【習作】日本帝国×日本国(マブラブ Muv-Luv)   作:門前緑一色アガり鯛

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第6話

 

 

 

日本帝国の新潟の景色は、麻生、石破らが数十分前まで見ていた日本国の新潟のそれとは全く異なっていた。

倒壊した無数の建物、積み重なる瓦礫の山。

先の作戦に際して、兵站の確保の為か一応復旧がある程度されていた新潟港はともかく、大空襲か大地震でもあったのかと思うほどの廃墟となった嘗て数十万の人々が暮らしていた市街地跡を見ると、ここを故郷とする者たちへの憐憫の情が二人の胸に沸々と湧いた。

そして、同時に我が国にこの様な厄災が降りかかることだけは絶対に防がねばならないと決意するのであった。

 

 

12月26日16時(日本帝国標準時)帝都・東京 帝都城

 

今でこそ帝都・東京などというが、もともと日本帝国の首都は京都であった。

明治維新に際して京都から東京へ遷都した日本国に対して、日本帝国は江戸幕府終焉後も遷都すること無く京に都を置き続けたのだ。

つまり、日本帝国においては桓武の帝の御代からBETAの侵攻により泣く泣く手放すまで間、実に1204年の永きに渡って京の都は首都であり続けたのだ。

 

その「新しい」都、東京に到着した麻生・石破の両名は、交渉の前にまずは、皇帝の下で日本帝国を統治する政威大将軍に謁見すべく帝都城に案内されたていた。

 

車が二重橋のあたり差し掛かったところで麻生が呟く。

 

「皇居がこちらでは帝都城か。で、皇帝が赤坂御用地内の御所におられると・・・。」

 

日本国では赤坂御用地には皇太子殿下夫妻のための東宮御所が置かれているが、帝国では京都御所から遷られた皇帝の住まいとなっていた。

 

「この帝都城の門や橋の名前から造り、堀の形状まで全て皇居と一致しているというのはなんだか・・・奇妙ですね。」

 

「そうだな。だが流石に城内の建物は違うようだぞ。

帝国では遷都までは、将軍がたまの東京滞在中に使う別荘のようなものだったらしいからな。」

 

近年日本ではあまり見かけない帝冠様式の建物群を見ながらそう付け足した。

 

 

 

帝都城 謁見の間

 

 

麻生と石破が形式的な挨拶を済ませた後、最初に口を開いたのは悠陽の側に控えていた大臣達ではなく将軍である悠陽自身だった。

 

「遣わせた吉田から多少話は聞いております。

ですが、直接詳細に確認させて頂けますか?

あなた方の世界の日本の事、世界のことを。」

 

それを受けて「それでは僭越ながら・・・・」と前置きして麻生が話し始める。

 

「近畿の大和朝廷から律令国家へ、そして武家政権という流れは幕末までは我が国も日本帝国も一致しております。

しかし・・・・・、我が国における大政奉還は帝国と違って将軍家・雄藩・公家が公武合体論と公議政体論で一致して行われたものではなく、倒幕派である雄藩の機先を制するために行われたものでした。

そのため大政奉還後、新政権に旧幕府勢力が加わることを是としない倒幕派によるクーデターが発生し、旧幕府勢力の殆どを排した薩摩・長州を中心とし天皇を最上位に頂く新政権が樹立されます。

新政権はすぐさま旧将軍徳川慶喜の辞官納地を決定、これに憤慨した旧幕府側と新政府の間で内戦が発生しました。

我々はこれを戊辰戦争と呼んでおります。

幕府軍の近代化が遅れていたと、そして将軍である徳川慶喜公が敵前逃亡したこともあり幕府軍は新政府軍に悉く破れます。

近畿そして関東を追われた幕府軍のは東北・北海道に落ち延びますが約一年に及ぶ戦闘の末降伏。

戦争中に朝敵とされた慶喜公と将軍家はお家断絶こそ免れますが駿府に移されます。」

 

「「「「「 なっ!!!!!!!!! 」」」」」

 

悠陽と吉田を除く面々が驚きの声を上がる。

特に武家である月詠真耶や紅蓮などの驚きは甚だしいものだった。

当然といえば当然の反応である。

なにせ異世界とはいえど自分たち武士の棟梁たる将軍が滅んだというのだから

 

