黒髪ユウシャと青目の少女   作:姫崎しう

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 ニルが目を覚ました時、最初に目に入ったのは隣で何かを読んでいるルーリーノだった。

 

「目が覚めましたか?」

 

 その姿をニルがボーっと眺めていると、途中でルーリーノがその事に気がついてニルに声をかける。

 

 ニルが「ああ」と言って起き上がろうとすると、ベッドが大きな音を立てて軋んだので思わず身体を硬直させた。

 

「すいません。寝かせられそうな所が他になかったものですから」

 

 ニルの反応を見て、少し可笑しくなったルーリーノが持っていた本をテーブルの上に戻してから、クスクスと笑いながらそう言う。

 

 笑われはしたが、ベッドに運んでくれただけでも感謝すべきことかと思ったニルはちゃんと起き上がってから「いや、助かった」と素直に言った。

 

「俺はどれくらい寝てたんだ?」

 

「正確にはわかりませんが、そんなに長い時間ではないですよ。恐らく一時間くらいでしょうか」

 

 窓を探すようにキョロキョロと家の中を見回しながらニルが尋ねると、ルーリーノが少し自信がなさそうに答える。

 

 それを聞いて安心したように溜息をつくと、ニルがベッドから立ち上がった。

 

「もう立ち上がって大丈夫なんですか?」

 

 立ち上がったニルの顔色を見ながらルーリーノが言うと、ニルは「ああ」と短く返す。

 

「とは言っても、俺自身まだ混乱してる感じなんだがな」

 

「混乱ですか?」

 

 ニルの言葉にルーリーノが疑問を抱いて思わず漏らす。

 

 ニルもどう説明したらよいのか分からず、しばし考えてから口を開いた。

 

「そうだな。分かりにくいかもしれんが、恐らく存在するすべての呪文を一気に頭に無理やり刻みつけた感じだな。

 

 今はだいぶ落ち着いてきたが、与えられた情報が多すぎて逆に訳が分からない感じというか……」

 

「とりあえず、今は大丈夫なんですね?」

 

 ニルが何とか捻り出したような答えだが、ルーリーノは正確にはその意味を理解することができずにそう言うと、ニルが「とっさにユウシャの力を使える気はしないが、それ以外は大丈夫だろう」と返す。

 

「だから、村に戻ろうか」

 

「どうしてですか」

 

 ニルの発言が予想外で、ルーリーノが驚いたように声を出す。

 

 それに対してニルは当然というように口を開いた。

 

「約束してたろ? 今日の用事が終わったら村に戻るって」

 

「まあ、そうですけど……」

 

 困ったようにルーリーノが視線を泳がせる。

 

 その時、確かに約束はしたし、村に戻りたくないわけではないが、今はニルが全快するまでここにいるべきではないのかとルーリーノの頭の中で思考が駆け巡っていた。

 

 しかし、そんなルーリーノの葛藤など知る由もないニルがお構いなしに口を開く。

 

「ここに来る時にはあんなこと言ってたが本当はもう少しあの村に居たかったんだろ?

 

 それにユウシャの力が使えなくても、ここから村に戻るだけならそんな危険はないだろうし、だとしたらここで休んでも村で休んでもそんなに変わらないだろ」

 

 ルーリーノは考えを読まれたのかと一瞬驚いたが、そんな事はないだろうと恐る恐る尋ねてみる。

 

「もしかして、顔に出てました?」

 

「分かりやすかったな」

 

 ニルにそう指摘され、ルーリーノは自分への恥ずかしさか情けなさか溜息をつく。

 

 しかし、ニルに声に出して言われてしまった事で、普段ならばこの家で休むことを選ぶであろうルーリーノの心が村に帰る方へと傾いた。

 

 それでも「本当に大丈夫ですか?」と尋ねてしまうわけだが、間をおくことなくニルに「大丈夫だ」と言われてしまい、それならばとルーリーノはこの家を出ることを決めた。

 

 

 村へと戻る途中ルーリーノはニルの分までといつも以上に警戒をしながら歩いた。

 

