学園艦で暮らす生徒は休日に実家に帰ることも、艦上で過ごすこともできる。だが入港と重なった際は大半の者が上陸し、陸で買い物や食事などをして過ごす。学園艦にもショッピングモールなどは一通り揃っているが、広大な海の上とはいえ箱庭の中で暮らす生徒たちにとって、上陸して気分を開放的にすることは良いストレス発散になるのだ。
大会前ではあるが、千種学園の戦車道チームも本日は練習を休止し、休みを取ることになった。メンバー全員が士気旺盛なためつい訓練に熱中してしまう癖があり、それをサポートメンバーの男子たちに心配されたためだ。以呂波はこの学校で戦車道に戻れたことが嬉しくて仕方なく、そういった点での配慮が欠けていたと反省し、大会前だからこそ英気を養うことになったのだ。
碇泊した学園艦の近くに、一隻の小振りな船が浮かんでいた。大発動艇と呼ばれる、日本軍が用いた上陸用舟艇である。しかしその大発は陸へ向かわず、沖へ進路を取っていた。その上では九五式装甲軌道車の車長・三木三津子と、マレシャル駆逐戦車の車長として新たに加わった川岸サヨリが釣り竿を手にしている。二人とも救命胴衣を装着し、水産学科の川岸があれこれと説明していた。
「いやー、いきなり誘ってすみませんね、先輩」
「ううん、いいの! むしろ釣りってやったことないから、嬉しいし……」
三木は気恥ずかしそうに笑う。二人とも後から戦車道に参加した立場であるため、何かと仲が良い。
今回川岸が三木を釣りに誘ったのには理由があった。彼女の乗る九五式装甲軌道車ソキが、二回戦のフラッグ車を務めることになったのだ。二回戦のフィールドや敵の戦法などを考えた結果、以呂波が決めたのである。最初は驚いた三木だったが、一回戦では危機に陥りながらも使命を果たしたことを周囲に励まされ、承服したのである。だが未だに一抹の不安を抱えていた。
ふと川岸は竿を置き、足下に置いてあった物……折り畳まれた布を拾い、差し出した。
「先輩。これ、持っていて欲しいッス」
「え……?」
三木がそれを受け取り広げてみると、極彩色の旗が潮風にはためいた。宝船の絵と『祝 大漁』の文字が書かれた、いわゆる大漁旗である。漁船が大漁を祝し、帰港の際に掲げるものだ。古い物のようで、旗の色も少しくすんでいた。
「あたし、小さい頃に乗ってた船が時化に遭って、海に放り出されたことがあるんスよ。その大漁旗と一緒に」
川岸曰く、彼女は幼い頃から泳ぎが達者で、救命胴衣もつけていたため、近くに浮いていた大漁旗を掴んだまま立ち泳ぎで助けを待っていたそうだ。やがて握っていた派手な大漁旗を通りがかりの船が見つけてくれたため、助かったのだという。
「言わばあたしの命を救ってくれた縁起物ッス」
「そ、そんな大事な物……」
「きっとお守りになってくれるッスよ。それ持って一緒に頑張りましょう。あたしも初陣だけど、精一杯やるッス!」
熱を込めて言う川岸。彼女の厚意が三木の胸にじんわりと染みた。そして先輩として、その心に応えたいと思った。
「……ありがとう。勝って、ちゃんと無事に返すからね」
「はい!」
一方、陸に降り立った以呂波、結衣、澪の三人は一路町中へ向かった。道行く人々は義足の以呂波をしげしげと眺め、彼女に手を貸す結衣たちを微笑ましげに見守っている。
「美佐子さんたちはもう着いたって」
メールを確認し、以呂波が言う。アガニョーク学院高校への偵察を成功させた美佐子と晴は、陸で以呂波らと合流する手はずになっていた。待ち合わせ場所は美佐子の実家……彼女の祖父母が営む喫茶店だ。
潜入して見つかったと聞いたときはどうなるかと思っていたが、無事に脱出できて一安心である。
「逃げて逃げて逃げまくった、としか言ってなかったけど、どうやって撒いたんだろう」
「美佐子の体力バカは伊達じゃなかったわね。それにしても何でダンボールなんかに隠れて飛行機を待ってたのかしら?」
「……潜入の定番だから……だと思う……」
結衣の疑問に澪がぽつりと答えた。この三人の中で最もゲームに詳しいのは澪なのである。とはいえ以呂波や結衣がそういったものはほとんどやらないだけなのだが。
