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たまには休みます!
休日の朝ほど、早く目が覚めてしまう人間もいる。相楽美佐子もそのタイプで、まだ寝ている同居人たちを起こさないよう、静かに布団から抜け出す。ただこれが少々難しく、まずは自分に抱きついている結衣と澪を引き離さねばならない。同居を始めたとき、美佐子の寝相があまりにも悪いため、二人がかりで押さえつけて寝るようになったのだ。
どうにか脱出したとき、結衣がとろんとした半眼で美佐子を見たが、再び目を閉じて眠った。時間はまだ六時。昨日の試合の疲れもあるだろうし、この分ではみんなもうしばらく寝ているだろう。
昨日の戦いを思い返しながら、美佐子は寝間着のボタンを外し始めた。天気は良さそうだし、散歩でもしてこようと思ったのだ。だがそのとき、並んだ布団の中に三人しかいないことに気づいた。結衣、澪、晴……以呂波の姿がない。
玄関の方でコトコトと足音がした。義足の音だと分かった美佐子は、着替えを中断して部屋から出た。
「イロハちゃん」
靴を履こうとしていた隊長にそっと呼びかける。だが次の瞬間には驚いた。以呂波の目が赤くなり、その下にクマができていたのだ。
「あ……おはよう」
「イロハちゃんどうしたの、その顔!?」
疲れた顔で笑う友人に、美佐子は思わず駆け寄る。以呂波はきょとんとした表情を浮かべた。
「……何かついてる?」
「目の下にクマできてるよ! ちゃんと寝たの!?」
その言葉を聞いて、ようやく合点がいったような顔をする。自分では気づいていなかったのだ。
「決勝戦の作戦、いろいろ考えてたら……いつの間にか朝になっちゃって」
「徹夜!?」
「まあ……平気だよ」
言葉とは裏腹に、口調にはいつもの精彩がなかった。初めて出会ったときの、廃人同様の彼女よりはまだまともだが、とても健康には見えない。やはり本人は気づいていないのか、それにも関わらず靴を履いてでかけようとしていた。最新式の機械義足とはいえ、履ける靴は限られている。底のフラットな、転びにくく負担の少ない靴を選んでいた。
「ちょっと、図書館で戦術論の本とか見てくる」
「こんな時間じゃ開いてないよ!」
美佐子は親友の肩を掴んだ。
「うん、開館まで眠気覚ましに散歩してくる。美佐子さんも散歩行くなら、一緒に……」
「それどころじゃないでしょ! 寝て!」
ぴしゃりと言い放ち、以呂波を取り押さえる美佐子。相手が障害者であることを除いても、元より力も体格も美佐子が上だ。すぐさま生身の足から靴を脱がせ、義足に履かせようとしていた靴も奪い取る。
そして持ち前の腕力で、以呂波の体をひょいと持ち上げた。
「ちょ、ちょっと、美佐子さん。大丈夫だよ……」
「大丈夫に見えないったら!」
美佐子の剣幕に気圧され、以呂波は抵抗できないまま寝室へ運ばれた。大声で騒いでいたため、他の三人はすでに目を覚ましていた。
「どうしたの?」
結衣が尋ねる。眼鏡をかけていないこともあり、表情は大分眠そうに見えた。しかし面倒見の良い彼女はある程度状況を察したようで、心配そうに以呂波を見ていた。
「イロハちゃん、寝てないんだって! ずっと作戦考えてたって!」
「ああ……」
顔のクマを見て、結衣は全てを理解した。昨夜、遅くまでノートを手にパソコンへ向かい、あれこれとシミュレーションを行っていたのだ。適当に切り上げて寝るから、と言うので結衣たちは先に寝たのだが、以呂波は結局夜通し作戦を考えていたのである。
「一ノ瀬さん、根詰めても体壊すだけよ。一先ず休みましょう?」
