ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道   作:流水郎

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大打撃です!

 大戦中、ヨーロッパ戦線では虎恐怖症(ティーガー・フォビア)という言葉があった。ティーガーI重戦車の脅威を目の当たりにした連合国の戦車兵が、角ばった形状の物を反射的に砲撃したり、他のドイツ戦車をティーガーと誤認して逃げ惑うなど、恐慌状態に陥ったという。

 そのような神話から、ティーガーが盲目的に高く評価されているのも事実だ。どんな戦車にも欠点はあるし、そもそもこのような重戦車はドイツ軍の機動戦ドクトリンから外れた存在なのだ。しかし熟練した乗員の操る虎が、相手にこの上ない恐怖を与えることも、また事実だ。

 

 真の猛虎になり損ねたポルシェティーガー、それも脚を損傷した手負いの虎であっても。

 

「いけるかな……?」

「大丈夫。落ち着いてかかれば仕留められるわ」

 

 友人たちを励ましつつ、大坪がポルシェティーガーを見やる。幅広の履帯は弾け飛び、外れた大径転輪が地面に転がっていた。しかしその無骨かつ重厚な姿は尚も威圧感を放ち、88mm砲をこちらへ指向している。手負いの獣の覚悟が見えた。

 通常なら側背を取るべきだろう。ティーガーとて全体の装甲が分厚いわけではない。ましてや履帯を損傷している。弱点を狙える位置へ回り込めば、確実に仕留められるはずだ。

 

 しかし大坪はそう考えなかった。ガス・エレクトリック方式という特徴を活かした、ポルシェティーガーの緊急加速装置。回数制限はあるが、それが砲塔の高速旋回にも使えるということを、改良を手伝った出島、椎名たちから教わったのだ。走行が電気モーター式なら砲塔旋回も同じであり、同じ仕組みで旋回を加速できる。現に準決勝ではそれを利用し、危機を脱した。

 トゥラーンIIIが側面へ回ろうとしても、88mm砲はその動きを追えるだろう。さらに周囲は林であり、長砲身の戦車で動き回るのは困難だ。そして時間をかけてはならない。すぐに仲間たちへ追従する必要がある。

 

 大坪は敢えて、リスクの高い選択を下した。

 

「正面装甲を抜くわよ!」

了解(ヨー)ッ!」

 

 乗員たちも覚悟を決めていた。ポルシェティーガーの精悍なシルエットに相対すると、トゥラーンIIIの姿は酷く不恰好に見えた。砲を40mmから短砲身75mm、そして長砲身へと換装したため、砲尾が天井につかえないよう砲塔を嵩上げしている。そんな間に合わせの改良のせいで、戦車の外観はあまり美しくない。加えて砲弾も大型になったため、搭載量はIV号戦車の半分程度だ。それでも大坪たちはこの戦車を愛していた。

 

突撃(タマダーシュ)!」

 

 操縦手がレバー二本を前に倒した。駆動輪が回転し、履帯が戦車を前に運ぶ。鋼の騎兵(ユサール)が歩み出した。

 例え正面装甲でも、至近距離から撃てば十分貫通できる。必要なのはそこまで踏み込む勇気と、相手の発砲に対する見切りだ。千種学園の誰もが、以呂波が練習試合で見せた射弾回避技術に驚嘆し、それを体得すべく訓練を重ねた。もっとも上手いのは船橋だったが、大坪とて苦手ではない。元々反射神経は優れているのだ。

 

 角ばった砲塔が回り、88mm砲がトゥラーンへと向く。その砲口をじっと見つめ、回避のタイミングを測る。

 僅かな時間が、酷く長く感じた。僅かな間の読み合いだ。

 

 砲口が黒い真円に見えた瞬間、大坪は操縦手の左肩を蹴った。

 刹那、砲声。大坪の眼前に大きな発砲炎が広がる。虎の咆哮が砲塔を叩き、乗員たちは咄嗟に受身を取った。凄まじい衝撃だった。車長用ハッチに手を着いて耐えながら、大坪はシュルツェンが後方へ吹き飛んでいくのを感じる。

 

 やられたか? 否、愛馬は脚を止めない。

 

 88mm徹甲弾とて、入射角が浅ければ簡単に弾かれる。大坪と操縦手の手綱捌きが一瞬早く、紙一重の差で回避が間に合ったのだ。砲塔右側面のシュルツェンは全てもぎ取られ、砲塔に描かれた千種学園の校章も削り取られている。装甲も凹んでいるが、貫通判定は出ていなかった。

 

「停止ッ! AP!」

 

