「あいつら放置してても大丈夫なのか?」
風景に徐々に緑が戻り始めた頃、不意にニルが尋ねる。ルーリーノは「そうですね」と言って少し考えると答えを返した。
「運次第ってところでしょうか。私の掛けた魔法は一時間もしないうちに解けると思いますし、その間に亜獣に襲われなければ大丈夫でしょう」
ルーリーノは一度そこまで言うと乾いた唇を軽く舐めてから続ける。
「それに、あの人たちの村も近いでしょうから御仲間さんが助けに行っているかもしれません」
「村って何だ?」
ルーリーノの言葉に引っかかりを覚えたニルがもう一度質問する。
「ニルはあの人たちが少し変だとは思いませんでしたか?」
ニルの少し前を歩きながらルーリーノが質問で返すと、ニルは先ほどの男達の格好を思い出す。
「何か粗末な感じはしたな。着ているものはボロボロだったし、武器も半分農具みたいな感じだったし」
ニルの答えを聞いてルーリーノは頷く。
「そうですね、元々彼らは農奴なのでしょう」
その言葉にニルが「は?」と言って怪訝な顔をする。それを見たルーリーノが説明を加えて行く。
「奴隷の話に戻りますが、農奴というのは基本的に農業に従事するよう集められた奴隷です。そして、集められた者たちで村を作り監視をつけノルマを与えます」
宙に何かを描くように手を動かしながらルーリーノが説明するのをニルは時折頷きながら聞いていく。
「村の住人は基本的に移住の自由はありません。それどころか特別な許可がなければ他の町や村に入ることもできないでしょう。そんな状況でノルマが達成できそうになければどうするか……」
「盗賊まがいな事をすると」
合点のいったニルがそう言うとルーリーノも「そう言うわけです」と頷く。しかし、まだ納得のいかないニルは質問を続ける。
「でも、監視が付いているんだろ? どうやって村を抜けだしてくるんだ?」
「結局はその農奴の所有者となる人の采配でルールが決まるわけですから、全部が全部常時監視をしているわけじゃないんですよ」
最もらしくルーリーノが言うのでニルは納得しかけたが、思い直した。
「それだと、農奴逃げるだろ?」
ニルの問にルーリーノは「いいえ」と首をふってから答える。
「農奴は歴とした制度ですから、逃げれば罰則がありますし、逃げた農奴を迎え入れた側にも罰は与えられます。
そう言うわけでまず逃げても行く当てがありません。それにあくまでも村の体を取っていますのでその中での婚姻等は自由なんです。
そこで生まれた子供は生まれながらにして農奴の身分となるわけですけど、家族ができれば今度は家族に縛られて益々逃げようと考えなくなるわけです」
ルーリーノはそこまで言うと一息つく。それから、ニルの方を向いてから続けた。
「例え人から奪ったものでも、ほとんどの場合何も言わなければバレませんし、もしも盗品だとバレても拾ったと言えばそれでおしまいですから村の主の中にはそう言った事に目をつぶる人も割と多いんですよ」
そう言い終わった後、ルーリーノの目に納得したが腑に落ちないというニルの表情が映る。それを見てルーリーノは目を閉じて「まあ、そうですよね」と小さくつぶやいた。
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
ルーリーノが目を開けると不思議そうにこちらを見るニルが居て、何事もなかったかのように首を振った。
それでもまだ、ニルは不思議そうな顔をしていたがそれ以上言及することはせずに口を開く。
「亜人についても教えてもらっていいか?」
ルーリーノはそれを聞いてから、できるだけ平生を装って話しだす。
「ニルは亜人についてどこまで知っていますか?」
「そうだな……かつて人と戦争をしていた事と当時は人よりはるかに高い戦闘能力があった事、その見た目がさらに違うことくらいか」
指折り思い出しながらニルが言った言葉にルーリーノが頷く。
「一般に言われている亜人の種類は、耳が長く整った顔をした『エルフ』、身体が小さく羽が生えているのが特徴の『フェアリー』、人と動物を足して二で割ったような『獣人』でしょうか。
