ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道   作:流水郎

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迫られる決断です!

《副隊長、来ちゃダメだ!》

《先に行くナリ! 敵に追いつかれるナリ!》

 

 ねこにゃー達の声が、無線のレシーバーに入る。M3リーのキューポラから斜面の下を見やり、梓は唾を飲み込む。三式中戦車は川の手前まで滑落したところで、何とか停止していた。しかし少しでもバランスを崩せば、再び滑落するだろう。川の水深は深く、雨によって勢いも増している。そしてももがーの言う通り、後方からは千種学園の戦車隊が迫っていた。

 あや、紗希、あゆみ、佳利奈、優季。五人の仲間は車内から、心配そうに車長席を見上げていた。アリクイさんチームの救助に向かうか、置いて行くか。現在小隊を指揮しているのは梓であり、彼女に決定権がある。

 

 ここに留まっていては、千種学園の部隊に間も無く追いつかれる。そうなれば数と火力の優位で押し切られ、勝機は失われるだろう。しかし三式中戦車を置き捨てて進軍すれば、乗員の身に危険が及ぶ。大会運営の救助が来る前に、川へ転落してしまう可能性が高い。

 

「西住隊長に相談して……」

「待って」

 

 通信機を操作する優季を、梓は静かに制止した。仲間たちはその声の冷静さに驚く。

 今、みほを頼るべきではない。今の自分は指揮官の端くれだ。そしてみほが大洗へ転校するに至った経緯について、梓は聞いていた。今この場で、重大な決断を彼女に押し付けるようでは、来年度の隊長など務まらない。

 

 何より、梓の心に迷いはなかった。副隊長に任命されたとき、みほから言われたのだ。

 『自分の戦車道を見つけるように』と。

 

 みほもかつて、尊敬する人から同じことを言われたという。それを見つけることができたのは昨年、全国大会で優勝した後のことだった。幼少期から戦車道に慣れ親しんできた彼女でさえ、それだけ時間がかかったのである。自分に見つけることができるのか、不安も大きかった。

 だが今、去年や一昨年のみほと同じ状況に立たされ、気づいた。自分にとって戦車道の模範を示してくれたのはやはり、西住みほその人なのだと。

 

「カバさん、カモさん」

 

 顔を濡らす雨水を袖で拭い、僚車を顧みる。ルノーB1bisとIII号突撃砲からは、それぞれの車長が梓をじっと見つめていた。ゴモヨこと後藤モヨ子は心配そうに、エルヴィンはどこか試すような目で。

 

「私はこれから、アリクイさんチームの救助に向かいます。後方の警戒と、援護をお願いします!」

 

 毅然とした命令。後輩の言葉に、二人の車長は笑顔で答えた。

 

「了解、副隊長!」

「任せろ、副隊長!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、観客席はざわめいていた。澤梓がワイヤーを手に斜面を下る様子が、巨大モニターにありありと映されている。そして彼女たちの後方から迫る、千種学園の部隊も。

 多くの観客は梓を応援し、手を合わせて無事を祈ったり、涙ぐむ者もいる。彼女は昨年、そして一昨年の西住みほと同じ選択をしたのだ。これが大洗の戦車道であることを、観客たちは改めて見せつけられたのだ。

 

 声援の中、静かに画面を見守るのは千鶴たちだった。観客の多くが梓を見ている中、彼女たちは画面端に表示された、各戦車の動向にも注目していた。III号突撃砲とルノーB1bisは単独行動していた西住みほのIV号戦車が変針し、澤隊の方角へと向かっていたのだ。

 

「副官を助けに行くつもり?」

「多分。五十鈴さんの精密射撃があれば、千種学園も迂闊に攻撃できないだろうし」

「せやけど、腕利きの砲手やったら千種にもおるで」

 

 持参していた折り畳み傘の下で、カリンカ、ベジマイト、トラビが語り合う。みほはゲルリッヒ砲と名砲手を以って、千種学園に睨みを効かせるつもりなのだ。梓が救助を終えるまで。

