混沌の使い魔   作:Freccia

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 ――トリステインが誇る白百合。

 姫様を表すに、これほどふさわしい言葉は他にないだろう。わずかに幼さを残した、可憐で、それでいて清楚なその姿。しかし今、せっかくの形の良い眉を顰めているというのは惜しいというべきだろう。

 視線の先にあるのは一通の書状。つまるところは、それが原因というわけだ。

 無理もない。私とてなかったことにしたいほどなのだから。よりにもよって、あの者に……





第27話 Mixing Together

「――マザリーニ。これはどうすれば良いのでしょう? そもそも、額面通り受け取っても良いものなのでしょうか?」

 

 姫様の顔には本当にどうすればよいのか分からない、そんな困惑しかない。

 

「姫様。ひとまずこれは私に預けていただけませんか?」

 

 姫様は、かの者のことは知らない。

 

 ただ、アレに関わることで軽率な判断は国を危うくする。だから、私が直接対処すると話した。幸い、姫様も危険性を十二分に感じていた。だから、そのこと自体に問題ない。

 

「あなたがそう言うのでしたら。とはいえ、なぜわざわざ名指しでルイズを。確かに、虚無の担い手でありますが、だからといって……」

 

 姫様が物憂げに目を伏せる。

 

 数少ない友人に対する素直な心配からだろう。一度はルイズ嬢を危険に晒すようなことをしたが、だからこそ危険性を感じることができるようになったのかもしれない。それならば、愚かとしかいいようのなかったあの行動にも意味があったと言えるかもしれない。正直なところ諦めがあったが、姫様が変わっていけるのなら、私こそ導いていかなければいけない。導びかなければ、いけないのだが……

 

「今はまだ、分かりません。しかし内々に処理できる内容でもなく。もし……、ああ、何でもありませぬ」

 

 軽く頭を振る。

 

 もし私が戻らなければ、そのような仮の話をしたところで、何かが変わるものではない。今の姫に他に頼れるものはいないのだから。ウェールズ王子に相談するということは難しいであろう。

 

 私には味方がいない。そして、それは姫様にも言える。なりふり構わずに私は政治を進めてきたが、敵を増やすばかりであったそれが今は悔やまれる。私では、私の他に姫様の力になる者を作ることができない。むろん、彼の者の助力を得ることができれば大きな力になる。だが、決して味方ではない。信に足る者、先代とて多くの味方がいたからこそであったというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ほう。ガリアの王から直々に国へ招待すると。一公爵の娘である、ルイズ嬢を」

 

 かつて城に現れた青年は、あの時見たものとを同じ、柔らかな微笑みを浮かべている。しかし、変わらないそれが、返って恐ろしい。ゆったりと席についた彼は、極々自然なたち振る舞いだというのに。余計な勘ぐりを受けないよう、城の一室でひっそりと会合を持った。馴染んだ場所であるのに、どうしてだか私の方が心細い。

 

「ウリエル殿。トリステインという国は、私が言うには抵抗がありますが、ガリアに比べれば弱小国というのも良い所。国の立場からすれば、よほどのことがなければ断れないのですよ」

 

 知らず、いいわけがましい言葉が口をつく。事実ではあっても、それに理解を得られるかは分からない。それでも私はそんなことを言っていた。唯一課された、「私達に干渉するな」それに完全に抵触しているから。

 

 反応を伺うが、青年はわずかさえも表情を変えない。ただ、言葉だけは困ったように。

 

「ルイズ嬢をガリアへ招待したい――ですか。確かに、婚姻の式でそんなことを言っていたとは聞いていますね。あなたの言うとおり、断るのは難しい。この世界で生きるに、あまり良い選択でありませんし。虚無の担い手であるということにしても、そもそもをたどれば、かの国からもたらされた情報ではある。拒否する理由にはなりがたいですねぇ」

 

「……それは、許可するということで宜しいか?」

 

 慎重に言葉を選ぶ。一つの間違いが、私だけではなく、この国そのものに関わる。

 

「回答は主に話してからにはなりますが、仕方がないでしょう。――何、安全は私達で確保しますからね。もちろん、仮に招待を受けるにしても、主が戻ってからにはなるでしょうが」

 

「――今は、どちらへ?」

 

 他国にまで干渉しているなどということは考えたくない。だが、あり得ない話ではない。何せ、抱える者達それぞれが、比喩でも何でもなく一騎当千を体現する。それぞれの国に一人入り込めば事足りるのだから。たとえば、今の私に対するように。

