混沌の使い魔   作:Freccia

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 目の前のそれは、奇妙としか言いようのないものだった。

 不定形のもやのようなようなそれらは、ゆらゆらと揺れながらも確実に存在している。何より、そこに浮かんだ歪な顔、ケタケタと嗤うその表情に目をそらすことができない。

 こちらを囲むようにと近づいてくる。次々と変わるその表情に、時折愉悦の表情を混ぜながら。





第12話 An Ark

「――オオン――」

 

 もやの一つが、一所へとまとまった私たちのところへと向かってくる。人のような表情を貼り付けながらも、その口は人ではありえないほどに開いている。まるで、そのまま食らいつこうとでもするように。

 

「――こんな所で!!」

 

 部下の一人が杖を掲げ、呪文を唱える。そして、現れた氷の槍がもやを半ばからえぐるようにと突き刺さる。その部分は霧散し、より一層、歪な表情を見せる。見た目に反し、効果はあるのかもしれない。

 

 だが、それを合図とでもするように、他のもやのようなものも、次々にこちらへと向かってくる。その表情にははっきりと憎悪といったものが見て取れる。まるで怨念の塊のようなそれには、とてもではないが説得など通じそうにない。それに、そんな暇などない。

 

「――オオン!!」

 

 もはや人になど、とてもそう見えない表情を浮かべ、さっき以上の速度で迫ってくる。

 

「……くっ!」

 

 もやが通り過ぎていく。

 

 一つが食らいついてこようとするのを、身を低くすることなんとかかわした。空気のようにも見えるそれだが、もし食いつかれたらどうなるか分かったものではない。

 

「――エア・ハンマー!」

 

 側を通り抜けたもやへと、後ろから魔法を放つ。室内ということもあり、あまり大きな魔法は使えない。それでも、さっきの様子から魔法も効果があることが分かった。魔法を受けたもやはそのまま弾かれる。だが、大きく形を変えながらも、未だに健在だ。

 

 そいつはひしゃげた顔をこちらに向けてくる。どうやら、一度の魔法でどうにかなるようなものでもなさそうだ。最初に半ばからえぐられたものも、少しずつとはいえ元の形へと戻っている。今はせめて膠着状態には持っていかなければ話にならない。

 

「――うあああぁぁあぁああああ!?」

 

 声に振り返る。一人が後ろからもやに食いつかれている。手を伸ばして必死に引き剥がそうとするも、離れない。血が出ているわけではない。だが、どんどん顔色が土気色に変わっていく。まるで植物が枯れていくように。

 

「エア・カッター!!」

 

 風が抜けた。ぞぶりと、半ばちぎるかのように一人が魔法で切り離す。そのまま食いつかれていた者が床に倒れる。

 

「大丈夫か!?」

 

 それぞれが他のもやを魔法で牽制しながら、合間をぬって声をかける。

 

「……なんとか」

 

 ちらりと目をやれば苦しげながらも起き上がる。外傷もないのだから、命に別状はない、そうであって欲しい。

 

「集中して攻撃しろ!! そうでなければすぐに元に戻ってしまう!!」

 

 もやは少しぐらいえぐられた所ですぐに戻ってしまうようだ。だが、それが大きければやはり時間がかかっている。現に、最初のもやはまだ完全に形を取り戻してはいない。

 

「分かりました!」

 

 先ほど食いつかれていた者も、なんとか体勢を整えて呪文を唱え始める。魔法が完成し、他の者に続いて放つ。だが……

 

「馬鹿な!?」

 

 何も起こらない。杖と相手を見比べるも、全く魔法が発動する様子はない。

 

「――オマエノマリョク、ウマカッタゾ」

 

 さっきのもやが言う。ニヤリとでも表現するのがふさわしいような笑みを浮かべ、実に楽しそうに。そして、からかうように付きまとう。追い払おうとするも、魔法が使えず、慌てふためいている。その状況では他の者もなかなか手が出せない。

 

 ――まずい。魔法が使えなくなるとなると、どうしようもなくなってしまう。

 

「――王子!!」

 

 何かに押し倒された。声の主が体当たりをしたようだった。

 

「何を……」

 

「あああああああ!?」

 

 見れば、さっきまで私がいた場所で部下がもやにまとわりつかれている。

 

「エア・カッター!!」

 

 まとわりつかれたままだが、魔法を放つ。威力が低い。切り離すことはできたが、さっきの者のように魔力は吸われてしまったのかもしれない。

 

 しかし、この隙を逃すわけにはいかない。

 

 

「ジャベリン!!」

 

