いま二人がいるのはキピウムとトリオーの境目のポルターという町。正確にはその町の壁の外。ギルドで受けた依頼を果たすため犬型の亜獣を倒しに来ていたところだった。
「なんにせよ、これで依頼は終わりだな」
亜獣を倒した証拠として、同時に素材として亜獣犬の解体をしながらニルが言う。
「本当はこんなことをせずにトリオーの遺跡に行きたいんですけどね」
ルーリーノは溜息をつきながら、灰の中から辛うじで助かっていた牙と爪を拾いながら言う。
「それにしても、もう少し火力考えた方がいいんじゃないか?」
もう原型が何だったのかわからない灰を見ながらニルが言う。それに対してルーリーノは「うっ……」と唸ってばつの悪そうな顔をする。
「いいんですよ、今回は討伐依頼なんですから牙が一つ二つ残っていたら」
「もしも毛皮を取ってこいみたいな依頼だったらどうするんだか」
ニルがからかうように言うと、ルーリーノが顔を赤くし目を泳がせる。
「そ、その時は、ほら、風の矢で仕留めますから」
ニルはそんなルーリーノの言葉を聞き流しながら、解体作業を中断しその場に寝転がる。柔らかい草の上、雲ひとつない青い空がニルの黒い瞳に映る。
ニルの様子が変わったことに気がついたルーリーノが恐る恐るニルの方を見ると、作業を中止して寝転がっているニルを見つけることが出来た。
「もう、ニルまた何やってるんですか」
先ほどの動揺など忘れてニルを叱る。しかし、ニルは全く反省することはなく、それどころか「ルリノも寝転がったらいい。風が気持ちいぞ」とルーリーノを誘う。
「だから、私の名前は……まあいいです」
途中から諦めたルーリーノは拾った牙と爪を袋に入れるとニルの隣まで歩くと手を後ろに着くようにして座る。
草の香りがルーリーノの鼻をくすぐり、吹き抜ける風がその髪を靡かせる。日差しはマントを着ているので少し暑い感じもするが我慢できないこともない。むしろ吹いてくる風をより心地よくさせるスパイスにすらなっている。
「こんなこと今回だけですからね」
言葉とは裏腹に気持ちよさそうな表情でルーリーノが言う。ニルはそれに対して「そうだな」と軽く返す。
「そんなこと全く思ってないでしょう?」
「まあな」
そんな会話をしながら、二人はいつ亜獣に襲われるかもわからない草原の一角で静かに時を過ごした。
「ううん……」
いつの間にか眠っていたルーリーノが目覚めた時、太陽はだいぶ傾いていた。
「起きたみたいだな」
「あ、おはようございます……」
まだ寝ぼけているルーリーノがそんな挨拶をすると、ニルに「もう昼すぎだよ」と笑われる。
徐々に意識がはっきりしてきたルーリーノが現状を把握したとき、彼女は「ふあ」と何とも間抜けな声を出して、その事に赤面する。
「私が寝ている間襲われたりしませんでしたか?」
自分の恥よりも先に仲間の心配をする所は、まだ若いとは言え冒険者らしい。
「まあ、ちっこいのが二、三匹来たけど特には何もなかったな」
ルーリーノが付近を見回すと、確かに兎に小さな角を生やしたような亜獣の亡骸が真っ二つで転がっていた。
それを見てルーリーノは溜息をつく。こんな場所で寝てしまったばかりか、敵が来たというのにそれを察知することができなかったことに驚きを隠せない。女性冒険者と言うだけでなく、その歳の若さから危機察知に関しては否応と鍛えられてきたはずなのに、最近気が緩んでしまったのかこんなことが度々起こってしまう。
「それじゃ、そろそろ帰るか」
ニルがそう言って立ち上がるので、ルーリーノも慌てて追いかけた。
「もう退治し終えたんですか?」
ポルターに戻りギルドに顔を出すと、人の良さそうな受付の女性に二人はそんな風に驚かれた。
あの亜犬はここ最近ポルター周辺で度々人を襲っていた亜獣で、何人もの新人冒険家が挑んでは傷を増やしては帰ってきていたらしい。しかし、死者は今のところゼロ。その理由として初めてあの犬に襲われた人が持っていた食べ物で気を惹いて逃げ出したことがある。それであの犬は人を襲えば食べ物を得られると学んだらしく、適当に人を襲っては食べ物を得ていた。結果的に被害は大きくなっていないわけだが、逆にそのせいで討伐依頼としての報酬が少なく、熟練冒険者の目にとまることがなかった。
