遠坂 凛にとって魔術とは?
それは手段だった。幼いころから冬木のセカンドオーナーとして父に遠坂家として魔術の秘奥を叩き込まれた。一般的な家庭からしたら虐待扱いされるほど厳しい修行だが凛にとって父との触れ合いの時間の一つに過ぎなかった。凛が俗に天才と呼ばれる人材であったこともあり学べば学ぶ程達成感も父の優しい掌を感じることも出来る。父が無くなった後は魔術師としての最終目標である根源に至ることを夢見て研究する日々。今年は聖杯戦争の準備もあり研究の方にはあまり時間も避けなかったが聖杯を持ちかえる為に実践的な魔術の学習は欠かせない。――それら全ての目標を達成するためには魔術が必要不可欠だった。だからこそ人一倍魔術に対して誇りを持っていた。その点に関しては魔術師の鏡と呼ばれるような生き方をした父親以上かもしれない。
そんな彼女も普段は普通の女子高生。魔術師という自負はあれど、いつものように周囲からのうざったい視線を感じながらも高校生活を送る大衆の中の一人に過ぎない。そこで突然の兵士の襲来。どこの国籍かも理由も分からないまま校舎に侵入する敵意。戸惑い、親友と声をかけ励まし合う高校生がそこにいた。正直魔術師として一般人を一人でも守ろうという気概が自分にあったとは思えない。数が数だし何より魔術は秘匿されるべきという言い訳を心中唱えつつ、事態が去るのを只管待っていた。
無理もない。今まで魔術で危険な目に遭ったこともあるが、それは安全が確保された工房の中のこと。
実践経験もない小娘が本職の軍人相手に叶うはずもない。彼女が生涯を懸けて手にした手段はそれを振るう機会もなく細く綺麗な掌に納まるだけだ。
急な地震が校舎を揺らして震える指先をそっと誰かの手が握る。顔を上げなくても分かる。こんなことをやらかすのは唯一の親友と言ってもいい相手、美綴 綾子の温かく大きな手だ。握った手も震えている癖に励ますかのように強く握りしめる。全く持ってこの親友には敵わないとひとりごちる。
「ん? ――ちょっと!? 外を見て凛ッ」
「な、何よ?」
有り得ないことに地面が校舎の高さまで隆起しており、その上に怪しげな恰好をした十人組が現れたではあるまいか。口上から何やらBF団? という集まりらしく、凛としてはこれ以上兵士を刺激するような真似は勘弁してもらいたかったが、事態は凛の想像を遥かに超えた展開へと発展する。
一人が指先から魔弾のようなものを射出して兵士を次々と吹き飛ばしていく。凛も初等呪術としてガンドを使うことが出来るので分かるのだが、あれは凛の使う物的破壊能力を伴ったフィンの一撃とは比べ物にならない程の威力を内包している。
上級呪術の一種なのだろうか? それにしてもノータイムであの威力と範囲が出るとは考えにくい。使っている本人の動きに疲れた様子は微塵も感じられない。
恐怖すら忘れて食い入るように見る凛の姿に美綴は冷や冷やしながらも、無理やり頭を沈める。凛は散々抵抗したが向かいの体育館に流れ弾が跳んだのを見て、目線が通るギリギリの位置まで譲歩した。
魔術の方に目が行って気付くのに少しばかり遅れたが、彼らの動きもまた素晴らしいものだった。凛にはほとんど残像しか見えないが、影が動き兵士が倒れればその関係性にも気づく。一体彼らは何者だろうか? あの魔術は? そういえば何処かの資料で見た覚えがある。魔術でも魔の力でもない、ヒトがヒトのまま持つ特異能力のことを。それは魔術ですら再現できない域に達することもあるとか……確かそれは…………超能力?
凛の震えは一度治まったかのように思えたが、再び体全体が揺れ出した。恐怖からではない。怒りだ。怒髪天を衝かんばかりの心中穏やかならぬ心持に爆発しそうだった。自身の無力さに対して怒り、羞恥の念に怒り、理不尽だとは分かっていてもあの超人たちに怒った。
自身の今までの努力の結晶である魔術では到底実現出来ぬであろう異常の数々。いったい今まで自分は何をしてきたのだろうか? 遊びたいざかりの高校生として魔術師の本分を本当に全うしてきたのか? もし魔術に研鑽していたなら、ここまで己の無力を感じずに済んだのだろうか?
