食事会の後、一同はその場で解散となった。大洗の生徒は再び路面電車で宿舎まで戻り、千種学園の生徒はそれぞれの住まいへと帰っていく。だが中にはそれらとは別の方へ、ふらりと立ち寄る者もいた。
料理店から少し歩いたところにある、小さな広場。海を望める場所に、長方形の石碑が立っていた。白い石で作られ、台座には二つの校章が刻まれている。一つは千種学園のもの、もう一つは航空学科の前身となった、白菊航空高校のものだ。
小さく足音を響かせ、丸瀬がその石碑に歩み寄る。視線は慰霊碑をよりもその先を、遥か空の彼方を見ているかのようだった。夜風が長髪をなびかせると、彼女はひんやりとした空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。空には星が瞬いていた。
潮の香りを感じつつ、しばし石碑の前に立ち尽くす。すでに日は落ちているものの、街頭の灯りで碑文が読めた。
『白菊航空高校機 墜落事故慰霊碑』
その文字の下には六人の犠牲者の名前が刻まれており、丸瀬はそのうち一つをじっと見つめる。そして再び、虚空に目を向けた。
千種の前身となった四校はそれぞれの理由で廃校になったが、白菊航空高校の場合、この事故さえなければ存続していただろう。多くの卒業生が航空会社や自衛隊などで、優秀なパイロットとして活躍しているのだ。
しかし突如襲ってきたこの悲劇が、学校の行く末を運命づけた。バードストライクによる、練習航空機の墜落事故。生徒四名、教官二名が命を落とした。丸瀬が現場へ飛んだときにはもう、水面に油の輪が浮いているだけだった。普段表には出さないが、彼女は常に心に留めている。あの光景と絶望感を。
「丸瀬ちゃんの大切な人も、ここにいるのかい」
いつの間にか、高遠晴が近くに来ていた。相変わらず独特な口調だが、落語を語っているときと違いおどけた様子はない。
丸瀬は問いかけに頷く。思い人はすでに永遠の彼方へ飛び去ってしまった。断られると承知で思いを告げた、その数日後の出来事である。残された者にできるのは、その人物を思い出すことだけだ。
「男なんていうのは勝手なものだよ。特にパイロットはな……」
「そうかもねぇ」
晴はゆっくりと丸瀬の隣に歩み出た。慰霊碑を見上げつつ、大きく息を吸い込む。直後にその口から響いたのは、透き通った歌声だった。
ーー沖のカモメと 飛行機乗りはーー
ーー何処で散るやらネ 果てるやら ダンチョネーー
かつて空の戦士たちが歌った、切ない兵隊歌。落語の語り口とは違っても、同じように人の心へ沁み込むものがあった。
僅かに間を空けて、丸瀬も自然と歌いだす。
ーー飛行機乗りには 嫁には行けぬーー
ーー今日の花嫁ネ 明日の後家 ダンチョネーー
彼女の声はアルトで、艶やかな響きがある。航空機が発明されてから百年以上経ち、その性能と信頼性は大きく向上した。事故率で見ればむしろ、自動車よりも安全な乗り物である。だがそれでも悲劇は起こってしまうのだ。目尻から頬へ伝う涙を拭うと、少し心が晴れていた。
「いい喉だね」
「お前ほどじゃないさ」
二人は互いに笑顔を向ける。長い付き合いではないが、戦車道チーム発足前から関わりはあった。丸瀬は船橋と知り合い、学園の名をあげようと真摯に取り組む彼女に好感を持ち、得意の曲技飛行で広報活動に協力した。晴の方も船橋率いる広報委員会に属しており、時折放送などで落語をやっていたのである。ただ船橋がチームを立ち上げたとき、丸瀬は彼女の誘いに応じて戦列に加わったが、晴は誘いを断ったのだ。
「お晴。何故お前は最初から参加しなかった?」