 ニルはそんなルーリーノを見ながらそこまでしなくていいのではないかとも思ったが、敢えて何も言うことはせずにルーリーノの後を付いていく。

 

 村までの道では、ルーリーノの徒労もむなしく同時にニルの予想通りに特に何も起こることはなく近くまではすんなり帰ることができた。

 

 異変に気がついたのはルーリーノで、いつもよりも色々な所に意識を巡らせていたせいか、村がしっかりと確認できる頃にはすでに違和感を覚え始めていた。

 

「やっぱり、何か変な感じがしますね」

 

 村に近づいた時とうとうルーリーノがそう言ったので、ニルが足を止め「どういう事だ?」と尋ねる。

 

 ルーリーノは具体的にはわからない違和感をなんとか言葉にしようと頭を悩ませる。

 

「何と言いますか、いつもと違う……と言う感じしかしないのですが、ともかく此処からはより警戒していきましょう」

 

「何かあるとしたら村だろ? 急がなくていいのか?」

 

 ルーリーノの言葉にニルは素直に頷かず、そう問いかける。

 

 ルーリーノは少し複雑そうな顔をすると、それでもいつものように気丈に話し出した。

 

「確かに急ぎたいところですが、そのせいで私達の身になにかあっては意味がありませんから可能な限り慎重に迅速にと言ったところです」

 

 「それに何もないかも知れませんしね」と最後軽い口調で言うと、ルーリーノはさらに警戒を強めた。

 

 ルーリーノのそんな態度を見てニルは周囲に気を配り始めると同時に、感心した。

 

 

 

 村の門付近まで来ると二人はその違和感の原因を理解した。

 

 村の中に渦巻く殺気。それは本来ルーリーノやニルを狙っていた訳ではないが、あまりにも強すぎるそれをルーリーノが違和感として感じ取っていたわけである。

 

「中に何かいますね」

 

「そうだな。しかもその辺の亜獣とは格が違い過ぎる」

 

 そうなのだがとルーリーノはニルの言葉を疑問とともに受け取る。

 

 確かにこんな殺気を出せる生き物がその辺の亜獣と同格なわけがないが、逆にそう言った亜獣というのは殺気をうまく隠すのではないだろうか。

 

 しかし、ルーリーノが何か答えに達する前に中から耳を劈くような悲鳴が聞こえてきた。

 

 これ以上悠長にしていられないと感じたニルが、ルーリーノに視線を送り、門の中に入ろうとする。

 

「待ってください」

 

 そう言ってルーリーノがニルを引き止めたので、ニルが少し苛立ったような表情でルーリーノを見る。

 

「ニルは今上手くユウシャの力をうまく使えないのでしょう? それなら私から入ります」

 

 言われてニルの頭が少し冷える。

 

 確かにユウシャの力を使えないニルよりもルーリーノの方があらゆる状況に対応できる。

 

 ニルは低い声で「わかった」というと道をルーリーノに譲った。

 

 村の中その一歩目を踏み出したルーリーノが先ず見たのは、真っ赤に染まった見知った村人。

 

 すぐに駆け寄りたい衝動に駆られたが、それをグッと堪え村の方に目を移すとその状況は一目瞭然だった。

 

 何人もの人が最初の村人のように血の海に沈んでおり、残っている村人が村の奥で助けを求めるように泣き、叫び声を上げ続ける。

 

 のどかだった村のあちらこちらに血が飛び散り、場所によっては頑丈な爪か何かで切り裂かれた跡がある。

 

 そんな地獄絵図を作り出した張本人であろう存在は今、残った村人をじっと見ていて、その姿はまるで次の獲物を選んでいるようにも見えた。

 

 その姿は白くふさふさとした毛に覆われ、黒い毛が縞模様に似た模様を作っている。

 

 また、二人の位置からは後ろ姿しか見えないが、明らかに人よりも大きいそれの足には鋭い爪が生えている。

 

「なるほど、トラか……」

 