そして凛は認めないだろうが、十傑集の姿に憧れの気持ちもあった。魔術師にとって魔術は根源に至るまでの研究素材に過ぎないものの、彼らは一般人では起こすことのできない神秘を扱うことに誇りを持っている。しかし同時にその神秘は現代科学や兵器で実現可能なレベルに留まっている。魔術は現代技術の後を追いかけることしか出来ていないのだ。そんな現代技術を駆使する兵士を圧倒する彼らに、あの姿こそがこれから魔術師に求められる姿だと確信に近いものを感じた。
「絶対正体を暴いてやる。そしていつか私も……」
一人決意を秘めた瞳で凛は教室の天井を見つめる。
あれから二カ月と少し。あんなことがあった次の日はさぞ取材陣で大変なことになっているだろうと幽鬱な気分で学校へ出かけたところ、不思議な位いつも通りだった。十傑集が暴れまわった痕も綺麗に修復されており、闘争の名残はそこになかった。生徒も教師もまるで夢でも見ていたのかと納得のいかない顔をしており、僕もその中の一人だ。新聞にも地方の欄に高校に不審者が侵入したとあるだけでどうにも狐につままれた気持ちである。しかし死傷者こそいないものの怪我をして入院している教員や生徒もいることは確かでクラスで御見舞に行こうという話も出ていた。ま、おそらくは誰かの仕業だとは思うのだが……
「どうした山野?」
「ん、こっちのこと」
阿良々木君ともあの日以来少しずつ話すようになった。今のところ僕がどもらず話せる唯一の友達だ。友達だって確認はとれていないけどもし聞いて違うと言われたらと思うと怖くて聞けない。僕が一方的に友達だって思っているだけなのかもしれないが、少なくとも話相手が出来たというだけで僕にとっては十分満足だ。
「山野君って時々そういうことあるよね。なんだかまるで自分を俯瞰してみているみたい」
そうそう。羽川さんとも少し話すようになった。最も羽川さんとは二人っきりの状況は気まずくなるので、専ら阿良々木君といる時だけ話す。というかそういう時を狙って羽川さんが話しかけてくるといったほうがいいかも。もしかして阿良々木君と二人きりで話したかったのかな? と考えると胸が痛むのであまり長居もできない。
「そ、そうかな」
「確かにそうかも。僕も人の事言えた義理じゃないけど山野って自分のこと話さないもんな」
「自分のこと? えっと高校三年生で性別は男。好きな物はチョコ全般です!」
「いや、うん。そうだな。僕が悪かった」
「これから山野君は打ち解けてくれたらいいから、ねっ」
何だろう? 変に気を遣ってもらっている感がある。自分のことと言ったって後は僕の十傑集に苛まれる日常ぐらいしかない。話しても信じてもらえないので話さないのだ。いったい誰があの超人集団のことを信じてくれる? それになにより、
「じゃあ行ってくるよ」
「フフフっ、戦場ヶ原さんによろしくね」
「行ってらっしゃい」
恋人が出来て幸せそうな阿良々木君に僕の不幸話を聞かせることもあるまい。それにしてもてっきり忍野さんと付き合っているとばかり思っていたのだが、まさかバイだったとは……たまげたなぁ。イケメンだし、話していて楽しいから阿良々木君はもてるのだろう。全く羨ましいばかりだぜ! 男にはもてたくないけど、女の子にもてる秘訣があったら今度聞いてみよう。
「で、山野君は何を考えてたの?」
向かいの席から少し乗り出して腕組みをする羽川さん。擬音としてはたゆんが一番ふさわしい。ガン見しようとする男の本能を律するのに最大限努力しながら僕は震える声で答えた。
「こ、この間の事件のことだよ。何だか不思議なことが多くてよく考えるんだ」
「確かに衝撃的と言うより、まるで映画のワンシーンみたいに現実味が無い話だよね。私なりに色々調べたけど兵士の武器が実弾だったということしか分かってないの。あのマスクを着けた人たちのことは何にも……」
羽川さん。人にとって知らない方がいいこともあるんだよ。
「……山野君は超能力って知ってる?」
「はい?」
いかん、思わず素で返してしまった。まさか毎日見てるよなんて答える訳にもいかず考えていると羽川さんが続きを話し始めた。こういう気遣いはコミュ障の僕には本当ありがたい。羽川さんの胸を本尊と見立てて深く感謝する。は~ありがたや。
「そもそも超能力の定義さえ曖昧なんだけど一般的に二つの能力が有名だね。物体を浮かばせたり干渉する念動力:PKとテレパシー等の情報伝達能力:ESP。この二つを合わせてPSIと呼ぶんだけど――山野君、聞いてる?」
「あ、うん。勿論」
「でね。あのマスクの人たちは明らかにそれと思しき力を使っていたと思わない? メディアでこの事件が取り上げられていないのも彼らのESPによるものだと考えたら納得がいくんだけど……」
つまり全ての事件は超能力によっておこされていたんだよ!