 しかし千種学園のアンシャルド豆戦車が、あんこうチームの履帯跡を追跡している。彼女たちの動向はすぐ以呂波に伝わるだろう。そしてトラビの言うように、千種学園にも加々見澪という名砲手がいた。さらに彼女と組む車長は射弾回避能力に長け、相手の射点を見破るのも得意な、一ノ瀬以呂波。カウンタースナイプを狙われれば、フラッグ車同士での潰し合いもあり得る。リスクは大きいだろう。

 

「……千鶴、お前だったらどうする?」

 

 そう尋ねたのは守保だった。尋ねられた千鶴は亀子に傘を持たせ、じっと画面を見つめていた。だがほんの僅かな時間思案しただけで、口を開く。

 

「多分、助けに行くと思う。けど……」

 

 千鶴は自分のポニーテールを軽く撫でた。僅かに付着していた雨水が指を濡らす。妹が自分を真似て同じ髪型にしたときのことを、ふと思い出していた。

 

「それより、今の以呂波と同じ立場だったら……どうするだろうな、あたし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、千種学園は楔形の隊列を乱さず進軍する。速度の違う車両で整然と隊列を組めるだけの練度を、操縦手たちは手にしていた。履帯が泥を蹴散らし、無骨なエンジン音を響かせながら前進を続けた。

 しかし整った隊列に反して、各車両の間には無線通信が飛び交っていた。

 

《どうする!? 攻撃するの!?》

《チャンスではあるけど……》

《今手を出したら、命に関わるッスよ!》

 

 レシーバーに入る声を聞きながら、以呂波は逡巡していた。羽織った合羽の上を雨水が弾けていく。

 澤梓の指揮下にある車両は全て足を止めている。そして西住みほのIV号戦車もまた、援護のためこちらへ向かっている。それらの動向は河合と東がそれぞれ伝えていた。そしてもう少しで、大洗の戦車はタシュの射程に入る。

 

 敵の副隊長車を仕留めるチャンスだ。それにあわよくば、敵のフラッグ車をおびき出せる。敵が迫る状況での救助作業がどれだけ危険か、梓たちも覚悟の上でやっているはずだ。以前に美佐子と問答したことでもある。美佐子は同じ状況で攻撃したプラウダや黒森峰を『卑怯』と批判したが、以呂波はそれを否定した。戦車道において、一瞬のチャンスを逃すべきではない。

 しかし、以呂波は総攻撃の号令を下せずにいた。

 

 車長席へ腰を下ろし、仲間たちを見る。丁度こちらを見上げていた美佐子と目があった。

 

「あたし、装填しないよ」

 

 普段素直な彼女も、毅然として言い放つ。最初に以呂波に声をかけてから、常に親友として支え続けてくれた彼女だが、ここでは譲る気は無かった。装填手席で腕を組み、弾を込めないという意思表示をする。本来なら即座に戦車から叩き出される行為であり、当人も分かっているだろう。だがその瞳に宿る意思に、迷いはなかった。

 そのとき、澪が以呂波の方を振り向いた。

 

「……私は、撃て、って言われたら……撃つ!」

「澪ちゃん……!?」

 

 美佐子が驚きの表情を浮かべた。澪の声は震えていた。その目には涙さえ溜まっている。それでも、彼女なりに覚悟を決めていた。

 

「私は砲手だから……!」

「二人とも、お止し! 隊長は以呂波ちゃんだよ!」

 

 一喝したのは晴だった。通信手席のクラッペを覗いたまま、珍しく強い口調で後輩たちを制止する。次いで、車長席の以呂波をちらりと見上げ、告げた。

 

「目の前の稜線を一つ越えりゃ、相手はこっちの射程内だ。どうする?」

 

 決断を促す晴の目は、当事者であると同時に傍観者の目でもあった。人の情を重んずる彼女としては、内心美佐子と同意見だ。だがこれは以呂波が自分で選ぶべき道であり、自分はそれを見届けようと考えていた。それと同時に、晴は以呂波がどちらを選ぶか、心の中で賭けをしていた。

 

「……一ノ瀬さん」

 

 静かに操縦レバーを握る結衣が、ふいに口を開いた。

 

「船橋先輩は何のために、貴女に隊長を頼んだの? 私たちは何のために頑張っているの?」

 

