防戦一方だった千種学園が、グラントCDLの壁に穴を空けた。観客席がにわかに活気づき、モニターに映る映像へ注目が集まる。アガニョークの本隊へ吶喊するタシュとズリーニィ。それを通すまいとするSUシリーズ。夜の闇を切り裂き、激しい砲撃戦が展開されていた。
アガニョーク側は主砲を旋回できないため、梯型陣を取って死角を補おうとしている。だがタシュとズリーニィの躍進射撃は夜間でも正確で、加えてマレシャルの援護もあり、徐々に陣形を崩されつつあった。もはや千種学園がどのくらい保つかの問題と思われていた試合だったが、流れが変わり始めたのだ。
「マレシャルの車高の低さを活かしたな」
モニターを見つめながら、守保は湯気を立てるコーヒーを啜った。千種学園は売りつけた戦車を有効に活用しているようだ。平たい形状のマレシャルなら偽装しやすいし、敵もカーボン・アーク灯の光を頼りに砲撃していた以上、再び暗闇に目が慣れるまで多少時間がかかる。それでも博打要素の高い作戦ではあったが、かつての以呂波ではこの戦局を打開できなかったかもしれない。堅実な采配だけでなく、大胆な作戦を行えるようになった証左と言える。
「突破して市街へ逃げ込んで立て直せば、勝機はありますね」
「そうだな。問題はフラッグ車がそれまで持ちこたえられるか、だ」
九五式装甲軌道車『ソキ』は速力に勝るBT-7の追撃を懸命に回避していた。地の利を活かしつつ急停止や加減速を利用して巧みに射線をかわし、粘り続けている。乗っている鉄道部員たちは短い期間にも関わらず、「逃走」「回避」に関して極めて高い技量に達しているようだ。もしかしたら大洗女子学園の八九式中戦車のクルーにさえ匹敵するかもしれない。両者とも極めて装甲が薄く、攻撃力も期待できない車両だけに、逃げる技術については必然的に鍛えられたのかもしれない。
だがBT-7を指揮するのはアガニョークの副隊長であり、そういつまでも逃げ続けられるものではない。乗員たちの疲労もある。以呂波たちが駆けつけるまで耐えられるかが勝負の分かれ目だ。
ふと、守保は携帯を取り出した。震動に気づいたのである。表示されている名前は『一ノ瀬千鶴』。通話ボタンを押し、耳にあてがった。
「もしもし」
《あー、兄貴。今試合会場にいる?》
前のようにいきなり怒鳴られることはなく、守保は胸を撫で下ろした。
「ああ、いるぞ。千種学園とアガニョークの」
《あたしも今来てるんだけどさ、試合終わったら会えないかな?》
「なんだ、久しぶりに甘えたくなったのか?」
《バカ兄貴。ビジネスの話だよ》
ビジネスという単語を聞いた途端、守保は失笑した。どうにも千鶴に似合わない言葉である。彼女も戦車道においては策略を巡らせるが、普段はひたすら粗野で、しかし気風の良さで仲間たちを統率している。ビジネスなどという単語を、青年実業家である兄に向けて使うとは思わなかった。
《兄貴、笑ったな?》
「お前が生意気言うからだ。試合の後、ドリンク屋の前で落ち合おう」
《約束だぜ》
その言葉を最後に電話が切れた。千鶴が何をしようとしているのかも気になるが、守保は一先ずモニターに意識を戻した。アガニョーク側は戦術の変換に出たようである。以呂波たちに隊列を突破される前に、自分たちが市街地へ逃げ込むことにしたのだ。残った二両のグラントCDLで千種学園がわを牽制しつつ、SUシリーズは退避していく。
そしてモニターに映る戦車アイコンの一つに、『擱座』の表示が出た。マレシャル駆逐戦車が敵の砲撃を受け、履帯を切断されたようだ。以呂波たちは停止せざるを得なかった。トゥラーンをやられた今、75mm砲装備の駆逐戦車を置き去りにはできないのだ。
