混沌の使い魔   作:Freccia

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 風が頬を撫でていく。私が乗った馬も、くすぐったそうに首を振る。ほんの少しだけ遅れて、木々がさらさらと音を奏でる。とても優しい風。空の上では、風はもっと激しかった。

 もう、ずっとずっと昔のことのようだけれど、目を閉じればすぐにでも頭に浮かんでくる。

 ざあ、と強い風が吹いた。

 ――ああ、ちょうどこんな感じだったっけ。




第22話 Ressentiment

 スカートなんて履いていたら、いつ風が吹いても良いように準備していなければいけなかった。それは、空の国では淑女としての嗜み。

 

 物心がようやくつきはじめたぐらいの頃の私は少しだけ、本当に少しだけやんちゃだったから、お母様はいつも口をすっぱくして言っていたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

「――マチルダ。お願いだから、スカートで走るのは止めてちょうだい」

 

 背中にお母様の声が聞こえた。

 

「だって……」

 

 ひらひらと舞う蝶を捕まえようとのばしていた手を下ろす。お母様が本当に呆れたように見ていたから。少しだけ悲しくなる。

 

 そんな私を見て、お母様が仕方がないなぁと笑った。

 

「私は、元気なあなたが好きなんだけれどね。私も子供のころは同じことをして怒られていたし」

 

 本当に綺麗な人だった。目も鼻も口も、すべてが整っていて、なおかつ、時折浮かべるいたずら好きの子供のような表情がかわいらしい人だった。そして、ちょうど今の私と同じぐらい、腰まで長い髪をのばしていた。お母様と同じ、深い緑の髪は私の自慢だった。

 

 そして、金色の髪と髭を蓄えた父は、そんなやりとりをいつも楽しそうにみていた。厳しくはあったけれど、私が本当に間違ったことをしない限りは、本当に優しい父だった。

 

 二人はとても仲が良かった。政略結婚だと愛情なんてないことなんてよくあるものだと聞いていたけれど、二人には関係がないようで、本当に好きで一緒にいるようだった。

 

 そんな二人の子供であるということは、口に出しては言わなかったけれど、密かな私の自慢――だった。

 

 

 

 

 

 

 10を越えるぐらいになると、結婚相手を探す意味も兼ねたパーティーにも参加するようになったっけ。その頃には多少は落ち着いて、まあ、問題ないだろうと思ってくれたのかもしれない。慣れなくて、子供向けとは違うドレスに最初から四苦八苦してしまったけれど。初めて着た時なんて、本当に大変だった。

 

 コルセットを思い切り締め付けられて、思わずうめき声を漏らした。

 

「ほ、本当にこんなに締め付けないといけないの? 私、こんなことをしなくても結構細いと思うんだけれど」

 

 コルセットでギュウギュウに締め付けられたお腹を見下ろす。確かに細く見えるし、そのおかげで、最近大きくなってきた胸が強調されるのも分かるけれど、やっぱり苦しいものは苦しい。メイドは単純に役目を果たしているだけだというのは分かるけれど、思わず恨みがましく言ってしまう。

 

「――そういうものですから。それに、今日はウェールズ王子もパーティーいらっしゃるとのことで、奥様からも念入りにと言われております。さあ、お二人にもお見せしましょう」

 

 この頃には貴族としての役目というのも、ようやく分かってきたぐらいだったかな。でも、私は単純に両親が喜んでくれるというのが一番だった。

 

 それと、確かにみんな私のことをお姫様のように扱ってくれたけれど、本当のお姫様というものにも、やっぱりあこがれがあった。そう年の変わらないウェールズ王子も、素直にかっこいいと思ったこともあったし。

 

 

 

 

 

 テファに初めて会ったのは、いつだったかな。その頃にはもう、一人前の貴族だと認められるようになっていたように思う。だから、紹介しても大丈夫だと思われたのかもしれない。

 

 お父様に太公の別荘だっていうところに連れられて、綺麗な女の子を紹介された。

 

 本当に、綺麗な子だった。肩にまでのばされた金色の髪はうらやましいぐらいにサラサラで、小動物を思わせるようにくりくりと動く可愛らしい目、体の一つ一つのパーツが抱きしめたいぐらいに華奢で可愛らしかった。まだ、10歳かそこらだったと思うけれど、将来、国一番の美人になるのは間違いないって思ったぐらい。

 

 私だって、いろんな男の人に綺麗だって言われていたけれど、正直、勝てないなぁって思った。綺麗すぎて、ただ、うらやましいとしか思わなかった。普通ならライバル心を持つものなのかもしれないけれど、認めるしかないぐらいに差があると、いっそ清々しいぐらいにあっさり認められるみたい。そして、太公と、母親の背中に隠れるテファにこう言ったっけ。

 

「テファちゃん。初めまして。私の方がお姉ちゃんだから、何でも言ってね」

 

 心配そうに見守る母親と、テファの耳を見て、エルフだってことはすぐに分かった。どんなに怖い存在かなんて話は聞き飽きるぐらいに聞いていたけれど、不思議と怖いなんてことは思わなかった。だから、自然とそんな言葉が出た。

 

