俺たちに墓標はいらない   作:エルロイ

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第1話

 悪魔がホルンを吹き鳴らす時刻。街に立ち並んだ巨大なビル群は、峻厳とした山々の峰のように如く天高く聳え立っていた。

 

 時計の針が午前一時を指した頃、バイケンは、チクタクと静かに回る秒針の音とともに、路地裏にたむろするギルドの売人どもから、月のアガリをせしめていた。

 バイケンは売人にロド麻薬を売らせ、売人はバイケンに売った麻薬の金の二割を上納金としておさめるのが、ここでの取り決めだ。

 

 闇金、賭博、売春宿、殺し──この街での非合法なビジネスは、全てバイケンの息がかかっている。

 悪党のバイケン、それがここでの通り名だ。口に咥えた葉巻が、グレーの煙をゆらゆらと立ち上らせる。

 

 バイケンは海賊ギルドの中堅幹部だ。魔女のように伸びた鷲鼻は痘痕だらけで、右目には眼帯が巻かれている。

 失った右目──かつて一匹狼の海賊に奪われた。海賊の名はコブラ、宇宙最高の賞金首と呼ばれた男だ。

 

 もっとも、数年ほど前にぷつりと消息を絶ち、今ではもう死んでいるだろうというのが、もっぱらの噂だった。

 死んだ?奴が?あの不死身の海賊が?バイケンはそんな噂話なぞ信じてはいなかった。

 

 そうだとも、奴はどこかで生きているはずだ。あいつはそんなヤワなタマじゃない。 

 奴は地獄の住民だ。悪魔を友にし、死神と連れ歩く、それがあの男だ。

 

 ぼんやりとした薄明かり、外灯の回りでは、季節外れの蛾が飛び回っていた。

 ロド麻薬は金になる。買った奴はやがて廃人になる。売人は新しい客を捕まえて、ロド麻薬を売りつける。

 売った金はバイケンの懐へと転がり込む。

 

 灰色のコンクリートでできた街路、壁に貼られた賞金首のポスター、

 

 方眉をつりあげ、バイケンが不機嫌そうに灰になりかけた葉巻を吐き捨てる。

 

 「ナット、最近売り上げが落ちてねえか」

 「バイケンさん、この頃、銀河パトロールの目がうるさくて、ロド麻薬が思うように売れないんでさァ」

 

 言い訳がましい売人の元締めにバイケンは一発蹴りをくれてやった。それも睾丸のど真ん中にだ。

 

 身体をくの字に曲げ、呻くナット──バイケンが引き抜いた拳銃をナットの額に押し付けた。

 「ナット、お前が手下の売人どもから金をチョロまかしてんのは知ってんだ」

 

 恐怖のあまり、ナットの全身が硬く強張った。バイケンが三十八口径の銃口を額の皮にぐりぐりと押し付ける。

 ネズミをいたぶる猫のように、サディスティックにネチネチと。

 「か、勘弁してください、バイケンさん、出来心だったんです……」

 ナットは胸の辺りで両手を握り合わせ、バイケンに許しを求めた。それに対するバイケンの返答。

 

 「勘弁できねえな、ナット、俺はそこまで心の広い男じゃねえ」

 銃口が火を噴いた。銃弾がナットの額から後頭部へと突き抜ける。血と脳漿がザーメンのように派手に吹き飛んだ。

 

 髪の張り付いたピンク色の肉片が、壁に付着する。地面に散らばったナットの砕けた頭部を踏みつけ、バイケンはせせら笑った。

 「ひひひっ、俺の金をチョロまかそうなんざ、百年早えんだよ、なあ、ナット」

 

 「また派手にやったもんだな、バイケン」

 突然後ろから何者かに声をかけられ、バイケンは驚きながら振り返った。全く気配を感じなかった。それこそ微塵もだ。

 

 「そこにいるのは誰だッ」

 バイケンは叫んだ。振り向きざまに叫んだ。

 暗がりから、こちらを覗く一体の影法師──影法師がジッポーライターに火をつけた。

 

 ライターの炎で、葉巻の先を炙る男の素顔──バイケンは、映し出された男の顔に見覚えがなかった。

 男の髪は短めのブロンドヘアで鼻は丸っこい団子鼻だった。目は垂れ下がって、口元がしまりもなく、にやついている。

 

 愛嬌のある顔ではあるが、お世辞にもハンサムとはいえない。

 「おいおい、俺を覚えてないのか。冷たいなあ」

 

 男が親しい友人に話しかけるように、バイケンに向かって気さくに声をかける。

 

 記憶の糸を手繰り寄せてはみたが、やはり身に覚えはない。なるほど、銀河パトロールの犬ってとこか。

 恐らくは犯罪現場を押さえる為に、こちらをつけ回していたのだろう。それなら納得がいく。

 「兄ちゃん、人殺しを見られたとあっちゃ、生かしておけねえ。悪いがここで死んでもらうぜ」

 

 バイケンが引き金を引いた。路地裏に閃光が走った。

 闇夜を引き裂く銃声──死の間際、バイケンの瞳に黒光りする男の左腕が焼きついた。

 

 鈍色に輝いた紡錘形のフィルム──それはまるで死神の鎌を彷彿とさせた。

 「サ、サイコガン……」

 バイケンの瞳から命の灯火が、ふっと消えうせた。前のめりに崩れ落ちる。

 

 サイコガン──最後に遺したその言葉が、バイケンの墓碑銘となった。

 

 

 

                     「俺達に墓標はいらない」

 

 

                 

 闇に沈んだ廃屋で、キリコは赤ん坊を優しく抱きしめた。夜風のせせらぎと静かな月の光。

 キリコ・キュービィー、それがこの男の名だ。キリコ──神の後継者と呼ばれ、神を殺し、そして神の赤ん坊を連れ去った男。

 