「いや、本当に大丈夫だって。家にいたとき、夜戦の練習で徹夜したことあったし……」
布団の上に降ろされた以呂波だが、すぐに立ち上がろうとする。以呂波がこうまでも必死になるのは、次の相手が西住みほだからだ。変幻自在な戦法に加え、こちらの手の内をある程度知られている。今までとはまた違った作戦計画が必要なのは確かだ。特に姉からアドバイスされた『天の時』……情報戦における優位確保について。
しかし仲間たちは当然、彼女を放っておけるはずがない。澪が突然、以呂波の腰へ飛びついてきた。着ているパジャマが犬の着ぐるみなので、一見じゃれついているようにも見える。しかしその手がベルトの留め具を外そうとしたので、以呂波は慌てた。
「み、澪さん!? 何を……?」
「……義足、外すの」
真剣そのものの表情で、ジーンズを脱がしにかかる澪。以前の彼女からは想像できない、有無を言わせぬ口調だ。
結衣がため息を吐いた。
「それが良さそうね。美佐子、一ノ瀬さんを押さえてて」
「ほいきた!」
「ちょ、ちょっとぉ……!」
三人がかりでズボンを脱がせようしてくる親友たち。以呂波は抵抗するも、美佐子に羽交い締めにされてしまう。
「こら、もうお止し」
晴がゆらりと立ち上がり、後輩たちを制止する。寝起きのため髪も結っておらず、赤みがかった茶髪を背中に垂らしている。着ているものは紺に近い青色、いわゆる「花色木綿」の甚平だ。いつもの扇子を片手に、柔らかな笑みを浮かべて以呂波を見つめる。
「みんなの言うことを聞いときな、以呂波ちゃん。大分酷い顔だよ」
「いえ、本当に平気です。いよいよ西住さんと戦うんですから、早く作戦を……」
そのとき。
パチン、と乾いた音が、以呂波の言葉を遮った。晴が彼女の頭を、扇子で軽く叩いたのだ。
「今は大丈夫かもね。で、試合の日までそんな風に根詰めてたら、どうなるんだい? 事故を絶対に起こさないって、自信を持って言えるかい?」
相手の目の前に屈み、語気を強めて語りかける。その表情からは珍しく、笑みが消えていた。結衣たちも思わず手を止め、じっと晴を見る。
以呂波は言葉を詰まらせた。重戦車も、砲弾も恐れない彼女が、気圧されたのである。晴はいつものおどけた様子から一変し、風貌がガラリと変わったようにさえ感じられた。
何も言い返せない以呂波に対し、晴は扇子をすっと伸ばした。彼女の右脚……ジーンズの中にかくれた義足を、扇子の先で軽くつつく。
「こういう体にならないように……あんた、いつもあたしらにそう言ってるよね? そのくせ自分の体はもうお構いなしってのは無責任じゃないか。体調管理も自分の仕事だよ」
「……ごめんなさい」
出てきた言葉はその一言のみだった。他に何も言えなかったのである。晴の言葉は心に深く突き刺さっていた。その場がたまらなく居心地が悪くなってくる。幼少期、親に怒られたとき以来の気持ちだった。
だがその後、晴の表情がふっと和らいだ。空いた手を以呂波の頭に伸ばし、先ほど叩いた所を優しく撫でる。
「どうすれば勝てるか考えるのも、楽しくて仕方ないんだろ。あたしも稽古してたら夜が明けちゃったことがあるよ」
だけどね。そう言って、晴は手にした扇子を広げた。白い紙に太い字で『戦車道楽』と書かれている、愛用の品だ。チームに加入してから、無地の扇子に自分で書いたものらしい。最初は本人の態度と相まって、以呂波はふざけている印象を受けた。しかし理解の深まった今では、この噺家通信手のトレードマークとして受け入れている。
「『どうらく』ってのは『道を楽しむ』と書くけど、『道に落ちる』と書いても同じように読むんだ。いくら戦車道が楽しくても、自分の足元だけはちゃんと見ておくれ」
