ニルが山から落ちてしまったのを見やってからルーリーノは水塊が飛んできた方を睨みつける。
そこにいたのは青の髪に青い瞳、それから黒いスラッとした服を着た若い――とは言ってもルーリーノよりは年上二十歳前半と言ったところ――眼鏡をかけた男性が悠然と立っていた。
「ユウシャと言ってもこの程度ですか」
青くて黒い男性はやれやれと言った感じで首を振りながらそう言うと楽しそうにルーリーノを見る。
「それに比べて貴女はなかなかに楽しめそうですね」
「貴方もユウシャの使いなんですか?」
ルーリーノはニルが未だにリーベルのことを引きずっていて、そのせいで水塊を避けることができなかったのは知っていたが、敢えて口にせず男性にそう尋ねる。
「北の方には行っていたんでしたね。そうです、わたくしもかつてユウシャによって作られた一人。まあ、チンロンとでもお呼びください」
チンロンと名乗った男がそう言って恭しく頭を下げる。ルーリーノはそんな男の行動を無視するように口を開いた。
「楽しめそうとはどういうことでしょう?」
「我らユウシャの使いというのは、実に千年ほど生きているわけですが、どうにも退屈でしてね。
北とは違いここには何もありませんからなおのこと。ですからユウシャが来た時にはその退屈しのぎでもしてもらおうと思ったのですが……」
チンロンはそう言うと残念そうにニルが落ちていった方を見る。
そんなチンロンの様子をルーリーノは少し腹立たしい思いで見ていたが、実際別のことに気を取られていた方が悪いので一度その気持ちを振り払う。
「それで代わりに私で退屈しのぎをしたいわけですね」
「そういうわけです」
チンロンはそう言うと作ったような笑顔を浮かべる。
「まぁ、わたくしを倒さなければ貴女方の目的は達成されないわけですが」
そう言ってクックックと笑うチンロンにルーリーノは思い出したかのように声をかける。
「そう言えば、この山のどこにユウシャの遺跡があるんですか?」
「それはわたくしを倒してからのお楽しみ……といいたいところですが」
チンロンはまるでユウシャの使いである自分にまるで負ける気がないといった様子のルーリーノを見てから言葉を付け加える。
「この下ですよ。ただ、入口はわたくしを倒さないと開かないようになっていますが」
「これでよろしいでしょうか?」と、チンロンが意味あり気に笑ったのでルーリーノも笑顔で返す。
「はい、ありがとうございます。これで貴方を跡形もなく消し去ることができそうですね」
ルーリーノの言葉にチンロンはおどけた様子で「おお、怖い怖い」と言うと、その身体が青色に光り出す。
それから徐々に細長くなっていき、最終的に宙に浮く巨大な蛇のような形を成した。
しかし、角があり鼻が出っ張っており、腕とも足ともとれるものまで生えている。背には魚の背びれのように毛が生えていて、全体的に青みがかった色をしている。
「はじめてみる生き物ですね」
ルーリーノがチンロンの姿に驚きと感動を覚えつつそう呟いたのが聞こえたのかどうなのか、チンロンが『それじゃあ、行きますよ』と言う。
直後、ルーリーノに向かって沢山の水塊が飛んでいき、それをルーリーノが避けるたびに山にあたって大きな水しぶきを上げた。
チンロンは悠々と空を飛びながらルーリーノに水塊を飛ばす。
しかし、それだけでは埒があかないと悟り、山の上一帯に雨を降らせる。
激しすぎるが故に当たると痛さまで感じてしまうほどの雨は、容赦なくルーリーノの視界を奪いそれに伴いルーリーノの動きが鈍くなる。
「ミ・オードニ・セキギ」
そんな中ルーリーノはそう呪文を唱え、自分の周りの水だけを蒸発させ最低限の視界を確保する。
『こんなものですか。少し期待外れです』
チンロンにはルーリーノが何とか視界を確保し攻撃を避けているだけのように見えたので残念そうにそう言った。
激しい雨音にその言葉はルーリーノには届かなかったが、ルーリーノはニルが居ない今なら実験に丁度いいかと思い二、三度瞬きをする。
次の瞬間チンロンの視界が白い靄で埋め尽くされた。それが晴れ始めると、その靄の切れ間からチンロンは乾いた岩肌を見た。
『ほう、これはこれは』
激しい雨も、人一人を吹き飛ばせるほどの水の塊も瞬く間に蒸発してしまう世界。それを見てチンロンは嬉しそうな声をあげた。
それからチンロンはこの世界を作り上げたのであろう少女を探す。
それほど時間をかけずに見つけることの出来た少女の姿は、しかし先ほどまでとわずかに異なっていた。
『目の色が紫になってしまいましたね。もしかして、魔力が切れかけているんですか?』
チンロンははじめルーリーノをからかうようにそう言ったが、ルーリーノがその怪しく光る紫の目でチンロンを睨んでいるのを見て、僅かに嫌な予感を覚える。
『これで終わりです』
早く決着をつけようとしたチンロンがそう言って今までとは比べ物にならない量の水でルーリーノを押しつぶす。それはまるで小さな山のようで、しかしすぐにその姿を消してしまった。
それを見たチンロンが感嘆の声を洩らすより早く、その身体が炎に包まれた。
本来の身体の周りに高密度の水で作った身体は見る間に蒸発し尽くし、千年以上の生が終わりをむかえる直前、声にならない声でチンロンは『こんな子とユウシャが一緒にいるなんてね。なんて皮肉なんでしょう』と笑った。