 氷の槍が壁ごともやをつなぎとめる。

 

「――オオン……」

 

 更に他の者が攻撃を加える。続けて受ければさすがに耐え切れないんだろう。穴が空いた部分から蒸発するように霧散していく。見れば、同じように別の場所でも更に一体消えていく。

 

 これならば何とか……

 

 

「――オオオオオオオオオオン!!」

 

 別のもやが叫び声を上げた。すると、するりと壁を抜け、別の一体が現れてくる。

 

 

「「――イッパイ、イルゾ――」」

 

 増えたそれと合わせ、ニヤリと笑う。そうして、更にまた一体現れてくる。

 

 何かが砕ける音がした。

 

 反射的に振り返ってみれば、一人が壁へと叩きつけられ、半ば壁へとめり込んでいる。死んではいない。だが、腕はあらぬ方向へと曲がり、とてもではないが戦えそうもない。更に悪いことに、そこへもやが取り付いていく。

 

 また、音がした。

 

 別の者が今度はテーブルへと叩きつけられていた。どれだけの力でそれが行われたのか分からない。それなりの強度があったはずのテーブルが半ばから割れてしまっている。

 

 それを引き起こした相手は、とてもそんなことのできるようには見えない男だ。確かに鍛えているのは分かる。それでも、目の前の光景は異常だ。また一人、大の男を片手で持ち上げ、今度は壁へと叩きつける。

 

「――アキラメロ――」

 

 耳元で声が聞こえた。振り向いた先にはもやがいた。見る者を不快にさせる笑みを貼り付けながら。

 

「――オマエデ、サイゴダ――」

 

 その言葉とともに人一人飲み込めるほどに口を開き、食らいつかれた。もやの口の中には、真っ暗な闇がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うああああぁぁぁあああああああ!?」

 

「――王子!? 大丈夫ですか!?」

 

 体に触れる何かがあった。腕を振り回す。それでも、その何かは離れない。それは、耳元で何度も大丈夫だという。聞き覚えのある声だ。

 

 体を抱きとめ、心配するようなその声の持ち主に目をやれば、パリーだった。化け物などではなく、執事のパリーだ。改めて自分の様子に目をやれば、着替えており、ベッドの中だった。

 

 

「……夢「申し訳ございません!!」」

 

 半ばまで言った所で、遮られる。聞き覚えのない声だ。しかし、なぜ床の方から?

 

 改めてそちらへと目をやると、大人から子供までいる。そして、なぜか皆、床に土下座の状態で。見える頭がカラフルで――赤、青、緑、ピンクと様々に。そして、あの男も……

 

 

「……夢じゃなかったのか」

 

 ――確かに、夢では都合が良すぎる。ついと額に手をやる。

 

「なんとお詫びすればよいのか……」

 

 一番年長者らしい、金髪の女性が顔を下げたまま口にする。今の状況、何となくだが想像がついた。

 

「……いや、そもそも空賊の真似事をしていたのは私達だ。君達は身を守るために当然のことをしただけだ」

 

 ――そう。いくら戦争中とはいえ空賊の真似事、いや、物資を調達するために実際空賊になっていた。これは、自業自得とでもいうものだ。それに、まだ生きている。やるべきことはまだあるのだ。そのことに感謝しなければ。女性がまだ、何かを言おうとしているのを、制する。

 

「――他の者達は?」

 

 ベルスランへと視線を向け、尋ねる。

 

「怪我は魔法で完治しているはずです。ただ、魔力については……」

 

 沈痛な面持ちだ。自分の体へと注意を向けてみると、確かに魔力がほとんど感じられない。あのもやに吸われてしまったということだろう。他の者も同様ということか。

 

「……無事であることに感謝しなければ。魔力は……決戦までには回復するだろう」

 

 そう、無事であることだけでも感謝しなければならない。決戦までそう日数があるわけではないだろうが、それでも、いくらかは回復するだろう。

 

「……いえ、敵は明日の正午にと通知してきました」

 

「それでは、満足に戦うことも……」

 

 ベルスランのその言葉に、シーツを握りしめた。

 

 もともと勝ち目のない戦い。数万に対して我々はたったの300程度。せめて勇敢に戦い、われらの存在を知らしめる。そして民を苦しめるあの憎きレンコンキスタに一太刀浴びせるつもりが、それでは……。

 

 いや、それでもやらなくてはならない。それに、何としても非戦闘員は逃がさねばならないのだから。例え魔法が使えなくとも、城に残った全てを使ってでも時間を稼がなければならない。

 

「……まだ、悪い知らせがあります」

 

