各車両から送られてくる報告を聞き、以呂波は作戦の成功を信じた。このために兄の会社からシュトゥルムティーガーを一日だけレンタルし、偽情報を流した。試合前からこの『幽霊戦車作戦』は始まっていたのだ。
きっかけは休日に見たHe100戦闘機。メッサーシュミットBf109に敗れ、主力戦闘機の座を手にすることができなかった、マイナーな航空機である。しかし連合国では強力な新型戦闘機として認知されていた。多砲塔戦車NbFzと同じく、ドイツがプロパガンダとして盛んに喧伝したためだ。
千種学園にシュトゥルムティーガーがあると思えば、大洗は車両間隔を広く取るだろう。そして入り組んだ地形を選んで行動するだろう。つまり大洗を分断し、各個撃破する状況を作れる。
冷静に考えればおかしいと気づくはずだ。千種学園は比較的資金面に余裕はあれど、新興校故に戦車ばかりに金をかけられない。ハイスペックな車両をこうも立て続けに買えるわけがないのだ。380mm砲、それもロケット弾となれば弾薬代だけでも馬鹿にならない。しかし元から珍しい戦車ばかりを揃えている千種学園なら、今更シュトゥルムティーガーが加わったところで違和感は少ない。
そして西住みほたちにはカール自走臼砲の脅威が焼き付いている。さらに船橋というプロパガンダの名人がいれば、きっと彼女を出し抜けると踏んだのだ。以呂波の予想に反し、船橋はシュトゥルムティーガーを大々的に宣伝することはなかった。ただテレビ局の取材時にこれ見よがしに置いておくだけだったが、それでむしろリアリティが出た。
「上手くいったね、以呂波ちゃん」
「まだマクラが終わっただけですよ、お晴さん」
晴の賞賛に対し、落語に例えて答える。タシュの砲塔に腰掛け、機械仕掛けの義足と、すらりとした左足を投げ出していた。地図を手に戦闘の推移を見守りつつも、その佇まいはどこか優雅だ。木漏れ日の中に停車した戦車とその長い牙が、以呂波の凜とした風貌によく似合う。今の彼女を見て、欠損の痛ましさを感じる者はいないだろう。当人も義足を自分のトレードマークとして、極めてポジティブに考えていた。
しかし、いよいよここからが本番だ。以呂波は勢いをつけ、臀部を軸に体を回転させた。両脚をキューポラから砲塔内に下ろし、車長席に立つ。
「主力部隊は敵前衛を殲滅してください。丸瀬先輩は手はず通り敵後衛を迎撃し、可能な限り漸減を。IV号戦車は私が押さえます」
テキパキと指示を伝える。その顔には明らかな喜びの色があった。高揚しているのだ。これから西住みほと砲火を交えるのだから。
加えて、自分の戦車道を試す機会でもある。CV.35と共に回収したタールツァイ流戦車道の資料に、以呂波は一通り目を通した。記されていたのはいかにも騎馬民族らしい機動戦術だった。
迎撃が主体の一弾流に、機動力を生かした戦法が組み合わされば、より隙のない戦術展開が可能なはずだ。攻撃的な性質を帯びつつある自分の一弾流なら、尚更相性が良いのではと以呂波は踏んでいた。いくら短命に終わった流派だからと言って、一朝一夕で会得できるほど底は浅くない。本格的に練るのはこの大会が終わった後だが、今回の戦術にはタールツァイ流のエッセンスを加えていた。
そして高揚感を覚えているのは彼女だけではない。
「……五十鈴さんの戦車……撃ちたい……!」
澪が剣呑な言葉を漏らす。憧れの人物への敬意だった。照準に敵を捉えることに快楽を見出す彼女としては、一刻も早くあの名砲手と撃ち合いたいのだ。
「さすがの冷泉さんも驚くかしら」
そう言って微笑を浮かべたのは結衣だった。以呂波や澪たちがみほ、華などから多くのことを学ぶ中、彼女は同じ操縦士である冷泉麻子と今ひとつ噛み合わなかった。人間的に気が合わないわけではない。現に結衣は自分と大きく性格の異なる仲間とも、良好な関係を築けている。しかし『秀才』と『天才』の認識の差は大きかった。
それでも麻子との出会いは自分にとってプラスだったと、結衣は考えている。いずれ以呂波のように車長をやってみたいが、彼女の脚でいるうちに、あの天才に追いつきたい。操縦手としての目標ができた。
「イロハちゃん!」
美佐子が朗らかに笑った。彼女は常に前向きで真っ直ぐだ。以呂波も幾度となく、この笑顔に助けられてきた。