 テファも母親もとても穏やかな表情で、怖い存在とは正反対。それに、驚くぐらいに質素な生活、そして、人から隠れるように住んでいるのを見て、なんとなく分かった。私がここに連れてこられた理由、そして、分かった上で私自身そうしたいって思った。

 

 

 

 

 

 それから先はあっと言う間だった。太公の処刑まで、そんなに間がなかったと思う。今思えば、私に紹介した時点で、もう後戻りできないところまで行っていたのかもしれない。

 

 ある日突然、太公に謀反の疑いありという話が出た。そんなことをする人ではないことはよく知っていて、だから、これはテファ達のことだってすぐに分かった。

 

 私は、怖かった。

 

 父がエルフを匿うのに一役買っていたの間違いないことだったから。きっと、次は私たちだって。直接的な接触を断っていたけれど、それだっていつまでも通用するはずがない。

 

 それからは毎日が怖かった。そして、その現実が目の前に突きつけられた。

 

 お父様が、屋敷にテファを連れ帰ってきた。

 

 ぼんやりと前を見つめるテファの目は何も映していなくて、ただ時折、お母さんと呟いていた。

 

「――マチルダ」

 

 お父様の声に、びくりと体を震わせた。私は、ただひたすらに怖かった。

 

「おまえは、この子を連れて逃げて欲しい」

 

 そう口にするお父様の顔は忘れられない。悲しそうで、悔しそうで、それでいて諦めたような。

 

「……駄目、だよ。駄目、そんなことをしたら」

 

 パシン、と乾いた音がした。お父様にぶたれたのは、それが初めてで、最期だった。

 

「マチルダ、おまえは妹を見捨てるような子なのかい?」

 

 お父様の目は本当に悲しそうだった。

 

「それは……」

 

 私は父と目を合わせられなかった。お父様の深いため息が聞こえて、両手が肩に置かれた。

 

「……すまない。私がおまえに酷いことを言っているのは分かっている。父親として、失格だということも分かっている。でも、あの子には、もう私たちしかいないんだよ」

 

 お父様の視線の先では、テファがぼんやりと私達をみていた。何の感情も浮かべなていないテファは、まるで人形。いつもの、くるくると表情を変えるテファと同じだとは思えなかった。

 

「マチルダ。これは、お願いだ。おまえは、テファと逃げて欲しい」

 

 お父様の目は涙に濡れていた。私は、ただうなずくことしかできなかった。

 

「さあ、もう時間がない。馬車と護衛は準備させている。人数は少ないが、古くから私達に使えてくれている信頼できる者達だ。お前達は、生きていてくれ。私は、妻と時間を稼ごう」

 

 最期に見送りに来てくれた父と母。ほとんど言葉を交わすことはできなかったけれど、その時は、忘れられない。

 

 それから数日だったと思う。逃げた先の宿で父と母の処刑の話を聞いたのは。そして、私とテファ二人っきりになったのは。

 

 父が信頼できるといった護衛は、その日あっさり姿を消した。父が残してくれたお金を持って。ついでとばかりに、皆で私を犯して。痛くて、痛くて、泣き叫んでも止めてくれなかった。

 

 しばらくは、何も考えられなかった。だから、ぼんやりと天井を見上げていた。

 

 ようやくズキズキと痛む体を起こして、部屋を見渡した時にはここにもともとあったものだけだった。お金になりそうなものは、みんな持って行かれた。ただ、それを見るしかできなかった。

 

 悔しかった。なんで、なんで私だけがと。私が、私達が何をしたと。ただ、エルフの……

 

 どれくらいそうしていたか分からないけれど、不意に服の裾が引かれた。顔だけそちらに向けると、テファが私をじっと見ていた。フードを目深にかぶったテファは、すがるように私を見ていた。

 

 その時のテファの目は、今でも忘れられない。そして、その目を見てようやく思い出した。

 

 ――そうだ。この子には私しかいない。私にも、もうこの子しかいない。

 

 ぎこちないものでしかなかったと思うけれど、テファに笑いかけた。

 

「――大丈夫、テファには私がいるから。なにも心配しなくても大丈夫だから。私にも、もうテファしかいないから。私は、体だってもう汚れちゃったしね。もう、何だってできる。だから、だから、テファだけはずっと綺麗でいてね。そうすれば、私も頑張れるから」

 

 

 

 

 

 

「……あー、転落人生にもほどがあるなぁ」

 

 思わず、そんな言葉を呟いていた。馬は気にせずに進んでいくけれど、もし周りに人がいたらおかしなものを見る目で見られていたかもしれない。でも、それぐらい、愚痴ぐらい言ってもいいと思う。

 

 お嬢様から、没落、裏切られて、体を売って、最後は盗人に。本当に神様がいるのなら、もう少し手加減してくれたっていいのに。物語だってもう少しぐらいは救いがある。そんなものは、物語の中だけの特権で、現実なんてそんなものかもしれないけれど。

 

 ああ、でも、テファと、浮気性かもしれないけれど一応は王子様を用意してくれたっけ。またお嬢様になんてなれなくてもいい。平民と同じ暮らしでもいい。家族として静かに暮らせたら。

 

 

 ――いいなぁ。

 

 テファとシキさんと私、それに私達の子供、ああ、いいなぁ。

 