お伽噺を調べていけば他にも種族はいるような感じはしますが、今西側に居るのはこの三種族で間違いないです。ニルは亜人を見たことがありますか?」
ルーリーノの問いにニルが首を振る。それに対してルーリーノは「そうですか」とやや興味なさげに返すと続ける。
「亜人奴隷は基本的に人奴隷の下に位置すると思ってください。
亜人は見た目が美しいものも多く数も少なくなってしまったということで、お金持ちの愛玩用としてペットのように扱われることが多いです。
さらに様々な理由により主人に捨てられた者は人奴隷と同様肉体労働に従事させられることがほとんどですね。
しかし、その頃には満足に動くことができない場合も多く、そうでなくても奴隷の奴隷のような立ち位置ですぐに死んでしまうかその長寿が災いして何代にもわたって扱き使われるかと言った末路をたどります」
言い終わってルーリーノはニルの反応を待つ。
「亜人だからと言ってしまえばそれまでなんだろうな」と、言いながら表情の端に何とも度し難い表情のニルを見てルーリーノは口を開く。
「今でこそ亜人を擁護するようなことを言っても罰せられることはありませんが、あまり人前でそんな風に亜人に同情的な顔はしない方がいいですよ?」
呆れた笑顔を作りながらのルーリーノの言葉を聞いてニルが言葉を返す。
「悲しそうな顔しながらそれ言っても説得力無いな」
ニルがそう言って笑うので、ルーリーノは少し驚いて思わず自分のほっぺたをむにむにと触りだす。
「そんな顔してましたか?」
「まあ、ルリノは壁の向こうの亜人に会いたいからって俺についてきているわけだしな」
ニルの答えになっていない答えを聞いて、ルーリーノは心の中で反省をする。それからいつものように一つ溜息をついて言葉を返した。
「ルーリーノです。そろそろちゃんと呼んでくれませんか?」
そう言ったところでニルが「無理だな」と間を入れずに返してきたのでルーリーノの肩が落ちた。それから「もういいです」と諦めた声を出した後でルーリーノは続ける。
「ニルは亜人についてどう思うんですか?」
「まだ会ったことがないから何とも言えんな」
特に考えることなく返ってきた答えは、半ばルーリーノの予想通りでそれが故にルーリーノはどんな顔をしていいのかわからなくなる。
「なあ、ルリノあれなんだ?」
急にニルに声をかけられルーリーノは慌てて俯き気味だった視線を前に戻す。いつの間にか荒野地帯を抜けきり空の青と地面の緑に眩しささえ感じる。
吹いてくる風も荒野に居た砂っぽく乾いたぬるい感じはなくなり、さわやかな少し草の香りのする感じなっている。
ルーリーノがニルの指さした先を見ると、木でできた柵の中、その隅の方に五、六軒ほどの家がありそのほかの大部分を濃いめの茶色とその上に緑やら赤やら黄やらと色々な色を見ることができた。
そう言ったものが小高い丘の上に居るルーリーノからは十ほどかなり間隔をあけながら存在しているのが見える。
「先ほど話した農奴の村でしょうね。ここから見えるものだけでもその一部だとは思いますが」
ルーリーノの説明を聞いてニルは「へぇ」と感心した様な声を出す。その視線は村の一つに向けられており、しばらくしてから視線を外す。
「デーンスの町にはあとどれくらいかかるんだ?」
「この村群見えてきたってことは今から休まずに行ったとして着くのは明日の日の出前と言ったところでしょうか」
太陽の位置と現在地を考えながらルーリーノがそう言うと明らかにニルが嫌そうな顔をする。
「まさかそこまで歩き続けるってことはないよな?」
ニルの言葉にルーリーノが悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「私は別に構いませんよ」
「前、夜に壁の外に出るのは……みたいなこと言ってただろ?」
ルーリーノの言葉の真偽が分からないニルが必死にそう言うとルーリーノは思い出したように「それもそうですね」と言う。
「実際のところ此処からもうしばらく行ったところに小さい町があるのでそこで一泊するつもりです」
それを聞いたニルに安堵の表情が浮かんだ。
二人が町についたのは夕方太陽が赤く染まった頃。普段から歩き慣れているとは言え落ち着いて休めると言うのは精神的に安心できるものらしく、それに引きずられるかのように少しだけ二人に疲れの色が見える。