 その口調は何かを強制するものではなく、意見具申ですらない。だが以呂波はふと、再起を決意したときのことを思い出した。先輩である船橋らが自分に頭を下げ、指揮を頼んできたことを。引き受けたのは自分の再起のため、そして船橋たちの思いに応えたいという思いからだった。

 

 生身の左足、次いで義足に力を入れ、再び立ち上がる。降り続く雨の中、キューポラから顔を出した。眼前に見える稜線の向こうで、澤梓たちは必死に救助を行っていることだろう。

 大坪、北森、川岸、去石、先ほど合流した三木。各車の車長は雨に濡れながら、一斉に以呂波を見た。命令を待つ仲間たちに向け、鉄脚の戦車長は叫んだ。

 

「全車両、停止!」

 

 車長たちは即座に、操縦手へ命令を伝達した。制動がかけられ、雑多な車両で構成された戦車隊は泥を跳ね上げながら停止する。タシュの傾斜した装甲を、雨水が流れ落ちていった。

 

「……私には隊長として、果たすべき義務がある」

 

 部隊を見渡し、以呂波は誰に言うでもなく呟いた。ただ試合前、プリメーラに言われたことの意味が少し分かった気がした。

 指揮官の美学とはこういうことなのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一方のあんこうチームは、仲間たちの元へと急いでいた。麻子の巧みな操縦で樹木を避け、森の中をショートカットする。戦車の機動力はスペック上の最高速度では決まらない。如何に適切な道を選ぶか、または困難な道を如何にスムーズに走破するかによって、戦車は亀にもウサギにもなる。

 みほは雨に耐えつつキューポラから身を乗り出し、麻子に方向指示を出し続ける。

 

「梓さんも、みほさんと同じ判断をしましたね」

 

 華がいつも通りの、ゆったりとした口調で言った。どこか嬉しそうに。

 

「ええ。澤殿も今まで、西住殿の背中を見てきたんですね!」

 

 相槌を打つ優花里も喜んでいた。彼女たちは梓に、『西住みほ』のコピーになることを望んではいない。梓には梓の戦車道があるはずだ。それでもやはり、自分たちが信じて戦ったみほの戦車道を、彼女が受け継いでくれたのが嬉しかった。

 だがみほだけは素直に喜べないでいた。昨年、そして一昨年の自分の判断は間違っていなかったと、今では信じている。仲間たちがそれを証明してくれた。しかしその一方で、大事な後輩に危険なことをさせたくないという思いもあった。自分の身を危険に晒してでも仲間を助けねばならないと、梓に思い込ませてしまったかもしれない……そんな考えが浮かんだのだ。

 

「……私のやり方のせいで、梓さんに無理させてないかな……」

「みぽりん。それは違うよ」

 

 毅然と否定したのは沙織だった。言動は若干軽薄に見えても、その実彼女は他者の気持ちを察するのが得意で、思いやりを持って接する。昨年度の決勝戦でも、彼女はみほの迷いを解き、良き心の支えとなった。

 

「梓ちゃんは誰かから押し付けられた戦車道をやってるんじゃないの。お手本を見せたのはみぽりんだけど……これは私たちみんなで決めた、大洗女子学園の戦車道なんだよ!」

 

 雨音に負けまいと言わんばかりの、明るい言葉。それがみほの心に深く染みた。沙織や他の友人たちと一緒にいると、悩みなど次第に気にならなくなる。そして少しずつ、自信が持てるようになる。

 

「武部殿の言う通りです!」

「みほさんは胸を張ってください!」

「副隊長も同じことを言うだろうな」

 

 口々に言う友人たち。その笑顔を見て、みほは悩むのを止めた。

 

「……みんな、ありがとう。少しでも早く、梓さんたちを援護しに行こう!」

 

 フラッグ車自ら、味方の救援に向かう。一歩間違えば勝機を逃す、危険な行為だ。それでも最悪の場合、自らが囮となって梓たちを守れば、アリクイさんチームを無事に救出できるだろう。そのような判断を下すみほは、西住流としては異端なのだろう。

 しかし後輩の覚悟を無下にするような、無情な指揮官になりたくはなかった。

 

 だが、そのとき。想定外のことが起きた。

 聞き覚えのある声が、通信機のレシーバーに入ったのだ。

 