 そうしたら、今までのことを忘れて……、ううん、今までのことを含めて神様に感謝したっていい。

 

「――子供、欲しかったな」

 

 ぽつりと、呟いた。今まで口にしないようにしていたのに、つい言ってしまった。そして悲しくなった。

 

 育てるのは一人でだって良い。女の幸せ、うん、今なら分かる。好きな人との子供。どんなに高価な財宝よりも、ずっと欲しい。

 

 でも、私には叶わない願い。私はもう、子供なんて産めないだろうし。ただ一緒にいられれば、それでいい。それだけで、いい。

 

 不意に、視界が暗くなった。涙のせいかと思ったけれど、違った。見上げると、いつの間にか視界が緑に覆われている。森の中に入っていたようだ。この森を抜ければもうウエストウッド村だ。

 

 バシンと両手で顔を叩く。

 

 暗い顔をしてちゃ、テファまで心配する。

 

 もうすぐテファに会うんだから。私の最後の宝物に。テファがいたから、一人じゃなかったから、守らないといけないものがあったから私は生きてこれた。私には、それだけがあればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 森に入ってしばらくすると、カアン、カアンと甲高い音が聞こえるようになった。

 

 何度か続いて、しばらく止んでも、また始まる。森の中を進むにつれ、少しずつ大きくなる。止む時はあっても、また始まる。

 

 何か固いものを叩いているようだけれど、何だろう。まさか山賊がそんなことをするはずはないけれど、動物がというのは考えにくい。

 

 念のため、馬から下りて手綱をそばの枝へ結びつける。音をたてないよう、慎重に進む。杖は既に取り出している。

 

 少々の音では目立たないとは思うけれど、念のためだ。もうすぐ音のもとだろうというところで、木々の陰に隠れて、隙間から様子を伺う。

 

 一人の男、まだ顔には幼さを残しているから、男の子というのがしっくりくるかもしれない。

 

 薄い紫の髪を邪魔にならないように後ろに結んだ男の子が、手に持った棒きれを、目の前の大きな木に振るっている。その度にカアン、カアンと森の中へ音が広がる。ここからでも分かるほどに髪を汗で濡らしているから、ずっと続けているんだろう。少なくとも、私が森に入る前からもずっと。

 

 横顔しか見えないけれど、その子の顔には見覚えがあった。

 

 たしか、ルシードだったと思う。12、3歳になったぐらいで、テファが世話をしている子供の中では一番の年長者のはず。その子がずいぶんと一生懸命に棒きれを振るっている。

 

 打ちつけられた木に目をやれば、皮が捲れて、はっきりと分かるぐらいに抉れている。きっと、繰り返し繰り返し打ちつけているんだろう。

 

 息を切らしながらも棒きれから手を離す様子はない。もう、何日も続けているのかもしれない。ルシードが大きく息をついたところで、声をかけた。

 

「――ルシードで良かったよね? 随分と頑張っているみたいだね」

 

 誰もいないと思っていたんだろう。びくりと体を振るわせ、こちらに視線を向ける。

 

 初めてこちらをまっすぐに見たその顔は、まだまだ子供だけれど、立派に男だ。少なくとも、軟弱なそこらの貴族の坊ちゃんとは違う。テファに任せっきりとはいえ、しっかりと成長してくれているのは、やはり嬉しい。

 

「私が分からない、なんてことはないよね?」

 

 反応がないので、いたずらっぽく微笑んでみせる。

 

「……マチルダ、お姉ちゃん? 帰ってきたの?」

 

 険しかった顔が、少しだけ綻んだ。

 

 ずいぶんと久しぶりだけれど、きちんと覚えてくれていたようだ。帰ってきたと実感できて、私も自然と頬がゆるむ。

 

 誰かが迎えてくれるというのは嬉しい。故郷は、家族はなくしてしまったから尚更に。手を振ってルシードの前に出ていく。

 

「久しぶりにまとまった休みが取れてね。ちょっと今は持っていないけれど、ちゃーんとお土産も買ってきたよ」

 

 馬に積んだままだけれど、皆に服や、大きな塊のベーコンなんかを買ってきた。育ち盛りの子供ならきっと喜んでくれるだろう。選ぶ時も、皆が喜ぶ顔が浮かんでついつい買いすぎてしまったぐらい。旅の間はちょっとぼんやりしていたけれど、子供達の期待を裏切らないよう、それは忘れられない。

 

「――そうなんだ。うん、楽しみだな」

 

 喜ぶ顔は年相応のそれだった。凛々しく男の顔をしてくれるのもいいけれど、やはり子供は、子供の顔が似合う。

 

「そうやって喜んでくれると、私も買ってきた甲斐があるよ。それじゃ、頑張っていたみたいだけれど、一緒に帰ろうか?」

 

 ルシードは少しだけ考えこんで、うなずいた。

 

 

 

 

 

 

 ルシードとは並んで歩いた。馬を引いて歩くというと遠慮したけれど、まあ、せっかくだ。別にそこまで急ぐ理由もないのだから。それに、ルシードとは二人きりで話したいこともできた。

 

「――さっきのはさ」

 

