次の日、朝からルーリーノと別れたニルは教会へ行くことはせずにすぐにデーンス城に向かった。
まだ活気づいていない街中を抜け住宅地に入る。家が徐々に大きくなり、その間隔が広くなっていくのを見ながら、ついた先は城というよりも大きな屋敷と言った感じの建物。
ただ、住宅街から道を一本ほど隔てたところにあり、門には身の丈よりも長い槍を持った兵士二人が見張りをしていて、門から屋敷までだいぶ距離がある。
その庭園には鮮やかな緑の植木や色とりどりの花々を見ることができる。
ニルがそんなデーンス城の前まで行くと、当然門番の兵士にとめられた。
「ここはデーンス王の住まう城。許可のないものを入れるわけにはいかない」
門番の一人がそう言って、槍でバツを描くように門を塞いだ。
ニルも流石にこう言った対応をされることはわかっていたので、前もって考えていた言葉を口にする。
「デーンス王にキピウムより黒髪の使者が来たとそう伝えてくれ」
門番はそう言ったニルを訝しげな表情で見やったが、一度顔を見合せ「しばし待て」と言ってから二人いた内の一人が門の中に入って行く。
しばらくして、門番が戻ってくると、先ほどまでの態度を一変させ「どうぞお入りください」と背筋を伸ばした。
残っていた方の門番は状況が分からずと言った感じではあったが、仲間の態度からニルが只者ではないのかもしれないと察して同様にスッと背筋を伸ばす。
「中にはいられましたら正面の階段をお上りください」
ニルが門の内側に入ろうとしたところで返ってきた方の門番がそう言う。ニルは「わかった、ありがとう」とだけ言って中に入った。
それからすぐにニルの後ろで門がしまる音がする。
先ほどまでもちらりちらりと見えていた庭園は中に入ると一層その美しさが分かる。隅々まで手入れされていて、花の色にまでこだわっているよう。
門から建物の入り口までは石で作られた道があり、途中噴水を避けるように二手に分かれすぐに合流する。
そこそこ距離はあると言ってもさえぎる物はほとんど何もないためすぐに建物の前に辿り着いた。
近くで見るとその大きさは歴然としており、今ニルの目の前にあるドアですら普通の家の倍近い大きさをしている。
どうしたものかとニルが考えていると、ドアが勝手に開き中から「どうぞお入りください」という声がした。
ニルが中に入ると、そこは外見とは違い所謂城に近い内装をしていた。
足元には赤の絨毯で出来た道があり、高い天井には煌びやかな装飾を施された照明がぶら下がっている。
「ようこそおいでくださいました。奥で国王がお待ちです」
ニルが中に入ったのとほぼ同じタイミングで、そんな風に声をかけられる。いたのは一人のメイド。その落ち着いた物腰からニルよりも年上だと思われる。
ニルは特に返事をすることもせず、外で門番に言われたとおり正面の階段を上り、その先にあるドアを開いた。
そこは謁見の間のようで、中央に玉座があり一段高くなっている。
今の状態だとその玉座にデーンス王が座り、その傍に執事と思われる初老の男性が控え、そのさらに外側に護衛の兵士が鎧を着たまま立っている。
「よく来られた。ユウシャ殿」
デーンス王が低い声でニルに話しかける。
「急に訪問して誠に申し訳ない。お初にお目にかかりますデーンス王」
ニルができるだけ失礼にならないよう気をつけながら答えると、それを聞いてデーンス王は首を振った。
「そんなことはどうでもよいのだが、それよりもお主がユウシャであるという証拠を見せてくれぬか。ユウシャなどこの目で見たことなくてな」
そう言ったデーンス王の視線が鋭くなったのをニルは感じた。
ニルは少し考えてから「どうしたらよろしいでしょうか?」と尋ねる。
デーンス王もしばし考える仕草を見せ二人いる兵士のうちの一人を示す。
「こやつはデーンスでも一、二を争うほどの剣の腕を持つものだ。それを倒すことができたら認めよう」
「わかりました」
デーンス王の提案にニルがそう答えると、兵士がガシャガシャと鎧を鳴らしながら、しかし鎧など着ていないかのような足取りでやってくる。
ニルは昔を思い出しながら、真っ向から挑んでも負けるだろうなと考えた。だから敢えて武器を持たずに兵士の正面に立つと、兵士の方から声が掛かる。
「武器を持たなくていいのか?」
ニルが言葉を返さずに構えると兵士は「後悔しても知らんぞ」と吐き捨てた。