 

 青年がくすりと笑った。作りものではなく、本当におかしなものを見たとでも言うように。

 

「なに、心配せずとも、ちょっとした私用のようなものです。場所も隣のゲルマニアという国です。本当はトリステインでできれば良かったのですが、この国では少々難しいとのことで」

 

「……それは、内容を聞いても?」

 

 青年は笑う。

 

「まあ、あえて言うのなら商用でしょうか。国をどうこうという話ではありません。そうですね、少々の観光を行うにしても、一週間程度で戻るでしょう」

 

「……そうですか」

 

 内容は聞けそうもない。そも、聞いたところで何かができるわけでもない、か。ただ、何事もないことを祈るしかできない。

 

 話は終わりだとばかりに青年が立ち上がり、思い出したように言った。

 

「……そうそう」

 

 足下から鳥肌が立ち上る。体中を虫がはい回るように。見上げた青年の顔に、笑みはなかった。

 

「またこういったことがあるようならば、私達の関係も考え直さないといけないかもしれませんね。それは、私達にとっても好ましくはないのですが……」

 

 見られているというだけで、水の中にいるように息苦しい。

 

 ――分かっている。

 

 彼らにとって、私たちなどそこらの塵芥にすぎない。決して、味方ではないということを。

 

 ウリエルという青年の目は語っている、次はない、と。

 

 その時には、何のためらいもなく私は消されるだろう。そして、誰かとすげ替えられるのかもしれない。頭よりも、もっとずっと深い所で理解した、理解できてしまった。気づけば、彼は姿を消していた。

 

 ようやく、忘れていた息をつく。

 

 視線を落とした先、テーブルの紅茶に映る顔は誰のものだろう。幽鬼のように落ち窪んだ目には、光がない。まるで死人。これでは鳥の骨とすら呼んでもらえまい。

 

「……まだ、死ぬわけには、いかんのだがな。せめて誰か、姫のそばに信用できる者を……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡ること数日、学生寮という場所には些か不釣り合いに艶やかな声が響いてから――

 

「シキ、返事が来たわよー」

 

 燃えるような赤毛と肉欲を誘う体を惜しげもなく晒すキュルケ。装飾といったものの乏しい廊下、そんな場所だからこそ、彼女の華やかさがより一層際だつ。

 

 そして、そんな彼女は掲げた手紙をひらひらと振っている。随分と軽い扱いではあるが、手紙にはご大層な家紋が封印とともにある。しかるべき者が、しかるべき手順をもって送ったものということだろう。

 

「思ったよりも早かったな。もっと時間がかかると思っていた」

 

 キュルケのツテを頼ってのゲルマニアとの取りなし。商業が盛んであるとの話は聞いていたが、数ヶ月待たされるということも十分に覚悟していた。そもそも、「場違いな工芸品」からの技術を解読するなどという、雲を掴むような話なのだから。

 

 俺の言葉にキュルケがいたずらっぽく答える。

 

「トリステインだったならシキの予想通りで間違いないと思うわよ? 時代錯誤も良いところのお堅い国だから。ああ、でも、今回は私が面白そうだって口添えしたから、その分は考慮されているかもしれないわね。お父様もそういうものは嫌いじゃないし。まあ、楽しませてくれればそれでいいと思うわよ?」

 

 まさかとは思う。だが、キュルケの自由奔放さを見ると、案外そうなのかもしれないとも思えてくる。

 

「そういった意味で期待されるとなると、それはそれでハードルが高いな。まあ、やれるだけのことはやるさ」

 

「期待しているわよ? で、どうするの? すぐにでも出発する?」

 

「授業はいいのか?」

 

 長期の休みなど、そうそうあるものではないだろう。

 

「いいんじゃない? シキの名前を出せば学院も何も言わないでしょうし」

 

 さも当然とばかりにキュルケが言う。

 

「あまりそういったことは良くないとは思うんだが……。それに、一日、二日で帰るとは限らないだろう?」

 

「細かいことはいいじゃない。人間、たまには休暇も必要よ? まあ……」

 

 ニヤリとでも言うべき、人の悪い笑みを浮かべる。面白いいたずらを思いついた時、彼女はそんな笑みを浮かべる。そういった奔放さは魅力であり、そしてまた、欠点でもある。特に、それを向けられる者にとっては。

 

