ガールズ&パンツァー 鉄脚少女の戦車道   作:流水郎

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エピローグ1

 降車した以呂波、美佐子、結衣、澪の四人。そしてあんこうチームのみほ、優花里、麻子、華、沙織の、合計九人が集まった。

 少女たちの視線の先には、あのタンポポがあった。どこから飛んできた種だろうか。石畳の割れ目に根付き、恐らく誰にも知られることなく育ったのだろう。廃墟となった学園艦の都市で、その花は黄金色に輝いていた。鉄と炎の飛び交う試合中も、ただ静かに咲いていた。

 

「これを、避けたんですよね」

「うん……なんでだろう、気がついたらほとんど無意識に……」

 

 少し戸惑いながら、みほはタンポポと以呂波を交互に見る。自分が何をしたのか、まだ理解しきれていないかのように。

 

「私には見えなかった。あのまま走っていれば轢いていたな」

 

 麻子がぽつりと言う。疲労のためか、いつにも増して眠そうな口調だ。如何に視力の良い彼女でも、操縦席からの狭い視界では地面に咲く花に気づくことはできない。みほに肩を蹴られたため、それに従って進路を変えただけだ。

 当のみほ自身、何故そんなことをしたのか分からなかった。無論、彼女は花を足蹴にして歩くような人間ではない。しかし勝敗を賭けた撃ち合いの最中、雑草同然の小さな花を気にかけるなど、本来なら正気の沙汰ではない。

 

 鉄と油、硝煙の匂いに囲まれた中で、このタンポポから何か尊いものを感じたのか。または極限まで研ぎ澄ました感覚が小さな花にさえも反応し、回避行動を取らせたのか。

 

「……些細なことが勝敗を分けるのはよくあることです」

 

 当惑するみほに、以呂波が語りかけた。目元をそっと拭い、笑みを浮かべて。

 

「それが今回は、このタンポポだったということですよ」

「そうですね。この花がなければ、負けたのは我々の方でした」

 

 感慨深げに腕を組む優花里の横で、華も静かに頷く。それに対し、今度は結衣が口を開いた。

 

「でもその前の奇襲で使われたのが実包だったら、あそこで皆さんの勝ちでした」

「あれはね、みぽりんが空包にしようって言ったの」

 

 車長の肩を叩く沙織。被弾したのが通信手席の付近だったため、衝撃で少しぼんやりとしていたが、すぐに回復したようだ。優花里と同様、彼女もみほの判断を誇りに思っていた。

 

「以呂波ちゃんたちが名誉のために戦っているなら、私たちも名誉を大事にしなくちゃ、って」

「あー、あの演説は……今思い返すとちょっと恥ずかしかったかな……」

 

 恥ずかしさの原因の半分は晴のせいである。まったく、余計なオチをつけてくれた。だがある意味では千種学園らしいと、以呂波も思っていた。

 そのとき、美佐子が急に倒れた。というより、地面に大の字になって寝転がった。驚く友人たちの前で豪快に笑いだす。とても楽しそうに。

 

「正直悔しい! 勝ちたかった! けどスッキリした! やっぱ戦車道初めて良かったー!」

 

 その言葉は仲間全員の気持ちを、極めてシンプルに代弁したものだった。ベストは尽くした、そう胸を張れる負け方だった。以呂波もクスリと笑いつつ、彼女の隣に腰掛ける。

 

「私もちょっと右脚が疲れたので、失礼して……」

 

 義足と生身の脚、両方を投げ出し、横になる。そんな親友の姿を見て、結衣も笑顔でそれに倣った。澪もその横へ。

 戸惑うみほの前で、麻子が同じように寝転がった。夜型の彼女だが、試合の後はさすがに疲れたのだろう、さっさと目を閉じて眠り始める。華も微笑を浮かべながらゆっくりと身を横たえ、沙織は髪が汚れないか少し気にしながら、その横に寝転がる。

 

 まあ、いいか。みほもまた、以呂波の向かい側にころんと倒れ込んだ。

 

 

「あずどん、ごらんよ。戦車道の花が咲いてる」

 

 時計塔の上で、晴が双眼鏡を差し出す。受け取った澤梓は彼女が扇子で示す方向を、レンズ越しに見やる。あんこうチームと以呂波たちの姿が見えた。梓も思わず笑みが溢れる。

 

「本当だ、花になってるね」

 

