ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道   作:流水郎

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捕物です!

 亀子は焦っていた。戦車道に想定外の事態は付き物であり、敵地への潜入偵察でもそうだ。荒くれ者揃いの決号工業高校、しかも一ノ瀬千鶴の副官である彼女は、そうした状況への対処能力に優れている。

 が、さすがに今回は焦っていた。制服の肩に馬が食いついて離さないのだ。近くの木に繋がれていた堂々たる体格の青毛の馬が、白い前歯で亀子の肩をぐいぐいと引っ張る。幸い制服の生地を噛んでいるだけだが、離す様子はない。噛むな、離せ、と言ってみるが効果はなかった。それどころか、馬は本能的に彼女をくせ者と察したのか、意地でも逃すまいと歯を食いしばる。このままでは突撃砲の乗員たちに気付かれかねない。

 

「あっ! セール!」

 

 幸いに、と言うべきか分からないが、馬の主人が気づいて駆け寄ってきた。大坪は素早く手綱を掴むと、ホー、ホーと声をかけて馬をなだめる。それでもセール号はしばらく亀子を拘束していたが、やがて口を離した。

 

「ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「はい、ありがとうございます……」

 

 猫かぶって答える亀子。すぐに逃げては怪しまれると思い、表情を取り繕ってやり過ごそうと考えたのだ。制服のみならず、眼鏡とウィッグで徹底的に変装しているため、口調さえ気をつければ大人しい女子にしか見えない。

 しかし大坪は疑惑の目を向ける。セール号はこの学校で最も勇敢な馬だが、とても大人しいことを彼女は知っている。だが今は口を離した後も歯を剥き、耳を後ろへ伏せるという威嚇の仕草をしていた。手綱をしっかり押さえたまま、大坪は見知らぬ女子を詰問した。

 

「ここで何を?」

「えっと、装甲車ってどういうのかな、って」

「名前は?」

「三年の西見エリ代です」

 

 潜入前に考えた偽名を名乗る。考えたと言っても、知波単学園と黒森峰の隊長名を適当にミックスしただけだ。しかし人間の疑惑は逸らせたとしても、動物にまで疑われてはどうしようもない。話の合間に、横目でADGZ装甲車をちらりと見た。側面の操縦手用ハッチが開けたままになっていた。中に着色発煙弾が置かれているのも目ざとく発見する。

 

 そのとき、装甲車の影から男子二人がひょっこりと顔を出した。騒ぎに気付いた出島と椎名だ。彼らは変装した亀子と、それに威嚇する馬を一瞥し、大坪へ向き直った。

 

「何かあったんですか?」

「見慣れない人がいたから」

 

 二人は再び亀子に視線を移す。潜入偵察を数多くこなしてきた亀子はこういうときの演技も上手かった。不安げな表情をして後ずさり、男性恐怖症を演じる。その一方で逃走のタイミングを見計らっていた。

 だが亀子が行動を起こす前に、出島が口を開いた。

 

「……あんた。そのペン、ちょっと見せてくれ」

 

 胸ポケットに挿したボールペンを指差され、亀子ははっとそれを隠した。

 

「あ、あの。私、男の人に、持ち物を触られるの、嫌で……」

「いや、見せろ!」

 

 猫かぶり続ける亀子に、出島が詰め寄った。身振りで椎名に指示し、相手の背後へ回らせる。

 

「そいつはペン型のボイスレコーダーだろう。ここで何をしていた?」

 

 その瞬間、亀子は舌打ちを一つすると、装甲車めがけて駆け出した。同時にウィッグを取って後方へ投げつけ、捕まえようとした椎名の顔に命中させる。出島もすぐさま取り押さえようとするが、その手を巧みにすり抜け、突き飛ばして操縦席へ飛び込んだ。すぐさまエンジンを始動し、アクセルを踏み込む。土埃を巻き上げながら、ADGZは急発進した。

 自車の整備に当たっていたエルヴィンや丸瀬、去石らが何事かと身を乗り出す。椎名が咄嗟に叫んだ。

 

「スパイだ! あいつを撃て!」

「何だと!?」

 

 乗員たちは一斉にIII突、ズリーニィ、SU-76iへとそれぞれ乗り込む。戦車道支援車両にも、競技用戦車と同じカーボンコーティングが施されているため、砲撃で足を止めることができると踏んだのだ。しかし整備中の、しかも回転砲塔を有さない突撃砲で、逃走する八輪装甲車を狙うには時間が足りなかった。