「私と違って、一晩中でも平気なエロ魔人さんにはそんなもの必要ないのかもしれないけれど。ああ、それとも、ミス・ロングビルはお尻が痛いって嘆いていたし、変態魔人さんとでも呼んだ方が良いかしら? 情事には興味がないって顔をしておいてそういうことにまで手を出しているんだから相当よねぇ。何も知らないのをいいことに、ミス・エレオノールとも何だか良からぬことをやっているみたいだしね?」

 

 過去の意趣返しのつもりか、実に楽しそうに笑う。本人としてはしてやったりということなんだろう。

 

 だが、負けっぱなしというのは面白くない。ましてや、からかわれ続けることになるかもしれないというのはいただけない。

 

「……そんなに悔しかったのか?」

 

 む、とほんの一瞬、キュルケが眉根を寄せた。

 

「べーつーにー? 変態魔人が相手じゃ、微熱だなんてあってないようなものだもの。絶倫のあなたにとっては物足りなかったのかもしれないけれど」

 

「そうだな。だが、――もう許して、なんて言われてはな」

 

「うぐ……」

 

 ばつが悪そうに息を飲む。

 

 やはり、愛に生きると広言してはばからないキュルケにとっては痛い所だったらしい。そして、微かに頬を染める。何においても大人びているキュルケが、そういった素直な感情を見せるのは珍しい。

 

「キュルケの方から誘ったというのに、涙ながらに――」

 

 ちらりとキュルケの方を伺えば、自慢の髪と同じぐらいの赤い顔。だが、何かを言いたそうながらも、まだ余裕がありそうだ。

 

「……もう無理だといいながらも足を投げだして。あれでは誘っているようなものだったな」

 

「あれは……、その、動けなくなっちゃっただけで……」

 

 さらに俺が続けようとすると、ようやく観念したのか、キュルケが肩を落とす。

 

「分かりましたよ。ごめんなさい、私の負けです。サディストのシキには勝てません」

 

 ひらひらと両手をあげて、降参だと言葉を投げやる。

 

「サディストというのは……」

 

「あら、撤回する必要があるのかしら?」

 

 それは譲れない、とキュルケが睨む。

 

 サディスト――は撤回させるのは難しいか。心当たりがなくもない。マチルダとは、もう一度良く話しておこう。エレオノールは、俺がどうこうというより、自分でどこからか妙なことを覚えてくるんだが……

 

「さて、この話はもういいか」

 

 なおもキュルケが言いたそうにしているが、それ以上は何も言わない。お互いにとってそれが良いというのは分かっているんだろう。

 

「ゲルマニア行きで学院を休むのは好きにするといい。ただ、一緒に行きたい人間がいるから、しばらく待って欲しい」

 

 キュルケが不思議そうに首をかしげる。

 

「一緒にってルイズ? 私が言うのもなんだけれど、トリステインの人間はゲルマニアにはあまり行きたがらないと思うわよ? 私達だって見下されるというのはあんまり面白くないし、余計な火種は抱えない方が良いと思うけれど……」

 

 確かに言う通りだろう。そんな国柄だからこそ、トリステインではなく、ゲルマニアを選んだ。

 

「一緒に行きたいというのは学院とは別の人間だ。協力してもらうのに丁度良い知り合いがいて――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬車から見えるのは、随分と大きな屋敷――城と呼んでも遜色のないものだった。辺境伯、つまりは田舎の領主のようなものかという予想はあっさりと裏切られた。

 

 トリステインの王都には、国内で有力とされる貴族の屋敷も数多く並んでいた。だが、王城に遠慮してなのか、城と呼べるだけのものはなかった。しかし、キュルケの実家という屋敷はまさに城。

 

 ゲルマニアという国がそれだけ富んでいるのか、はたまた、辺境伯という位置づけが想像していたものよりもずっと重要な位置を占めているのか。いずれにせよ、予想は良い意味で裏切られたといって良い。

 

「……いや、これは素直に驚くしかないな」

 

 同行してきた人間、こういったことには興味をもたないであろうゼファーも、巨大な城を見上げたまま素直に関心の声をあげる。

 

 引きこもって研究していることもあってか普段は服装に頓着しないであろう彼も、今回ばかりはとしっかりと正装に身を包んでいる。この建物を見るに、少しばかり不足があるかもしれないが、それは俺自身にも言えることだ。

 

 そんな俺たちの様子にか、満足気にキュルケが笑う。

 

