「それで、どうして急に村から出るって言いだしたんだ?」
青空の下街道に戻り、のんびりと歩きながらニルがルーリーノに尋ねる。
「ニルはあの村に違和感を覚えませんでしたか?」
ルーリーノは特に考えることもせずに、ニルに問い返す。ニルはしばし考えたが結局首を振り「特には」と言う。
「私にはいくつも感じられたんですよ。例えば本当にあの村が食糧不足に陥るんでしょうか?」
「でも、ラクスがそう言っていただろ? まさかあんな子供まで嘘をつくとでも?」
ニルはルーリーノの言葉が信じられずに思わずそう言う。ルーリーノは首を振りニルを見た。
「不作なのは本当でしょうね。でも、あのお守りがあったら森からいくらでも食料は得られると思うんです。
ラクスのような子供でさえ落とさなければ木の実を取ることはできたのでしょうから」
ルーリーノの言葉を受け、ニルは「確かに」とその点では納得する。
「それに、あの村の方々の作業を見てましたけど、慣れていないとあそこまで簡単に血抜きなんかができるとは思えません。
そうなると、日頃からとまではいかずともそれなりの頻度で狩りなんかも行っていたんじゃないでしょうか?」
ふと、ニルの頭にその時の様子が浮かび、ニルの背筋に悪寒が走る。しかし、それを表に出さないように口を開いた。
「例えそうだったとしても、すぐに村をでなくちゃいけなかった理由にはならなくないか?」
「私も最初はそう思っていたんですけどね。ニルが村長に言われたことを聞いて今すぐに出ないといけないかなと思いました」
ニルが首をかしげる。それを見てルーリーノが言い直す。
「私には村長がニル言った言葉がどうしても『村に残れ』と言っているように聞こえたんですよ。女性でニルを釣って長期に居座ってもらうことで破格の労働力を得る。
それどころかその女性のうちの誰かと結婚させて村の一員にしてしまおう、とそんな風にです」
それを聞いてニルの背筋に先ほどとは違った悪寒が走った。でも、どうしても信じたくないニルは言葉を紡ぐ。
「でも、あくまでもそれはルリノの憶測だろ? 実際は違うかもしれないんじゃないか?」
ニルの言葉にルーリーノは躊躇いなく頷く。
「そうです。すべてが私の憶測です。でも、今私が言った通りのことが起こったら困るんですよ。
だから、敢えて報酬はもらわずに少なくとも報酬をもらうまでは村から離れることはないと思わせた上で出てきたんです。
もしかすると私が想像する以上の方法を使って私達を村に引き留めようとしてくるかも知れませんし、そうされる前に逃げなくちゃいけないと思ったんです」
ルーリーノが一気にそこまで言うとニルは少し考えて「助かったとは言わないからな」とぶっきらぼうに言う。
「もちろんです」
ルーリーノは言葉通りそれが当然と言った風に切り捨てた。
それからルーリーノはひとつ気になることがあるので口を開く。
「そう言えばどうしてニルは村長に女性を与えようと言われたのにすぐ出てきたんですか?」
「私としては結果的に助かったので良いんですけど」と単純な疑問をニルにぶつける。
「まぁ、そんなことのために働いたわけでもないし」
ニルは天気の話をするかのように気軽にそう言うと「それに」と続ける。
「ルリノと居た方が楽しいだろうからな」
そんなニルの急な言葉にルーリーノは思わず顔をそむける。そしてやや頬を朱に染めて
「何を言い出すんですか」
と声を荒げる。ニルは何故ルーリーノがそんなことを言い出すのかわからなくて「ルリノが訊いてきたからだろう?」と困惑しながら言った。
「そ、それはそうですけど……」
尻すぼみになりながらルーリーノがそう言ったのを聞いてニルが胸をなでおろした。
二人がしばらく歩くと次第に山が近づき、気がつくと視界の半分は山で埋まっていた。
連なる山の向こうにひと際高い山がぼんやりと見え、それを指さし思わずニルはルーリーノに問いかける。
「あの山って何なんだ?」
ルーリーノは一度首をかしげるとニルの指さした方向に目を移す。それから納得したような表情を見せると口を開いた。
「何だと問われると困ってしまいますが、よく分かっていないんですよ」
「よく分かっていない?」
ニルが首をかしげると、ルーリーノが「はい」と言ってから説明を始める。
「あの山の手前にまるであの山を守るかのように低い山々があるのは見えますよね?」
「言われてみると、守ってるみたいだな」
ニルが若干ずれた返しをしたがルーリーノはそれを肯定と受け取り話を進める。
「丁度あそこが人と亜獣のテリトリーの境目になっているんですよ。あれより向こう側に行けば帰ってこられる保証はありません」
「でも、亜獣だろ? 軍とかを動かせは何とかなるんじゃないのか?」
ルーリーノの言葉が信じられず怪訝そうな顔でニルが返す。それに対してルーリーノは首を振った。
「軍は動かせませんよ。それにはいくつも理由がありますが、例えば……」
ルーリーノはそこまで言うと視線を山の方へと向ける。ニルもそれに倣って視線を移した。
「見ての通り横に長くまるで城壁のように連なった山です。亜獣達はそのどこからでも町を襲えるんです」
「つまり、軍を動かしている間にどこかの町が壊滅させられるかもしれないと」
ルーリーノの話を真面目に聞いていたニルが、真剣な顔をして自分の考えを述べると、ルーリーノが「そうです」と短く答える。
「それに、軍というのは山中の戦いにはあまり向きません。後は相手の数を把握できないのも理由みたいです」
ルーリーノは一度そこで区切ってニルが納得したのを確認してから続ける。
「あとは、亜獣を駆逐してしまうと軍の兵士がやることがなくなってしまうという問題があります。それと同時に軍に関係している職――例えば鍛冶屋などでしょうか――の仕事もなくなってしまいます」
「確かに国王もそんなことを……」
と呟いてニルは納得したが、ルーリーノはニルが何を呟いたの変わらず「何か言いましたか?」と首をかしげる。
「いや、何でもない」
そう言ってニルが首を振ったので、ルーリーノはやや後ろ髪をひかれながらも追及はしないで話を続ける。
「最後に、国家間の問題ですね。トリオーがあの山の亜獣を抑えているということで他国に対しても多少なりとも貢献していることになりますから、それが影響力にもつながってくると言うことも考えられます」
ルーリーノが言い終わってニルは少し気の抜けた顔をして口を開く。
「考えられます……って今のは全部ルリノの想像だったってことか?」
呆れも感じさせるような声でニルがそう言うと、ルーリーノは「そうですね」とクスクスと笑うと「でも」と再度真面目な顔をする。
「素人の私でもそれだけの可能性を考えられるんです。実際はもっと複雑であったり私には考えられないような問題があったりしてもおかしくはないと思いますよ」
「そう言う捉え方はできるだろうが……」
そう言ってニルが考え込む。それを見てルーリーノはニルの前方に回り込み「まぁ」と明るい声で言う。
「単純にあの山の亜獣は手ごわいんですよ。手誰の冒険者でパーティーを組んでも、奥の大山に辿り着く頃にはもう調べている余裕もなく、ギリギリ町まで戻ってくる程度の余力しか残せない。だから、あの山に関してはほとんど知られていないんです」
ルーリーノがあっけらかんとそんなことを言うので、考えるのが馬鹿馬鹿しくなったニルは一度溜息をついて口を開く。
「そう言えば、ルリノを注意しなくなったな。と、言うことはルリノを認めて……」
「さすがに私も注意できない流れというものがあるんですよ」
ニルの軽口に被せるようにルーリーノの声が響いた。