 ニルがそれを見てそう呟いたが、ルーリーノにはその言葉の意味が分からず「ニルは知ってるんですか?」と尋ねた。

 

 ニルはすぐに頷くと、手短に説明する。

 

「要するに、牙や爪の鋭いでかい猫だな」

 

「見たまんまですね」

 

 二人がそんな会話をしている間に、白いトラは獲物を決めたのか、飛びかかろうと体勢を低くし始める。

 

 その視界にとらえられているのがマーテルだと気がついたルーリーノが思わず駆け出した。

 

 ニルもルーリーノに遅れてその事に気がついたが、今更駆け出したところで間に合わないことを悟る。

 

 むしろ先に走り出したルーリーノですら間に合わないであろうことさえ目に見えて分かったので、ニルは賭けに出るように頭にある膨大な情報を探る。

 

 幸い一度だけ使ったことのある言葉は思いのほか簡単に思い出す事が出来、ニルはすぐにそれを声に出した。

 

 

 

 走りながらルーリーノは自分が間に合わないことがすぐに分かった。

 

 それでもどうにかしなければと、呪文を唱えていると急に足が軽くなるのが分かった。

 その感覚をルーリーノ自身どこかで体験した記憶があったが、それを思い出している暇はないと軽くなった足をさらに早く動かす。

 

 

 

 

 死を覚悟してか、少しでも死から逃げるためか蹲りを目閉じているマーテルにトラの爪が届く直前、ルーリーノはその間に割り込み風の壁を展開した。

 

 その事にマーテルが気がついたのはしばらくしても想像していた痛みが襲ってこなかった為に、恐る恐る目を開けた時。

 

 目に映ったのは自分をかばうように立っているルーリーノと目の前まで来ているのに攻めあぐねている今まで見たことのなかった大きな獣。

 

「無事のようで良かったです」

 

 少しきつそうな顔をしてルーリーノがそう言ったのを聞いて、マーテルは状況を理解した。

 

 それから「ここはいいから逃げな」と叫ぶ。

 

「さすがに無理ですね。今逃げたら……私まで危ないですから」

 

 予想以上の力に押され、苦しそうにルーリーノが言葉を返す。

 

 直後トラは飛ぶように身を引くとルーリーノを睨みつけながらその口を開いた。

 

『小娘如きがこのブランカティグロの千年にも及ぶ悲願を邪魔しようというのか』

 

 低くはあるが、女性のような声でブランカティグロと名乗ったトラが言う。

 

 ルーリーノは次にいつ攻撃されるかわからない為、魔法を解くことができず、少しずつ魔力を消費しながら言葉を返した。

 

「貴方が東側のユウシャの使いなんですね」

 

『分かっているのなら其処をどけ。私が殺したいのは完全な人だけなのだ』

 

 ブランカティグロがルーリーノを睨みつけながら唸るようにそう言うと、ルーリーノが首を振る。

 

『ならば仕方あるまい。一人ずつ恐怖を与えるように殺して行くつもりだったが、一気に終わらせてしまおう。

 

 ここ以外にも人など掃いて捨てるほど居ろうからな』

 

 言い終わるが早いか、ブランカティグロは距離を取り一度口を閉じる。

 

 それを見たルーリーノが、チンロンの事を思い出す。

 

 力に飽かせた反則的なまでの物量攻撃。もしそれが来た時に生き残っている村人を全員守りきれるのか。

 

 ルーリーノはその計算をしようとしたがそんな暇など与えられることなく、ブランカティグロが雄たけびを上げた。

 

 直後、ルーリーノとブランカティグロとの間にあった家が様々な位置で切られる。

 

 ある家は屋根をバッサリ持っていかれたり、ある家は屋根ごと縦に真っ二つにされたりと、それを見た瞬間ルーリーノの頭の中に、守りきれず切り刻まれ血を噴き出し倒れて行く村人の姿が浮かんできた。

 

 

 そこから先はもう無意識と言ってもいい。

 