「……申し訳ありません。落ちかけていたようです」
頭を下げる以呂波に、晴はふふっと笑みを漏らす。
「以呂波ちゃんは真面目すぎるんだよ。たまには寄席にでも行って頭を柔らかくしな。『たまには』だよ、しょっちゅう行ったら馬鹿になるからね」
いつもの調子に戻り、寝室から出て行く晴。トイレだろう。
「……お晴さん、やっぱり先輩ね」
結衣が感心したように呟く。普段あまり年上振らない晴だが、今回は年長者らしく振る舞った。落語で様々な人物を一人で演じているせいだろうか、必要があれば自分の役割を変えることができるようだ。
以呂波は深く反省した。晴の言う通り、道に落ちかかっていたのだ。チームの指揮を任されてからというもの、右脚を失う前よりさらに努力し、さらに戦術と腕を磨こうとした。その原動力となったのは、戦車道という自分の道と、戦車という鉄の脚を取り戻せた喜びだ。だが楽しみのあまり、自分を省みることが減っていた。
「みんな、ごめんね。私、調子に乗ってた」
「寝よ、イロハちゃん」
美佐子に優しく言った。強引に昼食に誘ったあの日以来、彼女は一番間近で以呂波を支えてきた。秋山優花里と出会ってから、それも装填手の仕事であるという信念が一層強くなっている。
服を脱ぎ、義足を外し、寝巻きに着替える。以呂波が布団に潜り込むと、結衣と澪も安心して再び横になった。すでに目が冴えていた美佐子も、以呂波の隣に寝ることにした。
こうしてしばらくの間、四人は静かに寝息を立てた。晴一人はぶらりと散歩にでかけ、八時頃に帰ってきた。その頃には以呂波以外は起床して朝食を作り、以呂波も九時過ぎには起きて友人たちの手料理を食べた。若さもあってか、さすがにずっと寝てはいられないようだが、顔には少し元気が戻ってきた。
その後、テレビなどを見ながらのんびりとした時間を過ごす。互いを動物に例えたりもした。澪は猫、美佐子は大型犬、結衣は白鳥、以呂波は戦車道での戦いぶりからフクロウ。晴は狐か狸がお似合い、などなど。
だが元々戦車道を通じて成り立った友情だけに、話題は自然と戦車へ流れた。
「カヴェナンターとかT-35みたいな変な戦車って、アノマロカリスとかオパビニアとか、カンブリア紀の生物に通じるインパクトがあるわ。二次大戦中の戦車の進化を恐竜に例える人がいるけど、どちらかというとカンブリア爆発に近い気がするのよ。偏見を改めて調べてみれば、欠陥兵器も大の専門家が大真面目に作ったものだし、その結果にもちゃんと理由があるのよね。まだ何処の国も手探りで、どんな戦車が強いか……というより、使えるかを模索してたんじゃないかしら。でも軽戦車、重戦車、豆戦車みたいな分類が絶滅して、センチュリオン巡行戦車がMBTに進化して今に続いているのは、恐竜と鳥の関係に近いようにも……」
結衣が語る持論を、以呂波は真剣に聞いていた。一方の美佐子はその『オパビニア』なる生物の絵をネットで探し、爆笑していた。
澪は一人自分の世界に入り、ロボット工学の本を読みふけっている。時折以呂波の義足を見つめ、二足歩行ロボットの構造図と見比べていた。彼女がこのような分野に興味を持ったのは最近のことだ。
こうしてしばらくは家で、大人しく休養していた。しかし十二時前、隣の部屋で落語の稽古をしていた晴が、
「殿様の前に出されたサンマ。炭の中に放り込んで豪快に焼いた、真っ黒な代物。その匂いの香ばしいことといったら、すきっ腹にはもうたまらない。今の冷凍ものとはワケが違う。殿様、生唾飲み込んで箸を取り、真っ黒な皮をちょっと破ってみると……これが複合装甲というヤツ、皮の下には真っ白な脂身の層がある。身をつまんで口に入れた途端、その脂がトローッ……身から汁がジュワーッ……」
