まどろみの中、そんな中。
しかし僕の瞼は決して落ちず、眠りはしない。
ふと気が付いたら、僕はいた。
辺りには何もない、真っ白な空間。
なんとも現実味のない、場所。
ぐるりぐるりと見回してみても、此処にいるのは僕だけだ。
ぼんやりと「ああ、僕は夢を見ている」と自覚する。
夢の中でそうやって、
昔、誰かに聞いたことがあるのだけど。
それを教えたのは誰だったのか、思い出せないけれど。
兎も角白い空間だけが広がるこの場所は、気持ち悪い。
歩く。
歩くけれど、あては無い。
あても無く、出口も知らない僕だけれども。
けれども、歩いていればいつかは。
いつかは白い境界線の先には、何か。
何かこの空間に変化が起こるだろうと信じて歩く。
走る。
この何もない白い空間の中で、僕はやっと見つけた。
見つけたのは、何か。
それが何かも分からない程、それは遠くにあって。
遠くにあるから、走っていく。
走って、走って、走って、止まって。
止まって、足元にある何かを屈んで、持って、拾い上げて。
拾い上げて、そして僕は首を傾げるのだ。
首を傾げる僕の手の中にあるのは、見覚えのあるラジオ。
そう、僕の家のラジオだ。
どうしてこれが、こんな所に?
『ガガッ――やあジャンヌ、元気だったかい?』
「ッ!?」
ラジオから、
聴きたくもない、アイツの声が。
アイツの声を僕に聴かせようとするラジオなんかいらないから。
僕はラジオを遠く、遠くに投げ捨てた。
ラジオはガシャンと音を立てて、思った以上にバラバラになってしまったけれど、ラジオからはアイツの『ケタケタケタ』という笑い声が、壊れてしまったせいか妙におかしくなってしまったくらいで止まる様子はない。
『ジャンヌ、ジャンヌ』と、声がする。
人のよさそうな笑顔を仮面みたいにべったりと貼り付けて、きっとアイツは僕を、僕の名を、ラジオの向こう側から呼んでいるに違いない。
壊れたラジオから、壊れた音で、あの男に僕の名を呼ばれる度に、笑い声を聞く度に、一瞬にして身体中を穢されたと錯覚してしまう。
無数の青虫が理由もなく、上へ、上へ、僕の身体を這い上がるかのような感覚を、覚える。
それ程僕は、アイツの事が嫌いなのだ。
「ああ、その眼……その眼差し!! 堪らん、堪らんよ!!」
「あぐッ!?」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
突然後ろから殴られ「痛い」と思った時にはもう、僕は床にへばり付いていた。
視界一杯に広がる床には木目。
辺りの風景は一変し――先ほどまでの白い空間ではない。
僕はアイツの
剥がれた仮面の下にある、飢えた獣の表情はとても、とても醜い。
アイツは僕を見下し、蹴飛ばし、殴り飛ばし。
僕はアイツに見下され、蹴飛ばされ、殴り飛ばされる。
子どもに一方的な暴力を振るって、何が楽しいんだろうか?
……楽しいのだろうね。
少なくとも、足で僕を踏みつけるアイツの顔は今愉悦に浸って、涎が垂れているのにさえも気づいていないのだから。
反抗的に、睨み付けるように、アイツを見上げる僕の頬にグチャりと、アイツの涎が垂れる。
殴られるよりも何よりも、不愉快。
「ああ……嗚呼!! 私を見下していたあいつ等と同じ瞳!! 何時まで経っても折れることの無い反抗的なその
だけど抵抗は、しない。
それが無駄だって分かっているから。
子どもの僕が、大人のアイツに敵うはずがないから。
だから僕は黙って、文句を言わず、なされるが儘にされるんだ。
ほら、また、僕の身体が床を跳ねた。
だけど心だけは、折られない。
アイツに屈するつもりもない。
アイツも何故か僕の心だけは、折りはしない。
そう、アイツは自分の暴力に屈服する事のない僕を望んでいるんだ。
「はは……なにそれ?」
訳が分からない。
木目を見落とし、つくづく思う。
アイツの考えが分からない。
気持ち悪い。
アイツの考えなんて、嗜好なんて、僕にとってはどうでもいいけど、知りたくもないけれど。
アイツの手から、シャルを守る。
あらゆる危険から、シャルを守る。
それが叶うならば、僕は……
「お姉ちゃん」
声。
アイツの声じゃない、声がした。
その声がシャルの声だって、僕にはすぐに分かった。
だって、僕たちは双子だもの。
一番、傍で一緒に過ごしてきた姉妹だもの。
聴き間違える筈もない。
僕はその声が、と言うよりシャル自身の事が大好きだけど。
ただ……今の僕をシャルにだけは見られたくなかった。
シャルは今の僕を見て、何て言うのかな?
