「倒し……た……!?」
三木は惚けたような目で、ソキの砲塔から顔を出す。E-100超重戦車の白い巨体から、小さく煙が燻っていた。彼女の撃った小銃擲弾が当たった上面装甲である。それ以外はほとんど無傷で、せいぜい塗装が剥げている程度。しかし40mm成形炸薬弾のメタルジェットは確かに上面装甲を貫通しており、上がった白旗が風に靡いていた。
銃眼に据えられた三八式を握る手が、小刻みに震える。ニカワを塗ったかのように銃に張り付いていたその手をゆっくりと引き剥がし、三木はふーっと息を吐いた。
双眼鏡を振り回しながら、北森が駆け寄ってきた。観測手を務めていた彼女も緊張から汗だくになり、それでも満面の笑みを浮かべていた。
「三木! 大手柄だ!」
「北森さん、やりました!」
喜びを分かち合う二人。鉄道部チームとしては初の撃破戦果、それも大物だ。狂喜するのも当然と言えるだろう。
だがエイハブ船長の声が聞こえた瞬間、戦いがまだ終わってないことを思い出した。
《本隊の援護に向かいます! 動ける車両は続いてください!》
以呂波の命令を聞いて、突撃砲小隊で唯一無傷だったズリーニィは撤収の準備を始めた。クーゲルブリッツはE-100が撃破された瞬間、即座にハッチから発煙筒を放り出して逃げた。生かしておくと厄介な相手だが、今は追撃に手を割くことができない。八九式とSU-76iが撃破され、III号突撃砲は足をやられた。大坪のトゥラーンは訳あって敵の前に出せないため、タシュとズリーニィ、そしてソキで西住隊の救援に向かわねばならないのだ。
丸瀬たちはてきぱきと偽装網を畳みながら、鉄道部の戦果を讃えていた。同じ白菊航空高校出身者であるため、彼女たちの喜びもひとしおだ。動かなくなったE-100の巨体を眺めつつ、作業の手を止めずに語り合う。
「緊張したわね。米軍の重爆撃機に挑んだ日本軍のパイロットも、こんな感じだったのかしら」
「私の親類にもB-17やB-29と戦った人がいるが、それよりは遥かにマシだ。超重戦車は雲霞の如く押し寄せてきたわけではないからな」
砲手の言葉に正論を返しながら、丸瀬は丸めた偽装網を車体後部にくくりつけた。木の葉や枝を多数つけたネットで、一弾流においては常備品と言ってよい。
「B-29は間違いなく傑作機だったが、それでも乗員たちは日本軍の迎撃を恐れていた。航空機にしろ戦車にしろ、完璧な兵器など存在しないし、作れもしない。人間の作った物は必ず壊せる」
乗り物に一家言ある丸瀬の結論は、E-100の存在を知った際の澪の言葉と同じだった。当然ながら、彼女が戦略爆撃機B-29を傑作機と評するのは純粋に航空機として見てのことである。人道的なことは別として、同機の搭載した排気タービンエンジンや与圧室、空調設備などはその後の航空技術の発達に大きく寄与した。これは異論を挟む余地もない事実なのだ。航空機自体を人道に対する罪に問うことはできないと、丸瀬は考えている。
偽装網をしっかり固定し、乗員たちは車内へ戻る。エルヴィンが近くまで来ていた。軍帽のずれを直し、車上の丸瀬を見上げる。
「マルセイユ、我々もすぐに履帯を修理して追いつくからな」
「ええ。お待ちしております、将軍」
互いに敬礼を交わした後、ズリーニィは発進した。暗緑色の迷彩で塗られたリベット留め車体が、長い砲身を揺らしながら走り出す。戦闘室の形状が車高の低さと相まって、亀が這っていくような姿に見えた。
排気を避けて背を向けたエルヴィンは修理を行うべく、自分の車両へ駆け戻る。しかしどうしたことが他の乗員たち……カエサル、左衛門佐、おりょうの三名は工具を手にしたまま、破損箇所を見つめ立ち尽くすばかりだった。大口径榴弾の爆発で履帯が切れ、割れた転輪はすでに車体から取り外されている。だがそれ以上の修理をする様子はない。
「おい、どうした!?」
「力は山を抜き、気は世を覆う」