 私の言葉に、ルシードが顔を上げた。まだまだ子供だから、私の肩までしかない。だから、自然と私を見上げる形になる。遠目にはもっと身長があるように見えたから不思議だ。まあ、いずれは追い越されるんだろうけれど、それはまだ先の話だ。

 

「剣の練習をしていたのかな?」

 

 尋ねると、ぷいと顔をそらした。顔が赤いのはさっきまでずっと体を動かしていたからかもしれないけれど、それだけでもなさそうだ。

 

 あの時は凛々しいと言ってもいいぐらいでも、こういう姿はまだまだ可愛らしい。弟――うん、テファは妹だから、この子は弟のようなものだ。だったら少しぐらいからかうのは、姉の特権だ。

 

「そんなに恥ずかしがらないの。木に打ちつけていたルシード、一生懸命ですごくかっこ良かったんだから」

 

 顔は逸らしたままだ。でも、赤くなった耳が可愛らしくこちらを向いている。

 

「んふふふふ。どーしたのかな? もしかして、恥ずかしいのかな? んー?」

 

 ルシードの前に周りこんで顔をのぞき込む。それでも誤魔化そうとするところはやっぱり可愛らしい。軽く頬をつつくと、むきになって振り払う。

 

 さて、あんまりからかうのも可哀想だ。もう少し楽しみたいところだけれど、やりすぎて嫌われるのは本末転倒。次の楽しみが減ってしまう。それに――

 

「ルシードが強くなりたいのって、テファの為だよね?」

 

 ルシードが驚いたように目を見開いた。

 

「……そっか。うん、そうかぁ。ルシードは良い子だね」

 

 ルシードは一度口を開きかけて、何も言わずに、ただ小さく頷いた。

 

「うん。ルシード達にはあんまり言わなかったけれど、やっぱり分かるものなんだね」

 

 私が足を止めると、ルシードもそれにならった。

 

「テファはね、ハーフだけれどエルフなの。だから、町で――住むのも、買い物をするのも、誰かと話すのも、すごく、すごく難しいの。何でかって言うのは、それも難しいんだけれどね」

 

 本当に、難しい。ここにいるテファは本当にいい子なんだから。テファのお母さんだってそう。あの時だって抵抗しようとすればできたはずなんだから。

 

「ルシード達はさ、いつかは町で暮らせるようにしたいと思っているけれど、テファにはそれが無理なの。ルシード達はあんまり気にしなくてもいいんだけれど、できれば、できればでいいの。いつか町で暮らすようになっても、テファに会い来てあげて欲しいの。危ない目に遭うこともあるかもしれないけれど、それでも、テファもことを嫌いにならないで欲しいの。テファは何も悪いことはしていないんだから、それはテファのせいじゃないってことは分かってあげて欲しいの」

 

 私の言葉は、どこか必死だった。ルシード相手に、懇願するように。

 

「そんなの、当然だよ」

 

 ルシードの言葉は力強かった。私と目が合っても、今度は恥ずかしがるということもなくて、まっすぐだった。

 

「――うん、ルシードは本当に良い子だね」

 

 本当に嬉しかった。

 

 だからルシードの頬にキスをした。少し、塩味がする。でも、それはルシードが頑張っていたから。そして、さすがにキスは恥ずかしかったようだ。また顔を赤くするのが可愛らしい。

 

 テファは一人じゃない。皆、本当の家族になったんだ。それは姉として、すごく嬉しい。

 

「じゃあ、行こうか。テファも皆も待っているだろうしね」

 

「でも、テファお姉ちゃんは……」

 

 ルシードが一瞬だけ目を伏せて、それからすぐに、何でもないと首を振った。その時には年相応の朗らかな顔だった。

 

 ただ、気のせいじゃなければ、ほんの一瞬、子供とは思えないぐらいにひどく悲しげな目をしていたように思う。

 

「ルシード」

 

 両手で頬を包んで抱き寄せる。

 

「私も家族なんだよ? そりゃあ、あんまりこっちにはいられないけれどさ。それでも、何か心配ごとがあるんなら言って欲しいんだ」

 

 何かを言いたそうにしていたけれど、やっぱり目をそらした。

 

「……うん。分かってる。ちゃんと、分かっているよ。でも、ただなんとく不安で。どうしてかが自分でも分からないんだ。お姉ちゃんに言いたいのに、それも言葉にできないんだ」

 

 本当に、悲しそうだった。私はそれ以上何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達の声に出迎えられた。

 

 ルシードだけじゃなく、皆私のことを覚えていたようだ。私を囲む無邪気な顔に、自然に笑みがこぼれる。

 

 皆はっきりと分かるほどに大きくなっているけれど、それでもまだまだ子供。もう少ししたら生意気なことを言うようになるかもしれないけれど、今はただ、可愛らしい。

 

「――おかえり。姉さん」

 

 声の聞こえる方に目をやれば、いつの間にか、子供達に手を引かれたテファがいた。少し痩せたかもしれないけれど、優しげな微笑みは変わらない。

 

「ただいま、テファ」

 

 いつものように抱きついてきたテファの頭を撫でる。普段は子供達の姉でなければいけないテファ、私がいる時だけはこうやって甘えさせてあげたい。それは、私だけができること。私がテファにしてあげたいこと。