 タンポポを中心に、九人の少女は空を見上げていた。花弁のように、円形に寝転がって。茜色になりかけた空を、連盟の『銀河』が横切っていく。星型エンジンの唸り声が耳に残った。

 

 試合終了後、うさぎさんチームの六名は晴に声をかけられ、時計塔に登った。晴としては特に用があって呼んだわけではない。ただ一緒にこの景色を見る相手が欲しかっただけだ。梓たちは同い年なので、準決勝のときから気安く話のできる間柄だった。

 その後、大坪涼子たち馬術部チームもやってきた。時計塔の展望台は満員となっている。

 

「いや、あっぱれあっぱれ。粋なサゲじゃないかい」

「うん。千種学園らしい感じ」

 

 同じく双眼鏡を覗く大坪も、笑いながら相槌を打った。

 

「お晴ちゃんも涼子ちゃんも、悔しくないの?」

 

 ご満悦と言った風情の晴に対し、大野あやが問いかける。今回は眼鏡の損害がなかったためか、彼女の表情も明るい。

 

「さぁてねぇ、自分でもよく分からないんだよ。悔しいと言えば悔しいけれど、悔しがるのは無粋だし勿体ないなって」

「何それー」

「なんとなく分かるな、私」

「なんかアンチョビさんみたいだねー」

 

 大洗のうさぎたちが様々な感想を漏らす。晴は美佐子の横で大の字になって笑う以呂波を、じっと見つめていた。あの子がついこの間まで廃人だったなどと、信じる人間はいるだろうか。重そうに引きずっていた義足も、今や『強い脚』となっていた。

 彼女と戦車道、そしてそこで生まれる人の情。女の強さ。女だてらに落語家を志すからには、まだまだ彼女から学びとれることは多そうだ。

 

「しばらく後を着いていこうかね。あの子のいろいろなところを、もっと観たいから」

 

 その言葉を聞き、あゆみと優季が顔を見合わせた。そして大坪も。

 

「……お晴ちゃんって、意外とストーカー気質?」

「いろはちゃんに近づいて、隙を狙っていやらしいことを……」

「お晴さんならやりかねないと思う」

「冗談言っちゃいけねぇ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ……客席は歓声と拍手に包まれていた。表彰式まで見ていこうという者もいれば、腰を上げて帰路に着く者もいる。総じて観客にとっては見ごたえのある試合だった。しかし目に見えない所で行われた、選手たちの駆け引きに気づいていたのはごく一部だ。

 シュトゥルムティーガーを使った欺瞞作戦に最初から気づいていたのは、千鶴たちくらいだろう。彼女たちは大型モニターに映されたIV号とタシュを見つめながら、それぞれのことに思いを巡らせていた。

 

「……やっぱり出てよかったよ、この大会。一回戦で負けちゃったけど」

 

 ベジマイトがぽつりと呟いた。義手で掴んだ紙コップを口元へ運び、残ったコーラを飲み干す。義肢の技術が飛躍的に発達したのは、戦車が生まれた第一次大戦の直後だった。必要とする傷痍軍人が大勢いたためだ。ベジマイトの愛用する能動義手もその時期に生まれたものであり、反対の肩までハーネスをかけることで、ペンチ型の手をある程度動かすことができる。彼女くらい使い慣れればコップを持つ程度は造作もない。

 試合は初戦敗退に終わったが、あの義足の戦車長と出会えたのは幸運だった。以呂波は知らないことだが、二人はある意味では去年から縁があった。自分は来年で卒業するが、この縁はこれからも続くだろう。彼女たちが戦車道を続ける限り。

 

「うん、まあウチは大いに収穫があったわ」

 

 トラビが傍にいる矢車マリの肩を抱き寄せた。矢車の方は隊長のこうしたスキンシップに慣れているためか、苦笑してそれを受け入れている。トラビにとっては準決勝で大洗と渡り合ったことよりも、後輩の成長を見られたことが大きな喜びだった。

 彼女は日本人の『何か』が気に食わなかった。だからドイツ系の学校に進学したが、生徒会は黒森峰の顔色を伺い、戦車道チームを表に出したがらなかった。それに不満を持っていた生徒は他にもおり、積極的に世に打って出ようというトラビの方針が多く支持を集め、隊長に就任した。

 黒森峰にも働きかけを行った。現隊長の逸見エリカはトラビの意図を汲み、ドナウ高校の生徒会に声明文を送ってくれた。黒森峰は新たなライバルの出現を恐れない、我々の土俵へ来い、と。

