次の日、太陽が昇る少し前という朝早く二人はポルターを後にした。昨日の男たちはあのまま草原の上に寝転がしておくわけにはいかなかったので、二人が町に戻る際門のすぐ内側に捨ててきた。ポルターを後にする時にはそことは反対側の門から出たので今はどうなっているかはわからない。
二人がポルターを朝早く出たのは次の町――もしくは村等――が遠いからではなく、確実にどこかでニルが寄り道をしたがるから。
「とりあえずは、トリオーの国には入ったってことでいいんだよな?」
「そうですね。境目は曖昧ですがここまで来たらもうトリオーでいいと思います」
ニルの問いにルーリーノが丁寧に答える。町の外にいる二人はマントは羽織っているがフードは被らず、青と黒の目が直接交差する。
道は今のところ一本道。道とは言っても馬車や人が踏み歩いた、草のない所を申し訳程度に補強してあるだけで、周りは一面草原。遠くを見れば山や森が見えなくもない。所々に木が生えてあり、緑の絨毯の上ぽつりぽつりと白や黄色の花が咲いてる。
「平和だな」
「平和……だったんですけどね」
そんな中を歩きながら二人はそう言ってため息をついた。それから二人とも気を引き締める。
「どこにいるかわかるか?」
ニルが腰の直刀に手をかけながら尋ねる。
「上……ですね」
ルーリーノがそう返して頭上を指さすと、その先には大きな真っ黒の鳥が旋回していた。
鳥は旋回を止めたかと思うと、すごい速さで二人に突っ込んでくる。それを、互いに離れるように避け反撃の態勢に入ろうとしたところで、すでに鳥はまた上空に居た。
「普通の鳥じゃ……ないよな」
「さすがに普通の鳥に足は三本ないと思うんですけど。大きさが大きめの鳥と同レベルってのが唯一の救い……です……ね」
ルーリーノが話している最中に二度目の攻撃にあいルーリーノはそれをなんとか避ける。ルーリーノを狙って降りてきたところを狙おうとしたニルだったが、わずかに足りず羽の先を掠るにとどまった。
「うーん……早いな」
頭上をグルグルと回る鳥を見ながらニルが呟く。
「それに、そこそこ頭もいいみたいですよ?」
「どういうことだ?」
「たぶん次も私を狙ってきます」
ルーリーノがそう言い終わったところで、鳥の三撃目が予想通りルーリーノに文字通り飛んで来る。ルーリーノが三度避けようと身体を翻すが鳥は僅かに軌道を変え三本目の足がルーリーノの肩を掠める。
苦痛で顔を歪めたルーリーノの着ていたマントは容易く切り裂かれ、その奥に覗く白い肌からは血がにじんでいた。
「大丈夫か?」
少し離れた所からニルが叫ぶ。それにルーリーノが「大丈夫です」と叫び返す。
しかし、少々まずいとルーリーノは危機感を覚えていた。たまたま自分が弱そうに見えるのかそれとも自分が魔導師だと分かっているのかはわからないが、こう何度も狙われては満足に呪文の詠唱も出来ない。仕方ないかとルーリーノは諦め、目を閉じる。
「おい、ルーリーノ」
それに気づいたニルはルーリーノの行動の意味が分からず思わず声を出す。
「大丈夫ですから、静かにしててください」
目を閉じたままのルーリーノに怒鳴られニルは思わず黙りこんだ。
そうしている間に鳥がルーリーノに対して四撃目を与えるために急降下してくる。
真っ暗な視界の中ルーリーノは相手の魔力だけを追う。幸い向こうは高速でとはいえこちらに突っ込んでくるだけ。直線的な攻撃なら僅かに軌道を変えて避けられるかもしれないけれど……
鳥がルーリーノに接触する直前腕を振り上げる。すると、間欠泉のように地面から炎の柱が現れる。いつかニルに使ったものとは比べ物ならないほどの高さと太さ。
「やった」
勝利を確信したルーリーノが小さくガッツポーズをする。しかし、炎が消えた後に僅かに残った魔力の反応に「どうして」と思わず驚く。ルーリーノがゆっくり目を開けるとやはりそこにはボロボロになりながらも確かに空を飛行している。
