ウンダからメリーディへ向かう街道を少し逸れた海の近く。
砂浜の手前でルーリーノとウィリが斜に構えるように向かい合っている。
太陽はまだ昇りきってはおらず、海から吹いてくる風は少し強い。
その中でルーリーノはフードをかぶることはせずに口を開いた。
「この世界には目には見えませんが地水火風それぞれの精霊がいるといわれています。魔法というのは……」
「その手の話は聞き飽きてるんだよ」
ルーリーノが基本的な所を説明していると、ウィリがそう言って口を挟んだ。
ルーリーノは「ふむ」と言ってから少し考え込むと、改めて口を開く。
「では、杖を使ってもいいので何か魔法を使ってみてください」
そう言われたウィリは「うっ……」とうめき声を漏らしながら目をそらす。
その様子を見てウィリは魔法が使えないんだなと確信したルーリーノがそれならばと指示を変える事にした。
「じゃあ、魔法の基礎について分かる限りで言ってみてください」
その言葉に対してもウィリは苦い顔を見せたが、渋々と言った感じで話しだす。
「地水火風、四種類の精霊がいて呪文で精霊に命令して、精霊の力が使えるように魔力を渡すみたいな感じだろ?」
「精霊はどのような場所にいるのでしょう?」
ウィリの言葉を聞いてからルーリーノがそうやって促す。
ウィリは「えっと……」と思いだしながらではあるが少しずつ言葉にし始めた。
「水の精霊は水の近く、火の精霊は火の近くに多く居る……みたいな感じだったろ?」
「そうですね、最後に呪文とは何でしょうか?」
「精霊にする命令だろ」
ウィリが何でそんなことを聞くのかと言いたそうな目でルーリーノを見ながら答えると、ルーリーノは何かを理解したような顔で頷く。
ウィリはルーリーノだけが分かったような顔をするので面白くないと言った様子でルーリーノを見ていた。
「それでは今から四つ呪文を教えますから、杖に魔力を籠めるようなイメージで唱えて見てください」
それを聞いてウィリ相変わらずムッとした表情をしていたが、内心ではとてもはしゃいでいた。
緑色の目に生まれて、そのためにウィリは家族の期待を受けて育てられてきた。
そしてもうそろそろ魔法を教わってもいいだろうと言う年齢になった頃、ウィリは親の期待のためか自分は世界一の魔導師になれると思いこみ、それならば魔法を教わる相手はやはり世界一の魔導師でなくてはならない。
そう考えペレグヌスに弟子入りを志願して一年以上がたっただろうか。
ペレグヌスにはあっさり断られてしまったが、家族には格好をつけたかったためにペレグヌスの弟子にしてもらったと嘘をつき他の誰も教えてもらない状況になってから、ようやく自分も呪文を唱えられるというのだからその感慨も一入である。
しかし、ウィリはすぐに態度を変えた事を知られるのが嫌だったのでそれを面に出さないようにしながら口を開く。
「それで、呪文って言うのは?」
「それぞれ、ミ・オードニに続けて一つ目がアペリ・ファヨロ、二つ目がブロヴィ・ブロヴォ、三つ目がアペリ・アクヴォ、最後がフォルミ・モントです」
呪文を聞いて「わかった」とそっけなく返すとウィリは少し興奮した面持ちで杖を構える。
それから、さっき教えてもらったばかりの呪文を思い出しながら声を出した。
「ミ・オードニ・アペリ・ファヨロ」
呪文を唱えたそばからウィリは自分の中から何かが失われていくのを感じた。
しかし、結果生じたものは蝋燭の炎にも満たない小さな火。もちろんそれは吹き付けてくる海風に一瞬にして消されてしまったためにウィリにすらそれが見えたかは怪しい。
しかし、ルーリーノはそんなウィリの結果などお構いなしと言った様子で「それじゃあ、次の呪文を唱えてみてください」と言う。
ウィリとしては思い通りの結果にならず歯痒いでいたのに、あまりにもルーリーノがサバサバとしているので、気にいらなかったがここで教えてもらえなくなる方が困るのでグッと堪えて二つ目の呪文を唱える。
「ミ・オードニ・ブロヴィ・ブロヴォ」
先ほどと同様にウィリは魔力が無くなっていくのを感じた。
それから、今まで砂浜の砂を巻き上げることのなかった風が一度だけ砂嵐を作るかのように強く吹く。
その瞬間ウィリは思わず手で目を覆い隠したが、砂に巻かれ服の色がやや白っぽくなってしまった。
対してルーリーノは即座にウィリと同じ呪文を唱えて砂をすべて海の方へと押し返したので悠然とその場に立っていた。
「今のって……」
風が通り過ぎてから半ば呆然としつつウィリはそう呟く。
たまたま強い風が吹いただけかもしれないが、もしかして今の強風は自分が作り出したのではないのかと期待して。
