晴の落語はあくまでも料理が来るまでの時間つぶしなので、短いネタを続けて語った。落語という芸についてユーモアを交えつつ簡単に説明し、そこから江戸時代の笑い話に繋げた。例えば『六尺の大イタチ』という見世物について。六尺といえばおよそ百八十センチ。どんなに凄い猛獣かと思い、木戸銭を払って小屋へ入ると、六尺の板に血が塗ってあって「板血」。こうしたインチキ興行が昔は多く見かけられたという。
「今でもそういう見世物はありますよね。東富士名物、十メートルの大ネズミ……」
実際にそのネズミを見た大洗側に笑いが巻き起こった。そうやって小噺をオムニバス形式で続け、そろそろ料理が来るな、というところで、「私が一番最初に覚えた落語をご披露して、サゲに致します!」と宣言した。
「……あれ。おいおい、ここの天井、雨漏りがするよ」
手のひらを出し、困惑顔で頭上を見上げる。その仕草と表情は極めて自然で、見ていた何人かは思わず天井を見上げた。ほんの一瞬の間をおいて、
「や~ねぇ」
聞いていた全員が一斉に吹き出した。戦車道では一見弱そうな戦車が、使い方次第で意外な活躍をすることもある。同じように普通に喋ってはつまらないダジャレでも、演じ方次第で笑いを取れるということだ。笑った客もまた、こんなくだらないギャグで笑ってしまった自分がさらにおかしくなる。落語家はこのような小話から練習するのだ。
晴は丁寧にお辞儀をし、拍手を浴びながら席に戻る。両校の隊長車乗員は同じテーブルに座っており、着席と同時に賞賛を受けた。
「面白かったよ! 思いっきり笑っちゃった!」
「最後で腹筋壊れそうになりました!」
「ありがとうございます。今後も精進いたします」
沙織と優花里に微笑んで会釈する。タシュの仲間たちも大いに笑ったようだ。
「お晴さん、どんどん上手くなってますね」
「あはは。お結衣ちゃんには噺家の巧拙が分かるかい?」
そうした会話をしているうちに、料理が運ばれてきた。巨大な鯉のオーブン焼きが香ばしい匂いを立て、ワゴン上で給仕の男子生徒が切り分けていく。オーストリアは第一次大戦の敗北で海を失ったため、魚料理は淡水魚が主流。特に鯉はクリスマスなどに食べられる縁起物だ。千種学園でも水産学科の手で養殖しており、農業学科の野菜・畜産物と同様、校外から評価を得つつある。
小皿へと盛られた鯉肉はソースをかけられ、野菜を添えて各テーブルへと配られた。事前に魚料理か肉料理かの希望を取ってあり、肉料理を選んだ生徒にはホルトバージー・パラチンタが供された。パプリカのソースで煮込んだ鶏肉をほぐし、クレープ状のパンケーキで包んだハンガリー料理である。オレンジピンクのパプリカソース、白いサワークリームが鮮やかに生地を彩っていた。他にはパンプーシュカと呼ばれるウクライナの揚げパン、野菜のヴァレーニキ、ハンガリーのシチュー料理グヤーシュなどがテーブルに並び、湯気を立てる。
一座の中には料理よりウェイターに目が行く者もいた。ともあれ声を揃えて「いただきます」と唱え、食事に取り掛かる。
「わぁ。このパン、ふかふか!」
「この鯉も全然臭くない。しっかり血抜きしてるのね」
専門の調理学科の生徒が手がけただけに、料理の出来栄えは素晴らしいものだった。鯉は柔らかくもしっかりと噛みごたえがあり、口の中に肉汁が溢れ出る。パラチンタの方もパプリカソースが程よくスパイシーで、鶏肉に味がよく染みていた。ハンガリー料理はパプリカや唐辛子をふんだんに使った辛い物が多いが、今回は辛さを控えめにした、食べやすい味付けだった。生地のもっちりとした食感も良い。
両チーム共に和気藹々としたムードとなり、話も弾んだ。