 ニルに会う前のルーリーノなら守れる範囲、もしくは自分だけを残る魔力を使って守りながら逃走するという選択をしていただろう。

 

 しかし、ルーリーノは逃げる動作など微塵にも見せることはせず、代わりに唱えている暇も無かった呪文を唱えることなく魔法を使った。

 

 目に見えない空気の流れがルーリーノを含め村人全員を覆うように回転しはじめ、それは一瞬とかからずに触れたものを容赦なく切り刻む大きな竜巻になる。

 

 それはブランカティグロが放った無数の風の刃をも巻き込んでいった。

 

 

 

 竜巻の外ではブランカティグロが怒りに我を忘れたかのように、風の刃を放ち続けていた。

 

 魔力に限りのあるルーリーノに対して、そう言った制限のないユウシャの使いにしてみれば、ずっとそうしていればいずれ勝てるのであるが、すでにブランカティグロがそのような事を考えていられるほど冷静ではない。

 

 それを見ていたニルはどうにも遣る瀬無い気持ちになりながら、ようやく頭の中の無限とも言えるのではないかという情報をうまく使う方法に気がつき、それを実行するためにボソリと呟いた。

 

 それからブランカティグロに近づいて行くと、ニルは怒れるトラの向こうにいるであろう人物に話しかける。

 

「なあ、ユウシャよ。怒りで我を忘れてしまうほどにお前は人を憎んでいたのか?」

 

 そう言っても返してくれる人物はおらず、ブランカティグロに至ってはニルの言葉など耳にすら入っていない。

 

「でも少なくとも俺はお前が憎むような人以外にも会ってきたんだよ。

 

 特に今耐えてくれているルーリーノとかな、だから……」

 

 ニルはそう言ってブランカティグロを見上げる。

 

 ニルに動物の表情を読む事などできないが、少なくとも今足元にいるニルにすら気がつかないほどに周りの見えていないこの白いトラの顔を視界に入れたところで言葉を放つ。

 

 ユウシャの生まれた世界で使われていたであろう言葉でただ一言「キエテクレ」と。

 

 

 

 もう少しで魔力がなくなると言ったところで、ブランカティグロの猛攻が急に止みルーリーノは驚きながらも魔法を解いた。

 

 それと同時に視界が開け、ブランカティグロの姿がどこにも見当たらないことを確認するとその場に座り込み俯く。

 

 そんなルーリーノの方へと近づく足音があり、ルーリーノは顔を見ずともそれが誰であるかわかった。

 

「ルリノ、お疲れ」

 

 想像通りの声が聞こえてきたルーリーノは何処となく気だるくなっているのを我慢して「ルーリーノです」と返す。

 

 それから、いやみを言うように続けた。

 

「使えるなら初めから使ってください」

 

「きっかけをつかむまでにだいぶ時間がかかってな」

 

 流石にそんなところだろうなと思っていたルーリーノはそれ以上何も言うことはなかった。

 

 そうしている間に村人にもいま自分たちが助かった事に気がつくものが現れはじめ、それが波紋のように広がる。

 

 互いに抱き合ったり、その場で泣いていたり思い思いの方法で助かった喜びを噛みしめている中、いくらか遅れてマーテルが状況を把握する。

 

 それからこの村の救世主とも言える少女のところに駆け寄るとその顔を見て礼を言おうとルーリーノの顔を覗き込んだ。

 

 ルーリーノは覗きこんできたのがマーテルだと分かると、また大袈裟に礼を言われるのではないかと思ったが、ルーリーノの顔を見たマーテルの表情が凍りついたのを見て疑問を覚える。

 

 対してルーリーノの顔を覗き込んだマーテルは、先ほどまで自分たちを死に追いやろうとしていたトラ、ブランカティグロの言動を思い出していた。

 

 『私が殺したいのは完全な人だけなのだ』とブランカティグロがルーリーノに言っていたことを。

 

 それから、信じられない気持でルーリーノの宝石のような真っ赤な瞳を見ると「ルーリーノ、その赤い目はどういうことなんだい」とかすれた声で言った。


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