「トリステインではゲルマニアを成り上がりだって蔑むけれど、その結果がこうやってあるんだから素直に認めても良いと思わない?」

 

 普段はあまり自慢することはないが、褒められれば素直に嬉しいのだろう。たとえ、道中ではあまりソリの合わなかったゼファーの言葉であっても。

 

「――さあ、もうすぐ入るわよ。私からも歓迎するわ」

 

 どこか楽しげに、まるで自慢のおもちゃを見せびらかすように言った。

 

 

 

 

 

 通された部屋も、壮大な城に見合うだけのものだった。部屋は一目で高価だと分かる品々で埋め尽くされている。どこかの有名な山を描いたのであろう一抱えはありそうな大作の絵画。丁寧に金で縁取られた家具。冷めるような赤を示す敷き詰められた柔らかな絨毯。そして、なぜだかある、ある意味では見慣れている仏像――これは毘沙門天だろうか? そういった、高価ではあっても違和感しかない骨董品もそこここにある。

 

「……成り上がり、か」

 

 思わずだろう、ゼファーが呟いた言葉。

 

 言葉にはしないが、同意する。成り上がりという言葉にこれほどふさわしい部屋もそうないであろうから。キュルケ自身、苦々しげな表情は見せても、否定はしない。せいぜい――

 

「どれもこれも一級品よ。一つ一つはとても良いものなんだから。ただ、ちょっと多すぎるだけで……」

 

 根本的なところには触れない、曖昧な言葉のみを呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 出された茶が一度取り替えられた頃、城の主人が現れた。

 

 キュルケと同じ、燃えるような赤毛と若々しい褐色の肌。赤毛を短く切りそろえた精悍な顔立ちで、この屋敷の趣向した人物とは思えないほど均整のとれた体躯。椅子に座る動作も年齢を感じさせない軽やかなものだった。キュルケ自身の高い実力が示すように、武力を重んじているというのもうなずける。面影があることを差し引いてもキュルケの父親だと一目で納得できる、そんな人物だった。

 

 その人物がからりとした笑みを浮かべる。

 

「ようこそ。娘の紹介であるからね、歓迎しよう」

 

 適度に威厳をもった、それでいて人を緊張させるだけではない、柔らかな声。

 

 なるほど、商業が盛んであるというのは上に立つ人物の資質かと納得させるだけのもの。ただし、それだけ油断ならないという意味でもある。事実、ごく自然に話を主導していく。

 

「さて、娘の話だと面白いものを見せてくれそうだね。何でも、場違いな工芸品の技術解読をやっているとか。美術品収集の一環、道楽のようなものだが、変わったものが多いあれは私も好きでね。表に出してはいないが、コレクションしているのだよ。試しに作ってみたものをあるということだから、個人的に見てみたいと思っていたところだ」

 

 キュルケの父が笑う。あえて個人の興味だと前置くのも、交渉の一環だろうか。

 

 まあ、何にせよ見せなければ話が進まない。傍らのゼファーに視線を送ると、心得たと、彼が試しに作ってみたものをテーブルに置く。

 

 つり下げられたガラスの球体からガラスの管、筒、宙に浮いた車輪とが複雑につながっている。形状は複雑になってしまったが、この世界には練金という便利なものがあるので、粘土細工のように簡単に作ることができた。試作をしながら形を自由に変えられるので、驚くほど効率が良い。

 

「なかなか面白い形だが、それがどうなるのかね?」

 

 キュルケの父が尋ねると、それに答えるようにゼファーが動く。

 

 ガラスの球体の中に水を入れ、その下に火を灯す。やがて球体の中の水が沸騰し、泡立つに合わせて蒸気がガラスの管を通っていく。管の行き止まりまで進んだ蒸気は、つながった筒の中で管を塞いでいるピストンを押し出し、外側でそれにつながった棒を更に押し出す。すると、押し出された棒につがったクランクが宙に浮いた車輪を回転させる。そしてビストンが戻り、同じことを繰り返していく。繰り返すにつれ、車輪の回転もどんどん勢いの良いものになっていく。ただ車輪を回転させるだけの構造だが、これも立派な蒸気機関だ。

 

 それを見て、キュルケの父が感心したような声をあげる。

 

「蒸気の力で車輪を回転させる、か。いや、面白いものだね。いや、本当に面白い。これを見せてもらったからには私も見せたいものがある。本来ならば機密ではあるが、君ならば見せても良いだろう」

 