そんな風にウィリが内心そわそわしていると、ルーリーノは淡々と「次お願いします」と言う。
「ミ・オードニ・アペリ・アクヴォ」
ウィリがそう言った後、今度はコップを傾けた時のようにウィリの持つ杖の先から水が流れ、コップ半分ほどの量が流れると止まってしまう。
しかし、今度こそ魔法が使えたのだと確信したウィリは思わず「やった」と声を出す。
しかしすぐにもしかしたら見間違えじゃなかっただろうかという疑念に駆られて今度は地面を見る。
するとやはり地面は濡れていて、それを見てもう一度ルーリーノには見えないように拳を握り喜びをかみしめる。
ルーリーノはそのウィリの喜びには気が付いていたが今は早く次に進みたいと「次が最後ですね」とウィリを促した。
「え、えっと、ミ・オードニ・フォルミ・モント」
ウィリは自分とルーリーノとの心緒の違いに戸惑いながらも最後の呪文を唱えた。
しかし、今度こそ何も起こることはなく代わりに魔力を大量に消費したウィリが奇妙な疲れを感じてその場に座り込んでしまう。
「お疲れ様でした。これで何となく方針が決まりました」
座りこんだウィリと目線を合わせてルーリーノがそう言うと、ウィリは頬を染めて思わず顔をそらす。
「方針が決まったって、今のは一体何だったんだよ」
照れ隠しか本心かウィリが荒い口調で尋ねる。ルーリーノはスッと立ち上がると、海の方を見ながら答えた。
「今教えた呪文は、地水火風それぞれの精霊を用いたとても簡単な魔法の呪文です。火を出すとか水を出すとか。
それらを一通りやってもらってウィリ君に合う属性を見極めていたというわけです」
話を聞いてウィリは思わず納得してしまう。
そして、そうなるとすぐに自分はどうなのかが気になるもので、たまらず「それで俺はどうだったんだ?」と尋ねた。
すると、ルーリーノが少し考えた後で「ウィリ君はどうだと思いますか?」と問うてきたのでウィリは先ほどの結果を思い出す。
目に見えて成功したと思うのは水。もしかしてレベルだと風。火と地は失敗したとみていいような内容であった。
「水……じゃないのか?」
だから一番確率が高そうなものを答えたが、ルーリーノに首を振られてしまう。
「水だったらよかったんですけどね。ウィリ君の得意属性は風でしょう」
「どうしてそうなるんだ?」
予想が外れてウィリは純粋に疑問に思ったのでそう尋ねる。ルーリーノはウィリの方を向きなおすと説明を始めた。
「まず水ですが、それがうまく行ったのはすぐそこが海だからです。
それは風に関しても同じことが言えますが、決定的なのは地の魔法が発動しなかったことですね。
気が付いていなかったと思いますが、一応火は成功していたんですよ?」
ルーリーノはそう丁寧に説明したつもりであったが、ウィリは今ひとつピンとこないような顔をしてルーリーノを見る。
そんなウィリの表情を見てルーリーノはさらに説明を加えることにした。
「地と風、水と火というのはそれぞれ対立しているんですよ。ですから水の魔法が得意であれば火の魔法が苦手だということがほとんどですし、地と風に関しても同様です。
ですから、ウィリ君は風魔法の才能があるといえるわけです」
そこまで言ってようやくウィリが理解したような表情を見せ、ルーリーノは少し安心する。
それから、そろそろウィリが立ち上がれるだろうと思っ「では、一度町に戻りましょうか」と声をかけ歩き出した。
ウィリはあまりその場を動きたくなかったが、ルーリーノが足早に帰路についてしまったので慌てて立ち上がると「お、おい、待てよ」と青空の下走り出した。
それから、ウンダの町に着いた後ルーリーノはウィリに「それでは、一時の鐘が鳴り次第またここに集合ということで」と言ってフードを目深に被るとすぐにペレグヌスの邸がある町の奥の方へと入って行ってしまった。
ウィリはそんなルーリーノに何も言うことができずにただ見送ると、いつもよりも少しだけ得意げな顔で一度家に戻ることにした。
ウンダの町に限らず、時間を知る際によくつかわれるのが一時間ごとになる鐘。
この鐘は教会が管理しており、教会は日時計を使って時間を把握している。
鐘は基本的に朝の六時から日が落ちるまでの間鳴らしており、朝六時は一回、朝七時は二回といった具合に増えていく。
そうなると最後の方はすべての鐘を鳴らし終えるのに数分かかってしまう。
しかし、親子の間で帰宅時間を決める際この鐘が鳴るまでにはということになるのだが、子供としては鐘が鳴り終わるまでという認識で広まっていたりするので時間がかかってくれた方が嬉しかったりもする。