な……何だってーー!! AA略
――いや、AA略とかやってる場合じゃない。どうしよう。この推理力どこぞのハワイで親父に習った探偵ばりにやっかいだ。このままだと僕と十傑集の繋がりを暴きだして住所特定されそうな勢い。警察やらマスコミやら知らない人が家に雪崩れ込んだりしたらストレスで胃がマッハなんだが。
「そんな筈あるわけないよね。ゴメンね。下らない想像に付き合わせて」
「い、いやそんなことないよ。羽川さんの想像も現実的意見を加味しなければ筋が通るしね。アハハ」
ふぅ、危なかった。これ以上羽川さんと話してボロが出るのも怖い。別れの挨拶を軽くすませて僕は教室から逃げる様にとびだした。校門までダッシュで駆けても息が上がってない辺りトレーニングの効果が出てるなと実感する。なんかスポーツにはほとんど影響ないのにこういう時だけポテンシャル見せるから本当困ったもんだよ僕の我儘ボディは……
僕の愛車は不慮の事故で壊れてしまったので通学は専ら徒歩だ。最初は面倒だと思ったけど、歩いてみると普段は見逃していた物が多くあることに気付く。街路樹の横のモグラの空けた穴、猫が集う路地、その中に侍みたいな恰好をした人もいる。本当日常っていいですね(全力で目を逸らしながら
「怒鬼、こんな所にいたのか?」
僕の影から自然に出てこないで下さいレッドさん。なるほど今日アキレスの機嫌が悪かった理由はこれか? 僕の狭い影に一人と一匹だからさぞ狭苦しい思いをしたに違いない。ともあれレッドさんの全体を見るのは久しぶりな気がする。日中もいないし、休みもどこかに行っているし、基本的に何かの影に入り込んでいる姿しかあまり見てないんだよな。なんというか鎖帷子をシャツに見たてて、忍び装束をジャケット風に改造した服装だ。レッドさんの名の通り真っ赤なマフラーとマスクが忍ぶ気を感じさせない。これがNINJAか(恍惚
一方、怒鬼さんはレッドさんと真逆のイメージ。露草色の着物に山吹色の袖なし羽織。脚絆に草鞋といかにも侍といったふうだ。片目が不自由なのかいつも瞑ったままで寡黙な印象を受ける。現に僕はあれほどうるさい十傑集の中で怒鬼さんの声は聞いたことが無い。腰の辺りまで伸びた長髪は癖でも付いているのか妙な立体感がある。僕も癖っ毛なので怒鬼さんの気持ちはすごく分かる。悔しくて一度ストパーをかけたことがあるのだが一日も経たない内に戻ってしまった。
閑話休題。
全く印象の違うこの二人だが案外仲が良いらしく、二人でいるところを見かけることもある。最もその時も怒鬼さんは首を振って頷くか、否定するかのどちらしかなかったのだがお互いが通じている雰囲気があった。
「俺はこれから用事があるから後は頼んだぞ怒鬼」
そう言い残すとレッドさんは上空にあっと言う間に消えていった。相変わらずあれが同じ人類だとは思えない。さて僕も道草食ってないでそろそろ買い物にいかなくては。今日はタイムセールでチョコが半額だって聞いてたから買い溜めしておかないとね。
トコトコ
ザッザッ
トコトコトコ
ザッザッザッ
トコ……トコ
ザッ……ザッ
「あ、あの。怒鬼さんも一緒に行く?」
「コクッ」
スーパーはかなり混雑していた。今までの僕ならこの時点で速やかに帰っていただろうが、十傑集と同じアパートで過ごしていく内に僕も我慢強くというかしぶとくなったというべきか、この程度のことは耐えられるようになった。ようは皆カボチャだと思えばいいのだ(白目
それに今日は頼りになる助っ人も来ている。180オーバーの高身長で獲物を見つけ、長い手で速やかにハントする十傑集の中でもまともな希少的人材の怒鬼さん。そこいらのおばちゃん、お姉さんがたのハートももれなくハントする。ひょっとして僕は恐ろしい存在を世に解き放ってしまったのかもしれない……
『え~、ただいまより菓子コーナーで板チョコ一枚50円。大変お買い得となっております。限定300枚とさせていただきます。この機会にぜひ、お求めください』
ダミ声の館内放送が聞こえるやいなや駆けだした。既に菓子コーナーは人の群れで商品すら分からない程ごったがえしている。
いけない! 僕のチョコが無くなってしまうっ!