 そういいながら、どこかいたずらっぽく笑った。しばしばキュルケが見せるような笑い方。やはり親子なのだと思わせる。

 

 

 

 

 

 

 豪奢な雰囲気とは打って変わって石造りの無骨な場所へと案内される。城とは少しだけ離れた場所にあるが、普通の家ならば何軒も入りそうな大きな建物だ。何でも、様々な技術研究を行っている場所ということだ。

 

 道すがら説明をしてくれた。ゲルマニアの皇帝の考えで、国力の発展に寄与する技術に関して、各諸侯は積極的に投資すべしとのことだ。むろん、発展は各諸侯にとっても有益であることからそれぞれが積極的に投資している。最近更に力を入れるようにとの通達があったとのことで、これでも少し手狭になっているらしい。

 

 警備のある入り口をくぐると、中ではむっとするような熱気と金属のぶつかる大きな音が聞こえてきた。外からは音が聞こえなかったから、おそらく防音の魔法なりが使われているのだろう。

 

 そして、熱気と音の正体。燃え盛る石炭とそれから作られる蒸気を利用した上下運動機関。巨大な天秤の片方につながり、もう片方に大きなハンマーがつり下げられている。音の正体はハンマーが鍛造を行っているものだったらしい。初期の構造なのかもしれないが、これも蒸気機関。

 

「――なるほど、蒸気の力とすぐに分かったのは既に使っているからか」

 

「道楽というのも案外馬鹿にできないものでね。場違いな工芸品の技術は理解仕切れないにしろ、大したものだ。試行錯誤を重ねながらではあるが、再現のようなこともやっているんだよ。まあ、やはり半分は道楽のようなものだから効率にはかけるがね。見ての通りずいぶんと大きなものになっているし、何より使い道というのが後回しだ」

 

 笑いながら、それでいてどこか試すような視線。

 

「改良と活用のヒントになればということか?」

 

「話が早くていいね。本来なら機密にするべきことではあるが、既に知っているというのならこちらとしても問題ない。何かしらのヒントを得ることができるというのなら、こちらからの協力というのもやぶさかではないよ」

 

 ……さて、どうしようか。確かに、お互いにとっても悪い話ではない。

 

 ゼファーに視線を移すが、関心したように唸り声をあげるばかりで、期待はできない。キュルケはどこか試すようではあるが、静かに見ている。余計な口出しをするつもりはないということだろう。もう一度「蒸気機関」に視線を戻す。

 

 音と蒸気を出し、ピストンが激しく上下運動を繰り返している。歴史からすれば、かなり初期のもの。とはいえ、技術的にどうこうというのは難しい。蒸気機関のエポックメイキングに従うのなら、運動の方向性の変換がまず有効だろう。

 

「たとえば、本の中には、これを回転運動に変換するというものがあった」

 

「さっきの試作品にあったものだね」

 

 かすかに反応はあったがどうであろう。すでに知っていて試してはいるのかもしれない。活用法を含めて、こちらからもう少し情報を出すか。

 

「コンロッドという機構を用いることで上下の動きを回転運動に。そうすることで活用範囲が広がる。例えば、布を織るための機械の動力として。もしくは、それを車につけて馬に代わる動力として自動的なものにするといったものがあったな」

 

 様子を伺う。さて、現状を鑑みれば、提案としては十分だと思うが

 

「……それだけかね?」

 

「ああ、これに関してはそうだな」

 

「一度変換する、なかなか面白い考え方だ。ただ、馬の代わりかね。見ての通り、機構がずいぶんと大きくなってしまっていてね。よほど小型化しなければ難しいと思うのだよ。それもできるのかね?」

 

「さあ、どうだろう? 手紙にした通り、機構に対するアイデアはあるが、それを形にすることが難しい。だから

、それができそうな所と協力したいというのが本音だ」

 

「雲をつかむような話ではあるね」

 

「そう思われるなら、それはそれで仕方がない。まあ、そこまでやれというのなら、こちらにとっても組むメリットがない。時間がかかるが、トリステインでやるのと大差はないな」

 

 キュルケの父親がかすかに目を細める。

 

「――ふむ。まだるっこしいさぐり合いは興味がないと見えるね。まあ、いいだろう。正直な所、本当に場違いな工芸品の技術を理解できているのかというのは、判断がつかない。が、馬の代わりにするといったアイデアというのはなかなかに個性的だ。方向性を出すには十二分に評価できると思うね。いいだろう、どのみち実用化するには様々に試していくしかない。その方向性の一つの提供を受けるというのはメリットこそあれ、デメリットはないな」