 

《緊急連絡、緊急連絡。発・千種学園隊長一ノ瀬以呂波。宛・大会運営本部、並びに大洗女子学園隊長・西住みほ殿、副隊長・澤梓殿》

 

 敵味方双方の車両、および本部と通信できる非常用回線。それを通じて送られてきたのは他ならぬ以呂波の声だった。冷静かつ滑らかな口調で紡がれる言葉に、みほはハッと耳を澄ます。

 

《我々は大洗三式中戦車の救助完了まで、攻撃を中止します》

 

 あんこうチームの面々が、思わず目を見開いた。以呂波は続ける。

 

《これは情による判断でも、戦術的な判断でもありません。私たちの千種学園は、廃校となった四つの学校を母体として生まれました。国から不要と見なされたそれら四校と、その生徒だった諸先輩方の名誉回復を目的に、私たちは戦車道を始めました》

「あ……」

 

 共闘時のことを思い出し、みほは思わず声を漏らす。千種学園は大洗に負けないほど、短期間で練度を上げ、さらに戦車の質にも関わらず高い士気を維持している。その原動力は共に戦っている間に知ることができた。学校を守れなかった上級生の無念さが結束を高め、それが一年生である以呂波たちにも伝わっているのだ。

 

《この大会での勝利はそのための『手段』であり、『目的』ではないのです。勝つために策を尽くすのは戦車道の醍醐味ですが、後ろ指を指されるような勝利では目的を達成できません。澤副隊長殿には、同じ指揮官として最大級の敬意を表すると共に、速やかかつ安全なる救助の遂行を願います。私は我が隊が、貴女方と尋常の勝負ができるチームであることを証明し、隊長としての責務を全うしてみせます。……以上》

 

 通信が途絶えたとき、雨の勢いは少し弱くなっていた。みほの胸中に暖かい物がじんわりとこみ上げ、安堵の息を漏らす。

 

「それぞれの戦車道、ですね……!」

 

 拳を握りしめ、優花里が笑顔で涙を浮かべる。

 

「私たちも以呂波さんたちの思いに応えて、全力で戦いましょう!」

「……そのためにも、アリクイを助けないとな」

 

 華と麻子の言葉に、みほもまた力強く頷いた。勝つことが目的ではない、だが負ける気はない。そんな熱い思いを感じた。無事に救助を成功させ、試合を再開させねばならない。

 

「沙織さん、カバさんとカモさんに連絡してください。千種学園への警戒を解いて、全車両で救助を……」

《ふおおおぉぉっ! イロハちゃん最高〜ッ ! ! 》

 

 毅然として下そうとした命令は、突如レシーバーに飛び込んできた大声によって途切れた。思わずキューポラの上で仰け反ってしまう。麻子など操縦席から飛び上がり、頭をハッチへぶつけそうになった。その声の主が相楽美佐子だということは考えるまでもなく分かった。

 

《ちょっ、美佐子さん! こんなときに抱きつかないで!》

《イロハちゃんが隊長で良かった! イロハちゃん大好き! 結婚しよ!》

《や、止めっ! 力入れすぎ! 苦しいって!》

 

 以呂波に力強く抱きつく美佐子と、義足をばたつかせてもがく以呂波。狭い戦車内で展開されるそんな光景が、みほたちの脳裏にありありと浮かんできた。

 

《こりゃ、みさ公。まだ非常回線が繋がったままなんだから、変なことを言うんじゃないよ》

《え!? お晴さん、早く切ってください!》

《いやいや以呂波師匠、せっかく名演説を打ったんだから。ここはもう少し何か言っておきな。いっそ選挙カーみたいに、みんなで顔を出して手を振りながら……》

《お晴さんが一人でやってくださいよ! オープントップの戦車にでも乗って!》

《屋根のない戦車? ……やーねぇ》

 

 オチをつけた上で、通信が切られた。

 それから少しの間をおいて、IV号の車内には哄笑が響くのだった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
展開上の都合もありますが、会話文がちと多くなってしまった感が……。
とりあえず前々から書く予定だったシーンをようやく書けました。
ご感想・ご批評などよろしくお願いいたします。

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