 操縦手がブレーキをかけた。急制動の荷重に耐えながら、装填手は徹甲弾(AP)に手を伸ばす。虎は目と鼻の先だ。硝煙と陽炎の燻る砲口が間近にある。ツチヤは砲塔内に身を収めていたが、ペリスコープ越しにトゥラーンを見つめていることだろう。

 しかしこの距離なら、ポルシェティーガーの正面を貫通できる。履帯が切れている以上回避できないはずだ。

 

 平面の砲塔正面に、75mm砲を突きつける。

 装填手の拳が砲弾を薬室へ押し込み、鎖栓が閉じる。

 スイッチが押され、発射準備が整った。

 

「装填完了!」

撃て(トゥーズ)!」

 

 号令の直後、砲手が撃った。その一撃が虎を貫くと確信して。

 だが。放たれた徹甲弾は弾かれた。大坪のみならず、照準眼鏡を覗く砲手も目を見開いた。

 

 ツチヤら大洗自動車部の臨機応変さは流石だった。件の緊急加速装置を始動し、ポルシェティーガーの砲塔を一時方向へ回したのだ。つまり装甲を相手に対して斜めに向け、強制的に避弾径始を生み出したのである。斜めに着弾した75mm弾は正面装甲を滑り、虎の後方へと受け流された。

 車体を狙うべきだった。しかし後悔する時間もない。

 

「次弾装填! 急いで!」

 

 号令に弾かれるかのように、装填手は弾薬ラックの弾へ飛びつく。虎の牙が再びトゥラーンへと向いた。

 装填手が実包を抱え上げる。二両の戦車が牙を向け合う。

 

 砲弾が薬室へ収められた。

 

撃て(トゥーズ)ッ!」

 

 ポルシェティーガーは砲塔を旋回しながらの装填だったこと。そして75mm弾の方がいくらか軽かったことが、装填速度の差を生んだ。

 大坪の号令が先んじ、75mm長砲身が再び火を噴く。至近距離から放たれた一撃が、今度こそ虎の正面へ垂直に突き刺さった。

 

 砲煙が燻り、発砲で生じた陽炎が景色を歪める。それらがゆっくりと晴れたとき、ジャーマングレーの砲塔に確かな弾痕が穿たれていた。そして白旗が翻る。

 

《大洗・ポルシェティーガー、走行不能!》

 

 アナウンスを聞いたとき、大坪は自分が汗まみれということに気づいた。極短い時間ではあったが、互いに次の手を読み合いながらの攻防。以呂波や西住みほは幼い頃から、このような技術を磨いてきたのだろうか。凄まじい緊張感だった。

 されど、爽快。

 

「……行きましょう」

 

 ブレーキレバーを引いて片側の履帯回転を止め、信地旋回で向きを変える。そのままポルシェティーガーの脇を通り抜け、トゥラーンIII重戦車は走り去った。

 

「こちら大坪、ポルシェティーガーを倒したわ。澤さんたちを追撃するね」

 

 報告しつつ、後ろのポルシェティーガーを見やる。足を止められても、仲間を逃がすため立ち塞がった猛虎。その姿は敗れて尚堂々としていた。

 その姿に敬礼を送り、大坪は額の汗を拭った。

 

 

 

 

 M3リーと八九式。二両の逃避行の中、澤梓は虎が倒れたという報せを聞いた。悔しさに歯噛みするが、慌てて表情を取り繕う。丸山紗希が心配そうに自分を見上げてきたからだ。車長の態度はクルーの士気に影響する。

 

「西住隊長、今そっちに……」

 

 咽頭マイクに手を当て、状況を連絡しようとしたときだった。梓は左手側の木々の合間を見て、ハッと気づいた。そこに微かな土煙が見えたのだ。

 

「停止!」

「あいぃぃ!?」

 

 佳利奈が慌てて急ブレーキをかけた直後。砲声と衝撃がM3を揺さぶった。75mm砲弾が前面装甲を掠め、オリーブ色の塗装が削り取られる。

 梓らの頬を冷や汗が伝う。茂みが吹き飛び、その裏に潜んでいたマレシャル駆逐戦車の平たい姿が見えた。まさかこんなにも早く先回りしてくるとは。丸瀬の発案による迎撃機(インターセプター)仕様の駆逐戦車は、極めて迅速に展開していたのだ。先ほどまで車体を旋回させ、照準を合わせていたため、僅かに舞い上がった土煙で気づくことができた。

 

 マレシャルはすぐさま後退した。初弾で仕留められなかった以上、その場に止まって撃ち続けるには装甲が足りない。戦車乗りは諦めの良さも知らなくてはならないのだ。

 

「発進して!」

 

 梓もまた、反撃よりも脱出を優先した。自分たちが合流しなくては本隊も退避できないのだ。しかしそのとき、後ろを走っていた八九式が突然右へ転回した。

 