ニルがこの依頼を受けた時も受付から食べ物は持っていくようにと言われていた。おそらく、彼らもまたあの亜獣の被害者になるのだろうと思っていたのだろう。何せ、ニルは紛れもなく新人冒険家の一人であったし、連れているのは少女と呼ぶにふさわしい女の子だったのだから。
そんな二人が無傷でしかも一日とかからずに討伐してきたというのだから受付も驚かずにはいられなかったのだ。
「本当はもっと早く帰ってこれたんだけどね」
そう言ってニルはルーリーノを見る。ルーリーノはそれを不服そうな顔で見返すと
「元はといえばニルさんがいけないんじゃないですか。急にあんなところで横になって」
そんな会話を目の前で聞かされていた受付はもう呆気にとられてしまう。数は少なくなったとはいえ亜獣の出現地帯で横になる何て常識では考えられない。
女性がそんな風に思っていると、少女が目深にかぶっているフードの向こうに、宝石のような青い目が見えた。
「もしかして貴女、碧眼のルーリーノさんですか?」
先ほどとはまた違った色の驚きを受付の女性は見せる。同時に一瞬だけ周りが静寂に包まれるとざわめきだす。
「あの小さいのが、あのルーリーノだって言うのかよ」とか「もしかして俺でも勝てんじゃないのか」とか言う声を聞き流しながら
「それで、報酬貰える?」
とニルが受付の女性に尋ねる。女性はその声に我に帰ると「あ、はい」と言ってお金の入った小袋を差し出した。
「ありがとう」
とニルはお礼を言ってそれを受け取ると、ルーリーノの手を掴み逃げるようにその場を後にする。ルーリーノとしても今はこの場を離れることが最善だと分かっているので黙ってそれに従う。
そんな中、不敵に笑う二人組の存在に二人は気が付いていなかった。
ギルドを後にして外に出る。ポルターの町は国の境ということもあり人が集まりやすく、とても活気がある。もうすぐ太陽が赤くなるにもかかわらず、石畳の敷かれた街中はあちらこちらで呼び込みの声が聞こえる。レストランであったり、武器屋であったり、もう少しすれば酒場の前にも人が集まり始めるだろう。
二人は行くあてもなく歩く。
「これからどうするんですか?」
ルーリーノがニルに尋ねる。ニルはそれを聞いてい少し楽しそうに笑うと
「じゃあ、今から壁の外に行ってこの辺の探索を……」
「却下です」
ルーリーノが呆れた声で言う。それに対してニルはやれやれと首を振る。
それに対してもルーリーノとしてはため息の出る思いなのだが、それを抑えて説明に入る。
「あと数時間で夜になるのに、壁の外に出るなんて自殺行為ですよ? 私達と違って亜獣の中には夜になると活発になるやつもいます。暗がりの中そう言うのに襲われたらどうするんですか」
「それはルリノがどうにかするだろ」
ルーリーノは先ほど我慢していた分も含めて溜息を漏らす。
「確かにどうにかできなくもないでしょうけど、そう言う問題ではありません。冒険者に大事なのはいかに避けられる危険をちゃんと避けていくかです」
「それと、私の名前は……」とルーリーノが言いかけたところで「そうそう、むやみに人の多い場所で目立ったりしないようにしないといけないよな」と低い男の声がしたかと思うとゴッという鈍い音がルーリーノの耳に入った。
それから少し遅れてニルの身体がグラつき、倒れそうになったところを筋肉で盛り上がっていた腕が支えていた。
「さすがは碧眼のルーリーノと呼ばれるだけはあるな」
ニルが倒される直前即座にその場から後退したルーリーノに対して男が話しかける。
男の身長は二メートルに近く、筋骨隆々のためそれよりも大きく見える。スキンヘッドで左肩にニルを布団をかけるかのように持ちながら、右手には男の大きさのせいで小さく見える棍棒が握られている。
「でも、御仲間さんはそうでもなかったみたいだな」
そう言ってもう一人男が現れる。腰に二本ナイフをぶら下げ、ポケットに手を突っこんだままルーリーノを睨みつけるように見る、柄の悪い男。