 自分はよくやった方だと、トラビは思っている。そして自分が卒業した後も、後輩たちはきっとさらなる高みを目指してくれるだろう。

 

 カリンカは相変わらずの仏頂面で、じっと画面を見つめている。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……やっぱり、私がこの舞台に立ちたかったわ」

「勝つ奴いりゃ、負ける奴もいる。しょうがないことだろ」

 

 千鶴が笑みを向けたが、カリンカはふんと鼻を鳴らした。

 

「あんたは知ってるでしょうけど、アガニョークの隊長は私で三代目。先代は初代にクーデターを起こして隊長になったわ」

「ウチも知ってるで。やるべきことをやったんや」

「初代は評判悪かったもんね」

 

 トラビとベジマイトが口を挟んだ。彼女らは友人でもあるが、ライバル同士として情報収集は欠かしていない。アガニョークの初代隊長は戦車道チームの基盤を作ったが、横暴なやり方で反感を買っていた。試合をした他校からの評判もよくなかったので、トラビらも先輩からそれを聞いていたのだ。

 

「私は先代から正式に立場を譲られた。あの人が苦労して作ったものを、さらに大きくするために。けれど……」

 

 瞳が宙を見上げると共に、サイドテールが微かに揺れた。

 

「この大会はチャンスだったわ。学校だけじゃなくて、私自身にも」

 

 少女たちは沈黙した。同じ隊長として、また戦車乗りとして、誰もがカリンカの気持ちを理解できた。というより、共感できた。この『士魂杯』は今まで強豪校の陰に隠れていた自分たちが、真の実力を世間に示すチャンスだった。学校だけでなく、自分の将来の足掛かりとしても。

 もちろん、名を上げる戦いはできたと信じている。試合が終わればノーサイドで互いの健闘を称えあった。

 

 しかしそれでも、やはり勝ちたかった。勝負の世界に生きているなら、その感情は当然だ。

 

 守保はそんな彼女たちを、後ろで静かに見守っていた。だがやがて、思慮しつつ口を開いた。

 

「……いずれ、我が社で新流派の創設を後押しようかと考えていてね」

 

 少女たちが一斉に振り向いた。食いつきを確認した守保は「まだ正式なビジネスプランじゃないから話半分に聞いてくれ」と断った上で続ける。

 

「アメリカとかの戦車道は格式張らないし、豆戦車限定の競技とかも盛んだから、日本と比べて敷居が低い。それが必ずしも良いとは思わないけど、日本にもより気軽に始められる流派が必要だと思う。高校生や大学生の未経験者とかでもね」

 

 今活躍している選手には、小学生の頃から戦車道を始めた者も少なくはない。しかし親類に戦車乗りがいる場合や、小学校で戦車道教育を行っている場合が多かった。幼い頃戦車道に興味を持ったとしても、親の理解が得られなかったり、または始められる環境がないなどの理由で諦めるパターンが多いのだ。

 学園艦教育などで自立心の育った高校生からの方が、新しく始めやすい。その場合は経験者との差が大きなハードルとなるが、指導と環境次第では追いつくことができる。大洗女子学園がそれを証明しているし、この場にいるベジマイトやカリンカに至ってはそこから隊長までのし上がった。若くして自分の会社を築いた守保も、ある意味では似たようなものだ。

 

「幹部として優秀な選手をスカウトしたいが、大手流派の門下生や強豪チームの選手は何かと制約が多いからな。鶏口となるも牛後となる勿れ、小規模のチームの実力者で、伝統を理解してもそれに縛られない独創性があり、尚且つ芯のしっかりとした人材が理想だ。そんな選手はそうそういないと思っていたけど……そうでもなさそうだ」

 

 少女たちの方を見ると、皆真剣な表情で聞き入っていた。カリンカなどは思わず唾を飲み込んだ。話半分に聞けと言われても、やはり『新流派』という言葉の重みは大きかった。もし自分が、自分たちがその中心になれれば……。

 そんな中で一人、千鶴は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「次のチャンスがまだまだ転がってる。そういうことだろ、兄貴」

 

 妹の言葉に、守保は頷いた。

 

「勝利の女神には前髪しかないと言うけど、出会う機会は何度もあるかもしれない。俺のビジネスもそうさ。君らにもまだ機会がある。その野心を大事にしてくれ」

 