 ベルスランが更に暗い口調で言葉を続ける。

 

「……何だ」

 

 これ以上悪い知らせなど……

 

「……イーグル号が焼け落ちました。商船の方に移ることでなんとかここまでたどり着いたようでしたが、それだけでは、とてもではありませんが非戦闘員を載せ切れません……」

 

「私達は、どうすればいいのだ……」

 

 思わず頭を抱え、ベッドに拳を叩きつける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――マリー・ガーラント号に乗っていたのが唯一残されたものだった。その者達が魔法が使えないとなれば、それでは無駄死にしかならない!」

 

 感情的とも言える声が辺りに響き渡る。

 

「だからといってどうする!? 今更逃げるわけにはいかん! 第一、逃げようにも船がないのだぞ!?」

 

「いっそのこと非戦闘員も含め全員で戦うべきだ!!」

 

「いや、船で運べる者だけでも非戦闘員は逃がさなければならない!!」

 

 会議の場でそれぞれが意見を述べる。いや、意見と呼べるかも怪しいような状態だ。中には半狂乱になっている者もいるのだから。

 

 だが、それも仕方がないのかもしれない。どこか冷静に見ていた。昨日までは皆が死ぬことも受け入れていた。だが、それは意地を見せるというものがあってこそだ。唯一の支えであったそれができないとなれば、皆が動揺するのも仕方がない。非戦闘員だけでもという願いも、それすらも難しいのであるから。

 

 私は指揮官として、皆に行く末を示さなければならない。だが、どうして言えるだろう。大した損害も与えられない、無駄死にと分かってもそうするとなどと。

 

 ドアが開く音がした。

 

 会議室にと使っている部屋の扉が開き、皆がそちらに視線を向ける。そこに立っているのは、あの時の男だった。皆を見渡し、口を開いた。

 

「……戦争に加担するわけにはいかないが、船ぐらいはなんとか手に入れてくる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シキさんを見つけた。いつも以上に無表情で、表情からは考えていることが伺えない。

 

 一体、どうするつもりなんだろう。まさか王党派について戦うつもりじゃ……。こんな状況でまで恨み言を言うつもりはないけれど、それでも、憎しみはそう簡単には消えない。

 

「シキさんは……どうするつもりなんですか? シキさんには関係のないことでしょう? 今日のことだって自業自得だし、わざわざ危険を冒す必要なんかは……」

 

 近づき、尋ねる。私は――何が言いたいんだろう。

 

「……そう積極的に関わるつもりはない。俺が関わるべきものでもない。ただ、俺のせいで逃げることができなくなったというのなら、その責任ぐらいは取ろうと思っている」

 

「……そう、ですか」

 

 それ以上は言わない。願いどおりなのだから。――でも、私はこれで満足なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、シキ……」

 

 どこかへと行っていたシキが、私がいる広間の方へと戻ってくるのが見える。向こうも、とっくに気づいているようだ。目が合い、お互い立ち止まる。一瞬だけ目を伏せ、私からシキの元へと歩みを進める。

 

「――ね、ちょっと、話してもいい?」

 

 上目遣いに尋ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こうして二人で話すのも、久しぶりよね」

 

 私にと宛がわれた部屋のベッドに二人で腰掛ける。

 

「――そうだな」

 

 少しばかり遠慮を含んだままの答えだった。もちろん、私も人のことは言えないけれど。何だか不思議な気分だ。しばらくお互い何も言わず、私から続ける。

 

「……えーと、シキ、後ろから着いてきてくれていたのね」

 

 胸の前で指を組み、なんとなく、視線を床へと落とす。こうなると目も合わせづらい。

 

「……ああ」

 

 ちらりと目をやれば、シキも私と似たような様子だ。ちょっと、おかしい。つい、くすりと笑みがこぼれる。

 

「心配してくれて、嬉しかったわ」

 

「……ああ」

 

 少しだけ視線を逸らし、照れたような様子だ。何となくだけれど、可愛いかもしれない。

 

「――船ではびっくりしちゃったけれど」

 

 少しだけからかうように言ってみる。シキが動きを止め、明らかに目を逸らす。

 

 その様子がおかしくて、ついクスクスと笑ってしまう。困ったようにしていたけれど、やがてシキも笑い出す。ようやく、今までと同じように話せそうだ。どちらからともなく、ここまでの道のりでの出来事を話しだした。一緒じゃなかった時にどうしていたかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ?」

 

 どうしても聞いておきたいことがあった。

 

「何だ?」

 

 シキが答える。

 