「気づかなくてごめんね」かな。
「辛かったね」かな。
優しいシャルの顔が、ぐしゃぐしゃに、泣きそうになりながら、謝る姿しか思い浮かべない。
シャルにそんな顔、させたくない。
ずっとずっと、笑っていてほしいから。
顔を上げる。
そこに先程までいたアイツはいない。
さりとてそこには、声がした筈のシャルの姿もなかった。
そこにいたのは黒くて、規則正しく赤い部分があって、そして正八面体。
しかもどういう原理なのか、宙に浮いている。
色が違うけれど、昔お父様に教わったことがある。
人類の敵。
それの名は――ネウロイ
「いや……」
赤い光が、ネウロイの角の頂点に集まる。
「嫌だよ……」
視界がぼやける。
それは目の前に輝く赤い光が眩しいから……ううん。
今まで生きてきた事が嘘みたいに簡単に無くなってしまうのだと思ったから。
死んでしまったら、これからはシャルを守れないのだと思ったから。
涙は溢れて、止まらない。
「
強がりを演じる事も忘れて、私は願う。
『死にたくない』
だけどこんな私を、果たして誰が助けてくれるというのだろうか。
……いる筈が無い。
お爺様が死んで、お父様も死んで、今まで誰も助けてくれなかったから、自分の力でどうにかしないととそう思って、今までそうして生きてきたのだ。
今更私を助けてくれる人なんている筈がない。
赤い光が、もっと眩しくなる。
だから私は目を閉じる。
諦めたのだ、私は。
生きることを。
死にたくはないけれど、疲れちゃったから。
生きる事も、シャルの事も、もういいやって思ってしまったのだ。
思いは矛盾。
それは強がりを演じていた僕とは違って、化けの皮が剥がれれば、本当の私はこんなにも弱いから。
「ジャンヌ!!」
誰かが、私を呼んでいる。
それはきっと気のせいで、ありえない事。
だから私は目を開けず、今にも落とされそうなギロチンを静かに待つ。
「?」
しかしギロチンは落ちない。
何時まで経っても、だ。
疑問に思って、私は目を開ける。
そこにネウロイの姿は無かった。
そのかわりに、私はあのカールスラント人に押し倒されていた。
白銀色の髪を私の頭を覆い隠すカーテンのように垂らし、彼女のどこまでも透き通る空色の瞳が私を心配そうに見下ろしている。
「大丈夫か?」
……私の事を、心配してくれるの?
そう言いかけた言葉は、左の耳元で聞こえた水の跳ねる音で詰まってしまう。
水の音? どうして?
気になって、左を向く。
そこにあるのは水溜り。
赤い、赤い水溜りだ。
雨が降るから水が溜まる。
雨は彼女の左から。
彼女の左腕が
その雨が止む様子は、無い。
「怪我はないか?」
それなのに、カールスラント人……ヴィルヘルミナさんは私の心配をしてくれる。
純粋に嬉しかった。
彼女に怪我を負わせたのは私なのに。
それでも私のことを庇ってくれた事が、心配してくれたことが。
彼女にお礼を言いたい。
だけども私の口からはお礼の言葉は出ず、結局首を横に振るだけしか出来なかった。
もどかしい。
「そうか……」
彼女は一瞬ホッとした顔を見せて、しかしすぐに彼女の目つきは、元の鋭い目つきに戻る。
いつもの……いや、彼女の事をよく知っている訳じゃないけれど、私がいつも見かける彼女の目だ。
いつも何かに構え、いつも何かに備え。
そしていつも何かに怯え、ピアノ線のように張りつめている、そんな目。
私には、分かる。
だって、いつも鏡で見ている私の目と、同じ目をしているから。
ふと、いつの間にか自分と彼女の顔の距離がものすごく近くにある事に今更気づく。
いつも嫌悪していた筈の、大っ嫌いなカールスラント人なのに。
酷い事を言ったり、きつく当たっていた相手なのに。
何でだろう……すごく胸がドキドキする。
うるさいくらいに胸が鼓動を繰り返しているけれど、この音は彼女にバレていないだろうか?