互いにそれを口にはせずに町に入ろうとしたところで、別の集団と鉢合わせた。
一台の馬車を護衛するかのように屈強そうな男たちが四人で囲み、加えて中肉中背ほどの男が馬を操り、他の人に比べ質の高そうな服を着た男がその隣に座っていると言った集団でニル達を見つけると声を掛けてきた。
それに対してルーリーノがすぐに「先に行ってください」と言ったので、何もしていない男が礼を言って隣の馬を操る男に声をかける。
それからすぐに馬車が動き出しニル達はその後ろ姿を見ることとなった。
馬車の荷台、その搬入口がひらひらと不規則に揺れ時折その中が垣間見える。入口付近まで荷物が置かれているというわけではなくほとんど何も見えていなかったが、最後に一瞬強い風が吹きその奥の人影まで二人の目に入った。
馬車に遅れて二人は町に入る。町の中央に円形の広場がありそれを囲むように木や石で出来た建物が建っている。
しかし、その数は多くなく宿屋や日用品、食料を売っているお店を除けば人の住んでいそうな建物は十軒もない。
ニルはその光景に疑問を覚えたのでルーリーノに尋ねようと口を開く。
「住民が殆どいない気がするんだが、この町成り立ってるのか?」
「この町は本当の町というわけじゃないんですよ」
そうルーリーノが説明を始めたので、ニルは相槌代わりに「本当の町じゃない?」と質問を重ねる。ルーリーノは「そうです」と頷いてから続きを話し始めた。
「この町に住んでいる人のほとんどがデーンスの住民で、ここには出稼ぎでやってきていると考えもらうとわかりやすいと思います」
「なるほどな。それで、ここで働いてメリット何かあるのか?」
ルーリーノの説明にニルが尋ねる。ルーリーノはニルの発言がここで働く人たちに失礼になるのではないかと思ったが周りに人はいなかったので、聞かなかったことにして答えた。
「ここはデーンスの町に行くための中継地のような場所で何処から来たとしてもこの辺りで一泊する必要があるんですよ。よって多くの人がここに立ち寄りますから十分すぎるメリットはあるはずです」
「ふうん」
ニルは納得したのかしなかったのかよく分からない声を出して歩みを進めた。
宿屋に入りいつものように二人別々の部屋を借りる。それから其々荷物を置きフードを脱ぎ身軽になったところでニルの借りた部屋に集まった。
「なあ、ルーリーノこの町に入るとき見た馬車なんだが……」
壁ぎわにある机に付属している椅子。ニルはその椅子を机とは真逆の方に向け、ベッドの上に座っているルーリーノに声をかける。
ルーリーノはニルの言葉を遮るように口を開いた。
「奴隷を運んでいたんでしょうね」
ルーリーノの言葉にニルは「そうだよな」と少し考えたように返す。
「昼間も言いましたが、下手な同情は……」
とそこまでルーリーノは言ったがニルが首をふっているのに気がついて言葉を止める。
「まあ、乗ってたのが亜人だったら話を聞いてみたいくらいには思うが、何でデーンスまで連れて行くのかと思ってな」
そう言われてルーリーノはそう言えばと口を開く。
「説明していませんでしたが、奴隷の特に亜人奴隷に関してはデーンス以外での売買が禁止されているんですよ」
ニルの首が傾げられるのを見て、ルーリーノは指を二本立ててから続ける。
「大きな理由は二つです。一つは出来るだけキピウムから離れた場所で取引を行うため。
キピウムはユウシャが作り巫女の住む神聖な土地ですから宗教的によくないのでしょう。
デーンスの町が西の端にあるのもこれが理由だと言われています」
ルーリーノは立てた二本の指の一本を指さしながら説明をして、次はもう一本の指を指さす。ニルは黙ってルーリーノの話を聞いていた。
「もう一つは亜人の数を正確に把握するためですね。
当初は人に反乱する可能性のある亜人をしっかりと管理するためだったらしいですが、今となってはその名残か、また別の理由があるのかは私にはわかりませんけどね」
ルーリーノが話し終えた後、ニルは少し唸ると一人で考えたいことがあると言ったので、ルーリーノは「わかりました」と溜息交じりに言ってからニルの部屋を後にした。