「シキはさ、何であんなに姫様の依頼を嫌がったの? シキがいれば危ないことなんてなかったはずだし……」

 

 シキを見つめる。それに対してしばらく考えるようにしていたけれど、ややあって口を開く。

 

「……俺がいた世界のことはほとんど言ったことがなかったな」

 

「ええ」

 

「まずは、そこからの話になるな。長くなるが、それでも聞くか?」

 

「ええ。私も知りたいもの」

 

 シキがいた世界のことは今までほとんど聞いたことがなかった。時折そんな話題になったこともあったけれど、あまりシキが言いたくないようだったので、そのままにしてきた。

 

 しばらく腕を組んで考え込んでいて、ようやく口を開いた。

 

「……そうだな。まずは変わってしまう前の世界からか。――もともと俺がいた世界には魔法なんてものがなかった。いや、あったんだろうが、普通の人間はその存在も知らなかった。まあ、物語に出てくるぐらいだろうな」

 

 思い出すようにポツリポツリと話し始める。

 

「魔法がなかったら、不便じゃないの?」

 

 疑問に思ったことを尋ねる。魔法のない世界なんて考えられない。魔法がなかったら不便で仕方がないはずだ。

 

「そうでもないな。むしろこの世界よりも便利なぐらいだ。例えば……」

 

 

 

 

 そうしてシキがその世界のことを一つ一つ教えてくれたけれど、信じられないような世界だ。遠くまで移動するための道具があって、人が月にまで行けたり。シキの話どおりなら本当にすごい世界だ。行けるものなら一度行ってみたい。シキはこの世界の方が御伽噺のようだと言っているけれど、私からすればシキのいた世界こそ空想の世界だ。

 

「――だが、その世界も変わってしまった」

 

 不意に、少しだけ目を伏せた。

 

「……え? 世界が変わった? どういうこと?」

 

 言っていることの意味がよく分からない。その疑問にシキがこちらを見つめ、ゆっくりと話しだす。さっきまでの楽しそうとも言えるような表情はなりを潜め、悲しそうな表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 ある日突然世界が変わってしまった。「東京受胎」と呼ばれるできことによって、本当に、全てが。

 

 新たな世界を創る、その為に一旦世界を卵の状態に戻す。生まれ変わるには一番最初の状態に戻せば良い。実際に世界は卵のような形になり、その中心には太陽の代わりに「カグツチ」と呼ばれるものが現れた。言うなれば卵の黄身のようなもの。そして、人は一部の例外を除いて死に絶え、悪魔と呼ばれる者達が代わりに現れた。

 

 そして、世界を作り変える「創生」を行う方法は一つ。「コトワリ」という、言わば世界の設計図となる、作るべき世界のイメージを持ち、その世界の覇者となること。

 

 悪魔と呼ばれる強大な存在が跋扈する世界、人間など生き抜くだけでも困難。だが、その中で生き残った。何者かによって悪魔の力を植えつけられることで。更に別の悪魔の力を吸収していくことで。そして、その世界の勝者となった。

 

 だが、世界は生まれ変わることはなく、混沌のままだった。理由は簡単なこと。シキには「コトワリ」がなかったから。世界を創るべき勝者に創るべきイメージがなければ、世界は生まれ変わる形を得られない。世界は卵のまま、孵らない卵となった。

 

 そして、信じられないことをシキが言う。「コトワリ」を持った三人のうちの二人がシキの友人で、その手で殺したということを。

 

 シキと違い、二人は普通の人間のままでその世界に投げ出された。普通の人間など生き抜くことさえも困難な世界に投げ出された二人。運よく、もしくは運悪く生き残ってしまった二人は、やがて歪んだコトワリを持った。

 

 一つは「ムスビ」。極限の状況では誰も信じられない。それならば一人でいればいい、一人で完結すれば良いという考えから辿りついたコトワリ。そのコトワリから創られる世界は孤独な世界。一人ひとりが完全に独立した世界。決して誰とも関わらず、誰もが独りとして存在する。

 

 もう一つが「ヨスガ」。何度も打ちのめされて辿り着いた、弱肉強食というとてもシンプルなもの。選ばれた者、すなわち強者だけが生き残ることを許される世界。弱者には生きる資格すらなく、そして、その友人だった者は、実際に弱者を虐殺した。

 

 絶望からたどり着いた結論。どちらの世界も認められない。シキはどちらも止めようとしたけれど、結局世界を作り替える力を得た二人と戦い、殺した。

 