 その間に大坪はセール号を繋いだ縄を外し、鐙に足をかけていた。

 

「隊長たちに知らせて!」

 

 その言葉を残し、彼女は愛馬の背にひらりとうち跨る。セール号は短く嘶いたかと思うと、土煙漂う中を猛然と駆け出した。

 馬蹄の音が響き、駿馬は風を切る。大坪が耳元で励ますと、セール号はぐんぐんと速度を上げ、ADGZと差を詰めていった。相手の最高速度は70km/hだが、常に最高速で走れるわけではない。よく訓練された馬なら十分追跡できる。ましてや、馬は機械にはない力を持っていることを、大坪は知っていた。

 

 側面のハッチから亀子が顔を出し、追ってくる大坪を確認した。ウィッグがなくなって短めの髪が露わになり、表情にも好戦的な笑みが浮かんでいる。顔を車内へ引っ込めたかと思うと、次の瞬間には発煙弾の安全ピンを抜いて投げつけてきた。信号として使う着色された物で、たちまち赤い煙がもうもうと広がる。

 馬の目は赤色を識別できないが、急に現れた煙は不気味に見えたことだろう。だがセール号は持ち前の勇気で乗り手の期待に応えた。大坪も巧みな手綱捌きで煙をかわし、しっかりと目標を捉えて追い続ける。

 

 その一方で周囲にスパイだ、スパイだと連呼して状況を知らせる。騎馬で警備に当たっていたサポートメンバーたちが気づき、すぐさま馬腹を蹴った。

 ADGZが雑木林へ通じる小道へ入る頃には、六頭の馬が追跡に加わった。大坪は丸腰だが、警備係たちは防犯用の刺股などを携行していた。

 

「私は先回りするから、このままB27地区の草原に追い込んで!」

「分かった! これを!」

 

 鹿毛の馬に乗った女子が応え、拳銃型の器具を差し出した。馬上でそれを受け取ってベルトに装着し、大坪は手綱を右へ引く。

 

 転回した馬は一路、近くを流れる水路へ向かった。幅も深さもあるが、大坪は馬腹を軽く蹴って突き進む。馬蹄がリズミカルに鳴り、馬を勇気付ける掛け声がそれに混じった。

 水路へ差し掛かった刹那、黒い馬体が宙を舞った。地を蹴って跳躍したセール号は緩やかな放物線を描き、水路の反対側へ着地。4本の脚で衝撃を柔らかく受けとめ、何事もなく走り続ける。大坪は戦車道だけでなく、馬術の訓練でも学園中を走っており、何処を通ればショートカットできるか分かっていた。

 

「マジャル人仕込みの馬術、舐めるなぁっ!」

 

 一種のライダーズハイか。大人しい彼女も口調が荒くなる。それに応えるかのように、セール号はたてがみをなびかせ疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……それから十分ほど経ったとき、亀子はどうにか追っ手を撒いていた。雑木林内の狭い道へ押し入り、発煙弾を投げまくったのだ。だがここが敵の学園艦である以上、いつまでも奪った装甲車で逃げ続けることはできない。目立つし、古い車種とはいえ発信機くらい着けられているかもしれないのだ。車内にあった発煙弾も使い切ってしまい、亀子は辿り着いた草原でADGZを放棄した。見晴らしの良い場所だが、背の高い草も茂っており、いざとなれば十分身を隠すことができる。周囲に人影もない。

 

 携帯で地図を確認し、脱出する旨をメールで仲間に伝える。収穫は十分だ。敵のスパイも暴き出せたし、大洗・千種の車両、そして乗員についてもある程度調べられた。以呂波と話をしてみたかったが、やむを得まい。後は無事に帰れば任務完了だ。

 辺りを警戒しながら、草をかき分けて走り出す。周囲には誰もおらず、ただ風で草がざわめくだけだ。このまま市街地まで行けば見つからずに逃げられる。亀子にはその自信があった。

 

 だが不意に、背後から足音が聞こえた。

 

「ッ!?」

 

 振り向こうとした途端、背中に球状の何かが直撃した。緑の制服にオレンジ色のインクが付着する。一体どこに潜んでいたのか、彼女の三十メートルほど先に、馬上でカラーボール発射機を構えた大坪がいた。

