《千種学園の勝利!》
「勝ったあぁぁ!」
「鉄道部バンザーイ!」
勝利の報せに真っ先に歓声をあげたのは、ソキに乗る鉄道部チームだった。三木も砲塔から身を乗り出し、川岸の大漁旗を振り回す。とても晴れ晴れとした笑顔で。
だがそれもすぐに終わった。彼女はハッと我に返り、愛車から飛び降りる。視線の先には貨車への衝突の上横転した、BT-7がいた。中から乗員が出てくる気配はない。三木は大急ぎで駆け寄ると、ハッチの開いている砲塔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか!? 大丈夫ですかっ!?」
車内でぐったりとしていた乗員たちは、三木の呼びかけにゆっくりと顔を上げる。一応受け身は取れていたらしく、深刻な怪我はなさそうだった。未だ口周りに菓子の食べカスをつけた車長は、三木を見て微笑を浮かべる。
「……大丈夫よ。スパスィーバ」
ロシア語で礼を言い、彼女はゆっくりと砲塔から這い出た。三木も手を貸す。本来彼女たちは戦車ではなく、何よりも『安全』を重要視する乗り物に乗っているのだ。
BT-7の乗員三名はなんとか立ち上がり、ほっと息を吐く。するとそこへ駆けてくる、小柄な影があった。カリンカだ。
「あんたたち、怪我はない!?」
「全員無事です、同志隊長」
背筋を伸ばし、少女たちは隊長に敬礼をする。握り拳のアガニョーク式敬礼だ。
「申し訳ありません、隊長。我々の責任……」
車長の少女の言葉は途中で止まった。カリンカがポケットからハンカチを取り出し、彼女の口周りを拭ったのだ。そして「お疲れ様」の言葉とともに、三人の肩を順に叩く。少女たちの目にうっすらと涙が浮かんでいた。
側から見ていた三木は、初めて出会った敵将カリンカに不思議な印象を抱いていた。無表情なのに何処か優しげな雰囲気が漂っている。以呂波や船橋とはまた違った、隊長としての風格があった。
続いて、カリンカは三木に目を向けた。
「……これがあんたらの戦車?」
「は、はい!」
ソキを指差して尋ねてくるカリンカに、三木はドキリとしながらも頷く。
「良いのに乗ってるわね」
「……え?」
予想外の言葉にきょとんとする三木。そんな彼女を尻目に、カリンカはタシュの方へと歩いて行った。
「やったやった! 勝てたよ!」
タシュの砲塔から飛び出し、美佐子がはしゃぐ。重い砲弾を走りながら装填したり、以呂波の体を支えたりといった重労働の後なのに、まだ元気が有り余っているらしい。
彼女が操縦席ハッチを覗き込むと、結衣は全身の力を抜いて脱力していた。夜間戦闘の疲労が一気に出たのだ。元々運動ベタの彼女も、戦車道を始めてから大分体力はついたが、やはり美佐子のようにはいかないようだ。
「ほら結衣ちゃん、勝ったよ!」
「分かってるわよ。良かった……」
微笑みながらメガネのずれを直し、美佐子と手を打ち合わせる。彼女がふと上……砲塔の方を見上げると、砲手席では澪がすでに寝息を立てていた。今までひたすら集中していたからこそ、眠気も疲労も気にならなかったのだろう。
結衣が人差し指を口に当てると、美佐子も同じ仕草をして頷いた。
「嬉しそうだねぇ、みさ公は」
通信手用のハッチから晴が顔を出す。いつも持ち歩いている扇子で顔を扇ぎながら、飄々として笑っている。
「お晴さんは嬉しくないんですか?」
「嬉しいに決まってるさ。本当に、ここは楽しい。ドタバタしててさ」
扇子を閉じて美佐子の頰をつつき、晴は笑顔で嘆息した。
「あたしゃやっぱり、こういうチームの方がいいねぇ。落語の長屋みたいで」
彼女らしい、だが何処か意味深な台詞だった。美佐子は笑ったが、結衣はその言葉に何か含むものがあるように思えた。
「長屋……ですか?」
「そうさ。浮世の情ってもんが一杯溜まってるじゃないかい。捨てちゃいけないものが、さ」
それだけ言って、晴は座席にもたれかかった。幸せそうな笑顔で、目を閉ざして。
以呂波は体当たりの前に着座し、耐衝撃姿勢を取っていた。勝利のアナウンスの後もしばらく座ったまま呼吸を整えていたが、やがてほのかに良い匂いを感じた。顔を上げると、ハッチからカリンカが見下ろしていた。サイドテールの髪が車内に垂れ、以呂波の頰をくすぐっている。鉄と油の匂いの中に漂ったのはその髪の香りだった。
「一ノ瀬以呂波さん。準決勝進出、おめでとう」