《ド根性ーーッ!》

 

 磯部の叫びの直後、国防色の八九式が緑の藪へ突っ込んだ。刹那、重い衝突音が響く。磯部は右の茂みにもう一両の駆逐戦車……SU-76iが伏せていることに勘づき、体当たりを敢行したのである。

 直感的な判断だが、それが正解だった。SU-76iはすでに発射態勢に入っていた。衝突によってオリーブ色の車体が大きく振れ、砲が火を噴く。砲手がすでに発射ペダルへ足をかけていたのだろう。放たれた76.2mm弾は狙った的から大きく逸れ、空を切った。

 

 そして磯部は尚も、愛車を敵へ密着させた。

 

《ウサギさん、早く行くんだ!》

 

 その声に、梓より先に佳利奈が反応した。アクセルを踏み込み、ずんぐりとしたM3リーが脱兎の如く加速する。彼女もまた直感で動くタイプだった。加えて磯部の声には強い覚悟があった。

 

 敵はまだ再装填中。その隙を狙って走り抜ける。

 梓は思わず後ろを振り返った。八九式はSU-76iに密着し、相手の攻撃から身を守っている。無砲塔のSU-76iはこうなると対処できないし、マレシャルも味方に密着している相手を撃つのは難しい。

 

 八九式はマレシャルへと砲塔を回し、撃った。しかし短い砲身から放たれた57mm弾は、マレシャルの深く傾斜した装甲に弾かれてしまう。それでも離れようとするSU-76iへ必死で食らいつき、抵抗を続けている。ウサギさんチームを逃すために。

 

《今度は私たちが食い止める! 走るんだ!》

「磯部先輩! どうしてそこまで……!?」

《あなたが副隊長だからだ!》

 

 その叫びに、梓はハッと我に返った。昨年度、みほから副隊長に指名されたとき、彼女は戸惑った。年長の磯部やエルヴィン、カエサルなどの方が良いと考えたのだ。しかしその当人たちもまた、梓を副隊長に推した。

 全ては自分たちが卒業した後のためである。梓に指揮官としての経験を積んで欲しいというのが、先輩たちの願いだった。

 

 最初は生徒会のプロパガンダや、その場のノリで始めた戦車道も、今や彼女にとって生活の一部となっている。そして来年は自分がその先頭に立つ。悲しんでいる暇はない。相手の隊長は自分より年下で、さらに隻脚というハンデを物ともせずチームを仕切っているのだ。

 

 負けてはいられない。ここで立ち止まるわけにはいかない。

 任された小隊を喪い、恥を忍んででも。

 

「……優季、煙幕張って……!」

 

 背後からトゥラーンのエンジン音が迫るのを感じ、号令を下す。梓は平静を保つよう努めた。しかしその声に混じった涙を、仲間五人は感じていた。これは戦争ではなく戦車道であり、撃破された仲間とも試合後にまた会える。だがやはり悔しかった。みほから小隊を任され、このような結果に終わることが。

 

 通信手席のスイッチが押され、車体後部から煙が吹き出す。佳利奈の操縦によって戦車は蛇行し、煙が左右に広がった。M3の操向装置は曲がる方向の履帯を減速させ、反対側を増速させる差動式だ。信地旋回はできないが、緩旋回は容易である。

 

 八九式が、それに描かれたアヒルのマークが、煙の向こうに消える。敵戦車の姿と共に。

 梓は袖で目元を拭い、前へと向き直った。M3リーは疾走する。自動車部のチューンナップにより、多少無茶をしてもエンジンは保つようになっていた。佳利奈はスピードを出したまま旋回を繰り返し、木や廃車を避けて猛進する。彼女もまた、目に涙を浮かべていた。

 

 

《……トスは上げた。アタックはあなたが》

 

 刹那、砲声。背後に重い音が響いた。

 続いて聞こえたのは、審判の声だった。

 

 

《大洗・八九式中戦車、走行不能!》

 

 

 

 

 

 

 

「……大打撃」

 

 次々と舞い込んでくる敵撃破の報に、以呂波は車内で笑みを浮かべた。今しがた砲弾を装填した美佐子もまた、彼女に明るい笑顔を向ける。

 

 大洗は前衛との合流を試みていた。それを阻止し、あわよくば大将首を取るため、以呂波の駆るタシュ重戦車は前進した。大洗の後衛には位置を変えながら狙撃を行うズリーニィI突撃砲、動き回って撹乱するカヴェナンター巡航戦車が付きまとう。西住みほの直掩に着いているのはルノーB1bisのみ。それも船橋の操るトルディ軽戦車に手を焼いている。

 

「目標、敵フラッグ車」

 