 最初は生きることすら精一杯だったとはいえ、力を持つ存在になったシキは二人を守りたかった。だが、二人は歪んだコトワリを持ち、それぞれの世界を作るために最後は裏切られた。結局、そんな世界を創らせないために戦い、守りたかったのに殺してしまった。

 

 ――シキの行動は、間違ってはいない。だが、正しくもなかった。確たるものを持たずに戦った結果は、世界を混沌のままにとどめるだけだった。後悔したが、全ては遅かった。世界は孵らない卵になってしまったのだから。

 

 そして、その世界から私が召喚した。シキが言う。自分が召喚に応じたのは、その世界から逃げ出したかったからかもしれないと。

 

 

 

 

 

 

「――まあ、俺の話はそんな所だ」

 

 そんなことがあったと昔話でもするように淡々と語った。だが、表情には色々な感情が浮かんでいる。ちらりと私を見、再び口を開く。

 

「……それで、行かせたくない理由だったな」

 

 目があい、私が無言で促すと更に続ける。

 

「……姫、アンリエッタだったか、主君であると同時に、まずは、友人なんだろう?」

 

 その確認にうなづいて返す。

 

「今回の任務は危険なものだ。死の危険だって十分に考えられた」

 

 それは――承知の上だ。

 

「……シキがいれば平気よ」

 

 どんなことがあったって、きっと助けてくれる。今日のことだって、もしかしたら心の中では助けれくれると期待していたからあんなことが言えたのかもしれない。

 

「……少なくとも姫は、俺がいることなんて知らなかった。依頼は、ルイズが危険な目に会うのを承知の上だったはずだ」

 

「……臣下としての勤めでもあるわ」

 

「友人として頼まれたのにか?」

 

 じっとこちらを見つめる。

 

「それは……」

 

 私の方が目を逸らしてしまう。

 

「信じていた友人に裏切られるのは……つらい。ルイズにはそんな目にあわせたくなかった。それが俺が行かせたくなかった理由だ」

 

「私は……」

 

 なんと言えばいいのだろう。姫が私を、無意識にせよ利用しようとしていたのは事実。でも、それでも……

 

「たとえそうだとしても、私は姫様の役に立ちたい」

 

 それも、私の正直な気持ちだ。

 

「……そうか。……そうだな。俺もそうだった。ただ、そういうこともあるということは知っておいて欲しい」

 

 それだけ言うと立ち上がる。

 

「……どこに行くの?」

 

 シキを見上げた。

 

「明日の準備もあるからな」

 

「……シキは……どうするの?」

 

 シキがいればどれだけの敵だろうと、きっと勝てる。でも、シキは戦いなんて好きじゃないはず。きっと、自分のしたことに責任を感じているから。

 

「……責任は、取る。だが、それ以上のことをするつもりはない。この世界のことは、この世界の人間が決めるべきだ」

 

 それだけ言って、そのまま部屋を後にする。きっとシキの言うことが正しいんだろう。それに対して文句を言うことはできない。

 

 姫のことは、それでも……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城の窓からは朝日が差し込んでいる。空に浮かぶこの国の朝は清々しい。澄んだ空気と、何時もよりもずっと近くに見える雲。それだけでも気分が軽くなりそうなものだが、今日ばかりはそうもいかない。

 

 決戦は正午からとはいえ、そう時間があるわけでもない。文字通り最後の準備が必要で、城の中は慌しい。だが、その表情に覇気はない。

 

 ――仕方がない。誇りのために戦おうにも難しく、非戦闘員を逃がすことすら……。シキがその責任は取ると言っていたけれど、シキのことを知らなければ絶望しかないだろう。

 

 私も――シキならなんとかしてくれるとは信じているけれど、戦争そのものには関わる気がないと分かっているから、暗い気分はどうしても抜けない。今はただ、どうなるのかを見届けることしかできない。

 

 

 

 

 

 

「――ルイズ」

 

 シキに声をかけられる。

 

「――ええ。私にも責任があるもの。なんと言おうとシキと一緒に行くわ」

 

 シキが何をするのかは知らない。けれど、シキに責任があるというのなら、それは私の責任でもある。

 

「そういうことならば僕も行こう。何、足手まといにはならないさ」

 

 とっくに準備を整えていたらしいワルドも加わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この辺りでいいか」

 

 シキが歩みを止める。

 

「何をするの? 待ち伏せでも、するの?」

 

 シキへ尋ねる。目の前にはまっすぐに道が伸びている。城へとつながる唯一の道。道の両端はそう高くはないが崖状になっており、待ち伏せをするには最適だと言える。でも、そんな直接的に戦うなど思えない。シキは――きっと、責任を取る以上のことはしないつもりだろうから。

