障害物のパイロンが置かれた演習場に、エンジン音が轟く。幅の細い履帯で砂埃を巻き上げながら、姿勢の低い戦車がパイロンの間を縫ってスラローム走行していた。イギリス製の巡航戦車カヴェナンターだ。リベット留めの装甲や40mmの主砲は貧弱に見えるが、車内ではそれ以上の悪夢が起きていた。
「右……左……右……」
インカムに聞こえてくる指示通り、結衣がハンドルを操作する。初心者としては要領よく車体をコントロールできているが、彼女は全身汗だくになっていた。小さな視察用の窓から外を見るも、目に汗が染みて視界がますます悪くなる。
緊張からではない。戦車の構造のせいだ。
「一ノ瀬さん、もう限界! ハッチ開けさせて!」
結衣がそう叫んだ直後、履帯がパイロンに当たって轢き潰した。いかに真面目な彼女と言えど、摂氏四十度の空間で的確な操縦を続けることは難しかったようだ。
「狭い視界に慣れて欲しかったけど、やっぱり限界だね……開けていいよ」
「ありがとう!」
礼を言うと同時に、操縦席の装甲ハッチを開け放つ。涼しい外気に顔を晒し、胸一杯に吸い込む。このカヴェナンターという戦車は冷却器(ラジエーター)の配管が車内を通っている設計なのだ。後部のエンジンの熱を吸収した冷却水が、車内を通って熱を撒き散らし、車体前部の冷却器に送られるのである。車内全体が蒸し風呂となる凶悪な戦車で、しかも冷却器の放熱板が車体前面にあるため、弱点が剥き出しだ。
「結衣ちゃん頑張って! サウナだと思って!」
「美佐子はなんで平気なのよ……」
美佐子の体力バカ丸出しな発言に苦笑しつつ、結衣は操縦を再開した。残りのスラロームを突破し、しばらく進んだところで以呂波が「右九十度旋回、砲撃用意」と指示する。装填手席の美佐子が2ポンド砲の40mm砲弾を持って準備した。
旋回を終えて停止命令が出たとき、戦車の前方に的が見えた。砲手席の澪が額の汗を拭って、照準器を覗き込む。
「目標十二時、距離三百」
「装填完了したよ!」
比較的小ぶりな40mm弾とはいえ、美佐子は力があるだけに装填が素早い。何より汗をかきながらも、常に快活に作業をこなす。
澪もまた、普段は結衣の背後に隠れてばかりいるが、照準器を覗いているうちは怯えの消えた表情となり、じっと目標に集中する。
「撃て!」
以呂波の号令の直後、トリガーが引かれた。轟音が空気を震動させ、発砲炎と共に砲弾が放たれる。火薬の臭いが車内に立ちこめた。的のかけられている土塁に土煙が上がるが、的より僅かに上に着弾している。
まだ慣れない砲撃の音に感じ入る仲間たちに、以呂波は冷静に次弾の準備を命じた。美佐子が素早く装填し、澪は照準を修正する。再び、号令と共に砲声が轟いた。
「……当たった!」
「おめでとう!」
澪が笑みを浮かべ、美佐子とハイタッチする。以呂波がハッチから顔を出して双眼鏡で確認すると、徹甲弾はハリボテの的を見事に突き抜けていた。
「うん、この調子だよ」
砲手の肩を叩きつつ、以呂波は車外通話の無線を入れた。
「馬術部チーム、航空科チーム、聞こえますか? オーバー」
《はい、聞こえてるよ。オーバー》
「今から戻りますから、次、訓練してください。車長同士でジャンケンして勝った方がトゥラーン、負けた方がカヴェナンターで。オーバー」
《うわ……了解。アウト》
通信が切れ、以呂波は車内に顔を引っ込める。
「結衣さん、帰投するよ」
「了解、っと」
「……もっと撃ちたかった……」
「いやぁ、小さい大砲でも砲撃音が痺れるなぁ」
……訓練が一段落し、一同は休憩を取ることになった。チーム全員士気は高いが、やはり疲労はする。特にカヴェナンターに乗った面々は熱中症にならないよう気を配らねばならない。