対戦車自走砲を主力としている以上、待ち伏せが得意なのは相手も同じ。市街地を先に押さえてしまえばアガニョーク優位となる。窮地は脱しても、千種学園側はまだ苦戦を強いられる。
以呂波だけでなく、全クルーの技量と団結力が試される時だった。
……BT-7とソキの追撃戦は、観客やアガニョーク側が想像していたより遥かに長引いていた。フラッグ車に護衛がないにも関わらず、ラーストチュカは未だに仕留められずにいた。それでも焦りを見せず、ひたすら冷静に指揮を取り続ける。それこそ彼女がカリンカの右腕たる所以だ。
イベント用のものだろうか、紅白の幕を張った大きなテントの脇を通り抜け、ソキが大通りから路地へ入った。街灯のない場所へ逃れようとしたのだろう。しかし夜目の利くラーストチュカにとって、相手が回避機動を取る余裕の少ない狭い道はむしろ好都合だった。
操縦手の肩を蹴り、左折させる。だが曲がった瞬間、ラーストチュカは前髪の下で目を見開いた。
路地一面に、朦々と煙が立ちこめていたのだ。
「副隊長、視界が……」
「怯むな。前進」
苦し紛れの手段だとラーストチュカは判断した。路面上に発煙筒がいくつかバラ撒かれており、火が微かに見える。戦車自体に煙幕発生装置を積んでいるわけではない。この付近の地図は頭に叩き込んである、躊躇わず突破してしまえばすぐにまた尻尾を捕まえられる。
だが突如、煙の中から炸裂音がした。同時に火花が散る。
機銃の発射炎。煙幕で姿をくらませたなら、ソキが撃つはずがない。つまり石鹸水で足止めしたトルディが復帰し、先回りしてきた。
ラーストチュカは瞬時に判断した。
「後退!」
操縦手は彼女の声に従い、車体を再び大通りへと後退させた。しかしその直後、今度は大声で「停止」との命令が飛ぶ。
刹那、砲声。BT-7の砲塔、その僅かに後ろを砲弾が掠めた。衝撃波でラーストチュカの髪が靡く。
街灯に照らされ、砲声の主の姿が見えた。煙幕の中にいたはずのトルディIIa軽戦車が、大通りの側でBT-7を待ち構えていたのだ。ラーストチュカの停止命令がもう少し遅ければ、40mm弾はBT-7の砲塔側面を貫通していたことだろう。
「子供騙しが……!」
ラーストチュカの表情が歪んだ。敵の使ったトリックに気づいたのだ。連ねた爆竹か何かを煙幕の中で炸裂させ、機銃の発砲炎に見せかけたのである。おそらくは今まで戦闘に関与しなかった、T-35の乗員の仕業だろう。彼女はそれにはまって後退し、まんまと敵の策に乗ってしまった。
トルディはすぐに反転して逃げて行く。ソキに合流して護衛につくつもりなのだろう。
《……ラーストチュカ、聞こえる?》
ラーストチュカが次の命令を下す前に、隊長車から通信が入った。カリンカの声がいつもより低い。
「ダヴァイ、隊長」
《敵が大胆になったわ。CDLが二両やられたけど、残りは市街地に退避した。貴女も合流して。仕切り直しよ》
「ダー、ダヴァイ」
淡々と応じながらも、彼女は密かに誓っていた。必ずや敵共に、このツケを払わせてやると。
「東側の橋へ向かえ。味方と合流する」
「了解、市街地東側へ向かいます」
エンジン音を響かせ、BT-7は闇夜を疾駆していった。
その後ろ姿を見送り、路地からひょっこりと顔を出す少女がいた。T-35車長・北森あかりだ。彼女が路地で建物の裏手に隠れて発煙筒をまき、次いで煙幕の中に爆竹を放り込んだのだ。市街地でのフラッグ車逃走支援として、彼女と三木、船橋の三人で検討した策だが、こうも上手くいくとは思わなかった。練度の高い戦車乗りほど周囲の状況変化に敏感で、かつ瞬間的に判断を下す。それを逆手に取ったのだ。