ルーリーノはスキンヘッドの男の肩の上でかすかに上下するニルの身体を見て死んではいないみたいだと少し安心する。しかし、あまりもたもたやっている余裕はないかもしれない。あの男が見たままの力を持っているとすればあれを食らって生きている方が運がいい。でも何で……と考えてルーリーノは心の中で首を振る。今は目の前の問題が大事だと。
「何が望みなんですか?」
そう言ってルーリーノはフードの奥の青い目で男たちを睨みつける。
「なあに、そんな難しいものじゃないさ。ちょっと俺らと決闘してくれよ」
ナイフの男の方が両手を広げるかのようなオーバーアクションでそんなことを言う。その後「ケッケッケ」といった男の笑い声にルーリーノは不快感を表す。
「わかりました。でも、場所を移動しませんか?」
流石にここまでの事件なので、ギャラリーができている。下手すると周りに被害が及ぶかもしれないと思ったルーリーノが申し出た。
人質を取って安心しきっている男たちは「逃げたらこの男がどうなっても知らないからな」と言う前置きを言ってからそれを了承する。
滝が割れるかのように、人々が道をつくっていく中、ルーリーノが連れて行かれたのは、奇しくも昼間亜犬を倒した場所。あの時とは違い綺麗な夕焼けが空を真っ赤に染めつつあった。
「決闘ってどうやったらいいんですか?」
今の状況下において受け身にならざるを得ないルーリーノが尋ねる。しかし、男たちはその質問を無視して、
「とりあえず、その邪魔ったらしいマントを脱いでもらおうか」
と、ニルの首元にナイフを当てながら言った。ルーリーノは黙ってそれに従う。その顔に迷いはなく、じっと男たちを見据えている。
パサリと音をたてマントが地面に落ちると、男たちは舐めるような眼でルーリーノを見る。
「へえ、思ったより可愛い顔してるじゃねえか。でも、まだまだお子様だな」
スキンヘッドがルーリーノの胸に視線を合わせてそう言う。
「でも俺はそう言うのも嫌いじゃないぜ? あのかわいい顔を苦痛に歪ませるのを見れればなあ」
ナイフの男が舌なめずりをしながらそう言うので、ルーリーノは気持ち悪さを感じあからさまに嫌そうな表情を見せる。
「それで、どうするんですか?」
ルーリーノが半ば怒ったかのように尋ねると「おお、そうだったな」ととぼけたようにスキンヘッドが言った。
「ルールは簡単。二対二で相手をどちらも戦闘不能したら勝ち」
二対二というところは少し引っかかるが、それならばこの程度の相手に負けることはないだろうと、ルーリーノに少し余裕が戻ってくる。
しかし、男たちはそれを読んでいたかの様に言葉を続ける。
「先に言っておくが俺らはお前を相手にする気はない。ただ、ひたすらこの男を痛めつける」
それから、ナイフの男が何かをルーリーノの方に放り投げた。それを見たルーリーノの表情が凍りつく。
「さっきのダメージもあってこの男いつまで持つかわからんがな。もしも止めてほしければ自分でそれを首につけろ。そしたらお前たちの負けってことでこの男だけは助けてやる」
スキンヘッドの卑下た視線がルーリーノを見る。ルーリーノの表情が屈辱に歪む。
それから、先ほど投げられたものを見つめる。所謂奴隷の首輪。奴隷身分であることを証明するための首輪。それを自らつけるということは自らこの男たちの奴隷になるということ。
「碧眼のルーリーノを倒し奴隷にしたとなれば、俺達の名も挙がるってもんよ」
二人の厭らしい視線がルーリーノを刺す。
冒険者どうしが戦い奴隷にされるというのは珍しいが稀にあること。故にこの男たちが勝ったとしてその名に傷がつくことはない。そもそも冒険者とは弱肉強食の面も持ち合わせているので、強いものに弱い者がつき従うことを悪く言うものはそうそういない。
ルーリーノに残された選択肢は二つだけ。ニルを見捨てるか、自分が奴隷に堕ちるか。どう考えても前者を選ぶべきだとルーリーノは思う。しかしニルが今危ういのは自分の存在がこの男たちに知れてしまったからだという罪悪感もある。
「それじゃ、始めるぜ」
ルーリーノの考えがまとまらない中、非常にも開始宣言がなされる、
「まずは……」
ナイフの男がニルの耳にナイフを当てる。ルーリーノの中でニルの耳がそぎ落とされる映像が流れる。
男の腕に力が入り、ナイフを振り上げた。
「まって」