そうして始まった勝負はあっという間に片がついた。
兵士が一瞬で間合いを詰め切りかかってきたのをニルが素手で受け止め、相手が驚いているうちに受け止めた剣を奪い取る。それから奪い取った剣を相手の喉元につきつけた。
それを見ていたデーンス王は「ほう……」と関した声を漏らし、手を叩く。
「これでよろしいでしょうか?」
すでに剣を兵士に返したニルがデーンス王に問う。デーンス王は「もちろん」と答えると続ける。
「それで、ユウシャ殿はどう言った用件で参られたのだ? キピウムの使者ということであったが」
それを聞いてニルは深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。キピウムの使者というのは方便で、デーンス王にお会いしたく参りました」
「まあ、そう言うことだろうとは思っておったよ」
いやな顔せずにそう言うデーンス王の対応にニルは内心ほっとしつつ、口を開く。
「実は昨日第三皇子にお会いしまして」
先ほどまで悠然としていたデーンス王が、そのニルの言葉を聞いて僅かに顔をゆがめる。
「アレが無礼なことは無かったか?」
その反応を見て、トリアとデーンス王の関係を何となく察したニルは踏み込んだことを聞いてみる。
「特にはありませんでしたが、わたくしの連れに興味がおありでした」
「そうか……もしも、何か迷惑をかけるようなことがあれば、躊躇わず冒険者として扱ってくれ。アレがそう決めたことなのでな」
それを聞いて、ニルはトリアに少しだけ同情する。しかし、今は気にしていても仕方がないと話を進める。
「それで皇子から王が亜人奴隷を所有していると聞きまして、できれば見せていただけないかと」
デーンス王は何故ニルがそのようなことを頼んでくるのかが分からなかったが、これはいい機会だと「構わんよ」と返す。それから続けて
「その代わり幾つか我が問いに答えてくれぬか」
「問いですか?」
ニルが不思議そうに首をかしげると、デーンス王は、はっはっはと人の良さそうな笑いを見せてから答える。
「なあに、一人の人としてユウシャの行動に興味があってな。この国には何をしにきたのだ?」
ニルはユウシャというのはそんなに人に気にされるものなのかと不思議な感覚にとらわれながら、それでも一国の王にならある程度言ってもいいだろうと口を開く。
「マオウ討伐のために壁を越える方法を探していまして、その手掛かりがこの国にもあるとのことだったので確かめに来ました」
「この国にもということは他の国にもあるのだな?」
ニルの言葉を聞いて国王が尋ねる。それに対してニルが「そうです」と頷く。
「今のところトリオーに行ってきました」
「と、なると次は南のメリーディというわけだな?」
「おそらくはそうなるかと思います」
デーンス王はニルの言葉を頷きながら聞き、反芻する。
「それで、壁を越える術を見つけたら一度キピウムに戻られるおつもりか?」
ニルはデーンス王の質問に疑問を覚える。いくら気になるからと言ってもそこまで聞くものなのだろうかと。
「どうしてそれをお知りになりたいんですか?」
だから、失礼を承知で尋ねる。デーンス王は内心焦りながらも其れを面に出さないように気をつけながら答えた。
「先日カエルレウス姫がトリオーに行かれた時にユウシャの身を案じておられたと聞いたのでね。ユウシャ殿は旅立たれてから姫に会われたのか?」
それを聞いてニルは、マオウを討伐する前に姫に元気な姿を見せないのかということだったのかと、納得しデーンス王の質問に答える。
「カエルレウス姫とは会っていませんし、マオウ討伐を終えるまでキピウムに戻るつもりもありません。途中で戻っては姫をぬか喜びさせてしまうだけでしょうから」
デーンス王はそれを聞いて「それもよかろう」と呟くと、尋ねたいことがなくなったのか玉座から立ち上がる。
「もうよろしいのですか?」
急にデーンス王が立ち上がったので、ニルは驚いたようにそう尋ねるとデーンス王は、口を開けてはっはと笑った。
「これ以上こちらの我儘に突き合わせるわけにはいくまい。ユウシャ殿には一日でも早くマオウを討伐してもらわなくてはならないからな」
デーンス王はそう言うと、執事に「ユウシャ殿を部屋に連れて行く」と言ってから歩き出す。ニルはそれに数歩遅れてついていった。