いや、落ち着くのだ浩一よ。ここで焦って不用意に飛び込めば波に流されて全てが台無しになってしまう。逆に考えるのだ……奪われちゃってもいいんだと――やっぱそれだけは許せんっ!
アキレスっ! 後は頼んだぞ!
グルルゥォーン!
幸い人が多いので死角も存在する。アキレスが僕の影から離れて集団の影に入り込む姿も見られることはない。集団の影がアキレスの化けた影に入れ替わり、レジの方向に少しずつ誘導していく。あくまで自然な流れを演出しつつ、僕は無事大量のチョコをゲットすることに成功した! 後は食品やら日常用品のリストを渡した怒鬼さんを回収するだけなのだが、案の定直ぐに見つかった。豆腐コーナーの前でじっと佇み思案している様子だ。リストには載せてないし特に豆腐が足りないということもなかったと思うのだが……。声をかけようとした所で、
「おっ、山野じゃないか」
逆に声を掛けられた。振り返るとそこには日本人にあるまじき赤毛の同級生、衛宮士郎君の姿があった。そういえばこのスーパー、前衛宮君と出会ったとこだったな。
「や、やぁ。久しぶり」
僕が正面から返事を返したのが意外だったのか士郎君は目を丸くさせる。
「なんというか、変わったな山野。勿論良い意味で。前見たときより表情が明るいぞ」
「そ、そうかな?」
「ああ。何か良いことでもあったのか?」
「……色々あったから」
「それは……良かった」
ここ最近は良いことも悪いことも色々ありすぎて困るほどだったから。でも前よりも生きているという実感が強い。胃薬を絶やすことはなくなったけどね(ホロリ
「今日は晩御飯の食材でも買いに来たのか?」
「そ、そんなとこ」
「俺も食材買いにきたんだ。今夜は湯豆腐にしようと思ってな」
それは何というか少々時期外れではなかろうか? 普通湯豆腐っていったら冬とか寒くなってから食べるイメージがあるのだけど。7月の夏にわざわざ食べるようなものなのか?
それはともかく怒鬼さんが湯豆腐という言葉に反応して目をカッと見開いているのが恐い。
「その顔は何でこの時期に湯豆腐を食べるのか? といった顔だな。答えは簡単だ。夏になったら冷たい物ばかり食べてお腹壊したりするだろ? かといってスタミナの付くニンニクやトウガラシを使った熱い料理も弱った胃に優しいとはいえない。湯豆腐の暖かくて優しい味が一番この時期に嬉しいのさ」
なるほど。実に的を射ている。湯豆腐って野菜も取れるし、肉が無い分純粋に豆腐の味を楽しめる良く考えられた料理だよね。士郎君に感謝の気持ちを込めてお別れの挨拶をする。あのエコバッグの膨らみようからしてかなりの主夫だな士郎君は。
「さて、今日の夕食は湯豆腐にしようか」
「コクッ」
いつものように表情には出ていないけど怒鬼さんの足音が心なしか楽しげな物に僕は聞こえた。
正直日常回が一番楽。あまり考えて書きたくない(本心)