彼女が練習試合の勝利後にひょっこりと加入したとき、丸瀬は内心軽蔑した。しかし以呂波と船橋がそれを認めた以上は文句も言わなかったし、共に戦ううちに印象も変わってきた。彼女は決して日和見主義者ではない。だから尚更、何故なのか気にかかる。
「戦車道に関しちゃ、前にいた学校でいろいろあってねぇ。良いことも含めて。でも一番の理由は、以呂波ちゃんを隊長に据えるって聞いたからさ」
微笑を崩さずに答える晴。彼女はチーム結成以前に一度、校内で以呂波を見かけたことがある。義足を重そうに引きずり、死んだ魚のような虚ろな目で宙を眺めていた。酷い顔だった。船橋はこんな子を頭にして、『片足を失いながらも戦車に乗る少女』などと言って盛り上げようとしているのではないか。そんな気がしたから最初は断ったが、その後宣伝映像で見た以呂波の姿は別人のように美しかった。あれが本当の一ノ瀬以呂波だと、船橋には分かっていたのかもしれない。
「要するにあたしゃ、あの二人を見くびっていたんだよ」
「……なるほど」
丸瀬には晴の気持ちが少し分かった。事実丸瀬も初めて以呂波を見たとき、顔に死相が出ているとさえ感じたものだ。そして凛々しい戦車隊長となった彼女を見て、船橋の慧眼に舌を巻いた。
「自己分析してみると、あたしゃ転校するときのことを引きずってたのかもね。ちょいとばかしギスギスしてたかも」
「お前がどこから転校してきたか、船橋先輩から聞いている」
喋りながら、丸瀬は近くのベンチに腰を下ろした。晴もその隣へ座る。
「何故この学校に来た? 今でこそ世間の評価も変わってきたが、少し前までゴミの掃き溜めのように思われていた」
「落語でもそういう場所がよく舞台になるもんだよ」
裏長屋とかね、と付け足す。落語というのは庶民の文化であり、その生活基盤だった貧乏長屋で生まれる笑いや人情をテーマにした作品は数多い。千種学園もまた、浮世の義理と情が集まる巨大な長屋のようでもあった。
「そういう所だからこそ生まれる、光るものを探してみろ……師匠にそう言われたのさ」
「見つかったか?」
「ああ。山ほどね」
笑いながら慰霊碑へと目を向けた。献花台には多数の花束が供えられており、丸瀬らズリーニィ乗員によって手向けられたものもある。だがそれらは白菊航空高校出身者だけのものではない。トラップ=アールパード二重女子高や、UPA農業高校出身者からの献花も増えているのだ。航空学科では事故の悲しみが尾を引いていることもあり、孤立主義の傾向が強い。しかし戦車道チームの活躍によって、四校の伝統を維持した派閥を持ちながらも、『同じ学校の生徒』という意識が高まってきている。
悲しみ、喜びを共有する、人の情。晴の言うように、光るものはあるのだ。その中にはきっと、白菊高から受け継いだものもある。
「……さて。以呂波ちゃんたちを待たせているから、これで失礼するよ」
ベンチから立ち上がり、お尻の埃を軽く払った。扇子を上着のポケットへ差し、愛用の風呂敷を肩にかける。
「丸瀬ちゃんも遅くならないうちに帰りな」
「ああ。どうもありがとう」
「おや、お礼言われるようなことをしたかい?」
「気にするな。早く行け」
命令形だが柔らかな口調だ。晴が微笑を返して歩き去る。その後ろ姿を見送った後、丸瀬は再び慰霊碑の前に立ち、黙祷を捧げた。彼らの犠牲を忘れず、そして無駄にはしないという誓いを胸に。
……千種学園から遥かに離れた海域を、比較的小柄な学園艦が航行していた。甲板上に艦橋のない設計のため、校舎と都市を乗せた盆のような姿だ。都市部はヨーロッパの古風な町並みを再現しており、夜空の下で街頭が美しく輝いている。
この時間帯で校舎に残っているのはごく一部の生徒や教師だけだ。しかし今日は屋上の、そのさらに上に立つ時計塔から、二人の少女が艦上を見下ろしていた。