「西住さんたちはお料理とかなさるんですか?」
結衣が尋ねた。“大洗の軍神”などという先入観がなくなってしまえば、気軽に口もきけるというものだ。みほは気恥ずかしそうに笑いながら答える。
「私は一応できるくらい、かな。沙織さんは本当に上手だよ」
「ふふん。男を落とすにはまず料理から、だからね!」
得意げに語る沙織だが、彼女の『撃破数』が未だにゼロだと、あんこうチーム全員が知っていた。女子校である以上出会いが少ないのは仕方ないが、それを知らない他校の生徒が彼女が『恋愛マエストロ』と認知してしまうこともある。幸いというべきか分からないが、普段ツッコミを入れる二名のうち一人はパラチンタを頬張っており、もう一人は丁度ウェイターにパンの追加を頼んでいるところだった。
モデルのような体つきでありながら、周りよりも遥かに多くの食事を頼んでいる五十鈴華。今や高校戦車道界有数の砲手として知られる彼女を、澪が興味深げに見つめていた。料理をナイフとフォークで食べる手つきも上品で、この手で75mm砲を撃つとは思えない優雅さだ。
澪の視線に気づいた彼女は優しく微笑みかける。その笑顔にぱっと赤面し、顔を伏せた。だが砲手として、華への興味は尽きなかった。
そうしている内にも、会話は弾む。
「野外での炊事でしたら、私も得意ですよ」
「ゆかりんのそういう知識は凄いよね~。……以呂波ちゃんは料理するの?」
問いかけられ、以呂波は気恥ずかしげに苦笑した。正直、結衣たちと出会うまで、自分で料理を作ることを考えていなかったのだ。
「戦車以外、何もやってなかったから……これからみんなに教わるところです」
「イロハちゃんは戦車に乗らないと、ご飯が美味しくないんだよね!」
「胃腸薬の代わりに戦車乗ってるようなもんだね」
美佐子と晴の言葉で、テーブルの全員が笑った。話題の中心である当人は赤面しつつ頭を掻くしかない。現に戦車道を再開するまで、自分が廃人同様だったことを自覚していた。その頃の姿はとてもみほたちに見せられるものではない。
「ところで一弾流の訓練はやはり、西住流とは大分違うのでしょうね?」
「そうですね。基礎的なことは大して変わらないと思いますけど、西住流とか中国の蒋式戦車術なんかは、グデーリアン流の流れを汲んでいますが……」
優花里の質問に滑らかな口調で答える。社交的な方ではあるが、やはり戦車の話題で最も饒舌になる。
「一弾流の基礎は本土決戦に向けたもので、前進ではなく『踏み止まる』ことを目的としていました」
「フランス流の防御戦術とも少し違いますよね」
「ええ。受け身のときも、意地でも敵を道連れにする心構えを叩き込まれますから。どちらかというと、イタリアのパスクッチ流が近いかな……。ただ、現代戦車道では役に立たない技術も結構あるんです。生身に火炎瓶で肉薄攻撃とか」
「ああ! この前のタンカスロンで、お姉さんがやってましたね!」
徐々にマニアックな会話になっていくが、二人はお互い戦車好きだけあって楽しそうだ。周りの仲間たちそれぞれ戦車の知識は身につけているが、流派に関する話についていけるのは西住流師範の娘であるみほと、調べ物の好きな結衣くらいである。だが西住流と一弾流の違い、つまり大洗と千種の訓練の違いについては興味を持っていた。
「まあこの学校では、そういう特殊すぎる訓練はやってません。優先順位低いし、取り急ぎ覚えて欲しいことが沢山あったから」
「とはいえ、一ノ瀬」
ふいに、以呂波の後ろから口を挟む者がいた。隣のテーブルに座っていた丸瀬である。ニヤリと笑みを浮かべ、気取った態度で隊長の肩に手を置く。