以呂波も戦車の倉庫で、スポーツドリンクを飲みながら休憩していた。
「それにしても一ノ瀬さん、昨日と雰囲気が大違いね」
同じく水分補給をしながら、船橋が言った。
以呂波の髪は昨日までの身なりに気を使っていなかった、無精なボサボサ頭ではなくなっていた。散髪の後しっかりと手入れが施され、艶やかな色合いとなった黒い髪を小さなポニーテールにまとめている。髪は女の命と言うが、髪の変化によって全体の顔つきまでもが快活な印象になった。通学中に出会った美佐子はその凛々しさに驚きの声を上げ、結衣は最初それが以呂波だと分からず、澪はぼーっと顔が赤くなっていた。そして戦車に乗った姿は、機甲部隊の陣頭に立つに相応しい風格がある。
「いやあ、また戦車道やると決めたら、元気でちゃって……やっぱり、戦車以外に何もやってませんでしたから」
気恥ずかしそうに頬を掻き、以呂波は答えた。
「分かる分かる。生き甲斐ってのはそういうものよ。私の場合はコレね」
船橋は首から提げたカメラを指差す。広報目的で戦車道チームを立ち上げたので、訓練中も彼女はよく写真を撮っていた。砲撃の瞬間を見事に捉えた一枚には、以呂波も舌を巻いたほどである。加えて彼女は広報委員二名を引き連れてトルディ軽戦車に乗っており、その指揮能力もなかなかのものだ。
「引き受けてくれて本当にありがとう。脚の調子は大丈夫?」
「はい、戦車に乗るときはみんなに手伝ってもらってますから」
「ならよかった。……それでこのチームだけど、いけそう?」
そう尋ねられ、以呂波は休憩中のチームメイトたちを一瞥した。以呂波を含め、総勢二十五名。皆戦車から降りた後は笑い合い、訓練の内容などで盛り上がっていた。狭い空間で共に協力して戦うため、学年などを超えて団結も高まる。後から加入した美佐子たちも、すでにチームに馴染んでいた。
「全く新規で始めたにしては上手くいっていると思います。士気も高いし」
以呂波は率直に意見を述べた。実際どの組も初心者としては上出来な訓練結果で、練習を重ねれば問題も改善できるだろう。大抵の場合戦車乗りはまず装填手からスタートする。手順を覚えれば単純作業ということもあるが、他の乗員のサポートも仕事に含まれるため、戦車乗りの何たるかを学ぶのに最適なポジションなのだ。
そして操縦手、砲手から車長へ、という順序で昇進していくものだが、このような急造チームではそれもできない。車長は経験がないのに最初から車長になるのだから、分からないことだらけで混乱してしまうのも当然だ。そこを経験者である以呂波が指導していかなくてはならない。一弾流の得意とする偽装や奇襲戦法を教えるのはそれからだ。
「一番の問題はやっぱり、戦車が足りないことですね」
「そうね……あと一両か」
船橋は腕を組んで唸った。現在の保有車両は四両しかなく、以呂波たち四人が加入したことによって、全員分の戦車が確保できなくなってしまったのだ。
「農業科チームはT-35固定でいいとして……」
農業学科からの参加者十名は、順当に十人乗りのT-35重戦車に乗ることが即決された。T-35はその重量から機械的なトラブルも多いこともあり、トラクターなどの整備経験の豊富な農業科チームが適任と判断された。そして何よりも彼女たちは学校の統合前、農業学科の前身となった農業高校の生徒だった。このT-35も元々、同じ学校から運ばれてきた戦車なのである。失敗戦車たるT-35に誇りと愛着を持って乗れる者は他にいないだろう。
そして船橋率いる広報委員会チームもトルディI軽戦車に固定された。乗員数が三名で丁度合っている。
残るは航空科チーム、馬術部チーム、そして以呂波率いる隊長車チームが各四名。これら三チームはカヴェナンターとトゥラーンIIを交代で乗って練習している有様なのだ。