 励ましの言葉を残し、若き社長は腰を上げた。もう一人の妹へ会いに行くのだろう。

 残された少女たちは守保の言葉を反芻していた。一代で企業を作り上げただけに、言うことには重みが効いている。沈黙の末、彼女たちは同じ結論に達した。

 これからだ……と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 連盟回収班のトランスポーターが、戦車とその乗員を乗せて整備所(ピット)へ入る。撃破されていないトゥラーンIII重戦車は自力でトレーラーから降りた。整備班に先駆けて出迎えたのは大坪の愛馬セール号だった。大坪も停車した戦車から即座に飛び降り、駆け寄る。愛馬の首を抱きしめ、鬣を撫でてやった。

 

 そして白旗の上がったタシュから、以呂波が仲間たちの肩を借りながら降車する。最後は美佐子に抱きかかえられ、地面に立った。出島期一郎率いるサポートメンバーが整然と列を組み、敬礼を送った。

 気恥ずかしげに答礼した以呂波へ、先に撃破されたチームメイトたちが駆け寄った。サポートメンバーたちがさっと通り道を開ける。丸瀬、北森、東、川岸、去石、三木、河合、およびその指揮下の乗員(クルー)たちだ。

 一番先頭にいるのは船橋だった。被弾時の衝撃で眼鏡にヒビが入っていたが、そのレンズの向こうに雫が見えた。

 

「船橋先輩、私……」

 

 敗北を謝罪しようとした以呂波。しかし船橋は彼女の言葉を遮った。

 そして後輩の体を、強く抱きしめたのである。

 

「確実に勝つチャンスもあった。でもあなたはそれより、皆の名誉を守ってくれた」

 

 涙声で発された言葉。大洗が三式中戦車を救助中に攻撃していれば、大損害を与えられただろう。そうすればみほを孤立させ、数で押し切ることもできた。

 だが以呂波は撃たなかった。船橋から隊長になって欲しいと頼まれたときのことを思い出したから。戦う以上、負けて良いという法はない。しかし千種学園にとって、名誉なき勝利は意味をなさない。それを思い出したからだ。

 

「我々だけではない。廃校を止められず卒業した、先輩方の名誉も守った」

「それが目的だったもんな。目的を達成したってことは、あたしらも勝者ってことだ!」

頭領(ヘーチマン)の言う通り!」

「ならこの後は残念会じゃなくて祝勝会ッスね! いい魚をご用意するッスよ!」

「私も料理手伝うよ〜」

「じ、じゃあ学校の路面電車を一両、貸切にしてやりましょうよ! 鉄道部が手配しますから! ……良いですか、会長?」

「許可します。私もツィターを持っていきましょうか」

 

 いつも通り賑やかな、大事な仲間たち。

 

「一ノ瀬さんが隊長で、本当に良かった。ありがとう」

「……私こそ」

 

 以呂波は心から思った。この学校へ入って良かった、と。

 

 そのとき、サポートメンバーの何人かは近くにやってきた人影に気づいた。ダークスーツ姿の中年女性だ。胸に着けた金色のバッジが服に映えている。『芙蓉に一文字』……一弾流の旗印だ。

 

「ごめんなさい、皆さん。ちょっと通してください」

 

 丁寧にことわりながら、人山の間を抜けていく。その声を聞いて、以呂波はハッとそちらを省みた。母・一ノ瀬星江の姿があった。

 

 久しく連絡さえ取っていなかった親子の再会。しかし以呂波が戸惑ったのは一瞬だった。船橋から離れ、義足をやや横に開き、しっかりと背筋を伸ばす。二人の顔立ちはどことなく似ていた。そしてバッジから、結衣たちは彼女が何者なのか察した。

 固唾を飲んで見守る仲間たちの前で、以呂波は母と向き合う。娘の堂々とした態度を見て、星江は口を開いた。

 

「激しい戦いの中で目的を見失わないようにするのは難しいことです。戦いの熱に飲まれ、強さと勝利を求めるうちに、手段と目的の境目がなくなってしまう。私もそうでした」

 

 母の表情に微笑が浮かんだ。柔らかな顔だ。

 流派とその伝統を守るのは簡単なことではない。特に一弾流のような、特殊性の強い流派は尚更だ。大手流派からは時に白い目で見られながらも、開祖が死に狂いで開いた系譜を守らねばならない……その義務感から失敗もした。守保との関わりがそうだった。