顔も心なしか、徐々に熱くなって来ている気がする。
私の顔、大丈夫だろうか? 赤くなってはいないだろうか?
もしそうだとしたら、とても恥ずかしい。
彼女の右手が私の頬に伸びる。
反射的に目を瞑ってしまい、身体もビクンって怯えるように跳ねたけど、彼女が私の頬を少し撫でる感触が伝わるだけだ。
彼女を怖がる事はないのに……怯えてしまったのは、いつも私の顔を汚い手つきで撫でる
――むぎゅううううううううううううう
「痛たたたたたたたたたたた!?」
頬を撫でていた優しい手が一変、いきなり頬をキリキリと抓る意地悪な手になった。
「抓った!? 何で!?」と驚き、私は瞑っていた目を見開く。
「さっさと起きろ、眠り姫。全く……お前はいつまで寝ているつもりなんだ」
呆れた顔で、ため息交じりにそう言って私を見下ろす彼女は、どんなに身体を捩っても、「止めて!!」と私が抗議しても、頬を抓る事を止めてはくれない。
どうして?
「ジャンヌがさっさと夢から覚めないからだ」
「?」
夢から覚める?
どうして覚める必要があるの?
ついさっきまで、感じた事もないような、フワフワしていて心地よい気持ちでいたというのに。
そう文句を言いかけて――
「…………………あ」
思い出す。
此処が夢の中である事を。
忘れていた。
此処が現実で無い事を。
何時から此処を、現実だと勘違いしていたんだろうか?
「気が付いたなら早く目を覚ませ。シャルロットがお前のことを待っているぞ」
「……分かってるよ」
そうだ。
私の大切な妹が、シャルが待っている。
彼女には僕しか頼れる人がいないんだ。
だから、早く目覚めなきゃ。
その事に気づいて慌てて身体を起こすと、いつの間にか彼女の姿がない。
辺りも、また元の白い空間に戻っている。
残っているのは、彼女に抓られた頬の痛みだけ。
抓られていた頬を、私は無意識の内に撫でていた。
……頬は、まだ少し熱を帯びている。
彼女が、わた……
ずっと今まで守る側だった僕が誰かに守られて、特別な感情を抱かないとは限らなかった――吊り橋効果なんて言葉もある。
事実、ネウロイからあんな風にかっこよく僕を守ってくれて、僕を庇ったせいで怪我もしているというのに僕の事を案じてくれたヴィルヘルミナさんに、僕の胸があの時とてもドキドキしたのは確かである。
でも……それじゃ駄目なのだ。
僕はシャルを守らなきゃいけないから。
もしも、あのままヴィルヘルミナさんの事を好きになってしまっていたら……僕は彼女の事で頭が一杯になってしまって、きっとシャルの事を守れなくなっちゃうから。
――僕はカールスラント人が嫌い
だから彼女の事も、嫌い……とまでは言わないけれど。
一瞬抱いてしまったこの感情も、どうせ忘れてしまうであろうこの夢と共にポイしてしまおう。
そう、今はこれでいいのかもしれない。
私がまだ、僕である為に。
――暗転
何時の間に僕は眠っていたのだろうかと、急速に覚醒する意識と、頬に感じる痛みの中で思う。
夢も見ていた気もするが、夢の内容はなんだっただろうか。
……思い出せない。
思い出せないものは仕方ないけれど、そんな事よりも、どうしてこんなに僕の頬は痛いのだろうか?
瞼を開く。
目の前には何故か、あのカールスラント人がいた。
その彼女がどういう訳か、僕の頬を
……ある。
彼女の左腕が――包帯でグルグル巻きにされて、痛々しいけれど――ちゃんとある。
いや、彼女がネウロイのビームを受けた時、酷いけがをしていたとはいえ、それでも彼女の左腕がちゃんとあったのは見ていた筈なのに、どうしてこうもホッとするのだろうか?