「会いに行こうよ、西住さんに!」
「うん。行こう!」
44Mタシュ。ハンガリーの鉄獅子が、前進を始めた。
そして以呂波の命を受けた丸瀬は、小高い丘に陣取っていた。大洗側も高台を警戒していたが、車高の低いズリーニィ突撃砲は視認しにくい。さらに農業学科チームが掘った掩体壕に入り、車体の下半分を隠した上に偽装網を被っている。『カニ眼鏡』と俗称される二股の砲隊鏡を頭上へ突き出し、敵との距離を図る。トレードマークの飛行帽とマフラーを身につけ、臨戦態勢であった。
河合の乗るカヴェナンターはとにかく動き回り、後衛があんこうチームに合流するのを防ごうとしている。敵の背後から迫ったソキもそれを支援しているが、三八式騎銃では威嚇にもならない。二式擲弾器も積んでいるが、外部からでなくては装填できないため、このようなときは使いにくかった。
ズリーニィの、長い牙の出番だ。
「距離1000m、ヘッツァーちゃんを狙え」
命令に従い、砲手が唇を舐めつつハンドルを操作する。箱型の戦闘室に据えられた75mm長砲身が、ポールマウントによって動く。亀マークのヘッツァーを照準器に捉え、やや上に狙いを合わせた。長砲身の砲は自重で垂れているのだ。一発撃つと熱膨張で真っ直ぐになり、二発目を撃つと逆に垂れが大きくなる。砲手はそれに合わせて照準を修正する必要があった。澪が頭一つ飛び抜けているが、千種学園の他の砲手も、それを可能とする練度を持っている。
「照準良し」
「装填完了!」
装填手が徹甲弾を砲尾へ押し込み、スイッチを押した。丸瀬はいつものように叫ぶ。
「FOX2!」
途端に、耳を劈く砲声。駐退した砲尾の閉鎖器が開き、空薬莢がトレーに転がり出る。
地面に水を撒いておいたため、発砲で土煙が舞うこともなく、良好な視界を保てた。砲口に陽炎が立ち上り硝煙が燻る中、丸瀬は砲隊鏡に敵ヘッツァーを捉えた。側面に強烈な一撃を受け、小ぶりな車体がぐらつく。重心が低いため横転こそしなかったが、75mm弾は薄い側面装甲を貫通していた。上面から白旗が揚がるのを、丸瀬はしっかりと見届けた。
「撃破確認!」
「どうする? まだ撃つか?」
「いや、位置がバレた」
操縦手の問いに短く答える。敵後衛の一両、アリクイさんチームの三式中戦車が、こちらへ砲を指向していたのだ。今の不意打ちでも発砲炎を確認してくるとは、さすが大洗、修羅場を潜っているなと感心する。いつまでも同じ場所には止まれない。
エルヴィンのIII突はカヴェナンターの突撃をいなしながら、なんとか西住みほに合流しようとしている。今のうちに移動し、射撃位置を変えるべきだ。幸い三木の九五式装甲軌道車ソキから、敵の位置の情報が得られる。
「側面をさらさず後退し、丘の稜線に引っ込め」
「了解」
慣れた手つきでギアを切り替え、操縦手はズリーニィIを後退させた。履帯が地面を踏みしめ、掩体壕から脱出する。
「戦車は宙返りできないが、バックできるのは飛行機より便利……」
減らず口を叩いた途端、ガツンと殴られたような衝撃が走った。鈍い金属音が響き、丸瀬たちは咄嗟に受け身を取る。弾を喰らったか……額に汗が浮かぶ。しかし幸いにも、彼女たちのズリーニィ突撃砲は脚を止めず、後退を続けていた。
「……非貫通?」
「そのようだ……」
訪ねてくる装填手へ笑みを向け、丸瀬はハッチから顔を出した。
発砲したのは三式中戦車チヌだった。九〇式戦車砲は日本戦車としては高威力だが、幸いにも厚さ100mmある戦闘室上面に命中していた。徹甲弾は主砲の右側に突き刺さり、装甲の厚みによって受け止められていた。近くのリベットが何本か、被弾のショックで弾け飛んでいる。戦時中にはこうして外れたリベットが車内を跳ね回り、乗員を殺傷することもあった。競技用戦車では安全対策が為されているため、リベット留め装甲のデメリットは軽減されている。
撃破判定は出なかったものの、丸瀬は再び舌を巻いた。三式中戦車は照準と撃発を別々の乗員が担当する構造で、扱いが難しい。それにも関わらず、前方投影面積の小さいズリーニィへよく当てたものだ。乗員・アリクイさんチームの練度が伺える。