 

「単なる足止めだ。ルイズ達はここで待っていてくれ」

 

 そのまま歩き出す。追いかけようとするが手で制される。

 

「道を塞ぐだけだ。すぐに終わるからここから動かないでくれ。下手に近づくと巻き込んでしまうからな」

 

「――そういうことなら仕方がない。ルイズ、ここで見ていることにしよう」

 

 ワルドが優しく諭す。だが、何となく楽しそうなその様子に違和感がある。でも、ワルドのいう通りだ。どのみち、私にできることはないだろうから。

 

 私が待つと分かったからか、シキが更に歩みを進める。100メイルほどだろうか、それだけ進んでようやく足を止めた。

 

「何を……」

 

 そう言葉にしようとした所で、シキがなにやら構えを取る。腰を落とし、両手を体の前に合わせる。そして、服の上からもはっきりと分かるほどにあの刺青が光っている。それは刺青だけでなく、体全体が緑の光を放っている。

 

 いや、体だけじゃない。地面からもぽつぽつと蛍のような光が昇っている。素直に綺麗だと思う。でも、それを見ていられたのも一瞬だ。

 

 

 地面が――揺れる。

 

「な、何!?」

 

 慌ててシキの方へと視線を向ければ、シキを中心に、地面を縦横無尽に亀裂が入っていく。それだけじゃない。亀裂は全てを飲み込むように広がり、そこからは眩しいばかりの光が溢れている。

 

「――ああああああああぁああぁあ!!」

 

 大きく手を広げ、シキの声が響く。そして――光が弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うそ……」

 

 自分の口からはそんな声がが漏れる。目の前の光景が信じられない。

 

 

「……素晴らしい。これこそが力だ……」

 

 ワルドが何かを言っているが、何を言っているのか、それすら良く分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おい。さっき地面が揺れなかったか?」

 

 隣を歩くやつがそんなことを言ってくる。……知ったことか。

 

「このアルビオンでそんなことがあるわけないだろう。空にあるこの国に地震なんて起きるわけがない」

 

 ――もしあったとしても、どうでもいい。今は生き残ることが何より大事なのだから。

 

 先頭を行く俺達は、言わば捨て駒だ。なるほど、確かに敵は300程度。負けるなんて事はありえない。だが、俺達一人一人は違う。

 

 敵は城を中心に守りに入っている。城はもっとも守りやすく、攻めにくい場所にある。城は浮遊大陸の端にあり、一方方向からしか攻めることができず、ほぼ一本道。そうなれば、下手に近づけば大砲と魔法の餌食だ。向こうも最後だと分かっている。出し惜しみなんてしないだろう。

 

 そんな場所に船で向かうわけには行かない。せいぜいが途中まで大砲と駒である俺達を運ぶだけ。だからこそ、平民の歩兵である俺達が、死んでも良い使い捨ての兵として先陣を切っている。

 

 近くでは、殺してやると威勢のいいやつらが声を張り上げている。確かにうまく手柄さえ立てられれば一生安泰だ。だが、本当に分かっているのか。今いるやつらのほとんどが生き残れないということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――何なんだ、これは!?」

 

 目の前の光景に目を疑う。城までは一本道が続いているはずだ。だが、目の前にそんなものはない。

 

 まるで巨人がその手で地面を引き裂き、砕き、散々に暴れまわったような様相を呈している。歪な塔のよう聳え立つ巨大な岩が何本もあるかと思えば、地の底にまで続いていそうな亀裂がそこら中にある。もしかしたら、見えないだけでこの大陸を貫通してしまっているかもしれない。何をどうすればこんなことになるのか、想像もつかない。ここを越えて行くぐらいなら、山でも越えた方がよっぽど楽に進めるだろう。

 

「……まるで、地面の口だな……」

 

 隣を歩く男が手近な亀裂へと近づき、呆然と呟く。

 

 ――なるほど、確かにそんな風に見えなくもない。亀裂も歪で、曲がりくねった中の壁は鋭い歯のようになっている場所も多い。そんな場所に落ちれば、人間など、切り刻まれてあっという間に肉団子になってしまうだろう。落ちた者は――地面に食われるといった所か。……俺は遠慮したいが。

 

 しかし、これはどうするのか。とてもじゃないが、このままでは進めそうもない。迂回できなくもないだろうが、それでは正午の決戦には間に合わないだろう。そんなものはどうでもいいとは思うが、貴族はそんなわけにはいかないものなんだろう。案の定、一番安全な場所で見ていた指揮官である貴族が、他のメイジを連れて前へと出てくる。大したことができるわけでもないのに偉そうで、むかつくやつだ。