「どの道最低でも五両はないと、他の学校からも相手にされないわよね」
「できれば一両でも、確実に敵戦車を撃破できる火力が欲しいです。75mm長砲身以上の砲が……」
「と言っても今の予算じゃ精々、買えても軽戦車が一両……ユニフォームも作らなきゃいけないからねぇ」
二人は揃って頭を抱え込んだ。そもそも今の戦力ではまともに試合を行える状態ではない。欠陥戦車二両は論外として、トルディIは偵察には使えるが攻撃力としては期待できず、トゥラーンII中戦車は75mm砲装備とはいえ短砲身だ。問題はいろいろあるが、とにかく火力不足である。一弾流は伏兵戦術に重点を置くので装甲の薄さはカバーできるが、敵を撃破できないことにはどうしようもない。
以呂波には一つだけ、戦車を手に入れる方法に心当たりがあった。戦車道は女子の嗜みであり、戦車乗りの家を継ぐのも女だ。しかし戦車乗りの家系にも当然男は生まれる。それがどんな扱いを受けるかはその家によるが、一ノ瀬家ではあまり良くなかったと以呂波は知っている。
家を飛び出した彼女の兄がそのいい例だった。
「……お兄ちゃんに頼めば、もしかしたら……」
「お兄さん?」
船橋はきょとんとして以呂波を見た。
「私の兄が、戦車道用品の会社をやってるんです。八戸タンケリーワークっていう……」
「ああ、知ってる! プロ戦車道チームとかを相手に、戦車自体のレストアや販売も手広くやってるんだよね!」
「そこの社長です。……父方の姓を名乗ってますけど」
船橋の顔が輝いた。そのような人脈があるなら、それを利用しない手はない。だが以呂波が浮かない顔をしていることにも、船橋はちゃんと気づいた。女性の武道たる戦車道の家元は大抵母方の姓を名乗るものだが、男とはいえ父方の姓を名乗っている辺り、ワケ有りだと嫌でも分かる。
「……お兄さんと何かあったの?」
「お見舞いに来てくれたとき、喧嘩しちゃいまして」
義足をちらりと見て、以呂波は答える。
「……でも、頼んでみます。私が悪かったことだし、ちゃんと謝れば許してくれると思いますから」
「……分かった。お願いね」
どちらにせよ兄とは仲直りしたいのだ。自分が勇気を出すしかない。それに自分に居場所をくれたチームメイトのため、何としても戦力を強化したい。一人前の戦車乗りとして戦えるチームにしてやりたいのだ。
「おーい、イロハちゃん!」
大声で呼びながら、美佐子が駆けてきた。
「休憩時間終わったよ! 座学座学!」
「ああ、そうだね。行くよ」
戦術や戦闘での動き方など、座学での講義も以呂波が行うことになっていた。小学生の頃からみっちりと教え込まれただけに、戦車に関しては知識も豊富だと自負している。
立ち上がろうとしたとき、美佐子が彼女の体をぐっと抱きかかえた。美佐子の体格は高校一年女子として、平均よりやや発育が良い程度である。どこからそんな力が出るのか、美佐子は以呂波をひょいっと抱え上げてしまったのだ。
「わ、ちょっと!?」
「ほら、しゅっぱーつ!」
いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢で、美佐子は走り出した。座学用のプレハブ小屋を目指して。
「美佐子ちゃん、どういう体してるの!?」
「こういう体!」
賑やかに駆けて行く二人を見て、船橋も座学小屋へと向かった。面白い構図のシャッターチャンスを逃したことを、少し悔やみながら。
……オフィスの中、スーツ姿の男は携帯電話を見つめていた。歳は二十代半ば頃だが、社長という立場にあるせいか、若さの中にもどことなく渋みや威厳が感じられる。時計は夜中の十時を指し、彼は丁度コーヒーを手に仕事を片付け終わったところだった。パソコンに表示されているのは戦車砲の写真で、ドイツ製の長砲身75mm砲である。戦車道に励む女子にとっては頼れる武器であるが、商人という立場の彼にとっては重要な商品だ。