「起きたか?」
「……
「分かった」
抓られていた頬が解放される。
ずっと抓られていたのか、未だにひりひりする頬を撫でながら、僕は彼女にもっとやり方というものがあったんじゃないのかと抗議するように睨んだ。
「抓った事は謝る。が、弱っているとはいえ今お前に倒れてもらっては困るんだ。辛いだろうが、此処を脱出するまで頑張ってくれ」
「……分かっているよ。抓った事は怒ってない」
寧ろ非があるのは僕の方だってことは重々承知している。
ネウロイに襲われたあの後、部屋に連れ戻された僕は彼女から今、僕たちの周囲に起こっている事について既に簡単な説明を受けている。
ネウロイにこの町が強襲された事。
彼女はシャルから頼まれて、僕を探しに来てくれた事。
軍も突然のネウロイ強襲に混乱していて、軍の助けは恐らく来ないだろうという事。
此処がネウロイに囲まれている事。
周りの町や都市も同様に襲われており、早めに此処から脱出して北に逃げないといけない事。
大体の説明を聞いた後に僕は如何やら気絶してしまったみたいなのだが、改めて彼女から同じ説明を聴いて、起こっている事の重大性を理解した。
確かにこんな所で気絶なんてしている暇はなかったのだ。
時間が一分一秒惜しい中、足を引っ張ってしまった事を彼女たちに素直に謝った。
しかし二人とも気にしていないと返してくれて、逆に私の身体の調子の方を心配されてしまった。
迷惑をかけてしまって、何だか居た堪れない気持ちで一杯になってしまうけれども、それはこれから頑張って失敗を取り戻していくしかない。
「さて、今後の脱出計画についてだが……」
既に計画していた事なのか、それとも僕が気絶している間に考えていた事なのか、彼女の口から淡々と語られる脱出計画。
よくもまあこんな状況下で脱出する方法を思いつくものだと、最初は少し期待して耳を傾けていたのだけれど、話が進むにつれて眉間に皺が険しくなっていくのを感じた。
彼女から告げられたこの町からの脱出計画は突拍子もなく、とても成功するとは思えないものであった。
とてもじゃないが子どもに出来るものではない、重すぎる計画。
特に彼女にかかってしまう負担は僕たちの比ではなく、この計画が成功したとしても彼女はこれから過酷な道を進む事を強要されてしまう。
無論僕は彼女に異を唱えるが、ならば生きて安全地帯に向かう為の別の案が他にあるのかと問われると、僕は彼女に何も返す事が出来なかった。
時間があれば、もっといい案が思いつくかもしれない。
けれど今の僕たちには時間が無い事も分かっている。
結局彼女の提案したものでいくしかなかった。
「私の事は心配するな、既に覚悟は出来ている……それよりもお前は自身の命とシャルロットの事だけを考えていればいい」
そう言いながら、いつの間に手に入れたのか分からない銃――名前は分からないけれど、あれはごく最近になってガリア陸軍で採用された物だった筈――の点検をテキパキとこなす彼女には、有無を言わせない雰囲気があった。
……彼女の覚悟は本物なのだろう。
僕だって彼女に言われた通り、僕とシャルの事だけを考えていればどれだけ楽だったことか。
けれど、彼女は僕とシャルの恩人だ。
シャルの事は兎も角、酷い扱いをしていた筈の僕の事まで彼女は危険を顧みずに助けてくれた。
本当にこのまま彼女に守られるだけでいいのか、彼女の負担を減らす手は無いものか?