 

「――それにしても」

 

 体に感じる柔らかい感触。視線を落とせば大きく形を変えた胸が、嫌でも目に入る。

 

 テファに抱きつかれると、その胸の膨らみの規格外さがよく分かる。私だってスタイルにはそれなりの自信があるというのに、テファのそれと比べるとどうしても見劣りする。

 

 テファはエルフの血をひいているせいか、年の割に幼くて、体つきも、ある一部をのぞいて華奢だ。

 

 子供のように大きな目に、柔らかそうに丸みを帯びた顔立ち。腰までのばした綺麗な金色の髪も重さを感じさせないほどに細いし、腰つきなんて、私が片手で抱えられそうなぐらい。それなのに、その胸だけがあきらかに違う。

 

「ねえ、テファ」

 

 テファの体を両手で少しだけ押し返し、その手でテファの胸を持ち上げる。そう、つかむじゃない、持ち上げる、だ。きゃうと可愛らしく悲鳴をあげるが、手に感じる重さは凶悪とも言えるほどのものだ。

 

「あんたの胸、また大きくなったんじゃないの?」

 

「……え、う。そ、そうかな? やっぱりおかしいのかな?」

 

 その質問に対する答えは決まっている。

 

「うん、おかしい。その体つきでその胸はありえないから」

 

 そのままテファの胸をつかむ手に力をこめると、おもしろいぐらいに形を変える。

 

「ね、姉さん……」

 

 テファが顔を赤く染め、潤んだ目で見あげる。こんなに大きいのに感度も悪くない。はっきり言って、うらやましい。だからもう少しいじめることにする。

 

「もう、やめてってば」

 

 両手で胸を抱えて二歩、三歩と下がる。ほう、と唇からこぼれる熱い吐息が、幼げな容姿に反して、どこかアンバランスな妖艶さを感じさせる。シキさんがいたら、きっとおいしくいただかれてしまうことだろう。なんだかんだであの人、節操なしで、底なしで、ついでに変態魔人だから。

 

 メイド達からそう呼ばれている理由の一端は私にもあるとはいえ、原因の大本はシキさん自身。納得付くとはいえ、冷静になるとちょっとムカつく。だから、ストレス解消じゃないけれど、もう一度両手を持ち上げる。残念ながら、テファはさらに一歩逃げ出すけれど。

 

 しかしテファのその仕草、男はさらに追いかけそうなものだから、あまりよろしくない。物心ついてからテファが接したのは私か、他は子供達だけ。だから仕方がないとはいえ、良くも悪くもテファは純粋すぎる。いずれは子供達だって大人になる。その時のことを考えると、テファが全く自分のことを知らないというのは、テファにも、子供達にもよくないことになる。折を見て、そこは考えないといけない。

 

 ま、すっかり胸を押さえて警戒してしまったから、時間をおいてだけれど。

 

「ごめんごめん。ちょっと悪のりしちゃったね。お土産もいっぱい買ってきたから機嫌を直して。ね? 皆も今日はご馳走だからね」

 

 ご馳走の言葉に、子供達がテファのところに群がってあれが食べたい、これが食べたいと口ぐちにリクエストを出す。

 

 それでようやく、テファも肩の力を抜いて、仕方がないなぁと笑った。子供達を見る目はとても優しげで、皆のお姉さんというより、母親のそれだった。子供達だけでなく、テファもいつの間にか変わっていたようだ。

 

「頑張ってご馳走を作るから、姉さんも手伝って下さいね? それでさっきのは許します」

 

「えーと、私はあんまり料理は得意じゃないからさ……」

 

 目をそらすが、先ほどの仕返しとばかりにテファは許してくれないようだ。

 

「駄目です。皆手伝うんだから姉さんもです」

 

 どこか叱られているようで、私もテファの娘になったような気分。本当にお母さんらしさが身についたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 予想通り、料理には苦戦した。まな板の上の食材を切るだけだというのに、時折皆からの視線が向けられる。

 

 結局私も料理をすることになったけれど、これがなかなか難しい。テファにも時おり心配そうに見られるし、子供達にもとなると、いくら何でも自分が情けなくなる。

 

 そりゃあ、確かに私は料理を作らないけれど、別に不器用というわけじゃない。実際、包丁だって使う分には何の問題もない。

 

 ただ、どうすればいいかというのが分からないだけだ。下拵え一つにも私が知らないことが色々あるようで、切ったジャガイモをそのまま使おうとしたら、テファに怒られてしまった。どうやら、水にさらして灰汁抜きしないといけなかったらしい。

 

 その後も子供達が私を見るたびにクスクスと笑い、何か間違えてやしないかとそのたびに不安になる。間違えたときに大笑いした子はきっちり制裁したけれど、それでも笑うのをやめやしない。

 

「痛っ……」

 

 すぐ隣から声が聞こえた。サマンサが左手の人差し指を押さえている。指先には血の玉が見える。どうせ野菜を切りながら私を見ていて指を切っちゃったんだろう。

 

「こーら、どうせ私の方を見てたんでしょう? ちゃんと……」

 

「大丈夫なの!? すぐに治療するからね」

 

 テファがあわてて駆け寄る。指もとには母親の形見の指輪がある。

 