「いい眺めだなぁ」
ポニーテールを夜風に靡かせながら、一ノ瀬千鶴は市街地の明かりを眺めた。三角屋根のレトロな家々が、まるでジオラマのように見える。艦自体が巨大なおもちゃ箱のようにも見えた。学園艦は生徒たちにとって第二の故郷のようなものだが、ここは彼女の母校ではない。
「せやろ。本当は普段、入っちゃアカンのやけど」
コート姿の少女が悪戯っぽく笑った。
「この船『神鷹』がモデルやさかい、艦橋が甲板の下やねん。一番高いところはここや。決号は島型艦橋あるやろ?」
「ああ。てっぺんに露天風呂がついてるぜ」
「わー、ええなぁ」
羨ましがる彼女は目鼻立ちの整った美少女で、活発そうな印象である。コートの裾からは校章の刻まれた短剣が見えていた。この学校、ドナウ高校の戦車道指揮官の証だ。同じドイツ系学校の黒森峰女学園とは交流もあるのだが、彼女には黒森峰の戦車クルーのような威圧感は感じられない。人懐っこくもどこか小悪魔めいた、人を食ったような笑みを浮かべている。
それに輪をかけて人を食っているのが、彼女の呼び名だ。
「そういやトラビ、お前とも何度か戦ったけど、うちの学校に来たことはなかったよな」
「そやね。今度行こかなぁ。今はもう札付きのワルばかりやないんやろ?」
「まあな、相変わらず全国大会にはお出入り禁止だけど」
千鶴は苦笑しつつ頰を掻いた。彼女の属する決号工業高校は二十両以上の戦車を保有しており、かつては全国大会でもそれなりの成果を上げていた。しかし生徒の素行不良が問題となり、数年前に連盟から参加資格を取り上げられたのだ。そして一昨年千鶴が入学するまで、戦車道部は断絶していた。
一方トラビの率いるドナウ高校も、全国大会には出場していない。近年戦車道に参入したドナウは乗員の士気こそ十分だが、学校の方針に問題があった。教師や生徒会は常に、友好校であり戦車道強豪でもある、黒森峰女学園の顔色を伺っていたのだ。
「ウチらみたいに学校が腰抜けよりはマシやん。付き合ってみたら千鶴ちゃんも亀ちゃんも他の子たちも、みんなええ子やし」
「あたしが入学した頃は酷かったぜ。毎日毎日、何で戦車乗りがバカを釘バットで蹴散らして歩かなきゃならないんだよって……」
その言葉でトラビは大笑いし、千鶴も破顔大笑した。収まるまでは二十秒ほどかかった。千鶴は戦車戦も喧嘩も強いと自負しているが、人間を殴るのは好きではない。ぐにゃりとした感触が気分を悪くするのだ。やはり戦車でガツンガツンとやり合うのが一番だった。
「でも、やっぱいっぺん行きたいなぁ。おもろい日本戦車ぎょーさんあるんやろ。今度の新兵器もびっくらこいたわ」
「ありゃついこの間、兄貴の会社から買って、艦内工廠で組み立てたんだ。お前の相棒だって相当面白いじゃないか」
この場合の『相棒』とは副官などのことではなく、乗っている戦車のことを指す。トラビにも分かっており、またもや小悪魔めいた笑みを浮かべた。
「ウチのKW-1はええ子やで。せやけどあの子だけソ連製やから、整備がちょい面倒やな」
「燃料も軽油だもんな。I号C型の調子はどうだ?」
「あの子はもう絶好調! 戦車道界最速のガラクタ、ミレニアムI号やで!」
「なんだよそりゃ」
喋りつつ、トラビは肩に下げていたカバンを床に降ろした。中から取り出したのは魔法瓶と、二つの紙コップだ。ベンチの上にコップを並べ、湯気を立てる飲み物をそこへ注ぐ。酒粕の良い香りがした。
たっぷりと注いだ甘酒を差し出すと、千鶴は礼を言って受け取る。冷たい夜風の中で飲むと格別の味わいだった。二人並んでベンチに座り、まろやかな甘みを楽しむ。