やはり何か別の案はないのかと考えるけれど、悔しいが名案なんてものはそんなにすぐに思いつくものでもなかった。
シャルの方を見ると、シャルもシャルで思いつめた表情をしている。
シャルもまた、本当にこれで良かったのかと悩んでいたらしい。
「ちょっと、いいか?」
部屋を出る前に、僕は彼女に呼び止められた。
何か伝え忘れた事でもあったのかと思ったがそうではなく、彼女の腰からL字状の何かを差し出された。
「ジャ……貴女、銃を撃った経験は?」
「ある、けど……でもそれって」
彼女から差し出されたそれは、どう見たって拳銃だ。
その事に動揺してしまって、銃なんて撃ったこと無いのにあるなんて嘘ついてしまった。
訂正しようにも、恥ずかしくて今更言い出せない。
「出来るだけ私は君たちを守っていくつもりではいる……けれど絶対という保証は出来ない。もしもの時は迷わず、撃て」
そう言って彼女に押し付けられた拳銃は、見た目以上にズシリと重い。
しかしそれ以上に気になってしまったのは――彼女
彼女は僕に拳銃を渡す際に少し躊躇って、渡した後も申し訳なさそうに私を見ている。
そんな彼女の、まさに大人が子どもに接するような態度に、僕は下に見られているようで寂しさと、悔しさと、そしてほんの……ほんの少しだけ憤りを感じた。
前の自分だったら、そんな事を言われたら怒っていたかもしれない。
だけど今は……
「ジャンヌ、だ」
「……何?」
「『貴女』、じゃない。僕の名はラ・ペルーズ伯ジャンヌ・フランソワ・ドモゼーだ」
「……いいのか?」
キョトンとして、そう聴き返してくる彼女。
やはり、前に僕が言った事を気にしていたようだ。
「良いも何も、たとえ君が僕にとって大っ嫌いなカールスラント人でも、これから背中を合わせて戦ってくれる人を、更に言えば僕たち姉妹の恩人を信頼しない程、僕は許容が狭いつもりはないよ」
「そう、か」
「と言う事で、僕の後ろは任せたよ、ヴィルヘルミナ」
「なんだ、私が後ろか……大した自信だな、ジャンヌ」
クスリと笑って彼女は一歩、僕の前を進む。
彼女は前を譲るつもりは無いらしい。
本当は僕が前に出て……と、言いたいところだけれども、残念ながら僕には彼女のような、ネウロイに正面から立ち向かっていくだけの勇気も、戦闘経験もない。
こんな僕が前に出たとしても、恐らく二人に迷惑をかけるだけだ。
情けないけれど、それらを持っていない僕よりも、やはり彼女に前を任せた方が適任だ。
彼女の後姿は、とても子どものものとは思えない程頼もしい。
しかし……彼女のその勇気は、何処から出てくるのだろうか?
それ以前にあの手慣れた銃の扱い、戦闘技術。
彼女は一体、何処でそれを覚えたのだろうか?
そもそも――彼女は、何者なのだろう?
そこまで考えて、僕は頭を振った。
そんな事はどうでもいい、と。
彼女にそれらの技術等があったから、僕たちは助かったのだ。
恩人の事について無闇に詮索するのは失礼だ。
「後ろを頼む、ジャンヌ」
「任せて、ヴィル」
「……ヴィル?」
「『ヴィルヘルミナ』じゃ、咄嗟という時に長すぎて呼びづらい……から…………ほ、ほら!!さっさと行くよ。時間、無いんでしょ!?」
「お、おい!? 急に背中を押すな!? 行く、行くからちゃんと。あまり急かさないでくれ!!」
恥ずかしい。
これではまるで、友人同士のようなやり取りではないか。
今から私たちは戦いに行くのだというのに、こんな調子でいいものか。
「ふふ、お姉ちゃん。顔、真っ赤だよ?」
「……気のせいだよ」
それはさておき……友達、か。
そういえば僕、シャルの事で頭が一杯になり過ぎていたせいか、親しい友達という人は、僕には特にいなかった気がする。
人と人との繋がり、人脈というものは想像以上の武器になることは、昔お父様から教わったことがある。
貴族の人達が開く社交界やお茶会も、その人脈を広げるためにあるという事も。
無論武器にするために友達をつくる訳ではないけれど、流石に一人も友達がいないというのはそう考えると色々拙いかもしれない。
うん、そうだ、機会があるのならば今度友達を頑張ってつくってみようか――もし此処から皆で生きて逃げる事が叶ったならの話ではあるが――と、僕は密かに決意を固める。
ふと、前を躊躇う事無く進むヴィルヘルミナさんを見る。
……彼女は、どうだろうか?
彼女には会う度に酷い事を言ってきた僕だけれど、そんな僕と果たして彼女は友達になってくれるだろうか?