その時にどうやら兵士や執事は付いてこないらしく、煌びやかな廊下に足音が二つだけこだまする。
「そう言えば、どうしてユウシャ殿は亜人奴隷をみたいなどと思ったのだ?」
デーンス王が思い出したかのようにそう尋ねてきたので、ニルは一瞬ドキリとする。
でも、そう聞かれた時に答えることははじめから決めていたので淀みなく言葉が出てきた。
「マオウを討伐と言いますと、亜人の本拠地に行くみたいなものですからね。先に亜人というのがどういうものか知っておこうと思ったんですよ」
それを聞いて、デーンス王は納得したように「なるほどの」と頷く。
「でも、実際に見ればそれが杞憂だとわかるだろう。亜人なんて物は時にペットであり、時に労働力でしかないのだから」
そう言ってデーンス王が丁度辿り着いた扉を開く。日差しの関係か薄暗い部屋の中には三つの檻と三つの鳥籠。そしてそれらの中にはそれぞれ人影のようなものが見えた。
しかし、よく見れば檻の中の人は耳が長くとがっていたり、頭に動物のような耳をお尻の所に同じく尻尾が生えていて手足は毛皮で覆われていたりする。
また、小鳥用にも見える鳥籠には明らかに小さな人が入っていて、その背中には半透明な羽が生えている。
ただ、全員が女性らしく例外なく整った容姿をしている。
ニルはルーリーノから聞いていた知識と照らし合わせて、そこに居るのがエルフが二人、フェアリーが三人、獣人が一人だと判断することができた。
着ているものはそれぞれ違い、若いエルフの少女が薄い白のワンピースだけなのに対して、その隣のエルフの女性は胸元の大きく開いたドレスを着ている。
獣人が最低限の布しかないようなほぼ裸のような恰好で、フェアリーはそれらに対応するようにそれぞれ同じものを着ている。
「見ての通り、亜人なんて物はこの程度の檻から出ることすらできんよ」
デーンス王がそう言っている隣でニルは何かを考えて、それから口を開く。
「これらと話をすることはできるんですか?」
この言葉を聞いてデーンス王が、腹を抱える勢いで笑う。
「ユウシャ殿は面白いことを言う。ペットが話すわけなかろう。それにこいつらは躾が行きとどいているからな。人形のようにほとんど動くこともあるまい」
それでか、とニルは思う。
奴隷では到底きれないような豪華なドレスを着ている者でさえその目は生きることを諦めているように光を失っている。
ニルとしては痛々しくて見ていられないのだけれど、ここまで来てすぐに帰ってしまってはデーンス王の気を悪くするかもしれないと「もっと良く見てもいいですか?」と尋ねた。
「存分に見てくれ。どれも自慢の一品であるからな」
そう促されしまいニルは檻の前へと足を運ぶ。
エルフなど一目見ただけでは人とほとんど変わらない。
ただ、よく見ればその瞳は燃えるような赤であったり、僅かに青みがかったグレーであったりと人との違いは見えてくる。
白いワンピースの少女はその薄幸そうな容姿と細い体、生気を帯びていないグレーの瞳のせいで本当に人形のように見える。
僅かに動く胸と、瞬きでそれが生きているのだと確認はできはするが。
みれば見るほど人との違いが際立ち、同時にそれ以外は人と何が違うんだとニルが思い始めた時、ふとニルの頭にある考えがよぎった。
「人と亜人で子供は成せるものなのですか?」
単純な疑問としてニルは尋ねたが、デーン王は苦虫をかみつぶしたかのような顔をした。
「残念ながら成せるのだ」
「そうなった場合どうなるのですか?」
ニルが質問を重ねると、デーンス王はさも当たり前のように口を開く。
「殺すのだよ」
「労働力にもならないのでしょうか?」
あまりにもきっぱり言うデーンス王に驚いたニルが思わず尋ねる。デーンス王は特に考えるようなそぶりも見せずに話しだした。
「昔からの規則でな。昔はマオウが人と亜人の混血であるからなどといううわさもあったそうだが、そもそも混血が作ったものなど誰が食べようか」
「ユウシャ殿もそう思うだろう?」とデーンス王が言うので、ニルはいつの間にか噛みしめていた口をなんとか開き「そうですね」と返す、
それから、デーンス城を後にしたニルは何とも後味の悪いような気分でぽつりと呟いた。「亜人と人があの程度しか変わらないなら、俺も一歩間違えばあの檻の中だったってことか?」と。