりマズイ。
「ぬぬぬ……このままでは下手に人気が出てしまうではないか……!」
運であろうが何であろうが、料理コンテストで少しばかりの成績を残しているのは事実なのだ。
これで売上までも上り調子になってしまえば、グスタフの計画がご破算になってしまう可能性もある。
たかが歌程度。と切り捨てる事もできるが、それには少々この店が軌道に乗りすぎている。
あの妖精による店の雰囲気向上と、それが齎す話題性と常連の増加。その辺りの利益率を計算出来ないほど、彼の頭はまだ腐っていなかった。
(このままではイカン、何としてもぶち壊さなければ……!)
焦るグスタフは一刻も早くこの良い雰囲気を壊してやろうと息巻き、勢い良く一歩を踏みだそうとして――。
「…………」
ぴたり、と。動きかけた足が止まった。
彼の視線の先にあるのは、彼が嫌うバカな小娘。大量の客の対応に追われるシーラ達姉妹の姿だ。
彼女達は忙しそうに店の中のかけずりながらも、どこか楽しそうな表情を浮かべている。
……グスタフは、その情景に既視感があった。
そう。あれは確か、まだ小娘達の両親が居た頃。シュペック亭が今と同じような賑やかさを持っていた時の――。
「――うわっ、グスタフ!」
「!」
突然背後から己の名を叫ばれ、グスタフは驚き振り返る。
「一体何の用かしら? 何時ものイヤミなら、営業後にしてほしいんだけど」
そこに居たのは――シーラとよくつるんでいる魔法学院生の少女であった。
確かアルフィネと言っただろうか。彼女は敵意も顕に仁王立ち、不信感の篭った目つきでこちらを睨みつけている。
この七天使亭のオーナーたる自分に向かって何たる言い草だ。気に入らん、全くもって気に入らん。が。
……チラリ。暖かくも騒がしい雰囲気を放つ店を、一度だけ見る。
「……ふん、心配せずとも今回は何もせんわい。興が削がれたのでな」
「え?」
アルフィネのキツイ口調での問いかけに不貞腐れたようにそう返し、グスタフは踵を返す。
彼のくすんだ瞳に一瞬昔を懐かしむ感情が宿った気がするが――おそらくそれは錯覚だろう。不快感を隠す事無く革靴を鳴らし、店の外に並ぶ客をそのでっぷりと纏わり付く脂肪で跳ね除け去っていった。
「……一体何を企んでるのかしら」アルフィネは眉を寄せたが、直ぐに考えを放棄。今は店の事だと意識を切り替え、ウキウキとした足取りで扉を開いた。
「……フン!」
そうして賑やかな喧騒にアップルパイを頼む声が加わったのを背後で聞きながら、グスタフは思いっきり舌打ちをする。
あの歌の影響だろうか、どうも昔の嫌な事を思い出してイカン。
「まぁよい。また明日にでも効果的な嫌がらせを考えるとしよう」
そうだな、例えば……次は街中のスパイスを買い占めるのはどうだろうか。幾ら食材を自力で集めているとはいえ、調味料の不足は結構なダメージになるだろう。
策が成功した際に浮かべるであろうシーラの悔しそうな表情を想像し、少しばかり良い気分になったグスタフは細かく作戦を練るべく足早に七天使亭へと帰っていった。
「…………」
「コケホッホ」
……最後に残ったナヨっちぃ客はそんな二人に首を傾げたが、やがて店の前から去っていく。
――その日、シュペック亭の灯りは遅くまで消える事は無かったそうだ。
mirai世界への種の世話は、リーディアちゃんとミクさんがやりそう。
さぁ不定期不定期。