日本国とは対照的に日本帝国では幕末、薩長土肥らの有力外様大名が武力倒幕でも佐幕でも無く徳川も含む挙国一致の公議政体論で一致したため、徳川将軍家と有力大名(所謂雄藩)の武家と五摂家や清華家を始めとする有力公家で公武合体を図り、政威大将軍を排出するための新たな五摂家が創設されたのだ。そしてその新たな五摂家が煌武院家、斑鳩家、斉御司家、九條家、崇宰家というわけだ。

ちなみに、公武合体による新五摂家の構成は以下の通り。

近衛家(摂家)+水戸徳川家=煌武院家

鷹司家(摂家)+毛利家(長州)+三条家(清華家)=崇宰家

一条家(摂家)+島津家(薩摩)=斑鳩家

二条家(摂家)+土佐山内家+西園寺家(清華家)=斉御司家

九条家(摂家)+鍋島家(佐賀)+中山家(羽林家)=九條家

他の公家や武家は互いに娘を嫁がせたり、息子を婿にやったり、養子を取り合ったりして結びつきを強めはしたが、家として合体して一緒になることはなかった。

 

「新政府に恭順した徳川慶喜は後に赦され大名家や堂上家の公家と同じく爵位を与えられ華族に叙されます。そして大名家やその家老家以外の大多数の武家や地下の公家は士族となったわけですが・・・・・廃刀令で士族の帯刀は禁止され、徴兵令で国民皆兵制を敷いたために兵権も失います。そして金録公債の発行と引き換えに士族全員が政府からの俸禄を廃止され浪人となります。

近代化政策の障害となるということでこのように士族は徐々に解体され、最終的に士族は名分上の栄誉もない、たんに戸籍における族称が士族と書かれるだけの存在となりました。」

 

将軍も武士もみな滅んでいるとは・・・・と驚きを隠せない面々に麻生がなさなる爆弾を投下する。

 

「日本帝国では、武家は一般家庭出身の軍人とは違う形で軍を組織していると聞き及んでいます。たしか内閣からも独立した将軍の親衛軍だと・・・。

我が国では華族出身でも士族出身でも平民出身でも所属するのは同じ軍でした。

天皇を守護する存在としては陸軍の近衛師団が有りましたが、それも全国の部隊から優秀な将兵を抽出して編成していましたので平民出身も普通にいました。

 

まあ・・・・・・それもかつての話です。

今の我が国にはそもそも軍隊が存在しませんので。」

 

帝国側の人間はその言葉の意味が理解できなかった。

皆一様に、「今なんとおっしゃいましたか?」といった表情を浮かべているが、麻生は予想通りだと言わんばかりにその反応を全く意に介さずに言葉を継ぐ。

 

 

「森瀬君、例のものを。」

 

森瀬によって帝国側の全員にオレンジ色の本と薄い冊子が配られた。

その表紙にはこう記されていた。「山川◯版日本史B」、「日本国憲法」と

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「失礼ですが麻生殿、あなた方の日本はこんなものを・・・・こんな歴史や憲法を本気で受け入れておられるのか?」

 

怒り、呆れ、驚き・・・種々の感情が混じった様子で紅蓮が麻生に問いかけた。

 

「現状では不本意ながらそうです。戦争に負けるとはこういうことです。」

 

「そうですか分かりました・・・・・。」

 

言葉と裏腹に明らかに納得していない声で返す紅蓮、その後ろでは月詠が侮蔑混じり視線を向けていた。

 

(「戦争に負けて理不尽な目に遭ったことは分かるが、主権を回復した後もそれを放置していることが理解できない。阿部君がいうところの「戦後レジーム」が今も存在することを、自分達を含めた戦後の政治家の責任と言わずに、戦争に負けたせいだと言ったことが気に入らない。何でもすべて敗戦のせいにするな。」といったところだろうか後ろの嬢ちゃん今考えていることは・・・・まあそれは妥当な批判だ・・・・。だが、政治はそんな簡単に動かせないんだよ。軍人はクーデターという選択肢を排除しないやつもいるし、単純に考えやがるぜ・・・・。)

 

予想通りの芳しくない雰因気、視線を察知した吉田が動く。

 

「麻生外相、ご説明ありがとうございました。

世界が違えば同じ日本といえども相違があるのは当然のことでございましょう。それについて我々が申し上げる立場にはありませんし、逆もまた然りでしょう。」

 

(斯衛の元老的立場である紅蓮が不承ながらあのように述べた以上、あの近侍が差し出がましく何かを言うとは思えないが、軍人という人種は直情的で単純な人間が多い・・・まったく・・・)

 

吉田はこの話題を終わらせて本題を切り出し・・・・・

 