淡々とそう言って、カリンカは車内へ手を差し出す。試合開始時の挨拶を除きほぼ初対面ではあるが、互いに相手のことはよく調べてあり、写真で顔も知っていた。以呂波は彼女の手を握り、ぐっと握手を交わす。表情の硬さに反し、暖かい手だった。
「ありがとうございます。紙一重の差でした」
「ええ。お互い、ここまでの消耗戦になるとはね。得意の夜戦で負けるなんて、夜の魔女も形無し……」
ぼやくように言って、カリンカは軽く嘆息する。
「でも、楽しかった」
「はい。私も勉強させていただきました」
「……千鶴の妹にしては可愛げがあるわね」
目を細めつつ呟くカリンカ。ふいに姉の名前を出され、以呂波は微かに目を見開いた。
「千鶴姉……姉をご存知なのですか?」
「私たち、一昨年辺りまではタンカスロン中心だったの。それで知り合ったわけ」
タンカスロンは重量十トン以下の戦車限定のため、強力な戦車を揃えられない学校でも手軽に参加できる。正統派を自称する戦車道選手からは邪道呼ばわりされているタンカスロンだが、それでも連盟が禁止に踏み切らないのは、この非公式競技が戦車道衰退に歯止めをかけているのも事実だからだ。
千鶴は決号工業で廃部となっていた戦車道部を再興させ、タンカスロンで部員を鍛えて名を上げたのである。そのことは以呂波もよく知っていた。
「私も千鶴も、正直今の日本の戦車道には不満があってね。いっそ壊してやろうか、なんて話もしたわ」
「戦車道を壊す、ですか……」
姉が言いそうな言葉だ、と以呂波は思った。一弾流は日本の戦車道流派の中では連盟から冷遇されている。特に生身での戦闘など、現代戦車道で役に立たない『野蛮な教え』を伝承しないように、連盟からテコ入れされることも多かった。千鶴もかねてからそのことへの不満を漏らしており、西住・島田のような大手流派の権威が連盟を腐らせているとまで言って憚らなかった。実際のところは連盟の保守派よりも、文科省の干渉の方が悪影響は大きかったわけだが。
カリンカもまた、似た不満を日本戦車道に抱いていたのだろう。千鶴と異なるタイプではあるが、どこか通じるものがあるのだと以呂波にも分かった。
「あいつはきっと勝ち上がってくる。貴女がどう戦うか、楽しみにしてるわ」
「……はい! 頑張ります!」
……観客席からやや離れた屋台の前。戦車道の試合で使われる巨大画面は客席以外からも見ることができ、中には他の観客から離れた場所で観戦する者もいる。ここでも二人の女子高校生が飲み物を買い、画面を眺めていた。着ているのは紺色のセーラー服で、襟には決号工業の校章がつけられている。
すでに試合は終わり、撃破された車両を回収車が運んでいくのが見えた。副隊長同士の対決……トルディとBT-7の戦いは決着がつかずに終わり、重大な損傷のない二両は並んで自走していた。
「“恐るべきカリンカ”と“災厄のラーストチュカ”……アガニョークの夜の魔女が夜戦で負けたか」
買ったジンジャーエールをぐっと飲み干し、一ノ瀬千鶴は呟く。以呂波と似た、しかし荒々しさのある顔立ちは月夜の中で不思議な美しさを醸し出していた。妹の戦いぶりと計略を見届け、楽しげな笑みを浮かべている。この後の戦いが待ちきれない、と言うかのような表情だ。空になった紙コップをゴミ箱へ放り、傍にいる仲間へ目を向ける。
「こいつは以呂波の実力だけじゃない。千種の連中のこと、よく調べといた方がいいな」
「……偵察が必要かい?」
千鶴を横目で見て、ショートヘアの少女は尋ねた。整った顔立ちだがやや目つきがきつく、耳にピアスの痕があった。前髪には茶色のメッシュが入っている。
「行ってくれるか、亀」
「あたぼうよ、鶴」
言葉を交わし、彼女たちは互いにニヤリと笑った。気心知れた者同士の笑顔だ。
「ま、その前にサヴォイア女学園との試合だけどな」
そのとき、千鶴は自分たちの方へ歩いてくる大人に気づいた。秘書を連れた、スーツ姿の兄だ。勘当されているとはいえ千鶴ら妹にとっては大事な兄であり、悩み事も両親より守保に相談することの方が多かった。だが久しぶりに直接出会った今、千鶴の要件は相談ではなく『商談』だ。
「兄貴ー! 久しぶりー! ビジネスしようぜ!」
大声で兄を呼ぶ千鶴に、周囲の視線が一瞬集中するが、すぐにモニターへ戻った。なーに言ってんだか、と呟きながらも、守保は妹へ笑顔を向けていた。
お読みいただきありがとうございます。
ようやく二回戦終了です。
なんとか7月中に書けました。
8月は休みが少ないのでどの程度書けるか分かりませんが、お付き合いいただけたらと思います。