 林の中から敵を見やり、以呂波は冷静に命令を下した。立ち上る煙幕の中、時折光る砲火。砲煙も燻り、土煙が巻き上がる。射界は良好とは言い難い。ズリーニィIを駆る丸瀬からも、そう報告を受けていた。

 そんな中、澪は微笑さえ浮かべ、砲塔の旋回ペダルを踏んだ。車種によるが、大抵の戦車の砲塔はべダルを踏み込んで旋回させ、ハンドルで微調整する。また砲手がその操作を止めても、惰性で少し余分に旋回する。狙う場所で停止させるには技術が必要だ。

 

 しかし澪はペダルの操作だけで、土煙の中を走るIV号……正確にはその未来位置に照準を合わせた。これが初弾になるため、砲身の垂れを考慮して狙う。遮蔽物のない平原だが、煙幕と土煙で視界は悪かった。それでも澪の目は敵を捉える。

 

「撃て!」

 

 以呂波が命ずるほんの一瞬前、みほはIV号のキューポラからタシュの方を見ていた。

 撃発ペダルが踏み込まれ、電気式雷管で火薬に着火する。撃針を叩きつける機械式の撃発と違い、砲にブレが生じない。放たれた徹甲弾は後に硝煙と光を残し、目標のIV号戦車へと飛翔する。

 

 だがその一撃は、敵将を仕留めるには至らなかった。相手が急制動をかけたためである。75mm徹甲弾は虚しく空を切り、IV号戦車の正面を通り抜けていった。

 生物特有の勘や本能というものは馬鹿にできない力だ。ベジマイトなどは極端な例だが、これらは超能力の類ではない。歴戦を経た戦車乗りなら必ず持っているし、他のスポーツ選手でもそうだ。タシュはそこまで入念に偽装していたわけではないが、林の中から狙ってくる戦車の存在を、みほは察知できたのだ。

 

「……気づかれた。発進」

 

 さすがに以呂波は冷静だった。初弾を外したら突撃に移ると、予め決めていた。今回は彼女のタシュこそがフラッグ車であり、その姿を敵前にちらつかせることで注意を引くのだ。そうすれば相手の合流をさらに遅らせることができる。

 結衣が二本のレバーを倒し、アクセルを踏み込んだ。タシュが前進すると同時に、IV号戦車は砲塔を指向してきた。この状況下で迷わず反撃を試みるとは流石だ。

 

「来るよ。回避用意」

「いつでもいいわ」

 

 結衣もまた落ち着いていた。操縦手は車長の次に戦術的思考が必要になる。初陣では動揺を隠せなかった彼女も、今は強敵を相手に平常心を保っていた。操向レバーを握り、以呂波の号令を待つ。

 IV号の砲がタシュを狙う。二人の戦車長は目が合った。その瞳の間に何があるのか、それは当人たちにさえ分からない。互いに見つめ合いながらも、砲口の向きは捉えていた。

 

 今。

 

 車長の義足が肩を蹴った瞬間、結衣が左のレバーを引く。タシュが緩旋回した瞬間、IV号の砲塔がキラリと光った。

 砲声と暴風を伴い、タシュの脇を砲弾が通り過ぎていく。さすがに正確な射撃だったが、以呂波の回避もまた正確だ。しかし彼女はある違和感を感じた。

 

「……音が違う……?」

 

 僅かに眉を顰め、IV号戦車を見やる。以呂波の耳は気づいていた。今の砲声が、48口径75mm砲KwK40の音ではないと。準決勝に向けて合同訓練をした際、そろそろ砲身が限界に近い、という話をみほから聞いていた。近々新品に変えるとも言っていたが、同じ砲を使っているとは限らない。

 何か気になる。戦車隊長としての直感がそう言っていた。しかし砲の種類を見極められる距離まで接近するのは危険だ。フラッグ車であるタシュが撃破されれば、今までの調略も努力も水泡に帰すのである。

 

 だが幸い、適任者がいた。

 

「お晴さん、船橋先輩に連絡してください」

 

 話しながらも義足で結衣の肩を蹴り、戦車を旋回させる。敵へ接近しすぎないよう、距離を保つのだ。場合によっては再び林へ隠れることもできる。

 そして船橋には、危険な任務を命じなくてはならない。

 

「敵フラッグ車の戦車砲を、写真に撮ってください……と!」

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました。
ようやく更新できました。
ちょっと仕事が大変な時期でして。
もうすぐ新人が入ってくるから頭数は揃うんですが……。
それでも空いた時間で書いていきますので、よろしくお願い致します。

あと前回の活動報告にオリキャラのソウルネームを書いてみたりしたので(前から書いてあったけど)、お暇のある方はご覧ください。

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