「右に大きく旋回」
追ってくるIV号戦車を睨みながら、以呂波は冷静に指示を出す。片脚が義足の身でありながらも、彼女は砲塔内で立ち続け、敵を見つめていた。敵車長の矢車マリも同じである。戦車内からは外の視界は非常に悪い。ドイツ軍の戦車エースは皆こうして周囲への警戒を行い、先に敵を発見することで戦果をあげた。歩兵のいない戦車道では狙撃される心配がないため、勇猛果敢な少女たちは積極的に砲塔から顔を出して索敵する。
敵に集中する以呂波は、脚の疲労も感じなくなっていた。しかしカヴェナンターの砲塔は旋回時に車長の脚が挟まる危険があり、注意していなくてはならない。戦車道のルール上、「ハッチが勝手に閉まって車長の後頭部を叩き割る」「変速機が勝手にバックに切り替わる」などの欠陥は改良が認められているのが、せめてもの救いだった。さすがに砲塔自体の構造や、エンジンの配置などを変えるとルール違反だが。
IV号が停止し、砲塔をカヴェナンターへ指向し始める。距離はおよそ700mほど。以呂波の視線はその砲口を見据えていた。砲口が黒い点になり、さらにカヴェナンターの進行方向へ向いていく。
「停止!」
号令に従い、結衣が急制動をかけた。その瞬間、IV号が撃った。停止したカヴェナンターの前方を砲弾が通過し、離れた場所に着弾。土煙が巻き上る。
偏差射撃を見切っての回避だ。砲口を見て敵が照準を合わせるタイミングを読み、相手が撃つ瞬間に急停止・急発進を行い砲撃を空ぶらせる。以呂波が得意とする射弾回避技術であり、原始的ながらも効果はある。無論砲の初速や距離によってタイミングは変わるので、常にあらゆるデータを考慮しておかなくてはならない。
「目標四時方向、徹甲弾!」
「装填完了!」
美佐子が素早く砲弾を押し込み、澪が照準を合わせた。イギリスのドクトリンでは戦車も移動しながらの射撃を重視していたため、カヴェナンターの主砲は砲手が肩当てで照準できる。慣れれば素早く狙いをつけられ、命中精度も良い。砲手が殺人的な居住性に耐えられるという前提の上でだが。
いつも怯えてばかりいるのに、澪は冷静に照準器を覗いている。訓練の中で、以呂波は彼女に特筆すべき集中力があることに気づいていた。照準器を覗いている間だけは、敵の砲声や爆発音にも心を乱すことはないのだ。
「撃て!」
澪がトリガーを引いた。IV号の正面、前方機銃部分を狙っての砲撃だったが、ほぼ同時にIV号が急発進。砲弾は敵の側面を掠めるのみだった。
「発進!」
結衣が戦車を急発進させた直後、相手が撃ち返してきた。今度はカヴェナンターの後方を徹甲弾が通過する。
ラジエーターの真横にある操縦席で汗だくになりながらも、結衣はもはや暑さを感じている暇もない。タオルを額に巻いて汗が目に入るのを防ぎ、必死で以呂波の命令通り欠陥戦車を操る。履帯が細い上にステアリングが効きすぎるカヴェナンターは繊細な操縦技術が要求される。
彼女に限らず、初陣である三人は経験者である以呂波の指示が頼りだ。敵の砲撃に対する恐怖も相当なものである。だが以呂波の指示で回避操作をこなすうちに、結衣は『自分たちは弾に当たらない』と信じ始めていた。実際彼女の操縦するカヴェナンターは砲撃を魔法のように避けている。まるで以呂波には未来が見えているかのようにさえ思えた。つまり操縦手である自分が、以呂波の指示を忠実に実行さえすれば、敵の攻撃は避けられる……結衣にはその自信が湧いてきた。
自分が、以呂波の脚になるのだ。
「このまま円を描いてゆっくり旋回。敵をこっちの有効射程まで引きずり込むよ」
「了解っ!」
結衣はハンドルを捻る。IV号F2型の長砲身75mm砲は、距離2000mからでもカヴェナンターの装甲を貫通できる。対してカヴェナンターの主砲は2ポンド砲。IV号F2の前面装甲は50mmの厚さなので、貫通させるには少なくとも500m以内に接近しなくてはならない。限られた予算で何とか入手した高速徹甲弾を使ってもだ。
近距離へ肉薄するか、側面に回るか。以呂波の判断に勝敗が委ねられる。
「停止!」
再び、急停止で射弾を回避する。敵の砲手は優秀なようだが、照準の修正が細かすぎた。なかなか命中しないことに業を煮やしたのか、相手は接近してきた。確実に仕留めようということだろう。
こちらもあまり時間をかけてはいられない。カヴェナンターのエンジンはオーバーヒートしやすく、すでに限界に近づいていた。
だが、すでに以呂波の定めたキルゾーンにIV号は近づいていた。ポイントBと名付けた、ズリーニィの第二の待ち伏せポイントとなるはずだった地点だ。