「テファ。指を切ったぐらいで大げさな……」

 

 私の言葉は耳に入らないようだった。サマンサしか見ていない。大げさ、本当に大げさなほどの光が放たれて治療される。それでもテファは心配そうに見ている。

 

 たかが指先の切り傷、それに最上級の治療を施して、それでも安心できない。本当に必死で、滑稽という言葉では足りないぐらい。どこか、病的とも思えた。

 

 サマンサも皆も大丈夫だと言っても、それでも安心できないようだった。皆がうつむき、ルシードが悲しげに目をそらした。

 

 確かにテファは過保護だった。でも、ここまでだっただろうか? 誰かが大きなけがでも……

 

 子供達を見渡しても、そんな様子はない。ルシードも、サマンサも、サムも……

 

 あれ、エマは見ていないような。口に出しかけて、止める。

 

 テファには、聞かせない方がいいかもしれない。テファの様子を見てなんとなくそう思った。あとで、ルシードにでも聞いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 ようやく料理ができあがった。カボチャのスープ、豪快にベーコンをそのまま使ったステーキ。その他にもテーブル一杯に料理が並んでいる。私のお土産でいつもより豪華になったようで、子供達も今か今かと待ちかまえている。そんな様子をテファも楽しそうに見ている。

 

 そんな子供達とのやりとりを、頬杖をついて、眺める。いつも通り、私がお土産をもって帰ってきた時となにも変わらない。

 

 何かが違うというのなら、どこかテファが大人びて見えるということぐらいだろうか。でも、それは当然のこと。子供達は大きくなったし、そうなれば当然、その子達の面倒を見るテファだって変わる。

 

 テファは明るく輝くように、本当に純粋。私のように捻くれたっておかしくないのに、全く陰の部分がない純粋な子。まるで子供のままで、太陽のように眩しい。

 

 ううん、いつも私の心を照らして、温めてくれた太陽そのもの。でも、今の雰囲気はちょっとだけ違うかもしれない。

 

 子供たちを見るとき、優しく微笑んでいる。でも少しだけ違う。今までは一緒になって笑っていたのに、どこか遠くを見ているよう。今は、離れたところから見守るようにような。今までが太陽なら、あえて例えるのならば月。

 

 母親のようといえば確かにそう。いつかは誰でも大人になるものだし、こういう状況は別におかしなことじゃない。何かきっかけがあれば変わるだろう。

 

 むしろ、ずっと子供っぽいところがあったテファだから遅いぐらい。本当に良い子だけれど、どこか純粋すぎるというのがテファだった。

 

「――テファ、何か変わったことあった?」

 

 つい、そんな疑問が口から出た。

 

「なんで、そんなことを聞くの?」

 

 テファは子供達に向けるように微笑む。でも、どこか無機質なものを感じた。

 

「いや、何となく思っただけだよ。少し、大人びて見えたから」

 

「そうかな? でも、私だっていつまでも子供じゃないから。さ、せっかく姉さんのお土産でご馳走を作ったんだから、冷めないうちに食べましょう」

 

「そう、だね」

 

 どうしてか、それ以上聞こうとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 皆でお祈りをして、食べ始める。

 

 私やテファに祈るものはないけれど、子ども達までそれに倣うことはない。いつかは自立するんだから、ブリミルに感謝して祈る、そういう「普通」のことは必要なこと。

 

 まあ、お祈りはそこそこに食べ始めちゃうのが子供なんだけれどね。それは、むしろ子供らしさ。

 

 皆美味しそうに頬張っているし、私はそうやって喜んでくれる顔が見たかった。

 

「……姉さん」

 

「ん?」

 

 テファの方を振り返る。いつのまにか、テファが私をじっと見ていた。

 

「姉さんは……」

 

「私が、なあに?」

 

「……あ、ううん、何でもない。さ、皆が全部食べちゃわないうちに私達も食べましょう」

 

「そうだね」

 

 テファがいつものように柔らかく微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お腹一杯になると、子供たちはそれぞれの部屋に戻っていった。すでに目を擦っていたから、ベッドに入ればすぐに眠ってしまうだろう。

 

 私は、昔と同じようにテファの住んでいる家で眠る。

 

 テファが住んでいる家は、もともと家族で住んでいたものらしかった。簡素なキッチンと、小さいながらも二部屋。テファと私、二人で住むには十分すぎるものだった。余計なものなんて一切ないけれど、テファがきちんと片づけていて、暖かい空気がそこにはある。

 

 今まで使っていた部屋へと入る。その部屋は普段からきちんと換気もされていているようで、清々しい空気がある。

 

 誰も使っていないはずだけれど、テファはきちんと掃除してくれていたようだ。そうやって、テファはいつでも私が帰ってくるのを歓迎してくれる。だから私はここへ帰ってくる。

 

 部屋の中を見渡すと、前に帰ってきた時そのままに、ベッド、ワードローブ、小さなチェスト。ニスすら塗っていない木目そのままのものだけれど、いつしかこの部屋に馴染んでいた。それはきっとテファが手入れをしてくれていたおかげ。すっかりこの部屋の一部になっている。

 