ああ……きっと彼女は少し困った顔をして、それでも今までの事を水に流すかのように小さく頷いてくれるのだろう。
それは願望、自分の都合のいい想像だけれど。
友達にはなれなくても、彼女とはいい関係でありたいとは思う。
でも、やっぱり彼女との関係は、友達である方がベストだ。
試しに、彼女と僕がそういった関係になっているところを想像してみる。
――トクンッ
「?」
誰かが、僕の胸を一回だけノックする。
不思議に思って胸に手を当ててみても、ノックした
「静かに……ネウロイだ」
頭を振って、邪魔な思考を追い払う。
兎も角、今は此処から脱出する事だけを考えないと。
「行くぞ」
静かに、そうして彼女はその手に持った銃を構えて――
ネウロイに包囲され、一部ネウロイに侵入まで許してしまった基地内部には未だ抵抗を試みる部隊が少なからず存在していた。
しかしこれらの部隊は別に連携した上で抵抗をしている訳では無く、各々が各々の指揮官の下、自分達で自分勝手に決めた作戦に従って動いている。
これは軍隊としてあるまじき行為である事ではあるが、それはそうなってしまう要因が幾つも存在するからである。
兵士が携帯できる無線機の開発や、部隊への配備の進んているカールスラントとは異なり、未だに部隊間の連絡が伝令、手信号、伝書鳩などの前時代的な方法が当たり前になっているガリア陸軍では、必要時に部隊ごとの意思疎通や連携が密に行えない事。
またガリア人のスタンドプレーを好む国民性が仇になっている事。
そして何より、全体に指示を出すべき司令部が彼らをおいてわれ先にと逃げてしまった事。
要因は、挙げていけばキリがないのである。
因みに彼らの立てた作戦はどれも大まかに二つに分ける事が出来る。
多数に無勢と早々に見切りをつけて脱出を最優先とするのか。
何とかこの基地を奪還し、ネウロイに押されているこの現状を何とか打破しようとするのか。
この二つである。
その部隊の内の一つを率いているフィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉は、どちらかと言えば後者側の指揮官であった――厳密にいえば彼は率いている部隊の正規の指揮官という訳ではなく部隊の参謀という立場の人間なのだが、ネウロイの攻撃によって本隊と分断された事から臨時で分隊の指揮を執っている。
ただ、彼が後者を選んでいる理由は他の指揮官のそれとは違っている。
彼は参謀という立場故に、既に周囲の町や都市が陥落したという情報を知らされていた。
それを知らされた上で彼は此処に残っている……いや、残されたのである。
彼の所属していた部隊が、司令部の高官から逃げ出す寸前に与えられた任務は『撤退してくる前線部隊の退路を確保する事』、そして『撤退してきた部隊と市民の殿になる事』である。
「駄目だな、こりゃあ負け戦だ……」
彼のトレードマークに等しいちょび髭が、苦笑いに近い、諦めの形に歪む。
実のところ、フィリップはネウロイとの戦闘自体、これが初めてという訳ではなかった。
ネウロイと初めて相対したのは1922年のモロッコ。
戦ったのは小規模部隊とはいえ、彼の部隊は少なくない犠牲を払いながらも、彼の機転のお蔭で部隊は勝利を収めている。
その経験を買われて彼は此処に残された訳なのだが、以前彼が戦ったネウロイは無論実弾系の銀色ネウロイ。
携行火器が殆ど通らない装甲に、攻撃のパターンが実弾系でなくビーム系と異なる黒色ネウロイが相手では、流石にネウロイの戦闘経験のある彼の部隊でも分が悪かった。
しかし以前のネウロイとの戦闘経験が全て無駄という訳ではない。
例えば、部隊におけるネウロイの発する瘴気の対策。
ネウロイの発する瘴気はウィッチ以外の人間にとってとても危険な物であるが、ネウロイに対抗する為にはどうしてもこの瘴気の中に飛び込まなければならない。
彼はこの瘴気の対策としてかつて第一次大戦時、カールスラントによる毒ガス作戦が行われた際に対抗策としてガリアで開発された防毒マスクに目をつけたのである。
無論これで完全に瘴気の毒性を抑えられる訳では無かったのだが、瘴気圏内における活動限界時間は飛躍的に伸びている――活動限界時間が伸びたところで、ネウロイを倒せないのは変わりないのだが。
「……中尉」