矢車マリは双眼鏡で以呂波をじっと見ていた。以呂波は敢えて、彼女に向かいニヤリと笑って見せる。この挑発は効果覿面だった。欠陥戦車に手玉に取られ焦ったIV号は、速力を上げて接近してくる。
「円を描きながら、敵の左側面へ出て! できるだけこっちの正面を晒さないように!」
決着をつけるべく、結衣に号令を下した。普通戦車は正面の装甲が最も厚く、カヴェナンターとて例外ではない。ただこの欠陥戦車にはその装甲を無駄にするが如く、放熱板が正面に剥き出しになっている。その下には隙間があり、機銃弾でも飛び込めばそれだけで致命傷だ。
側面を取ろうとするカヴェナンターに、矢車は慌てて車体を後進させた。同時に正面をカヴェナンターへ向け、側面を晒さないようにする。
何とか有効射程へ入ろうとする以呂波、何とか距離を保ちつつ砲撃する矢車。追う立場と逃げる立場が、いつの間にか逆転していた。
IV号が発砲するも、以呂波の卓越した回避技術により命中弾はない。だがカヴェナンターも弧を描きながら接近していくため、なかなか距離は詰まらない。
以呂波は敵の背後をちらりと見た。残っている敵はIV号だけだが、その左後方に茂みが見える。
「次、敵の右側面へ回り込んで」
冷静に命令を下す。以呂波は敵を再び罠に嵌める方法を、すでに考えていた。後は敵が引っかかってくれるかが問題だ。そのために笑みを見せて挑発し、苛立ちを誘ったのである。
カヴェナンターが回り込もうとすると、IV号もそれに合わせて車体の向きを変える。さらに後進して距離を取ろうとしたとき、以呂波の策は成功した。
背後にあった茂みに、IV号が後ろから突っ込んでいく。小さな木を履帯で轢き潰した直後、がくんとIV号の後部が沈下した。
矢車がはっと後ろを見る。千種学園の戦車はカヴェナンター以外残っていない……その油断から、彼女は周辺への警戒を怠り、カヴェナンターのみを凝視していた。だから気づかなかったのだ。
後退した先に、茂みで偽装された窪み……ズリーニィが隠れる予定だった、第二の戦車壕があったことに。
「突撃!」
「了解!」
カヴェナンターは増速し、IV号目がけて吶喊した。この隙を逃すわけにはいかない。
IV号が撃ってくるも、砲弾は以呂波の頭上を通り過ぎる。壕の前方に後ろから落ち、IV号は前部が持ち上がった状態になっていた。この体勢で車高の低いカヴェナンターを狙うには俯角が足りなかったのだ。無論、砲手が慌てていたせいでもあるだろう。
「……この距離なら……!」
「まだ! 確実にやれる距離まで近づいて、躍進射撃で仕留めるよ!」
澪の言葉を遮り、以呂波は言った。何とか体勢を立て直そうとするIV号に、カヴェナンターは肉薄していく。エンジンの加熱もサスペンションへの負荷も、結衣は気にしていなかった。この一撃で決まるのだ。
一方IV号も、何とか壕から這い出そうとする。
「停止!」
結衣がブレーキをかけた。バキリ、と何かが壊れる音がしたが、誰も気にかけない。
同時に、IV号が戦車壕から姿を出す。
「乾坤一擲ッ!」
叫びざまに、美佐子が高速徹甲弾を装填する。澪がトリガーに指をかけた。
IV号もカヴェナンターに主砲を指向する。しかし肩当てで俯仰を調節できるカヴェナンターの方が、わずかに早かった。
「撃て!」
その言葉と、それに続く砲声が、勝負の終わりを告げる鐘の音だった。
細身の2ポンド砲が火を吹き、照準器に見えるIV号戦車が僅かに揺れた。
時間にしてコンマ数秒だが、以呂波たちには長く感じられた。息の詰まるような、長い一瞬の後。
IV号の砲塔から、白旗が上がった。
《ドナウ高校、全車走行不能! よって……》
以呂波の胸が、大きく高鳴った。
《千種学園の勝利!》
「勝ったぁぁぁ!」
アナウンスの直後、美佐子が狭い砲塔の中で勝鬨を上げた。
「……ほふ」
可愛らしく息を吐き、澪が満足げな笑みを浮かべる。
「エンジン切るわよ! というか降りましょう!」
「そうしようそうしよう!」
「……暑かった……」
結衣の言葉に全員が同意した。エンジン音が切られ、聞こえるのは仲間たちの声だけになる。操縦手席のハッチから、結衣が真っ先に飛び出した。重労働を終え、端正な顔を汗まみれにしながらも、笑顔を浮かべている。
結衣は砲塔へ登り、以呂波に手を差し伸べた。以呂波は彼女に微笑み返すと、その手をしっかり握る。同時に砲塔内にいる美佐子に下から押し上げてもらい、砲塔ハッチから体を出し、砲塔に腰掛けた。続いて美佐子と澪が、車内から出てくる。
「うあーっ! 涼しいー! 気持ちいいー!」
流れる風を目一杯受け、美佐子が大きく身を伸ばした。
「頑張った甲斐があったわね」
「うん! ありがとう、結衣さん」