「ふう、まずは一段落か」
呟いて、北森はすぐ側の物体……さきほど戦車たちが脇を掠めて通った、紅白のテントへ歩み寄った。幕を垂らしただけの屋根の無いテントである。幕の裾をめくり、北森は女子としては大柄な体をその下へ潜らせる。
幕に隔てられた内側には、彼女のT-35が隠されていた。大きな紅白の幕はその巨体をギリギリ隠せるもので、折り畳んでT-35の外側に括り付け、骨組みと一緒に運んできたのだ。これが今回のデコイである。以呂波は市街地内で農業学科チームを歩哨に使うつもりだったが、乗車のT-35が撃破されてはおしまいだ。そのためT-35の巨体を、市街地で違和感無く隠す方法を考えたのだ。
「お疲れさまです、リーダー」
操縦手が笑顔を見せた。二年生で、北森の後輩だ。
「おう、流れ弾は大丈夫だったか?」
「ヒヤヒヤしましたけど、運良く当たりませんでした」
言葉を交わしつつ、北森は愛するT-35の巨体へよじ上った。操縦手以外の乗員は全て歩哨任務に当たっている。彼女たちの報告を元に、ソキやトルディと連携を取って敵をおびき寄せ、罠を仕掛けたのだ。もっとも敵副隊長の熟練した回避技術により、トルディの砲撃は空ぶったわけだが。
車長席に収まり、北森は無線機のスイッチを入れた。
「こちら北森。ソキにひっ付いてたBT-7は東へ向かったぜ」
《こちら三木。ありがとうございます。今船橋さんと合流しました》
三木の声には安堵の色が感じられた。一先ずフラッグ車は無事だ。
《こちら一ノ瀬。お疲れさまです、素晴らしい活躍でした》
「当たり前だろ。で、次はどうすればいい?」
隊長からの賞賛に手短に答え、北森は尋ねる。通信手の晴ではなく以呂波が直接通信を行っているということは、隊長車ら本隊は少し余裕が出てきたらしい。
《敵陣を突破して市街地へ逃げ込む計画でしたが、途中でマレシャルが履帯をやられ、敵が先に町へ逃げ込みました》
「……ってことは、ここも危ないか」
先ほどのBT-7は仲間と合流しに向かったのだろう。千種学園としてはトゥラーンがいない今、履帯を切られて動けないマレシャルを置いて追撃はできない。そして敵が町の中をクリアリングしてくれば、いつかT-35の偽装も暴かれてしまうかもしれないし、フラッグ車も包囲される可能性がある。
《今の戦力でマレシャルを捨てて行くことはできません。加えてみんなの疲れも、無視できないレベルです》
以呂波の言う通りだろうと北森は思った。夜間というだけでも疲れるのに、CDL戦車などというわけの分からない珍兵器に翻弄され、暗闇と強烈な光の両方と戦ったのだ。乗員の疲労は練習試合や一回戦の比ではないだろう。
三秒ほど間を開けて、無線機から以呂波の声が聞こえてきた。
《北森先輩、白旗を作ってもらえますか?》
「白旗ぁ!?」
《積んである食料を包んでいる布を、バールか何かにくくりつけて白旗を作ってください》
北森は以呂波の発言の意図が掴めなかった。まさか今更降伏するつもりとは思えない。
しかし戦場における白旗とは本来、非交戦対象であることを示す物だ。降伏の際だけではなく、軍吏が敵軍へ赴くときにも使用する。
《船橋先輩に、アガニョーク側と交渉してもらいます。二時間だけ休戦してほしい、と》
お読み頂きありがとうございます。
結構間が空いてしまいました。
戦況が混迷しつつある中、以呂波は仕切り直しを図ります。
次回、船橋がアガニョーク本隊へ交渉に向かいます。
今後もお付き合いいただけると幸いです。