 

 キュルケの父が手を差し出し、それに答えた。

 

 

 

 

 それから、工房の責任者を交えて会合を持った。コンロッドの試作や、ゼファーが集めていた雑誌についてなど。彼が所有していた子供用の教材に手を加えたおかげで、多少は翻訳のまねごともできる。

 

 効率だけを考えれば当然俺がすべて話す方が手っとり早い。しかし、すべてが知るべきものか分からない以上、そこは任せるべきだと思っている。当然、完全な再現などはできないだろう。だが、それでちょうど良いのではないかと思う。運命論者ではないが、必要なアイデアは自然と生まれてくるものだ。

 

 一日はあっと言う間に過ぎた。そして、他の人間がいなくなったところで、話かける。端から見れば独り言のようだろう。

 

「――ところで、わざわざここまで来るということは何かあったのか?」

 

 影から、ウリエルの返事がある。

 

「ええ、ルイズ嬢のことで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院ではルイズとエレオノール、そしてルイズの母とがガリア行きの準備をしていた。ガリアからは必要なものを揃えた上で迎えが来るとのことだが、それでも貴族として準備すべきことがあるらしい。その一環として、ルイズの母と使用人が幾人かやってきていた。流石に公爵自身がというのは難しかったようで、公爵婦人がということらしい。何にせよ、これに関しては手伝うことがないので、ただ見るだけとなる。

 

 ふと、ルイズの母とエレオノールとが話をしていた。曰く、私が教えたことは役に立っているかと。なぜか視線は俺に向けながら。対してエレオノールが同じく俺を見てうなずく。ほんの少しだけ頬を染めながら。

 

 大方の想像はついた。色々とエレオノールに教えていたのは母親だったということだろう。ああ、いや、貴族の教養として房中術というものがあるらしいから、おかしなことではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ガリアからの迎えとして、何匹かの竜が大きな籠をつり下げてやってきた。籠といっても今回向かう人間が全員であっても十分なほど立派なものだった。ルイズとその母、使用人が二人に俺とウリエルが乗っても十分にスペースがある。

 

 ふと、ルイズが心配そうに俺を見ていた。

 

「……どうした?」

 

「ええと、今回はその……、大きくなる人達とかは一緒じゃないのよね?」

 

 ……大きくなるというと、オンギョウキにアルシエルだろうか。

 

「今回はわざわざ一緒に行く必要はないだろう?」

 

 まあ、一緒には、だが。俺の内心の言葉を知らずに、ルイズが安心したようにつぶやく。

 

「そう、だよね。戦争に行くんじゃないんだから、シキにお母様にウリエルさんがいれば十分……というか、十分過ぎるよね」

 

 最後の言葉は尻すぼみになった。そして、ルイズの母が言う。

 

「ルイズ。戦争というのは手段であって、目的ではないのですよ? 極力回避すべきものではありますが、必要があれば躊躇してはならないものなのです」

 

 その言葉には同意する。

 

「そう、避けるべきものではあっても、選択肢の一つではある。相手の目的が分からなければ、最悪の可能性だって考えなければいけない。心配してしすぎなんてことはない」

 

 ルイズは顔を俯かせる。

 

「そうなんだけれど……。何で二人とも否定はしないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空から見えるガリアの城は、なるほど、ハルケギニア一の強国というのもうなずける。

 

 大きく広がる肥沃な国土からは潤沢な税収があり、その結実したものである王城は、決して小さなものではないトリステインの城の一回りも二回りも大きい。加えて、税収に陰りのあるトリステインと異なり、城を囲む色とりどりの花壇もきちんと手入れされていることが分かる。

 

 ルイズが教えてくれた。豪華絢爛なその花壇がガリアを象徴するものであり、東、西、南、それぞれの花壇の名を冠した騎士団がガリアの誇る精鋭だという。

 

 城が近づく。

 

 王自らの招きであるということで、特に煩わしい手続きを得ずとも城の中心に降り立つことができるとのことだ。面倒がないという意味ではありがたい。もっとも、この状況そのものが「面倒事」ではあるかもしれないが。

 

 

 

 

 

 初老の執事とおぼしき者に先導され、王城をすすむ。足下に隙間なく敷き詰められた絨毯、壁面、柱、天井――その全てに精緻な装飾が施され、この城そのものが美術品の如く飽きさせない。ルイズとその母の感心した様子を見るに、この世界でも相当なものなのだろう。