カエサルが項垂れつつ唱えた。続けて他二名も同調する。
「時利あらずして騅逝かず」
「騅の逝かざるを奈何すべき……」
彼女たちの中に中国史の専門家はいないが、国語の教科書に載っている程度の漢詩は知っている。楚漢戦争末期、追い詰められた項羽が作った歌だ。
「何があった?」
問いかけると、カエサルは苦渋の表情で、地面に転がった転輪を指差した。分厚い鉄の円盤だが、真っ二つに割れている。エルヴィンがよく見てみると、それは車体後部に積んでいた予備の転輪だと気付いた。さらに、予備履帯にも亀裂が入っていた。
「降ろしたらこうなったぜよ。砲撃戦で損傷していたと見える……」
おりょうも悔しそうに語る。戦車の内部はスペースが非常に限られているため、工具や予備のパーツは車外に剥き出して積んでおくことが多い。予備履帯などはときに増加装甲の代わりにもする。だがそれ故、戦闘中に備品が破損することも多々あるのだ。そして予備を大量に積んでいるわけではない。
つまり修理不能。撃破判定こそ出ていないが、戦線復帰は不可能である。その事実にエルヴィンは目を見開き、悔しさに拳を握りしめた。
愛馬が前へ進まないのであれば、どうしようもない。
「……虞や虞や、若を奈何せん……!」
遠ざかっていく味方車両のエンジン音を聞きながら、仲間たちへの申し訳なさで震える四人。だがその後、彼女たちの耳に別の声が聞こえた。
「将軍さん! 将軍さーん!」
エルヴィンがはっと振り向く。木々の合間に見えたのは転覆したオリーブ色の自走砲。そしてそこから這い出して手を振る、去石の姿だった。
……決号・ドナウ連合はE-100撃破の報を聞き、攻撃の手を強めた。以呂波はすぐこちらへ駆けつけてくるだろうし、恐らくすぐにホリ車の狙撃地点に気づくはずだ。千鶴は妹の勘の良さをよく分かっていた。虹蛇女子学園のベジマイトほどではないが、一弾流をよく知る以呂波ならすぐ勘付くだろう。
だが西住みほの率いる大洗女子学園チームはよく守っていた。履帯を破損したポルシェティーガーの周囲に煙幕を張りつつ、相互支援を行いながらドナウ高校の攻撃を凌いでいた。地の利を上手く活かし、稜線射撃を繰り返している。トルディとマレシャルに相手の側面を襲撃させ、撹乱も行っていた。
しかし千鶴たち決号隊が逆方向から現れたとき、大洗のヘッツァーが被弾した。射線の方を見ると、トラビのKW-1が側面に回り込んでいた。良好な傾斜を持つとはいえ、長砲身75mmで側面を撃たれてはひとたまりもない。亀マークのヘッツァーに白旗が上がる。ドナウの戦術ではKW-1改が重装甲を以って陣頭に立つのが基本だが、今回は味方のIV突を囮として敵を引きつけ、単独で敵の側面を突いたようだ。
《ほい、一丁上がり!》
「さすがだな、トラビ」
賞賛しつつ、千鶴は操縦手の左肩を蹴った。五式中戦車チリがぐっと旋回した途端、砲弾が地面を叩いた。着弾の衝撃音の直後、発射音が追うように聞こえてくる。マレシャルによる狙撃だ。
「全車、突撃に進め。柳川、発砲炎は見えたか?」
《視認しました! 煙幕弾、用意良し!》
砲戦車隊の指揮官から答えが返ってくる。千鶴は即座に発砲を許可した。二式砲戦車ホイは砲塔を回し、固定戦闘室の三式砲戦車ホニIIIは車体ごと旋回して、今しがた撃ってきた方向へ砲を向ける。計三両の砲戦車から発煙弾が放たれ、敵との射線上に着弾。白い煙が立ちこめた。
敵味方双方が煙幕を多用する中で、千鶴とトラビはしっかりとターゲットを見据えていた。車高の高さ故稜線射撃に向かないM3中戦車はポルシェティーガーの側面を守っている。それより千鶴側に近い位置に、アリクイマークの三式中戦車チヌがいた。相手は気付いたようで、駐退機が剥き出しになった75mm砲が千鶴を狙う。
「チヌ車がこちを狙っている。『後の先』を取るぞ」
千鶴は砲弾の飛び交う中、敵の砲口を見定めた。それが黒点になった瞬間、急制動を命じる。操縦手がブレーキをかけた刹那、未来位置を狙って放たれた砲弾は空を切った。