 

「……せこい手を使いおって。ここまでするのは大したものだが、単なる時間稼ぎにしかならん。そうまでして死にたくないか」

 

 憎々しげに吐き捨てると、連れてきたメイジ達に命令する。

 

「たかだか数百人相手に手間取るわけにはいかん。ゴーレムでも何でも使って通れるようにしろ」

 

 それだけ言うとまた安全な場所へと戻っていく。部下であるメイジ達もこいつのことは嫌いなんだろう。忌々しげに見送ると、呪文を唱え、20メイルはあるゴーレムが地面から立ち上がる。見上げるような巨体でも、地面の穴には一飲みでしかないだろうが。

 

 岩同士の擦れる、嫌な音が聞こえる。

 

 ここを何とかするためだけに作ったからだろう、緩慢な動きのゴーレム達はゆっくりと足を持ち上げ、そのまま何とか道を作れそうな場所へと向かう。分厚い手袋を何枚も重ねたように膨らんだ手が手近にあった岩を掴み……

 

 

 砕けて落ちた。

 

 「何だ」と疑問の言葉すら言う暇がない。破砕音が辺りに響く。しかも、断続的に、何度も。どこからともなく現れたいくつもの光がゴーレムを打ち抜いていく。腕、足、頭、胴体と、複雑な軌道で光が穿つ。全てのゴーレムが粉々になってしまうまでの時間は、本当に瞬きをする程度のことだった。

 

「――逃げろ!!」

 

 一瞬遅れてそんな言葉が響く。そうだ。あれだけ魔法の数だ、待ち伏せていたに違いない。このままだと次は自分達があのゴーレム達と同じ運命を辿ってしまう。皆が走リ出すのも当然のことだ。自分も、同じように走り出す。

 

 だが、メイジはどれだけの化け物なんだ。一瞬見えた光は、銃ですら届かないような距離からだった。化け物は化け物同士で戦っていればいいものを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――時間稼ぎにはこんなものか。あとは、待つだけか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場となるべき場所から距離を置いた、開けた場所。そこに貴族派のキャンプがある。切り開かれ、見通しの良くなったそこには船が整然と並んでいる。

 

 空を飛ぶ船ではあるが、基本は普通のそれと変わらない。風の魔法の力の結晶である風石によって浮かびあがらせ、受けた風の力で進む。であるから、見た目にはほとんど違いがないと言って良い。ただ、水の上にあるべき船が地上に整然と並んでいるのはやはり違和感があるものだが。

 

 そして、マストの上には見張り台もあるが、今は誰もいない。どうせすぐにでも決着がつくであろうから、そこまで心配する必要などないということだろう。

 

 そんな様子を、空から眺める者達がいる。

 

 一人は、白い翼に金色に輝く髪を持つ美青年。赤を基調とした服に全身を包み、その上に聖職者が着るような貫頭衣を身に着けている。白が基調であるそれにはいくつもの金の十字架が刺繍され、まさしく聖職者のそれだと分かる。唯一おかしなものがあるとすれば、右手に持った剣ぐらいだろうか。

 

 そして、もう一人は胸元の大きく開いたドレスに身を包んだ美女。背中には、御伽噺に出てきてもおかしくない、四枚の妖精の羽がある。森をそのまま布に映したような、吸い込まれそうなほど鮮やかな緑のドレスに身を包んだ彼女は、長いブロンドの髪を風にたなびかせている。

 

 

「――陽動の方には私が行きましょう。あなたは、船の方を」

 

 青年が、傍らの女性へと言葉を投げかける。

 

「――分かりました。できるだけ派手にお願いしますわ」

 

 はるか下を見下ろしながら、女性が答える。

 

 

「――さて、本来なら人間同士の争いに介入するのは褒められたことではありませんが、我が主の頼みとあれば」

 

 船を眺め、青年が口にする。声は感情のない、淡々としたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カツン

 

 ある船の中でチェスを打つ音が響く。本来なら褒められたことではないが、誰もとがめる者などいない。立場的なものあるが、何よりも、勝利が確定しているということが大きい。

 

「――そろそろ始まった頃ですかな」

 

 駒を進め、口にする。

 

 ――カツン

 

「――そうですな。まあ、すぐに終わるでしょうが」

 

 当然のことと、返す。

 

「――ふむ。ではこれで……チェックメイトと」

 

 ――カツン

 