などとやり始めたため、空腹を覚えた以呂波たちは少し早いが、近場の食堂へ向かうことにした。
「火事、凄かったみたいだね!」
「ええ、怪我人がいなくてよかったわね。会長たちも無事で」
五人で道を歩きながら、昨日の出来事を話す。ビッグウィンド消防車の活躍はすでに、彼女たちの耳にも入っていた。近々テレビ局の取材が入るらしい、という噂も聞いている。今頃は船橋が張り切っていることだろう。
美佐子はまだ以呂波が心配なのか、久しぶりに肩を貸している。迷惑をかけた負い目もあり、以呂波は素直に彼女の厚意を受け入れた。
「さて、何を食べようかね」
「ここはサンマでしょう」
そんなとき、大人しく歩いていた澪が空を見上げた。迫ってくる爆音に気づいたのだ。折しも一機のレシプロ機が、尾翼の舵を一杯に上げて急上昇するところだった。液冷エンジンらしい流線型の機体で、視力の良い澪には主翼が緩やかな逆ガルであることが分かった。主翼前縁部は直線で後退角がない。戦闘機的なシルエットだが、赤と白を基調とした派手な塗装を施され、翼には千種学園の校章が大きく描かれている。
エンジンを吹かし、戦闘機は重力に逆らって上昇する。途端に翼の付け根から白い蒸気が尾を引いた。
「航空学科のレース機ね。ハインケルHe100」
丸瀬先輩から教わったの、と結衣は微笑む。航空学科は男子生徒を中心に、『女子ばかりに良い格好させるな』と、エアレースなどに気炎を上げていた。He100は天高く昇りながら、学園艦の上空から離れていく。恐らくテスト飛行だろう。
「あの煙……何……?」
「蒸気よ。冷却水が気化してエンジンを冷まして、その蒸気が翼に送られて、風で冷やされて水に戻るの」
好奇心旺盛な結衣は丸瀬から話を聞いた後、表面冷却という仕組みについて自分で調べていた。戦車には絶対に使われない冷却方式である。極めて簡単に言ってしまえば、翼自体をラジエーター代わりにする構造だ。これならラジエーターを機体に外付けする必要がなく、空気抵抗の面で有利となる。
しかし被弾率の高い翼をラジエーターにしてしまうのは、戦闘機の構造としては難がある。He100は元々戦闘機として開発されたが、結局速度で劣るメッサーシュミットBf-109に敗れ、不採用となった。
「戦車も飛行機も、変わったのを揃えてるねぇ」
遠ざかっていく機影を見送りながら、晴は愉快そうに笑う。彼女は戦車にしろ戦闘機にしろ、大量生産されて大活躍した傑作機よりも、埋もれた無名のメカに心惹かれるタイプだ。そうした兵器がどこか落語的に思えるのだろう。
「戦闘機としては不採用になりましたけど、別のことで戦争に使わていたんですよ……」
無名戦闘機の顛末を語る結衣。小さな点となったHe100を見つめながら、以呂波は友人の話に耳を傾けた。最初はぼんやりと聞いていたが、やがてはあることに気づいた。
決勝戦の勝利のヒントが、その話の中にあることに。
相手の情報を掴むだけが、情報戦ではない。頭の中で作戦を組み立てるが、その作戦には船橋の協力が不可欠だった。連絡せねばならない。
だが今は、まず昼食だ。少なくとも今日は休日を満喫するべきだろう。
道に落ちないように。
お読みいただきありがとうございます。
これから決勝、対大洗戦です。
今回以呂波の弱点といえることも出ました。
そして次回あたり、晴について明らかになることが出てきます。
決勝までの準備はそれほど長くならない予定です。
ただ大洗側の描写も入れたいので、何話か挟むことになります。
ご感想・ご批評等ございましたら、よろしくお願いいたします。