だが前述の通り仕事を片付けた彼は、プライベート用の携帯に送られてきたメールに目を向けていた。
「……以呂波の奴め」
歳の離れた妹の名を口にし、ふと彼は笑みを浮かべた。パソコンのキーボードを叩いてスケジュール表を確認すると、来週の月曜日が空いている。続いてインターネットで学園艦の航行予定を調べようとしたとき、オフィスの戸が開いた。
「あれ、社長。まだいらっしゃったんですか」
「やあ。今仕事は終わったところだ」
顔を出した作業着姿の女性社員に、彼は笑顔でそう答えた。
「M18のレストアはどうだ?」
「ええ、予定通り明日には全力走行テストができますよ。バッチリ八十キロでカッ飛ばして見せます!」
「頑張ってくれ。あれは戦車道には使えないが、需要はあるからな」
M18ヘルキャットは二次大戦中最速の装軌車両と称される、アメリカ軍の戦車駆逐車だ。オープントップのため戦車道のルール上使用できない。昨年の『大洗紛争』で解釈の余地が生まれてきたが、さすがにオープントップの車両全てが認可されることはなかった。そもそもあの試合は大洗蜂起軍に対する露骨な嫌がらせが行われたという批判もあり、大洗完全勝利という結果を除き、未だに議論が続いているのだ。
それでも海外では戦車によるミリタリーパトロールのような競技も盛んだ。そういった戦車同士で撃ちあわない競技には使える。
また、そうでなくても欲しがるマニアはいる。酔狂なことではあるが、それを言うならこの社長……八戸守保も相当なものだろう。戦車乗りの家に男として生を受け、自分の存在に疑問を持って家を飛び出しておきながら、結局商売人として戦車道に関わっている。男子禁制の戦車道だが、化粧品会社に男性社員がいるのと同じく、こうした企業に男がいるのも珍しくはない。
そして家と縁を切ったつもりでも、妹たちとの関わりまでは捨てきれていなかった。
「次の月曜日、営業に行ってくる。千種学園って所へな」
「高校戦車道への売り込みですか。珍しいですね」
「君も行くか? T-35の円錐砲塔型が見られるぞ」
「ええっ!? そんなレア物が!?」
驚きの声を上げる社員を見て、八戸は妹の顔を思い出した。何よりも戦車が好きで、戦車の話をするときは自然と笑顔になっていた、その表情を。片脚を失って打ち拉がれても、情熱は死んでいなかったようだ。
――お兄ちゃんに何が分かるの!? 好き勝手に生きてるお兄ちゃんに!――
見舞いに行ったとき言われた言葉を思い出し、改めて八戸は思った。やはり兄妹というか、自分も以呂波も結局似たもの同士で、不器用者なのだと。
コメントを書いてくださった方々、応援ありがとうございます。
正直誰からもスルーされる可能性も考えていたのでホッとしましたw
仕事もありますので少しずつ書き進めております。
今後多少間が空くこともあるかもしれませんがご了承ください。
それと長期連載は得意ではないので、ある程度のところで一度完結にして区切り、続きは新規で書き始めるつもりです。
追記
2ポンド砲の口径が間違っていたので修正しました。
ご指摘くださった方に感謝致します。
さらに追記
M18ヘルキャットについて、劇場版に合わせる形の記述を加えました。
さすがにオープントップなら無制限にOKというルールにはできそうにありませんから(まあ「アレ」の砲口に75mm砲弾を撃ち込んでも大丈夫なら、なんとかなっちゃう車両は多い気もしますが)。
どういう改造かわかりませんけど、劇場版の「アレ」は乗員が車外に出ることなく発射を行えていたし。