「――おや、もう終わってしまったか。しかし、ずっとチェスをというのも飽きますな。どうです、賭けでもしませんか?」

 

 顔を上げ、口にする。お互い、チェスにはそろそろ飽きてきた頃だ。

 

「――それで、何に対して?」

 

 案の定乗ってくる。

 

「『何時まで王党派が持つか』ではどうですかな?」

 

「――それでは賭けにはなりますまい。お互い今日までとなるでしょう?」

 

 笑いながら口にする。

 

「確かにその通りですな。いや、それでは賭けにはならない」

 

 敵がこちらの方に来るかもしれないという報告があったが、こうも暇なら、むしろ来て欲しいぐらいだ。

 

 

 部屋の外から、誰かが騒ぐ声が聞こえた。 

 

「――外が騒がしいようですな、ちょっと見に行ってみます」

 

 席から立ち上がり、外が見渡せる場所へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何だ、これは?」

 

 目に入った光景に息を呑む。一緒に来た部下達も同様だ。何せ、そこら中から火の手があがっているのだから。今いる船は無事だ。だが、私がいる船以外はマストが火に包まれてしまっている。魔法で消火に当たっているようだが、火の勢いが強すぎる。下手をすれば、船ごと焼け落ちてしまうだろう。

 

「――そうですね。この船にしましょう」

 

 場違いな、透き通るような声に振り返る。そうして、さっきとは別の意味で皆が息を呑む。それぐらいに、美しい。

 

 美しい、完璧とも言うべき整った容貌。人ではありえない赤い瞳も、その美しさを際立たせる。しっとりと濡れた唇が艶めかしい。そして、背中にある四枚の羽。まさしく、伝説に詠われる妖精とも言うべきもの。

 

「……捕まえろ」

 

 口から漏れたのはそんな言葉だった。この状況でそれは正しいのかは分からない。だが、どうしてもこの女が欲しい。私の言葉に、気がついたように部下達が動き出す。

 

「――あらあら、困った人達ね。でも、私に触れていいのは主様だけ……もとい、主様と夫だけですわ」

 

 ぐらりと、視界が歪む。

 

「――本当なら石にでもしてあげる所だけれど、今は、機嫌がいいの」

 

 立っていられない。

 

「――ゆっくり、おやすみなさい」

 

 意識が――遠のいていく。ただ、甘い声と優雅にスカートをつまみ上げる様だけが頭に残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あれは」

 

 空を見上げ、呟く。一隻の船が向かってくる。他の船に比べ圧倒的に巨大なそれは、レキシントン号。そして、もとの名は王軍の旗艦、ロイヤル・ソブリン号。この国の象徴でもあったそれは、平民である自分も良く知っている。

 

 しかし、なぜ? この状況、艦隊で一気にというのは分かる。だが、今はあの一隻しか見えない。それではどんな戦艦であっても的になりに行くようなものだ。それなのに、船は進んでいく。さっき攻撃があった場所へと一直線に……。

 

「――おかしい」

 

 誰かが呟く。だが、確かにおかしい。攻撃される様子はなく、そのまま真っ直ぐに城へと向かっていく。一体、どうなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――まさか、こんな形でこの船を見ることになるとは」

 

 調達してきたという船を見て、そんな言葉が漏れる。この船を見る者たちは、皆同じ気持ちのはずだ。かつてのこの国の象徴、そして敵へと渡り、その象徴となった。それが再び戻ってくることになるとは夢にも思わなかった。なかには涙を流す者さえいる。

 

「――それで、どうする?」

 

 責任を取るといっていた男が、ゆっくりと口にする。

 

「どうする、とは?」

 

 言っていることの意味が掴めず、疑問を呈する。周りにいる他の者達も一斉に彼を見る。

 

「この船ならば、全員が乗れるだろう」

 

 その言葉にざわめきが起きる。確かに、彼の言う通り、この船ならば全員が乗ってもおつりがくるだろう。だが……それは……。

 

「――結局の所、生き残った者が勝者だ。命乞いをしてでも、生き残ればチャンスはある。……俺から言えるのはそれだけだ」

 

 それだけ言うと、船へと登って行く。私達にとって、この国にとって特別な船へと。

 

 

 

 

 ――私は、指揮官としてどうするべきなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 船へと登っていったシキを追いかける。

 

「――待って!」

 

「……どうした?」

 

 シキが振り返る。

 

「……シキは、結局どうしたいの?」

 

 少しだけ考え込むようにした後、苦笑する。

 

「本当に、どうしたいんだろうな?」

 

 困ったようにそれだけ言うと、そのまま歩いていく。


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