 さすがに疲れているから、服だけ脱いで、下着姿でベッドに横になる。ここにくるまで、ずっと馬の上だった。ただ揺られているというのも、やっぱり疲れるものだ。

 

 クッションの効かない代物だけれど、目を閉じると毛布から太陽の匂いを感じる。気持ちよくて、自然に瞼が降りてくる。

 

 ぼんやりとしていると、昔のことも自然に思い出されてくる。どうやら、昼間のことと良い、ずいぶんと感傷的になっているようだ。

 

 

 

 

 

 

 初めてきた時、ここはすでに廃村となっていた。けれど、人がいなくなっても家だけは残るもの。住まなくなれば荒れてしまうものだというけれど、見つけた時はまだ形を残していた。

 

 もちろん壁面には蔦がしっかりと自己主張をしている状態だったけれど、表面の痛みは酷くない。魔法で手を入れればそれで十分。大本の形が崩れてしまっていたら私には手の出しようがなかったから、そういう意味では本当に運が良かった。

 

 人がこない、それでいて生活の基盤が残っている。なくなったものも、錬金で補えばなんとかなる。正に私達にとって理想的だった。

 

 魔法が使えなければなんともならなかったかもしれないけれど、私には魔法があった。それに、最初はうまくいかなくても、使っているうちに上達する。必要になれば上達する。錬金なんかはまさにそうだった。

 

 確かに町からは離れていて不便だったけれど、それこそが私達には都合が良かった。あの時、私も人には会いたくなかったから。

 

 それに、それまでのことを忘れて新しい生活が始まる気がしてわくわくした。残念ながら、そのころの私はひねくれ始めていたけれど。

 

 思い出がぼんやりとし始めたところでノックが聞こえた。ついで、キイと、ドアがきしむ音がした。

 

 薄ぼんやりと目を開けると、若草色のゆったりとしたローブを身にまとったテファがいた。たしか、お母さんの形見だっけ。

 

 何か一つぐらいはと思って、持ってきた。最初は袖から指も出なかったけれど、今ではテファが追いついた。胸なんて窮屈なぐらい。ああ、胸に関しては割とすぐに追いついていたっけ。あれには私もびっくりした。

 

 声が出すのが億劫だったから、もちあげた腕でひらひらと招く。

 

 テファが素直に歩いてくる。昔はとてとてと、子供たちよりもちょっと大きいぐらいだったけれど、テファも大きくなったものだ。でも、たまに帰ってくると甘えてくる。それがたまらなく愛しい。

 

 ベッドに入ってきたテファの髪をなでる。ろくに手入れなんてできないだろうに、びっくりするほど柔らかくて細いテファの髪。触っていると心地良い。ついでにテファを抱きしめた。

 

 また一つ、瞼が重くなる。私にとってもテファを抱いて眠るのは落ち着くから。

 

 

「姉さん……」

 

「……ん」

 

 なんとか目を開けると、テファが大きな目で私をみていた。子供っぽい、子供っぽいと思っていたけれど、大きくなったなぁ。

 

 テファも私を抱き返す。暖かい人肌、あの人に抱きしめられるのも好きだけれど、テファは柔らかくて、抱き応えという意味ではもっと良い。

 

「姉さん……」

 

 首筋にかかる吐息がくすぐったい。ああ、駄目だ。もう目を開けていられない。眠りに落ちてしまう間際に、もう一度テファが私を呼んだ。

 

「姉さんは、私の味方だよね。……姉さんは、いなくならないよね」

 

 ――そんなの、あたりまえじゃないの。

 

 言葉にできたかは分からないけれど、そんなのは、当然のこと。言うまでも、ない、こと。そこで意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もぞもぞと毛布の中をまさぐる。でも、期待した柔らかい感触が返ってこない。

 

 なんとか目を開けると、寝ていたのは私だけ。どうやら、テファはもう起きてしまったようだ。テファの胸、なんだかんだで柔らかくて好きなだけに、ちょっと残念。

 

 毛布の中で、軽くのびをする。

 

 きっともう朝食を作り始めているんだろう。手伝えるかは別として、私だけが寝ているというのものなんだ。名残おしくはあるけれど、毛布から抜け出す。

 

 目をこすりつつ、部屋の片隅のワードローブから、適当に白いシャツと動きやすいパンツを取り出す。テファがきちんと部屋と合わせて手入れをしてくれているからそのまま着ても問題ない。

 

 シャツのボタンを上からとめていく。ボタン以外に飾り気などないものだけれど、まあ、それはいつものこと。今更、フリルのついた服など似合いはしないし、むしろ気恥ずかしい。そんなものを着ても喜ぶのは……シキさんぐらい。それに、あの人はあの人で、私が恥ずかしがるからというのが先にある。だから、自分から着ようなどとは思わない。

 

 最後に、枕元においていたメガネを身につけて、ドアをくぐる。しかしながら、テファの姿は見あたらない。キッチンも昨日片づけた皿がそのまま積み上げられている。まだ料理を始めているという様子はないし、部屋の中心にある、この家には不釣り合いの大きさの机も綺麗なままだ。

 

 私一人で料理を始める――というのは子供たちからクレームが出るだろう。それぐらいは私も分かる。逆の立場なら私も同じことを言うだろうから。片隅の椅子を引いて、腰をおろす。