 

 外の花壇に加えて内の装飾もこの国が誇る自慢であるらしく、男はうるさくならない程度に解説を加える。曰く、これには何千年の由来があるとも。その長大な歴史には感心させられる。良い意味では連綿と受け継がれる歴史に対する賞賛、悪い意味では、数千年も変わらないその停滞に。どうあれ、飽きさせないという意味では大したもの。城内の移動でありながら相当な時間がかかるのだから。

 

 衛兵が両隣に待つ扉、よりきらびやかな装飾が目の前に広がり、立ち止まった男が振り返る。

 

「――広間にて王がお待ちいたしてございます」

 

 頭を垂れた男が言い、重そうな扉が音もなく開かれる。

 

 

 

 広間の中心、玉座だと一目で分かるその場所には、以前トリステイン城で見た青い髪の男が楽しげに笑っていた。一つの国を率いる王という立場とは不釣り合いなほどに、ただただ楽しそうに笑っている。

 

 その男の右手にはルイズと同年代かとおぼしき青い髪の少女。どこか不機嫌に人を見下す空気と、その青い髪。おそらく王女という立場にあるのだろう。

 

 左手には、これはどういった立場だろうか。見た目には20の後半にさしかかったほどだろう、人間離れして整った顔の男がいる。青い髪がガリア王家の人間の特徴であるということだから、金髪であるこの男は、少なくともそこに連なるものとは違うようであるが。目があったが、それは一度だけで、すぐに逸らされる。

 

 他には、少なくとも服装だけは立派な者達が左右に列をなしている。ここにいられるほどには身分は高い者達なのだろう。

 

 そして、ルイズとその母とが、他国とはいえ相手が王族だからだろう、跪くようにして頭を下げる。余計な波風を立てる必要もないので倣う。

 

 それから、ガリア王から来城への感謝と、夜に宴を開くとの言とが続く。わざわざ呼んだからには目的があるはずだが、おそらくここではなく、宴の席か、もしくは人目のない場所でのこととなるのだろう。ガリア王が型破りと呼ばれる人物だからか、無駄に長い話などといったことはなく、部屋へと案内された。

 

 一つ変わったことといえば、部屋に予想通り王女だった少女が訪れ、ルイズに自慢の花壇を案内すると言ったこと。本人曰く、父親であるガリア王からそうするように言われからだとのことだ。

 

 不本意だと全身で表現するその様子は年相応のもの。ルイズは恐縮してしまっていたものの、少なくとも案内する本人には裏がないと分かるだけに好ましい。もちろん、ガリア王自身が何を考えているのか分からないが。今のところは、虚無というのがこの世界では特別なものであり、その使い手との関係を深めたいのか、その程度しか予想できない。

 

 どうあれ、断ることが難しいと分かってやっているのだろうから受け入れるしかない。先行者からの報告もないのがから、少なくとも表だってのやっかいごとはないと見ていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「――これが、ガリアが誇る東花壇よ。まあ、綺麗ではあるけれど、これの維持にいくらかけているか分かる? 本当に無駄だと思わないかしら?」

 

「……いえ、そんなことは。とても美しいものだと思いますし」

 

 ルイズが困ったように答える。イザベラがルイズへ視線を向ける。

 

「私は気にしないから別に正直に言っていいわよ? で、後ろのあなたは彼女の使い魔だったわよね? あなたはどう思う?」

 

 視線は俺へと移る。

 

「綺麗、ではある。あとはまあ、そういった飾りも権威を出すには必要だろう?」

 

「あ、あのね、シキ? もう少し、もう少し言葉を……」

 

「いいわよ、別に。裏で何を言われているか分からないよりよっぽどいいわ」

 

 心底どうでも良いと進んでいく。強がりでも何でもなく、そういうものだと言うように。が、足を止めてくるりと振り返る。

 

「――ただ、主人を困らせるのはどうかと思うけれど?」

 

 いたずらがうまくいった子供のような笑み。切れ者ではあるらしいガリア王、その娘にもその一端はしっかりと引き継がれていたようだ。素直に一本取られたと認めるべきだろう。何せ、お願いだからと縋るように見上げてくるルイズがいるのだから。

 

 くくっと、楽しげな含み笑いが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴とやらは、花壇の中心で開かれた。

 