一時となるとその鐘の数は八回。ルーリーノが町の出入り口でウィリを待っているときにその鐘が鳴り始めた。
「いーち。にーい……」
別に遅れたからと言って何かしらペナルティを与えるつもりなど無かったが、何となく鐘に合わせて数を数えてしまう。
それから五回目の鐘が鳴る辺りでルーリーノにウィリの姿が見えはじめ、八回目の鐘が鳴る頃には息を切らせたウィリがルーリーノの隣にいた。
「ど、どうよ……ちゃん……と、間に会った……ぜ」
息を整える前にまずそう言ったウィリにルーリーノはどのような態度をすればいいのかわからなかったが、ウィリが冒険者を目指している前提で口を開く。
「出発直前にそんな息を切らされても仲間は困るだけですよ?」
それを聞いて、ウィリは何とか言い返そうと思ったが息を整えるのに手いっぱいで上手く言葉が出ない。
そうしている間にルーリーノがもう一度声を出した。
「まあ、時間に間に合うって言うのも大事ですけどね」
ルーリーノはそう言いながら、農業地帯である町の入口の方を眺める。
昼間ではあるが、十二時過ぎまで働いていた人たちが休みに入り、逆に十二時には休んでいた人たちが外に出てきている最中なので割と人は少ない。
ルーリーノがそんな様子に一々感慨を覚えていると、ウィリの体力も回復したらしく、何やら不思議そうな目でルーリーノを見ていた。
「それじゃあ、行きましょうか」
その視線に気がついたルーリーノがそう言うと、ウィリは怪訝な表情をしながらも頷いた。
二人がやってきたのは午前中にも来た海の近く。
「それで次は何をしたらいいんだ?」
食ってかかるようにウィリがそうルーリーノに尋ねると、ルーリーノはウィリに手の平を見せるように腕を伸ばすと口を開いた。
「杖を持っていましたよね。まずはそれを渡してください」
午前中のことがあったので素直にここで杖を渡していいのかと、恐る恐るウィリが杖をルーリーノに渡す。
ルーリーノは満足そうな顔で杖を受け取ると指示を出した。
「それではこの状態で朝教えた風の魔法を使ってください」
「お、おい」
流石に杖を持つ理由くらいは知っているウィリがルーリーノの言葉に驚いた声を上げる。
しかし、ルーリーノは落ち着いた様子で説明した。
「確かに杖は魔導師には必須と言っても過言ではないものですが、例え緑の目の魔導師であっても集中して丁寧に魔力を使えば杖無しでも魔法を使えるはずなんですよ」
自身がほとんど杖を持ったことがないので聞く人が聞いたらまるで説得力のない言葉だが、ウィリにしてみればこれを信用するか暫し魔法を使えるようになるのを諦めるかという二択のため文句は言っても指示に従うしかない。
ウィリは杖の無くなった手をどのようにしていいのかわからず結局適当に前に伸ばして呪文を唱える。
「ミ・オードニ・ブロヴィ・ブロヴォ」
唱え終わった後、ウィリは何か違和感を覚えた。そして、どれだけ時間が過ぎても何も変わらないことでその違和感の原因に気がつくことができた。
「もしかして、魔力が少しも使われてない?」
驚いたように呟いたウィリの言葉を耳聡く聞いていたルーリーノがウィリの疑問に答える。
「それはウィリ君の魔力の使い方が下手だからです。繰り返すようですが、私が教えた四つの呪文、それは本当に簡単なものです。
さすがにそんな簡単な魔法を四回使った程度じゃ黄色い目の魔導師でも魔力切れは起こさないでしょう。
それなのにウィリ君は魔力切れを起こしました。これがどういうことかわかりますか?」
「無駄な魔力を使ったから……か?」
ウィリがそう返すとルーリーノが「そんなところです」と答える。
「正確には無駄に杖に魔力を込めたと言ったところでしょうけれど、それだけの魔力を使っておきながらあの程度の威力しかなかったのは効率よく魔力を使えていなかったからです。
杖を使って出さえその程度の効率しか得られなかったのですから杖がなければ発動するにも至らないと今の失敗はこんなところでしょう」
そんな上から目線ともとれるルーリーノの言葉にウィリは苛立ちを覚えたが、言われていることが事実であるように感じる以上何も言い返すことはできずに「そしたらどうしたらいい」と無愛想に言うのが精一杯だった。
「とりあえずは、杖に魔力を込めた要領で魔力を体外に出せる様になってください。
この辺りはもう人それぞれですから具体的な助言はできませんが、魔力が切れても死ぬことはないですし、亜獣が出たとしてもウィリ君には手は出させませんので思おう存分練習してくださいね」
そうルーリーノが言ってから、二人が町に戻ったのは夕方空が赤くなってからだった。