 

 まあ、子供たちを起こしでも行ったんだろう。それなら私も一緒に起こして欲しいものだが、それだけよく眠っていたのかもしれない。

 

 いろいろと疲れていたし、普段なら、隣に寝ている人が起きて気づかないということはないのだから。

 

「ま、これも平和ぼけってやつかね」

 

 自然に笑みがこぼれる。

 

 怪盗なんてものをやっている間は、やはりどこかで気を張っていた。それがなくなれば自然に緩んでしまうものなんだろう。恨みを買っていることを思えば怖くはあるけれど、それが代償だというのなら、たぶん仕方がないことなんだろう。

 

 目を閉じ、足をぶらぶらと揺らす。テファもそのうち戻ってくるだろう。

 

 ドアを開く音がした。

 

「テファ――目が赤いけれど、どうかしたの?」

 

 私が起きているとは思わなかったのか、テファが驚いた顔で私を見ている。目元を隠そうとしたけれど、今更だ。赤い目に、うっすらと涙が滲んでいる。

 

「テファ、何かあったの?」

 

 慌ててテファに駆け寄っても、うつむいたままだ。何か言いたそうに口を開くけれど、続く言葉はない。テファの肩に手を置き、もう一度、優しく問いかける。

 

「ね、私はいつだってテファの味方だよ?」

 

 テファが私をじいっと見上げる。ずっと昔、私をすがるように見上げていたときのように。なぜかあの時の姿が重なった。捨てないでと訴えるような。少しだけ言いよどんで、ようやく口を開いた。

 

「うん。エマのね、お墓参りに行っていたの。それで、悲しくて。……ごめんね。姉さんにも言わないといけなかったんだけれど、どうしても口に出せなくて」

 

 そうか。昨日の夕食のこと、ようやく納得がいった。でも、それにしても、少し様子がおかしかった気がする。サマンサの血を見た時の反応は普通じゃなかった。そして、その様子を見る子供達も。

 

 そういえば昨日、ルシードも妙なことを言っていた。もしかしたら、テファが何かの記憶を消しているのかもしれない。エマが死んじゃった、悲しいことだけれど、ただそれだけじゃないのかもしれない。

 

「ねえ、テファ。言いたくないとは思うんだけれど、何があったの? 私も、皆のことは知っておきたいから。テファだけで全部を抱えなくていいんだから、私はいつだってテファの味方だから」

 

 テファがもう一度すがるように私を見て、ようやく覚悟を決めたように口を開いた。

 

「……うん。森にエマと薪を拾いに行った時にね。山賊がいたの。二人で分かれて集めていたから、それで、それで……」

 

 テファを抱きしめた。テファも素直に顔をうずめる。

 

「テファ。私は何があったってテファの味方だから、何だって話してくれていいんだよ。テファは優しい、優しすぎるから、全部を抱えたら壊れちゃうから」

 

 テファがうなずくのが分かった。背中を優しく撫でる。

 

 テファがゆっくりと私を見上げる。何かを言いたそうなのに、どうしてか怯えているようだった。

 

「わ、わたし……」

 

 体ががちがちと震えていた。だから、強く、強く抱きしめた。そうしてようやくテファが言葉を続けた。

 

「――私、エマを殺した人を……殺したの」

 

 ぽつりとそれだけ言った。

 

「……そっか」

 

 私も、それだけしか口にできなかった。

 

「……姉さん」

 

 テファが私を見上げていた。その目にあるのは、悲しみだか、怯えだか、憎しみだか、何があるのか分からなかった。いや、もしかしたら全てなのかもしれない。

 

「私って、結局化け物なのかな? いつかは、お母さんみたいに殺されちゃうのかな? 人と一緒に、暮らしちゃいけないの? 私はただ、静かに暮らしたいだけなのに。皆と一緒に、暮らしたいだけなのに」

 

 テファの声は震えていた。

 

「――大丈夫。テファは悪くなんかない。私が何とかしてあげるから。私はテファを見捨てりなんか、絶対にしないから」

 

 ただテファを抱きしめた。でも、一つだけ確かめないといけない。

 

「ねえ、テファ。そのこと、子供達は知っているの?」

 

 テファが、もう一度大きく体を振るわせた。

 

「……知らない、と思う。いけないことだって分かっているけれど、ルシードも、私が、記憶を消したから」

 

「……そっか」

 

 きっと、記憶は消えても、テファを守らないといけないっていう気持ちは覚えているのかな。

 

「……なら大丈夫だね。ね、テファ。もしかしたら私はテファに酷いことをするかもしれない。でも、テファも子供達も絶対に守るからね。それだけは分かっていて欲しいの」

 

 テファが微かにうなずく。その背中を優しく撫でて、天上を見上げる。

 

 テファには、テファだけは綺麗なままでいて欲しかったんだけれどなぁ。

 

 盗人に、人を殺したエルフ。

 

 本当に救いようがない。

 

 

 

 

 神様って、本当にいるのかな。

 

 それとも、私たちのことが大嫌いなのかな。

 

 私たちは、静かに暮らせればそれで良かったのに。

 

 それだけで、良かったのに。

 

 本当に、それだけで。


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