「射線回避の訓練で、『ジャンケンで五十連勝できるようになれ』と言われたときには、さすがにお前の正気を疑ったぞ」
「あははっ、確かにあれは特殊ですね」
その会話に結衣や美佐子は笑ったが、みほたちあんこうチームは理解できない。戦車道と全く関係なさそうな単語がでてきたのだ。
「ジャンケン……って、どういうこと?」
「あ、ちょっとやってみますか」
疑問符を浮かべるみほに、以呂波はテーブル越しに握り拳を突き出した。みほも応じて右手を出す。最初はグー、と音頭を取りながら、二人は拳を振り上げ、一気に下ろした。
結果、以呂波はグー、みほがチョキ。続けて二度、三度と試しても、以呂波の勝利。沙織、優花里らは不思議そうに見ていたが、華はじっと見ているうちに、何か気づいたようだ。
「もしかして一ノ瀬さん、みほさんの手を見切ってます?」
「え? ……ああ!」
みほは一瞬きょとんとしたが、すぐ意味が分かったようだ。
「おっ、気づいた! さすが!」
美佐子が嬉しそうに声を上げた。続いて結衣が説明する。
「握った手を振り下ろすとき、指はもう出す手の形を作ろうとしているんです。一ノ瀬さんはそれを見切って、勝てる手を出す、と」
「……要するに、凄く素早い後出し?」
「まあ、そういうことですね」
「なるほど……」
イカサマには違いないが、みほは感心した。確かに反射神経と動体視力を養えるだろうし、敵の砲撃のタイミングを見極める練習にもなるだろう。私もやってみよう、とみほは思った。
もっとも実のところ、これは一弾流の正式な訓練法ではない。兄・守保から『ジャンケン必勝術』として教わったものを、妹たちで射線回避訓練に取り入れたのだ。
だがあんこうチームの頭には、ある人物の顔が思い浮かんでいた。卒業した生徒会長・角谷杏だ。彼女もジャンケンに関しては超人的な勝率を誇っており、あんこうチーム五人と十回ずつ勝負し、数回のあいこ以外全て勝ったことがある。そのときは皆呆然とし、「やっぱり会長には敵わない」で片付けたものだが、角谷が同じ技を身につけていた可能性もあるのではないか。彼女の動体視力を考えれば、できておかしくはない。
今度会ったら問いただしてみよう。五人は心の中でそう思った
「私も三回に二回くらいはできるようになった。船橋先輩はすぐにマスターした辺り、さすがだな」
丸瀬がしみじみと言う。船橋の場合、常にカメラを構えて一瞬のシャッターチャンスを狙う習性が身についている。手の形を見切るのもすぐにでき、以呂波も驚いたものだ。
ふと、沙織が丸瀬に声をかけた。
「あのさ、あなたは確か、航空科の人なのよね?」
「ええ。マルセイユとお呼びください」
小さく敬礼をしつつ、先ほどできたソウルネームで格好をつける。そんな彼女に対し、沙織は真剣な眼差しを向けた。
「女パイロットってモテるの?」
「え……?」
「もう、沙織さんたら」
華が苦笑しつつやんわりとたしなめた。みほや優花里も同様に苦笑いを浮かべるが、沙織はあくまでも真剣だ。恋に恋する乙女として、情報収集は欠かせないのだ。丸瀬は長い髪が美しく、体の発育も良く、そしてあの曲技飛行をやったパイロットとくれば、ロマンスの一つや二つありそうなものである。
「戦車道やったらモテるって聞いたんだけど、うち女子校じゃん? 今ひとつよく分からなくてさー。マルセイユちゃんは彼氏とかいるの?」
「ああ、いえ」
一瞬視線が虚空を泳いだが、再び笑顔を作る。
「……去年に一度、フラれただけです」
「ええっ!?」