その直後、チリ車の半自動装填装置が作動する。現代の技術で問題点を除去されたこの機械はスムーズに動き、装填腕が徹甲弾を薬室へ押し込んだ。
「撃て!」
号令に従い発砲。撃発の音と共に発砲炎が光り、徹甲弾が三式中戦車めがけて叩きつけられた。正面装甲を貫通され、車体がぐらりと揺れる。カウンターが決まった。
《大洗・三式中戦車、走行不能!》
「敵とはいえ、チヌを撃つのはいい気分じゃねぇな……」
アナウンスを聞きながら小声でぼやく。三式中戦車の頭でっかちな砲塔から白旗が飛び出していた。
「西保車、M3を殺れ」
千鶴は即座に次の指示を出す。M3中戦車は集団で来襲した決号に対処しかねていた。車体に固定された主砲は射角が狭く、旋回する副砲でも敵を捌ききれない。履帯を破壊されたポルシェティーガーから茶髪の車長が顔を出している。その少女……ツチヤは千鶴に気付き、砲手に何か指示しているが、問題にはならない。ポルシェティーガーの主砲は反対側を向いており、あの鈍重な砲塔を真後ろへ向けるには時間がかかるだろう。余裕で一両を撃破し、回避運動を取れるはずだ。
《了解、アネさん》
命令を受けた四式中戦車チトの一両が、M3の側面を狙うべく砲を指向する。そのパーソナルマークである、凶悪な目つきのウサギを見ながら、千鶴は撃破を確信していた。
だがそのとき、常に不測の事態を想定する彼女でさえ予想外な事態が起きた。履帯を破壊されて擱座した、ジャーマングレーの虎。その角ばった無骨な砲塔がありえないほどの、異常な速度で旋回を始めたのだ。
気付いたときにはすでにほぼ真後ろを向き、M3を狙うチト車を射線に収めていた。
「西保、逃げろ!」
その命令は遅かった。次の瞬間、ポルシェティーガーの88mmが火を噴いた。虎の咆哮は大気を震わせ、チト車が被弾の衝撃で半ば浮き上がる。辛うじて転覆することなく、しかし地面を数メートル滑走して停止したとき、静かに白旗が上がった。
「ちっ、後退!」
ポルシェティーガーがさらに五式中戦車へ砲を向けるのを見て、千鶴は攻撃続行を断念した。接近を試みるトラビのKW-1改にM3の砲撃が命中するも、重装甲が尽く跳ね除けていた。だがそこへ狙撃を再開したマレシャル、時折突撃しては離脱を繰り返すトルディの妨害が厄介だった。
そのとき、五式砲戦車から通信が入った。
《千鶴、今砲撃を受けた! 当たらなかったけど、位置がバレてる!》
その報告を聞き、千鶴はもう以呂波たちが駆けつけたのだと察した。自分たちの装甲を考えると、五式砲戦車の遠距離支援なしで押し切ることは困難だ。
周囲を見渡すと、数百メートル先の稜線で何かが動いているのが見えた。視力の良い彼女にはそれが低姿勢の突撃砲だと分かった。恐らくはズリーニィI、亀子の報告では千種学園の中ではかなり高い練度を持っている連中だ。今にこちらを狙撃してくるだろう。
《千鶴ちゃん、潮時やで》
「分かってるさ。全車撤収だ、煙幕!」
トラビに言われるまでもなく、躊躇わずに判断を下した。E-100を含めて三両の損害を出したが、敵を四両潰せた。その内一両は厄介者の八九式だ。M3とポルシェティーガーを始末できなかったのは惜しいが、前哨戦としては十分な戦果だろう。
五式、四式中戦車の砲塔上に据えられた四本の筒から、軽い音を立てて発煙筒が発射される。こうした外付けの装備は破損しやすいので、使えるときに惜しまず使うのも戦車乗りの腕だ。立ち込める煙に紛れて決号は後退し、ドナウのKW-1改、IV突も稜線の陰へと退いていく。
西住隊は追撃しなかった。
「ちょっと修理に時間かかるかもしれません」
「分かってる。でも急ぐよ! 自動車部にかかればどうってことない!」
