朝になって二人は海辺を後にした。
あれからずっと無言だったニルはデーンスへの帰り道に漸く口を開く。
「なあ、ルリノ。俺はこのままマオウを倒しに向かっていいと思うか?」
声のトーンがいつもと通りになったことにルーリーノは安心しながら、同時に苦い顔をする。
「だから、私の名前はルーリーノです。……そうですね、私としてはそうしてくれた方が嬉しいです。
正確には壁の向こうにさえ連れて行ってくれればいいんですけど。でも、そう言うことではないんですよね?」
そう言って首をかしげたルーリーノにニルは頷いて返す。
「俺は亜人が嫌いじゃない。もっと言えば人と亜人の違いをあまり感じない。だから、亜人の王であるマオウを倒していいのかわからない」
そう言われて、ルーリーノが腕を組んで考える。それから、いくつか思うことがあったので口を開いた。
「ニルは今の世界をどう思いますか?」
考えていることとはまた別のことを問われニルが少し戸惑う。しかし、何とかルーリーノの言葉を咀嚼して考える。
「嫌いじゃない……でも、知らないことが多すぎるな」
「それでは、世界はこのままでいいと思いますか?」
次のルーリーノの質問にニルは首を振って答える。
「具体的にどうって答えられないが、やっぱり俺自身奴隷は認めたくない。少なくとも生まれながらの奴隷と言うのは納得できないし……」
ニルはそこまで言ってデーンス王の言葉を思い出す。
「生まれることすら許されないのは……な」
ニルの言葉にルーリーノが少し驚いた顔をして、それでも冷静に話しだす。
「半亜人がどうなるのか聞いたんですね」
「ああ、生まれてすぐ殺されるって。ルリノも知ってたんだな」
ニルの言葉にルーリーノを責めるような色はなかったが、ルーリーノは観念したように首を振ると「ごめんなさい」と謝る。
「あまり話したくなかったので、話しませんでした。ニルに不快感を与えるような気もしましたし」
「もしかして、ルリノも半亜人は殺してしまった方がいいとか思っているのか?」
ルーリーノの言葉を聞いて半信半疑でニルが問いかける。ルーリーノはニルの予想通り、そしてニルの期待に背いて頷いた。
それを見たニルが苦い顔をしたのでルーリーノがフォローを入れるために口を開く。
「あくまで現状では、です。私達のいる大陸の西側で半亜人が生き続けていても、それこそ死んだ方がマシだと思えるような扱いしか受けないでしょうから」
その言葉をニルは複雑な表情で聞いていた。でも、ルーリーノが半亜人自体を否定しているわけではないと分かったことには少なからずニルは安心した。
「何がいけないんだろうな」
思わずニルが呟くと、それを聞きつけたルーリーノが口を開く。
「何が……ではないと思いますよ。長い時間をかけてそうなってしまったんでしょう」
だからこうやるせないのかと、ニルは何となく納得した。
それと同時に自分では何もできないんじゃないかと諦めかけたところでニルの耳にルーリーノの言葉が聞こえてくる。
「だから、ニルはマオウに会ったらいいんじゃないんですか?」
「それは討伐しろってことか?」
ニルの言葉にルーリーノが首を振る。
「もしも問答無用で来られたらそうするしかないと思うんですけど、もしかしたら話しあうことができるんじゃないかと思いまして」
「話しあう?」
怪訝そうな顔をしているニルに、ルーリーノは説明を続ける。
「はい、例えばこっちで奴隷になっている亜人を保護して貰い互いに不干渉を約束するとか、何とか壁を破壊してこれからは協力し合うとかです」
「恐らくニルだけができることでしょう」と、そんな言葉でルーリーノはニルの背中を押す。
ニルはそれを聞いて、少しだけ自分の遣りたいことが見つかったようで「考えてみる」とだけルーリーノに伝えた。
ルーリーノはニルのそんな様子を見て一安心する。
マオウがもしお伽噺で出てきたマオウならば話し合いなんてできないだろうし、今一番可能性が高いのはそのマオウが復活することだとルーリーノは考えている。
つまり先ほどの発言は無責任極まりないのだが、ルーリーノとしてはニルと伴に壁を越えることが重要なのであり、それ以外は些細な事に過ぎない。
ただ、ニルを騙すような事をして居心地が悪くなったルーリーノは自分の中で先ほどの発言通りになる可能性はゼロではないからと自分を納得させた。
そうしている内にデーンスの町に戻ったところでルーリーノが声を出す。
「着いて早々ですが、すぐに準備をして出発しませんか?」
その言葉を聞いてニルが首をかしげる。
「ルリノにしては珍しいな。普段なら用心のために今日一日しっかり準備して明日の朝一で……とか言いそうな感じなのに」
「えっと……私、あまりこの町が好きじゃないんですよ」