「ご存知のようにこの世界はBETAにより人類存亡の危機に瀕しており、その中でもBETA戦線の最前線に位置する我が日本帝国は国家存亡の危機に瀕しております・・・・・そこで」

 

 

「是非とも貴国より我が国へのご支援をお願い申し上げます。」

 

麻生に深々と頭を下げた。

 

そして・・・

 

「麻生外相・・・・何卒よしなにお願いします。」

 

政威大将軍である悠陽からも言葉が掛けられた。

 

麻生はすぐに悠陽に向かって一礼し、答える。

 

「ご安心下さい。我々はもとよりそのつもりで参りました。

トンネルができてしまった今、我々の世界にBETAが侵攻してくることも十分に起こりうる事態です。つまり、BETAの駆逐はもはや我が国にとっても至上問題なのです。

それに何よりも、世界は違えども同じ日本人です。

どうして手を差し伸べない事がありましょう。」

 

「麻生殿、そなたに感謝を。」

 

麻生は悠陽からの感謝の言葉を、頭を下げて受け取る。

 

「それでは殿下、早速ですが具体的交渉に移りたく存じます。

外務省、防衛庁双方から局長級と事務方を連れてきておりますので、私と石破が帝国側のカウンターパートと大筋合意し次第すぐに詰めの作業入ることができます。」

 

 

「では吉田、そなたに此度の交渉を一任します。

速やかに麻生外相、石破長官と交渉を始めなさい。」

 

「は、臣吉田、不肖の身ではございますが謹んでお受けいたします。」

 

 

この数十分後、場所を帝都城内の会議室に移して吉田と麻生・石破の交渉が開始されたのだが、実は、この会談は閣僚同士の会談・・・ではない。

麻生は外務大臣、石破は防衛庁長官だが、吉田は今のところただの衆議院議員でしかない。

 

これには深い理由がある。

御一新以降、将軍は皇帝から立法権、司法権、行政権の三権を預けられてきた。

このうち立法権と司法権は日本帝国憲法にある「将軍の立法権と司法権はそれぞれ議会と裁判所の輔弼を受ける」という記述に従って、それぞれ帝国議会と大審院が将軍の名のもとにこれらの権力を行使するという形を取ってきた。

だが行政権については将軍に属するものとして憲法に明記されており、行政権の行使主体は将軍であった。

そこで将軍は自らが厚く信任する者を宰相に任命し、その者と共に国政の運営に望んだのである。(各省庁の長は宰相の下僚である国務長官が担当)

※これは議会の影響を受けないという意味では、日本において黒田清隆が唱えた超然内閣とよく似ている。

これが日本帝国の本来あるべき立憲君主体制なのだが、戦後から2001年12月5日のクーデターまでは日本帝国はこれを大きく逸脱してしまっていた。

戦後導入された内閣制では、その首相を含めた閣僚は議会の中から選ばれ将軍の意志が反映できる余地はなく、又国政の運営にあたっては、将軍はその意思決定から完全に阻害されるお飾りとされてしまっていたのである。

 

12・5クーデター事件の終結から8日後の12月13日、事後処理を終えた仙台臨時政府は解散し、即日速やかに議会から新総理が選出され新内閣が組閣された。その新内閣は戦後内閣が乱発・乱用してきた「本来将軍が持っている権利」を将軍に返上し、日本帝国を本来あるべき立憲君主体制へと回復させた。

実権を回復した悠陽は当初速やかに将軍主導の超然内閣を組閣させようとした。榊亡き後一番信頼できる文官であり榊が生前目をかけていた後輩でもある外務省畑出身の吉田を首班に指名し組閣を命じようと考えていた。

しかし、差し迫っていた12月24日開始予定の甲21号作戦の準備のために僅かでも政治的空白(引き継ぎなどのために)を発生させるわけにはいかず、取り敢えず新内閣の組閣は甲21号作戦後ということにした。

だが、甲21号作戦は勝利と予想外の結果をもたらした。

その対応のために予定していた吉田内閣発足が遅れ現在に至るというわけである。

つまり現状では、悠陽から信任を与えられた吉田が現内閣の頭越しに交渉を行うという形になっている。

もっとも、これで漸く一段落ついたわけだしこのままだと交渉の体裁もよろしくないので、交渉が妥結し次第速やかに任命式を行い吉田内閣が発足する見込みではある。

 

 

 

 

次回・・・・日日会談。

感想はありがたく読ませて頂いていますが、全てに返信できそうにありません。

申し訳ありません。

 


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