後輩を激励しつつ、ツチヤはポルシェティーガーの砲塔から降りた。105mm砲を受けた履帯と転輪は完全に破壊されている。だがツチヤはそちらの修理にかかる前に、エンジン周りの点検も行った。そして異常がないことを確認すると、白い歯を見せて笑った。同じくエンジンを気にしていた操縦手も笑みを浮かべる。
「緊急加速装置のおかげですね」
「うん。デゴイチさんやシゴロクさんにも感謝しないと」
ツチヤは鼻を掻いて、工具を手に取った。先ほど異常な高速で砲塔を旋回させた彼女たちだが、奇術のタネはポルシェティーガーの駆動方式にある。
この戦車はガソリンエンジンの動力で発電機を動かし、電気で走行するガス・エレクトリック方式だ。このような仕組みの戦車は限られているため、戦車道のルールでもエンジンの改造は制限されているが、電気モーターに関する規定はない。速さを求める大洗自動車部はそこに目をつけ、電気モーターの出力を一時的に増大させるブースターを開発、昨年度の『大洗紛争』で実戦投入した。その際は調整が間に合わなかったため成果は出せなかったが、廃校を免れた彼女たちはこの研究を続けていた。
そして今回、千種学園とチームを組んだことが幸いした。千種学園の整備班は鉄道部員であり、電気モーターとなれば彼らの得意分野なのだ。その協力を得て、装置に一定の信頼性を持たせることに成功したのである。
ポルシェティーガーは砲塔旋回にも電気を使うため、照準時には操縦手がアクセルを踏み込んで発電量を増やし、旋回を助ける。履帯が破壊された今、ツチヤらは緊急加速装置を砲塔旋回に使ったのだ。
「ほらほら、パッパと直すよ! やっぱ走ってこそ自動車部だからね!」
明るく笑いながら、ツチヤは愛車の修理に取り掛かった。
そして以呂波の乗る44Mタシュ重戦車が、ズリーニィI突撃砲を伴ってやってきた。以呂波が五式砲戦車の位置を見破り、必中距離の外側から砲撃したのだ。当たらなくとも位置が知られていると気づけば、相手も移動せざるを得ない。自分が来たと知れば、姉も力で押し切ることはできないだろうという考えからだ。
こうして大洗・千種連合は致命的な損害を免れ、E-100撃破の戦果を上げた。しかし、代償も高くついた。
「西住さん、遅くなって申し訳ありません」
「いいえ、助かりました」
顔についた煤を払いながら、車上で以呂波とみほが言葉を交わす。船橋のトルディ、川岸のマレシャルも合流した。
「予想はしてましたが、決号がここまで積極攻勢に出てくるとは……」
白旗の出たヘッツァーと三式中戦車を見やり、以呂波は嘆息した。自分たちもクーゲルブリッツに八九式を撃破されたせいで、E-100撃破に時間がかかってしまった。ドナウ高校も決号工業高校も、こちらの意表をついてきている。
「相手は我々のやることを予測しながら動いていますね。変幻自在に」
「うん。でも……」
言いかけて、みほはふと右手を握り、以呂波の方へ差し出した。
「一ノ瀬さん、ジャンケンしよう」
「え? ……はい」
いきなりのことだったが、以呂波もまた拳を作った。最初はグー、と音頭を取りながら、二人は右の拳を掲げ、振り下ろす。だが手を出した瞬間、以呂波は驚愕した。彼女がパーで、みほがチョキだった。
以呂波はレストランでやったときのように、みほの右手の形を見切って『グー』を出すと判断した。だから当然『パー』を出した。しかし、みほは右手をそのまま下へ降ろし、左手で『チョキ』を出していたのだ。
「裏をかく手は必ずあるよ」
“大洗の軍神”はにっこりと微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
ほぼ今日一日で一話書いてしまいましたw
まあ仕事の後はなかなか書けないから、休日に一気に書くことが多いわけですが。
E-100は倒し、西住隊とも合流しましたが、激戦はまだまだ続きます。
ご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。