「まだだ、まだ諦めるなよ……牽制射撃、そのまま続けろ。あのビームは厄介だ、出来るだけネウロイをこちらに近づけさせるな」
「
彼らの目標地、戦車などの車両が収められている格納庫には前線に送られる筈だったかなりの量の武器弾薬がトラックに積んである。
分断された本隊も予定通りならばそこを目指している筈だと考え、合流を急ぎたかったのだが、その途中でネウロイによって足止めを受け、彼らは身動きが取れないでいた。
押し返そうにも手持ちの火器では火力が足りず、このまま戦っても徒に時間と弾薬を失い、負傷者は増すばかり。
(こんな時、何も案を出す事も出来ず、指示を飛ばすだけしか出来ないのか……くそったれ、これじゃぁ参謀失格だ)
時折、銃のリズミカルな発砲音の縫うように聴こえてくる、あのネウロイのビームを受け、負傷で苦しんでいる仲間の呻き声。
それを聴いて、己の不甲斐なさに歯ぎしりする。
歯ぎしりし悔しさで頭が沸騰しそうになっても、しかし彼は考えることを止めない。
負け戦だと分かっていても、その中でも出来るだけのことをする事を求められるのが参謀の仕事なのである。
「何か手は、何か手は……」
「中尉……フィリップ中尉!!」
「ああああああああああ糞っ、煩い、煩い!!」
「……落ち着けフィリップ中尉、そうやって考えを中断されたときに癇癪おこすのは中尉の悪い癖だぞ?」
「あ……ああ……いや、すまない伍長。如何した」
長年同じ部隊で戦ってきた、見慣れた髭面伍長についつい八つ当たりをしてしまった事に罪悪感を覚えつつ、伍長に報告を促すが……伍長は「あ~、その……な」と、説明しづらそうに後ろを振り返った。
彼も伍長の視線の先を追うが……
「おい……何の冗談だ、伍長」
「知りませんよ、彼女に聴いて下さい。『指揮官に会わせろ』と言って聴かねえんですよ……」
彼らの視線の先には子どもがいた。
ただの子どもではなく、ガリア空軍の制服を着た子どもが。
普段の彼らならば、「子どもが仮装するにゃあハロウィンはとっくに過ぎてるぞ」と笑って追い返していただろうが。
(コイツ……ただのガキじゃねえ。一戦どころか二戦も三戦もやらかして来ましたってぇ面してやがる……)
軍人としての勘が、彼も伍長も目の前の子どもがただの子どもではない事を訴えている。
そんな事などあり得るのかと、フィリップは目を擦ってみるが……しかし消えない。
如何やらこいつは、戦場が見せた幻覚では無いようである。
「中尉、貴方がこの部隊の指揮官で間違いないか?」
「あ、ああ。そうだが」
生返事気味の彼の返答を気にした様子は無く、子ども――少女は踵を揃え、額にピッと揃えた手を添える。
――敬礼
半端な真似事では無く、本物そのものの敬礼。
その一挙一動を見ていた彼も伍長も、既に少女を子どもとして見てはおらず、無意識ながらも同じ軍人として意識して、次の言葉を待つ。
「私はガリア空軍所属、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉だ。これよりそちらの部隊に加勢を願い出たいのだが、宜しいか?」
――小さくも頼もしい戦乙女が、小銃背負ってやって来た
フィリップ中尉はこの時の様子を後の著書にこのように記したという。
・ジャンヌフラグが立ったかと思えば勝手に折れます
・今回出てきた名も無き銃の紹介
>そう言いながら、いつの間に手に入れたのか分からない銃――名前は分からないけれど、あれはごく最近になってガリア陸軍で採用された物だった筈――の点検をテキパキとこなす彼女には、有無を言わせない雰囲気があった。
→MAS36小銃の事(前回から司令室に戻る途中に廊下で亡くなっていた兵士より無断借用)
>「ジャ……貴女、銃を撃った経験は?」
「ある、けど……でもそれって」
彼女から差し出されたそれは、どう見たって拳銃だ。
→M1911A1の事(司令官[カジミールでは無い正規の方]の司令室の机の中から発見された私物。某伝説の傭兵が喜びそうな魔改造が施されている設定があるけど、多分使わない。こちらも無断借用)
・ヴィッラ嬢がジャンヌに銃を渡す。
大人が子どもに銃を押し付けて快く思わないのは当然の事かもしれないけれど、ヴィッラ嬢自身も子どもである事を明らかに忘れてるというオチ。
・実は軍用無線機をたいして持っていないガリア(フランス)。
……通信手段無いの?