ルーリーノは自分でも何処から出したか分からない位の大声で男の行動を制する。と、同時に男たちから期待に満ちた厭らしい視線が送られてくる。
「それをつける気になったか?」
ルーリーノが頷く。それを見て男たちは楽しそうに笑う。
「じゃあ、ちゃんと宣言するんだな。奴隷になりますってな」
男たちの笑い声が雑音のように不快に耳に入ってきたルーリーノだが諦めて口を開く。
「わ、私は……」
「そう言えば、この試合二対二だったよな?」
ルーリーノが震える声で口にしかけた時、そんな声が聞こえた。聞こえたかと思うと、男たちが驚く間もなく鈍い音とともにその場に倒れた。
「もう、起きているならもっと早くやっちゃってくださいよ」
安心して泣きそうなの隠すように、ルーリーノが少し怒った声を出す。
「悪いな」
ニルは少しだけ反省した声で返す。
ルーリーノはひとつ深呼吸をして心を静めると、今度は気になることがふつふつとわいてきた。
「もしかして、ですけど……わざと殴られませんでした?」
今の事件の一番最初のシーンを思い出しながらルーリーノは尋ねる。
「ああ、バレてたか」
ニルの悪びれる様子もない自白にため息をつくと、ルーリーノは口を開く。
「大体、あの程度の攻撃をニルが避けられないはずがないんです」
それが、最初にルーリーノが感じた違和感。ニルならば自分と同じく避けているはずだと思っていたのにそうではなかった。そこで疑問と戸惑いが生まれた。
「それから、いつから起きてたんですか?」
いま思うと、ニルの助けがあまりにもタイミングが良過ぎる。まさか、たまたまあのタイミングで起きたわけではないだろうとルーリーノは考える。
「最初からだな」
「あの打撃を受けてですか?」
それならばもっとタイミングあったんじゃないだろうかと思うよりも先にルーリーノはそちらに驚いた。ルーリーノははっきり見えていたわけではないが、間違いなくあの男の棍棒はニルをとらえていた。
何かしら魔法を使ったというのなら、ルーリーノに分からないはずはないし、そもそもニルは魔法は使えないと言っていたのだ。
「そう言えば、頭見せてください」
ルーリーノが何か思い出したかのような声を出す。ニルが首をかしげながら素直に、ルーリーノが見やすいように座るとルーリーノはまじまじとニルの頭を見る。
少しの間、時折触りながらニルの頭を見ていたルーリーノだが「傷が全くないです」と驚いた声を出す。それを聞いてニルは「ああ」とルーリーノの行動の意味がやっとわかったという気持ちを声に出した。
「俺にダメージは全くないよ」
「そんなはずはないです。確かに鈍い音がしましたし……」
半ば困惑しながらルーリーノが言うと、ニルは何てことないように「まあ、これでもユウシャだからな」という。
ルーリーノは納得のいかない表情を見せていたが、遂には諦めて「いつかは教えてくださいね?」と言うにとどまった。
「それなら、どうして倒されたふりをしてたんですか?」
「そりゃ、壁の外に出たかったか……痛っ」
ニルの回答に思わずルーリーノがニルの頬をつねる。
「そんな変なことを言う口はこれですか?」
「わうあった、わうあった」
むにむにと頬をいろんな方向へ引っ張られ、ニルが音を上げる。それでもルーリーノは「いいえ、許しません」と止めることはせず、満足するまでむにむにすると口を開く。
「今から私は警戒を解きますんで、今日の見張りはニルがやってくださいね」
にっこりと笑いながらルーリーノが言うのでニルは「へいへい」と適当に返事をする。
それを聞いてルーリーノがペタンと地面に座り込んだ。
「どうした?」
ルーリーノのことだからすぐに町に戻りますよとせかすかと思っていたニルはその行動の理由が分からず尋ねる。ルーリーノは拗ねたようにそっぽを向くと
「ニルがちゃんと警戒してくれるのでたまにはこうやって空でも眺めようかと思いましてね」
と言った。ニルは思わず失笑するとルーリーノの隣に座る。
「ちゃんと警戒はしててくださいね」
ルーリーノが膝を立てた状態で、そこに半分顔をうずめてそう言うと、ニルは「もちろん」とだけ言う。
太陽の沈みかけた空は赤から青へのグラデーションを作り、どこか物悲しげな雰囲気を草原にもたらしていた。