周囲を入念に警戒しつつ後退を続け、稜線を越える。古き時代の戦闘機乗りがマフラーを巻いていたのは、『首が飛行服の襟に擦れるのを防ぐため』という意味があった。つまりそのくらい念入りに周囲を見回さなくてはならない、ということだ。周辺警戒が重要なのは戦車乗りも同じである。
航空学科の丸瀬は戦闘機の戦いと戦車戦を時折混同する。しかしその発想は時に良い結果を生むこともあった。特にエンジン不調が死に直結する飛行機乗りなだけあって、整備点検の徹底ぶりは以呂波からも賞賛を受けた。
さらに彼女たちは愛車に加速力重視のチューンを施し、
「信地旋回で反転。稜線に隠れつつ、敵の背面へ回り込む。大坪たちの所へ行かせるな」
時を同じくして。
大坪らに待ち伏せされた大洗前衛部隊は、激しい砲火に晒されていた。潜んでいたのはトゥラーンIII重戦車だけではない。マレシャル駆逐戦車、そしてSU-76iも
鋭い反射神経で初撃を回避したものの、M3、八九式、ポルシェティーガーの三両は挟撃を受ける形となった。みほから合流の指示を受け、小隊長たる梓が命令を下す。
「横道へ逃げます! レオポンさんは煙幕を!」
《了解!》
《了解、副隊長!》
八九式はブレーキレバーを使った信地旋回で、M3は緩旋回で右へ転回する。枯れ木を履帯で踏み倒しつつ脱出を図る。ポルシェティーガーは後部から煙幕を噴射しつつ、敵に正面を向けたまま後退した。重装甲で盾になろうという判断だ。
しかしジャーマングレーの車体が煙へ身を隠した直後、断続的な銃声が響いた。アンシャルド軽戦車だ。一度退いた後戻ってきたらしい。シュワルツローゼ機関銃から放たれる曳光弾が、光の雨となって煙幕の中へ飛び込む。
梓はハッとした。曳光弾がポルシェティーガーの装甲に当たって跳弾し、光が煙の中に弾けていたのだ。つまり、そこに戦車がいるという目安だった。
SU-76iが発砲。T-34/76とほぼ同じ主砲のため、ティーガーを相手にするには貫通力が足りない。
しかし曳光弾を頼りに放たれた一撃は偶然にも、虎の脚を捉えた。鈍い音とともに金属片が弾け飛ぶ。
「ツチヤ先輩!?」
《履帯やられたっぽい。できるだけ粘るから逃げて~》
いつも通りの無頓着な声だった。しかしツチヤは覚悟を決めていた。ポルシェティーガーの88mm砲が敵へ向いていれば、動けなくとも牽制にはなる。梓たちが逃げる時間を稼げるはずだ。
しかし梓の心には躊躇いが浮かんだ。
仲間を見捨てて行くのか?
それも火力・装甲では自軍でトップの、ポルシェティーガーを。
しかし敵前で履帯の修理など不可能だし、牽引して逃げ切ることもできない。
《澤副隊長! 迷うなッ!》
インカムに響いた怒号が、彼女の悩みを吹き飛ばした。どきりと心臓が跳ね、反射的に声の方を見る。八九式のキューポラから顔を出した磯辺が、拳を掲げて見つめていた。アヒルさんチームはM3を追い越さず、背後について守っていたのだ。
《このままでは共倒れになる!》
「……そうですね」
梓が決心を固め、それを察した阪口佳利奈がアクセルを踏み込んだ。M3リーの異形の車体が加速し、それに八九式が続いた。
「全力で西住隊長との合流を目指します! ジグザグに動きながら煙幕を!」
二両は回避運動を取りながら、煙に紛れて遁走を図った。背後で88mm砲の咆哮が聞こえる。
ふと、梓の脳裏にある人物の姿が浮かんだ。
大学選抜との戦いに駆けつけてくれた、かつての敵手の一人。仲間たちの自己犠牲によって窮地を脱した、あの小さな暴君のことを。身長に比して態度の大きい彼女が、その後は別人のように萎んでいた。
「……こんな気持ちだったんだ」
自分の無力さ。心苦しさ。仲間の笑顔の眩しさ。
それらを噛みしめつつ、梓はみほたちの元を目指した。
……マレシャル駆逐戦車、SU-76iはズリーニィと同様、
挟撃で敵を仕留められなかった際の計画も、予め立てられていた。強化された加速力を以って、無砲塔戦車二両は先回りして第二のキルゾーンへと向かう。
手負いの虎を仕留めんとするのは、ハンガリーの駿馬だ。
お読みいただきありがとうございます。
シュトゥルムティーガーの活躍を期待してらした方には申し訳ありません。
オリ主が原作キャラを策に陥れるというのは、人によっては許し難いことだろうと思うので、『戦いの前から自軍有利の状況を作っておく』という形になりました。
次回もお楽しみにしていただけると幸いです。