取り繕うようにそう言ったルーリーノにやや疑問を抱きながらもニルは「わかった」と言ってルーリーノに必要なものを尋ねる。
「そう言えばニルって山に登るのは初めてなんでしたっけ。一般人ならともかく私達には特には特別なものはいらないと思いますよ? まあ、ここに比べると肌寒く感じるでしょうけど」
「そんなものなのか?」
ニルがルーリーノに尋ねると、ルーリーノは少し考えてから話しだす。
「本来なら背負えるような大きな鞄にロープやテント、あとは岩肌に足場を作るための道具なんかがいるみたいですが、私達の場合魔法でカバーはできますし下手に荷物を増やした方が落下とかの危険が増えると思うんですよね」
返ってきた答えにニルが納得し、町の出口で落ち合う約束をしたのち二人はそれぞれ準備をすることにした。
「そう言えば思ったよりも立ち直り早かったですね」
西の山へと向かう途中、ルーリーノがニルにそう尋ねるとニルは少し困ったように笑う。
そして、もう話しても大丈夫かと思ってニルは話し始めた。
「誰かを殺したのは初めてじゃないからな」
「そうなんですか?」
ルーリーノが意外そうな顔でそう言うと、ニルは頷いてから続ける。
「キピウムに大穴があっただろ?」
「ユウシャの遺跡があったと言うところですね」
ルーリーノが思い出しながらそう言うと、ニルが頷く。
「あの穴な、俺が作ったんだよ」
「えっ?」
思わぬ言葉にルーリーノは素っ頓狂な声を上げる。その声を聞いてニルが少し笑うのでルーリーノは少し怒った声を出す。
「それってどういうことなんですか?」
「順番に話していくとな、あの遺跡自体は何百年も前から発見はされていたらしい。
キピウムはそれをずっと隠しながら独自に調査をしていたわけだ」
「外交においてより優位に立てるかもしれないからですね」
ルーリーノの言葉にニルは頷く。
「でも、これと言って目ぼしいものはなく、唯一見つかった文書は見たこともない文字で書かれていた。
そこで、俺に白羽の矢が立ったわけだ」
ルーリーノはニルの話を頷きながら聞く。その中でニルが選ばれたのはその見た目のせいなのだろうと納得した。
ニルはルーリーノが話についてきていることを確認して話を続ける。
「で、遺跡に連れていかれた俺は書かれてある文字に目を通したんだが『なんて書いてあるんだ読み上げて見ろ』と言われたから読み上げた」
ニルがそこで一瞬話すことを躊躇う。
「そして、気がついたら俺は穴の中にいて、他には誰もいなかった」
そこまで聞いてルーリーノが話についていけなくなり首をかしげる。ニルはその反応を分かっていたかのように説明を加えた。
「要するに遺跡やその中にいた俺以外全員が跡形もなく消えたんだよ」
「それも……ユウシャの力なんですか?」
ルーリーノが恐る恐ると言った話し方で尋ねると、ニルは頷く。
「そして、その時に消えたものは人々の記憶からも消えるらしい」
それだけ聞いてルーリーノは少し恐怖する。それから少なくともこの事件以降にニルが閉じ込められていた理由が分かった。
その時何があったのかわからなくてもニルの持つ異質さには気がつくだろうから。
「もしかして、より強い人を探していたのって……」
「もしもこの力を使う必要が出てきたときに少しでも遠くまで俺から離れてもらうためだな。範囲は恐らく俺を中心にあの大穴と同じくらいか」
始めてニルに会った時のことを思い出してルーリーノが口にすると、それに被せるようにニルが答える。
ニルの答えを聞いたルーリーノが少し呆れた声を出す。
「どうしてそれを今言うんですか?」
「思っていた以上にルリノが強かったから使う必要ないと思ったからな。後ユウシャの力について言うには初対面じゃ信用はできないし」
「あとはタイミングがなかったからな」とニルは何でもないように言う。それを聞いてルーリーノが尚も呆れた声で話した。
「確かに初対面で教えるようなことじゃないかも知れませんが、もしもその力を使うときはどうするつもりだったんですか? あと、私はルーリーノです。ちゃんと伸ばしてください」
ルーリーノが言い終わるのを待たずしてニルは笑いだす。その様子を見てルーリーノが「何笑っているんですか」と怒る。
「いや、何か久しぶりに名前を注意してきた気がしてな」
ニルは笑いの残る声で言ったあとで、改めて口を開く。
「力を使う時には全力で逃げろと言えばいいかと思ってた。それで逃げられるような人を探してたわけだし」
ルーリーノがどこか納得できない気分になったところで目的地に着いたので気持ちを入れ替えるために一つ息を吐いてから言う。
「さて、ここからが本番ですよ」
言いながらくるっとニルの方を向いたルーリーノの後ろに、ニルは大きな岩の塊を見た。