 ぐるりと囲む篝火、それにうっすらと照らされる花々は、昼とはまた違った儚げな表情を見せる。城の中とは違って美術品の類はないが、それが良い。あればかえって無粋というもの。先だって連絡のあった、ドレスなどは不要というのもそういうことだろう。

 

 列席者はガリア王にイザベラ王女、謁見の際にもいた若い男。そしてこちらは、ルイズ、その母、俺、ウリエル。少し離れた先に料理人と給仕係がいる以外は随分と砕けたホームパーティーといった様相だ。ワインが手渡されたところで口火を切ったのはガリア王。

 

 

「遠いところはるばるガリアまできてくれたことを感謝するよ、ルイズ嬢」

 

 どこか人なつこい笑みを浮かべるガリア王。壮年といっても良い年ながら、そこに違和感はない。作ったものではなく、純粋に楽しんでいるからだろうか。

 

「いえ、私のようなものをお招きいただけるなど、ただ感謝するだけにございます」

 

 恐縮する様子のルイズに、ガリア王が、かかと笑う。

 

「これは余のわがままだよ。であるならば、感謝すべきは余の方だ」

 

 娘であるイザベラ王女へと振り返る。彼女は普段着がドレスになるからか、髪と同じ青のドレスに身を包んでいる。ただ、昼間にも感じた粗野な空気のせいか、良いか悪いか、砕けたこの場にも良く馴染んでいる。

 

「前に話した通り、立場もあってイザベラはなかなか同年代の友人をもてなくてね。国外ならば気兼ねも少ないだろう? であるから、ルイズ嬢にもそう振る舞って欲しいのだよ」

 

 困った表情を見せるルイズに、ガリア王は更に笑う。

 

「余のような変わり者であればともかく、いきなりは難しいだろうね。なに、今日のこの席は共に食事をとれただけでも十分というものだよ。いずれは余と行動を共にこととてあるだろうから、少しずつでも慣れてくれれば十分だとも。料理はこの日の為にと用意したガリア自慢の品々だ。ここにはうるさい輩もおらぬし、存分に楽しんでいって欲しい」

 

 ガリア王がグラスを高々と掲げ、一息に飲み干す。タイミングを合わせたかのように、給仕が料理を運んでくる。自慢の品というだけあって、確かに美味しそうだ。

 

 ガリア王の意図というのはどうにも読み切れない。先に調べた報告からも、少なくとも表だっておかしな様子はなかったということだった。今すぐどうこうということはないのかもしれない。少なくとも、今この時は。

 

 

 

 

 

 

 

 窮屈なドレスを脱ぎ捨てる。窮屈ではあっても、私が王女であると示すためには必要なもの。魔法の才能の乏しい私は、自身以外でそれを示さなければいけない。そうでなければ侍女にすらなめられる。

 

 もっとも、裏で何を言われているかぐらいはそれなりには把握している。だから、無駄だと分かってはいる。だが、これは、意地のようなものだ。

 

 ベッドに乱暴に倒れこむと、柔らかいそれに深く沈み込む。部屋には誰もいないから、ようやく肩の力も抜ける。一人の時だけが、私が私としていられる時間。

 

 目を閉じる。

 

 トリステインの一侯爵の娘だという、桃色の髪の娘。父は、私の友人とする為に招待したと言った。そんなことはありえない。父が私のことを見ることなんてなかった。

 

 そもそも、表面だけは常に上機嫌であっても内心はそうではない。それが私が知る父。あの人の心には闇がある。普通の幸福というものが、あの人にとってもそうであるとは限らない。私には理解できない人物、それが父。

そんな父が私の為になんてことは、絶対にありえない。

 

「――私のことを見てくれるなんて、絶対にない。絶対に、ないんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ビターシャル郷。あれが君たちが言うところの混沌王だと余は見ているのだが、どうかね?」

 

「……分からない」

 

「うん? 君らしくもない言葉だね。確かめるためにも色々と準備をしていたと思っていたのだが」

 

「確かに、あれは精霊が怯えるほどの力の持ち主だ。それは間違いない。だが、あれだけではない。一緒にいたもう一人の男も、先だってあった侵入者も、悪魔の王であっておかしくない」

 

「ほう、それはまた豪勢なことだ。随分とまた、当たり外れが激しい。……ああ、いや、大した意味はないとも。ゲームで手札が偏るなど当然のこと。それをどうするかが醍醐味だよ。それでこそ腕が鳴るというものだ」


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