「……次の相手はかの、西住みほや」
ふいに落ち着いた口調になるトラビ。千鶴は口に含んだ甘酒を飲み下し、彼女を横目で見た。
「以呂波も甘く見るなよ」
「甘く見ようがないわ。カヴェナンターでウチらのIV号倒した妖怪やん」
「人の妹を化け物にするな」
際どい勝利ではあっても、黒森峰を手玉に取る戦術を見せた西住みほ。その手強さは周知されている。同時にトラビは目をかけていた後輩・矢車マリに勝った一ノ瀬以呂波も警戒していた。まさかカヴェナンターやらT-35などという欠陥戦車部隊に、後輩たちが敗れるとは思いもしなかった。指揮官の腕の差という他はない。だが矢車はその後研鑽を重ね、二回戦では見事な働きを見せた。
「あ、そういやトラビ。そっちの副隊長は大丈夫なのか? 代理は矢車って奴でいいとして」
ふと思い出して尋ねる千鶴。二回戦の最中、ドナウ高校の隊長は高熱を発して倒れたのだ。混乱しかけた部隊をまとめて奮戦した矢車が、次の試合で副隊長代理に指名されている。千鶴も矢車本人に会い、こいつなら大丈夫だろうと判断した。
「熱は下がってきたみたいやけど。ウチら、健康でない人間は戦車に乗せへんって決めてんねん」
毅然とした口調でトラビは言う。
「千鶴ちゃんの妹は脚無いし、虹蛇のベジちゃんは手が無いけどもな。あの子らかて障害があるなりに、ベストコンディションで試合に臨むようにしてはるはずやろ」
「そうだな」
彼女の正しさを千鶴は認めた。本調子でない人間を戦車に乗せられるほど、戦車道は甘い世界ではないのだ。一つのミスで大事故に繋がる可能性があるし、実際千鶴は妹がそういう目に遭うのを見たのだ。
「仲間には命預けるつもりでやらなアカンねん。戦車道言うても、元は人殺しの技術やから」
「人殺しの技術ねぇ。まあその通りだけどよ」
歯に衣着せぬ物言いに、さすがの千鶴も苦笑する。一弾流はその『人殺しの技術』の性格も限定的に受け継いでいるが、あくまでも武道として戦車道と向き合っている。自分たちがやっているのは戦争ではないのだ。
だがトラビの言うことにも一理ある。戦車に乗る以上、それが本来は戦争兵器であることを理解しておかなくてはならない。さもなければ取り返しのつかない事故が起きるし、そうした残酷な世界とは違う、戦車道の本当の良さにも気づけないのだ。
「大阪人は言いにくいことをズケズケ言うよな」
「あ、ウチの生まれは北海道やで」
「何でやねん!?」
思わず関西弁で突っ込んでしまう。それが面白かったのか、トラビはしてやったりという表情でけらけら笑った。
「オカンが大阪人。ウチ、ホンマの名前は『アベナンカ』っちゅーねん」
「アイヌ人か?」
言われてみれば確かに、何処となく彫りの深い顔立ちをしている。無論アイヌ名で戸籍登録をしているわけではないだろうが、それを本名だと言い切るあたり、彼女にとって何らかの精神的支柱なのだろう。一方でトラビなどというドイツ車由来の、妙な呼び名を気に入っているようでもある。掴み所のない少女だ。
だが何度か砲火を交えた仲である千鶴は、彼女の中に自分と似たものを感じていた。
「戦車に乗るとな、狩猟民族の血が騒ぐねん」
「カッコつけんな」
そう言いながらも、千鶴は彼女へ拳を突き出した。トラビもニヤリと笑みを浮かべ、自分の拳をそれにぶつける。
「……今度の獲物はデカいぜ」
「うん、楽しみやね」
お読みいただきありがとうございます。
本当は前回からここまで一話に収めたかったけどちょっと無理でしたw
この次から合同訓練、そして諜報活動となります。
名スパイ秋山優花里+aの活躍をお楽しみにしていただければ。
そしてご感想・ご批評などございましたら、よろしくお願いいたします。