カヴェナンターをここまで保たせてくれた結衣に、以呂波は心から感謝した。以呂波を砲塔から引っ張り出してからずっと、二人は手を繋いでいた。
「一ノ瀬、さん……」
澪がおずおずと、以呂波の隣に座った。
「……敵が照準に入ったとき……凄く、ゾクゾクして……楽し、かった……」
頬を赤らめながら言う澪の手を、以呂波はそっと握る。
「これからもよろしくね、澪さん」
澪が微笑みながら頷き、その手を握り返す。すると美佐子が後ろから、以呂波の首に抱きついてきた。
「イロハちゃん、私は!? 私は!?」
「ちょっ、美佐子さん、暑いって!」
仲間たちと笑い合いながら、勝利の喜びを噛み締める以呂波。
船橋たちが同乗した回収車が、彼女の元へ向かって来ていた……
「……本当に勝ちやがったか」
タブレット端末を通じ、八戸守保は練習試合の様子を見守っていた。IV号戦車から白旗が立った瞬間、彼は改めて妹の才能に舌を巻いた。いや、才能などというものではない。今までの努力と、再び立ち上がろうという決意、そして心を通わせた仲間がいたからこその勝利だ。優れた戦車乗りが乗るから戦車が強くなるのだと再認識させられる、そんな戦いだった。
同時に、やはりこのことは一ノ瀬家には伝えない方がいいだろうと考えた。両親は以呂波が片脚の身で戦車道を続けることに反対していたし、以呂波の戦い方は一弾流を離れつつある。少なくとも守保にはそう思えた。
ズリーニィ突撃砲による伏撃は、まさに一弾流の模範的戦術だった。しかしパニックの振りをしたり、T-35を遮蔽物に使うなどの戦法は以呂波の独創性の賜物である。最終局面の攻勢にしても母親が見れば、一弾流の標榜する『踏みとどまる戦車道』から外れるものと思われるかもしれない。本家としては流派のレールから外れた戦いを好まないだろう。
せっかく再起した以呂波の行動に、本家が水を差しては面倒なことになる。すでに勘当されている守保としては別に伝えてやる義理もない。
何よりも、是非とも以呂波に売りたい『商品』があるのだ。
「凄いですよ、これは! カヴェナンターでIV号を倒すなんて!」
後ろで見ていた女性社員が歓声を上げる。画面には勝利を喜び合う生徒たちの姿が映っていた。船橋が以呂波と握手を交わし、感謝の気持ちを伝えている。
「義足なのにこんなに頑張って……立派な妹さんですね」
「以呂波は戦車に乗って戦うとき、一番生き生きする奴だからな」
感動の涙を浮かべる社員に、守保は苦笑した。
「戦車に轢かれて片脚失くしたくらいで戦車を嫌いにはなりません、ってところだろう。本人としては」
「……妹さんって、ハンス・ルーデルやジャック・チャーチルとかとご同類なんですか?」
「失礼なことを言うな」
守保はパソコンに目を向け、在庫リストを確認した。列記されている戦車の名前の一つを指差し、再び口を開く。
「こいつを整備しておこう」
「おおっ! やっぱり千種学園に売るんですか、アレを!?」
「さすがの以呂波でも、カヴェナンターを使い続けるのは無理だろうからな。先方が予定通り予算が降りるようなら、これを隊長車に勧めてみる」
「ついにアレがトルディ、トゥラーン、ズリーニィを率いて戦うところを見られるのかぁ……感無量ですねぇ」
部下の言葉に、守保は再び苦笑した。妹と違う形で、自分の部下たちも戦車が好きでたまらないのだ。勘当されても戦車と縁が切れずに、そんな部下たちを率いている自分も同類なのだろう。
それもそう悪くはない、と守保は思った。
お読み頂きありがとうございます。
何でまたカヴェナンターなんてもんを出してしまったんだろう、と書いていて自分でも思いましたw
ちなみに「カヴェナンターのハッチ及び変速機は改造されており、その部分の欠陥はなくなっている」という部分ですが、これは本編を見る限りこの程度の改造は問題ないだろうと判断して書きました。
プラウダ校のT-34だって、ハンマーでぶっ叩かなきゃギアチェンジできない戦車であんなにスムーズな連携は不可能でしょう。
セモヴェンテ突撃砲も、砲撃時はハッチを開けて換気しないとガスが充満するという欠点がありましたが、アンツィオ高校のセモヴェンテはハッチを閉めたまま砲撃しています。
カルパッチョたちが防毒マスクをつけている描写もなかったし、改造されて換気装置がつけられていると見るのが自然です。
ここまでで第一章を区切りたいと思います。
仕事の都合で次回まで間が空くかもしれませんが、カヴェナンターに代わる新隊長車及び、学園艦内に眠っていた日本製車両が加わります。
これからも応援していただければ幸いです。
ご意見・ご感想もお待ちしております。