普通の亜獣ならば、ここで怒り最後の力を振り絞って特攻をしかけてくることが多い。それがために命を落とした冒険者も多いといわれる。
故にルーリーノもすぐに身構えたが、鳥は即座に身を翻すと北の方へと逃げて行った。それにホッとしたルーリーノの身体がグラつく。
「大丈夫か?」
倒れそうになったところをニルが支えてルーリーノに尋ねる。
「毒とかあったんじゃ」
「あー……それはないと思います。何と言うかあの鳥こちらを殺そうとしていた感じじゃありませんでしたから」
何かの偵察にきた、と言った方しっくりくるがルーリーノはあえて黙っておいた。
「それならどうして」
「最後のアレ使ったからですかね。久しぶりになったら加減が分からなくて」
ニルの質問に気だるそうな声でルーリーノが答える。
最後のアレと言われてニルは最後の瞬間を思い出す。ルーリーノが腕を振り上げた時に地面から噴き出すように上がった火柱。
間違いなくルーリーノが使った魔法だろう。近くで見ていたわけではないのでニル自信はっきりとそうだと言いきれるわけではないが、たぶんあの瞬間ルーリーノは何も喋っていなかったはず。
無詠唱魔法。そんなものは聞いたことがないと、ニルは心の中で驚く。本来魔法とは自らの魔力で目には見えないけれどそこら中にいるといわれる精霊に呼びかけ、呪文を通してその力を発現させるというものだったはずで、どれかを無視できるなどニルの知る魔導師も言っていなかった。
しかし、とニルは考える。その直前のルーリーノの不可解な行動。諦めたように目を閉じて相手の攻撃を待っていた。もしかしたらそれのどこかに条件とかがあるのかもしれない。そうは思ってもニルには確かめようがないが。
「とりあえず、肩の傷だけでも手当てしないと」
考えていたことを頭の隅に追いやってニルは目の前の問題に目を向ける。そんなに傷は深くないようなので応急処置として布か何かで止血をしようとニルが自分のマントに手をかけたところでルーリーノがニルの手をつかんだ。
「自分でできますから……むしろ自分でやらせてください」
そう言われてニルは首をかしげる。今にも倒れそうだというのにどうしてそんなことを言うのだろうかと。ルーリーノはニルが納得していない様子なのに気がついておずおずと口を開く。
「えっと、ニルはどうやって止血するつもりだったんですか?」
何故今そんなことを聞くのか。冒険者としては新人だがさすがに止血のし方くらいわかる。そう思いながらニルは口を開く。
「清潔な布を用意して……とは言っても今すぐには用意できないから、俺のマント破いたので我慢してほしいんだが、それから邪魔にならないように服を……」
と言って口を閉じる。
「悪い、配慮が足りなかった」
「いえ、ですから少しの間後ろを向いていてくれませんか?」
ニルは黙って頷いてルーリーノに背を向ける。すると、ニルの耳にルーリーノの声が届いた。
「できれば、背中だけ借りたいんですけど、いいですか?」
「ああ」
と、ニルが返した直後、ニルの背中に力がかかる。
ニルの背中に寄りかかった状態でルーリーノはゆっくりと、着ているものを脱いでいく。その表情は苦悶に満ちており、肩で息をしていた。
ルーリーノは左手と口を使い何とか止血ができる程度に布を結び終え、自身の左右に脱ぎ捨てていた衣類を身にまとうと「もう大丈夫です」と、全く大丈夫じゃなさそうなほど弱々しい声を出した。
ニルは内心動揺していたのを隠しつつ「どこが大丈夫なんだか」と呆れた声を出す。
しかし、そのニルの軽口に帰ってくる言葉はなく代わりにニルの背中にかかる力が急に増した。
「ルリノ?」
再度ニルが声をかけても返事はなく、ニルが動こうとするとそれに合わせて背中に寄りかかっていたルーリーノの身体も引きずられるように動く。
状況を理解したニルは内心焦りながらも、ルーリーノの身体が倒れないように注意しながら体の向きを変える。そこには辛そうな顔をしながら寝息を立てているルーリーノが居て「仕方ないな」と呟くと、ニルはルーリーノを背負って歩き出した。