 体勢を崩した亀子に、青毛の馬が迫る。次の瞬間、大坪は彼女目掛けて飛び降りた。すぐさま組みついて地面を転がり、取り押さえる。

 

「退きやがれ!」

 

 しかし亀子とてむざむざ捕まるわけにはいかない。彼女の手を振りほどき、突き飛ばして逃げようとする。するとその先へセール号が立ちふさがり、大坪が再び組みつく。亀子は拳を振り上げるが、それで相手を殴りつけはしない。連盟規則で潜入偵察が承認されているとはいえ、さすがに暴力行為はご法度だ。二人の少女と一頭の馬が、しばらく揉み合いを続けた。

 

 そこへ馬の足音が複数響く。ようやく警備係の面々が追いついてきたのだ。たちまち亀子を取り囲み、逃れようとする彼女へ刺股を繰り出す。刺股は江戸時代から現代に至るまで使用されている捕具で、訓練を受けた者が複数人で扱えば十分な制止力を持つ。男子生徒が亀子の足を払って転ばせ、別の者が胴を押さえつけた。さらに集団で畳み掛ける。

 

「勝負あった! ジタバタするな!」

 

 手足と胴を刺股で押さえつけられ、亀子は憎々しげに周囲を睨んだ。が、やがて空を見上げて「くそっ」と悪態をついたのを最後に、抵抗を止めた。警備係たちが手際よく手首を縛る。さらにボイスレコーダーや隠しカメラ、集音マイクなども没収し、見張りをつけて装甲車へ押し込んだ。

 

 任務完了。自分たちの存在価値を示すことができ、警備係たちは大いに喜んだ。千種学園には戦車道の情報戦について認識が薄い生徒も多く、過剰警備ではという批判もあったのだ。

 千種学園の馬術部は旧アールパード女子高や旧UPA農業高校の伝統を引き継ぎ、曲馬や騎射も練習している。馬に体を横たえて寝かせたり、犬のように尻を着いて座らせるといった芸も仕込んでいた。ハンガリーの義賊(ベチャール)が追っ手を撒く際、そうやって馬を草むらに隠したという。大坪は用水路などの障害物を飛び越え、先回りした草原で馬を寝かせて待ち伏せしていたのだ。

 

「脚も案外、侮れない」

 

 捕虜を護送するため後からやってきた出島が、馬たちを見てポツリと呟いた。主人たちに労われ、彼らもどこか得意げだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、ドナウ高校訓練場。優花里と晴は突然降り出した雨に打たれていた。どうやら学園艦の進路上に雨雲があったらしい。だが美佐子が図らずも多くの敵を引きつけてくれた今、雨天はむしろチャンスだった。視界が悪くなり、見つかる確率が減る。幸い訓練場内には休憩用のテントもあり、そこで雨具も調達できた。ツェルトバーンと呼ばれる雨具を組み合わせたテントだったので、二人分拝借したのだ。迷彩柄なのも丁度良い。

 

「秋山殿、あれを御覧なさい」

 

 晴が地面を指差した。雨でぬかるみ始めた地面に、履帯跡が続いている。二両分だ。片方は比較的細いが、もう一方は六十センチはある幅広の物だった。優花里は近づいて入念に観察し、足跡の主を特定した。

 

「両端垂れ履帯……五式中戦車の物でしょう。あるいは、ホリ車」

 

 二人は顔を見合わせて頷き合うと、静かにその跡を辿った。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
お待たせいたしました。
スパイ合戦ももう少しで終わります。
試合前のあれこれで大分長くなっちゃったので、戦車戦は章を分けようと思っております。

千種学園はある意味、私の母校に戦車道があったら、なんてのを考えながら書いた面もあるかもしれません。
複数の学校が統合されて生まれたところとか、広い農場があるところとか、馬術の強豪というところとか。
私は馬術部ではありませんでしたが、授業で馬について少し習ったりもしました。

そろそろ仕事も忙しくなりますが、今後もぽつぽつ書いていきます。
応援していただけると幸いです。

PS.
pixivにてモヤッとさんからベジマイトの立ち絵を、S.Kさんからトルディ軽戦車のイラストをいただきました!
誠にありがとうございます!

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