道を知っている二人の案内で、以呂波は無事小さな喫茶店に辿り着いた。ドアの前に黒猫が寝そべっており、ちらりと以呂波たちを見る。澪が近づいてそっと頭を撫でると、黒猫は目を細めて愛撫を受け入れた。大分人に慣れているらしい。
結衣がドアを開け、澄んだ音を立ててベルが鳴った。内部はシンプルでレトリックな雰囲気の喫茶店だ。窓辺のテーブルに座っていた二人の先客……美佐子と晴が笑顔を向ける。
「おっ、三人ともお疲れー」
「二人こそお疲れさま」
少女たちが言葉を交わすと、キッチンの戸が開いた。白髪の老人が顔を出す。
「やあ、結衣さん、澪さん、いらっしゃい」
「こんにちは、お久しぶりです」
結衣が丁寧にお辞儀をし、澪もぺこりと頭を下げる。その老人は笑い皺の多い顔に笑顔を浮かべ、好々爺然とした風貌であったが、肩幅が広く体つきはしっかりとしている。老人は次いで以呂波へ目を向けた。
「貴女が隊長さんかい?」
「はい、一ノ瀬以呂波です」
「なるほど。美佐子がね、貴女の右脚になれるよう頑張る、なんてことを言っててね。普通右腕じゃないかと思ってたんだが……」
視線を落とし、以呂波の義足を見る。注目されることにも以呂波はすでに慣れていた。校内ではすでに尊敬の的であるし、特にベジマイトと会ってからは義足で堂々と歩くようになった。時には仲間たちの手を借りながら。
「立派なことだ。……どうぞ、座って」
「ありがとうございます」
老人が椅子を引き、以呂波は腰掛けた。美佐子がすっとメニューを差し出す。ケーキやクッキーなどが何種類か載っており、料理もあった。
「料理とお菓子はおばあちゃんが作ってるの。どれも美味しいよ!」
「私はサンドイッチにするわ。あとフライドポテトも頼んで、みんなで摘みましょう」
「いいね。ついでに甘い物も……」
孫娘とその友人たちを微笑ましげに眺め、美佐子の祖父は再び以呂波に目を向ける。
「美佐子は戦車道で、頑張っているかね?」
「はい。美佐子さんは力があるから装填も早いし、戦車に乗るときも助けてもらっています」
「それは何より。……この子の両親は早死にしてしまってね。この子は丈夫に育ちますようにと、神社へ通って祈ったもんだ」
祖父の言葉に美佐子はニヤリと笑い、ぐっと腕まくりして肘を折り曲げ、力を込める。力こぶが盛り上がるほどではないが、女子としてはなかなかに引き締まった腕をしていた。そんな孫娘に老人は苦笑する。
「少しばかり丈夫になり過ぎたかなと思っていたんだが……それが人様の役に立っているようなら何よりだね。今日はゆっくりしていきなさい」
注文が決まったら呼んでくれと付け足し、老人はキッチンへと戻って行った。ドアが閉められると、以呂波と美佐子は顔を見合わせて笑った。
「いいお祖父ちゃんだね」
「うん! 私の大事な家族だもの!」
家族、という言葉を聞いて、以呂波はふと一ノ瀬家のことを思い出した。まず母親のこと。自分が右脚を失ってから、母は急に弱気になってしまった。公式戦に出た以上、以呂波が自分の判断で戦車道に戻ったことは母の耳に届いているだろう。この大会には姉の千鶴も出場しているのだから。今はまだ何も言ってこないが、いずれは自分も兄のように勘当される可能性があることを、以呂波は覚悟していた。
「……一ノ瀬さん。前から思っていたんだけど」
ふいに、結衣が声をかけてきた。
「学園艦に戻ったら、一ノ瀬さんも私たちの家に住まない? まだスペースあるし」
「ああ! それがいいよ! 戦車乗りは一心同体でしょ!」
美佐子が喜んで賛同した。澪も頷いている。
以呂波は自然と笑顔になった。そう、今の家族は、自分の守るべき家族は彼女たちだ。互いに支え合う仲間たちと共になら、茨の道でも歩んで行けるだろう。例え右脚が作り物でも、戦車の履帯のように力強く。
「ありがとう。そうしようかな」
「よし、決まり!」
「お晴さんもよかったら如何ですか?」
「おや、あたしも誘ってくれるのかい? それも面白いねぇ」
戦車乗りは一心同体、一蓮托生だ。その絆をより堅くし、少女たちは注文する料理と茶菓子に意識を戻した。