沙織だけでなく、以呂波や美佐子まで驚いた。航空学科の生徒は一年生を除き、全員が白菊航空高校の出身者だ。そのため専門性の高さと相まって孤立主義の風潮が強く、他の学科の生徒からは近寄りがたい印象を持たれている。丸瀬はその中では人付き合いの良い方で、サポートメンバーなどの男子生徒ともざっくばらんに話ができる性格だ。それに加えプロポーションもかなり良い。彼女に告白されて断るとは、勿体無いことをする男だと以呂波たちは思った。
そんな驚きは丸瀬にとって予想外だったのか、少し慌てた様子で付け加えた。
「仕方なかったのです、相手は教師だったから。駄目元で……」
あー、と声が上がり、同情の視線が彼女へ向く。そんな中で沙織は優しく微笑み、肩を叩いた。
「大丈夫よ。恋愛も戦車も前進あるのみ。将来生徒と教師の関係でなくなれば、チャンスはあるわよ!」
「はは、そうですね。人間、未来に希望を持たないと……」
いつになく柔らかな口調で答え、自分の料理へと向き直る丸瀬。その表情に一瞬寂しげな影がよぎったが、同じテーブルの仲間たちは会話に夢中で、それに気づく者はいなかった。
食事は続き、華が追加のパンプーシュカとグヤーシュを平らげる。グヤーシュはハンガリー人にとって、日本人にとっての味噌汁に相当する料理だ。本来は農作業の合間に外で作って食べるシチュー料理で、戦場でも作られた。
「……ところで、一ノ瀬さん」
それまで大人しく料理をつついていた麻子が、ふいに言葉を発した。いつもと同じくぼんやりとした無表情だが、以呂波を見る視線には好奇心の色があった。
「義足を少し、見せてもらえないか」
「ちょっと、麻子」
今度は沙織が「失礼だよ」とたしなめるが、以呂波は別に構いませんと答えた。自分の脚が周りと違うのは事実だが、彼女にとってはそれも自然なこととなっている。じろじろ見られては嫌だが、ちゃんと「見せてくれ」とことわってからなら、腫物に触るような態度を取られるよりむしろ気分がいい。
彼女が椅子を横に向け、金属の右脚を前に投げ出すと、麻子はその前で屈んだ。特にその関節部分を興味深げに眺め、許可を取った上で手を触れる。質感を確かめるように撫で、ふむ、と声を漏らす。
「膝関節は油圧式か」
「はい。コンピューターが内蔵されてて、脚の動きが油圧と空気圧で制御される仕組みです」
「へぇ~。ハイテクなんだ」
沙織も思わず覗き込み、感嘆の声を上げる。操縦手である麻子は戦車の自動車的側面とも深く関わっているため、近年の義足の仕組みにも興味が湧いたのだろう。単純に好奇心が強いからでもある。
続いてみほも、以呂波に目をむけつつ尋ねた。
「それでもやっぱり、歩けるようになるまで時間はかかるの?」
「ええ、あくまでも補助をしてくれるだけですから」
ソケット部分を撫でながら答える。技術が進歩したとはいえ、義肢はあくまでも体の一部を補うものだ。職人がしっかりフィットするソケットを作ることが大前提だが、それを扱いこなせるかは当人の努力にかかっている。以呂波も最近になってようやく、スムーズに階段の上り下りができるようになった。
「でも最近、戦車を乗りこなすのと似たような感じがしてます。この脚を活かすも殺すも、私次第なんだ、って」
「……そっか」
二人は互いに笑顔を向ける。出会ってからさほど時間は経っていないが、二人とも相手のことを一つだけ、何となく理解できた。
それは相手が特別な人間ではないということ。自分が特別でないのと同じように。
お待たせしました。
アンツィオ戦のごとき飯テロを少しでも再現できていればと思います。
原作キャラを書く練習でもありますが、何か不自然な点などあればご指導願います。
試合に突入するまではまだ何話かかかりますが、ご容赦ください。