 そして以呂波に対してもまた、失敗をしかけていた。脚を失った娘を戦車道から遠ざけたがために、彼女の目の輝きが失せてしまった。だが幸いにも、娘はそこから立ち上がった。仲間たちの手を借りて。

 

「貴女は感情、そして勝ちを拾おうという欲に屈せず、『何のために勝つのか』を考えた。その上で、決して勝利を諦めなかった。一弾流の理想とする指揮官像です。母として、師として、嬉しく思います」

 

 その言葉を聞き、以呂波は目頭が熱くなった。認めてくれたのだ。自分の戦車道を。

 

「お母さん……」

「いえ、もう師ではないわね。貴女が学ぶべきことはまだ多いけど、それは自分で知るべきこと」

 

 娘の肩を軽く叩き、星江は背を向けた。巣立ち、という言葉が以呂波の頭に過ぎる。

 

「困ったことがあったら相談に来なさい。ただし万が一あまりにも無様なことをすれば、私からお尻を叩きに行きますからね」

 

 歩き去る母親の後ろ姿に、以呂波は無言で一礼した。

 

 

 

 

 

「……以呂波の友達を誘わないのか? 一弾流に」

 

 遅れてやって来た守保が、星江に声をかけた。整備所(ピット)からは少女たちの声に混じり、軽快な音楽も流れてくる。バヤーンなどを持参した生徒がいたようだ。

 ふと息を吐き、星江は息子に笑いかける。守保としては母親の笑顔を久しぶりに見た。

 

「まだもう少し待つわ。まだ好きなように戦車道を楽しんで欲しいからね」

「それもそうだな」

 

 守保は直接会っていないが、晴は大学へ行かず落語家になるつもりでおり、少なくとも卒業から数年は戦車道から離れることになるだろう。だが澪、結衣、美佐子の三人はもしかしたら、いずれ自分から一弾流の門を叩くかもしれない。

 決めるのは当人たちだ。それまで自由に戦車道をやらせるのが良いだろう。

 

「さて、もう行くわ。西住さんをホテルまで送る約束なの」

「え? まさか西住流の家元と一緒に来たのか?」

「たまには悪くないわ。彼女、乗り心地を褒めてたわよ」

 

 近くに停めていたリップ・ソーに歩み寄り、キーリモコンでドアを開ける。ガルウィング式のドアがゆっくりと持ち上がった。近未来的な内部にはエアコンも完備され、守保のサービスでCDプレイヤーやETCまでついている。ハンドルは装軌車両らしく、旅客機の操縦輪に近い半円形だ。ルノーB1やソミュアS35などはトラクターに似た円形ハンドルだが、戦後のMBTでは飛行機かバイクのような形状が多い。

 運転席に身を収め、星江はふと息子を顧みた。

 

「……忙しいでしょうけど、貴方もたまには遊びに来なさい。お父さんが会いたがっているから」

「……そのうち大吟醸でも持ってお邪魔するよ」

 

 勘当された後、父親と会ったことはあるが、一緒に飲んだことはなかった。次は良い酒を用意するか、でなければ一緒にBARにでも行くつもりだ。

 返事を聞いた星江はドアを閉め、エンジンをかける。ディーゼルの唸りが響いたかと思うと、黒いリップ・ソーは軽快に走り出した。排気が微かに宙を漂う。

 

 守保は妹たちの方に目をやった。以呂波たちが愛車の砲塔に座り、船橋が立て続けにシャッターを切っている。

 

 戦時中未完に終わった、ハンガリー陸軍の切り札。戦後に同国の戦車道チームで組み立て途中だったあの車両も、チームの解散によって所有者を転々と変え、未完成のまま八戸タンケリーワーク社に引き取られた。完成する前から錆の浮いていた姿を、守保は今でも覚えている。言いようもない無念さを感じたから、レストアすることにした。大抵の客はこれよりパンターを欲しがるだろうが、品揃えをアピールする程度には使えるだろうと思った。

 

 それが今、千種学園の隊長車として、以呂波の鉄の脚として多くの生徒から愛されている。白旗を上げながらも誇らしげに、義足の戦車長を背に乗せて輝いていた。

 

 カメラのフラッシュに照らされる、44Mタシュ重戦車。その勇ましい姿に向けて、守保は静かに言った。

 良い主人に会えたな、と。

 

 

 


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