……以呂波らが休日を楽しんでいる間、船橋、丸瀬、北森は学園艦のPCルームにいた。窓からは馬術場が見え、大坪がトゥラーン重戦車ではなくサラブレッドを駆り走り回っている。見事な手綱捌きでジャンプを決め、軽快に馬場を駆け抜けていた。部活の自主練に興じるのもまたリフレッシュの方法だ。
「……よし、じゃあこれで決定ね。二人とも休日まで付き合わせてごめん」
「お気になさらずに。好きでしていることですから」
丸瀬が微笑を浮かべて答えた。彼女はスパイとして潜入した美佐子、晴を回収後、自分たちは学園艦に戻って睡眠を取り、起床後は朝から船橋の手伝いをしていたのだ。
パソコンの画面に表示されているのは『会場での販売物一覧』と題されたリストだ。より千種学園についての知名度を高めるため、そして戦車道チーム活動資金の足しにするため、士魂杯二回戦に露店を出すことになったのだ。商品は農業学科が育てた野菜、水産学科からは海産物、そして航空学科による曲技飛行のDVDなどだ。当然ながら隊長の以呂波にはすでに許可は取ってある。さすがにカヴェナンター大明神でお守りを売るのは却下されたが、大会にかこつけてこのような商売を行う学校は他にもあるので問題にはされなかった。
「丸瀬の言う通り。学校がくっついてから一緒にやってきた仲じゃないか」
そう言う北森は学校の制服ではなく、ウクライナの民族衣装を着ていた。白と赤を基調とした丈の長いスカートの衣装で、花の刺繍が施されている。普段の男勝りな北森のイメージからするとかなりギャップのある装いだが、着慣れているためか意外にもよく似合っている。農業学科の生徒が在籍していたUPA農業高校はウクライナ系の学校で、このような民族衣装やコサックダンスなど、ウクライナの文化を農業と共に教わってきた。かつての母校に愛着を持つ彼女たちは廃校になった後も、その伝統を農業学科内で存続させるべく活動しているのだ。
そのような統合前の学校から引き継いだものをアピールするのも、船橋の広報プランの一つだった。
「ありがとう。二回戦も頑張りましょうね」
「委員長! ちょっと見てください!」
背後で調べものをしていた広報委員が船橋を呼んだ。大会に参加している学校の情報を集めていたのである。
指差されたパソコンのモニターを見て、船橋は眼鏡のレンズの奥で目を細めた。
「タンカスロンの試合……?」
戦車強襲競技タンカスロン。戦車道とは違う、日本発祥の伝統戦車競技を母体とした野試合である。表示されているwebページによれば、開催場所は港からさほど遠くない野山で、開催日は今日だ。
「バッカニア水産と、決号工業も参加するようです」
両方とも士魂杯に出場している学校で、バッカニア水産高校は二回戦でかの大洗女子学園と戦うことになっている。そして決号工業高校に関しては船橋、そして以呂波も内心気にしていた学校だった。
船橋はマウスホイールでページを下にスクロールし、参加チームの指揮官リストを見つけた。決号工業の隊長は士魂杯と同じ人物だ。
「……一ノ瀬千鶴?」
船橋の後ろから画面を見て、丸瀬が怪訝そうな表情を浮かべる。それほど珍しい名字ではないが、何か以呂波と繋がりがあるのではと思ったのだ。実際に彼女の勘は当たっている。
「うちの隊長のお姉さんよ」
船橋は少し思案し、立ち上がる。相棒のカメラを引っ掴んで首に提げ、スタスタとPCルームから出て行く。
「おい、船橋」
「ちょっと見に行ってくる! 今日は解散!」
北森にそう答え、彼女はポケットから携帯を取り出した。以呂波にも知らせるために。
お待たせいたしました。
今回で二回戦開始まで書きたかったのですが、ちょっと予定を急遽変更しまして。
単行本で初めて読んだ『リボンの武者』が予想以上の凄まじさで、千鶴の影が今ひとつ薄いなと悩んでいた矢先だったため、試合前に彼女の活躍を入れたいと思いまして。
丁度あのタンカスロンという競技が、考えていた千鶴のキャラにかなりしっくりきました。
というわけで、次回は短い戦車戦が入ります。
まさかのタンカスロンです。
あと関係ないですが、私はしずか姫たちの楯無高校の本拠地とされている地域の出身だったりします(今でもそこに住んでいます)w
ご感想・ご批評などありましたら、今後の糧とさせていただきますので宜しくお願い致します。