 その半生は神秘と伝説に彩られ、マーティアルですら恐れおののいた。

 

 カインは森にある一際大きな老いた杉の木に登り、二百メートル離れた廃屋の壊れた窓から、暗視スコープ越しにキリコの様子を覗った。

 異能生存体/不死身の男/触れ得ざる者──本当にそうなのか。元レッドショルダーだけあって、確かに腕は立ちそうだ。

 

 スコープドッグを扱わせれば、超一流の腕前を誇るのだろう。だが、今はどうだ。足手まといの赤子をつれ、武器は一丁の銃のみ。

 

 奴を消せば、名があがる。カインは愛用のライフルを手に取り、構えた。自作したステンレスの銃身が、カインの眼に頼もしく映る。

 スコープのピントをあわせ、汗で蒸れた掌で、グリップを握った。ストックに右頬を張り付かせる。ライフルの照準が、キリコの頭部に狙いを定めた。

 

 カインは胸の奥底で、小さなざわめきを感じた。ざわめきを振り払うように遊底をスライドさせ、チャンバーにライフル弾を送り込む。

 

 激しく胸を打つ心臓の鼓動、血管を駆け巡る血潮──ゆっくりと息を吐き、カインはライフルの引き金を絞った。

 反動──ライフルの床尾が、カインの肩に食い込んだ。やったかっ!?カインはスコープを通して、一筋の血が宙に舞うのを見た。

 

 廃屋の床に倒れるターゲット──呆気ないものだ。所詮は相手も生身の人間、伝説には尾ひれがつくものと相場は決まっている。

 カインが通信機のスイッチをいれた。

 

 『やったぞッ、キリコを仕留めたぞッッ!』

 応答はなかった。通信機のダイヤルを回し、カインがマイクに何度も呼びかけ続ける。だが、帰ってくるのは雑音だけだった。

 『おいっ、ボブっ』

 数秒後、森にバハウザーの銃声が木霊した。

 

 惑星アルディーンはザ・ゴザと並ぶ戦場の星だった。金に目が眩んだ命知らずの傭兵と、賞金首のお尋ね者が集う星、

 それがアルディーンだ。巨大なドームが割れ、次々と宇宙船が飛来していく。

 

 空中に掲げられた航路標識を小型の飛行艇が横切った。ここはアルディーンの首都だ。

 傭兵達が雑多で薄汚れたメインストリートを行きかう。

 

 通りの角に備え付けられたシャワールーム──曇りガラスから湯飛沫の音が聞こえた。

 熱い湯を浴び終え、キリコがシャワーのコックをひねって、湯を止める。

 タオルで身体を拭き、オレンジ色の耐圧服を着込むとキリコがシャワールームから出る。

 

 「ああ、さっぱりした。これで綺麗な姉ちゃんでもいればなあ」

 キリコと同時に隣のシャワールームから男が出てきた。肩から湯気を立ち上らせ、陽気に鼻歌をうたいながら、男が髪の毛を指でぬぐう。

 「よう、キリコ」

 

 男がキリコにウインクし、今から飲みに行かないかと誘った。キリコが無言で頷く。

 それじゃあ、いこうぜと男が葉巻を唇の端に咥え、ジッポーで火をつけた。男の陽気な振る舞いと出で立ちは、キリコに若い頃のバニラを思い起こさせた。

 「それじゃあ、いくか、コブラ」

 「ああ、そうしようぜ、キリコ」

 

 激しいドラムとベースのリズム、耳を聾するエレキギターの咆哮。カウンターに並ぶスティールにふたりは腰を下ろした。

 コブラがバーテンにライトビールを二つ注文した。キリコはあまり酒が飲めない。ビールを嗜む程度だ。

 この前、コブラがバーボンを奢ってやったら、酒の度数にキリコは顔をしかめていた。

 

 薄暗い照明、天井からつり下がった裸電球は、絞首台にぶらさがった死刑囚のように音もなく揺れていた。

 ふたりが知り合ったのは、ほんの二週間前だった。

 

 ATの訓練場で、右も左もわからず困り果てていたコブラにスコープドッグの操縦を教えてやったのはキリコだ。

 

 眼を見張るばかりの吸収力だった。コブラは凄まじい集中力と適応力を見せ、一週間もしない内にATの完璧な操作技術を身につけた。

 最初は全くの素人だった。当たり前だ。コブラはこれまで、ATを見たこともなかったのだ。

 

 異能者──それがキリコの脳裏に浮かんだ言葉だった。

 「ここの酒場は華がないね」

 「それは言いっこなしですぜ、旦那」

 

 バーテンが運んできたビールグラスをコースターと一緒にふたりの前においた。

 「でもよ、色気ってもんがないぜ。男ばっかで、むさ苦しいったらないね。悪い事は言わない。可愛い子をウエイトレスに雇いな」

 バーテンに軽口を叩きながら、コブラがグラスのビールを半分ほど飲み干す。

 「ま、ビールの味は悪くないがね」

 

 「そういえば、おふたりさん、サラマンダーの噂はご存知ですか?」

 グラスを磨きながら、バーテンがふたりに尋ねた。

 「サラマンダー?なんだ、そりゃ?」

 コブラがバーテンに聞き返す。バーテンが声をひそめて喋りだした。キリコが静観したまま、バーテンの話に耳を傾ける。

 「たった一機で二十機のATを仕留めたっていう、化け物の話ですよ」

 「へえ、そいつはおっかねえな、くわばら、くわばら」

 

 「旦那、あっしの話を信じちゃいないでしょう。でも、こりゃ本当のことなんですよ。

 サラマンダーっていうのは赤いATに乗ってるから、そんな名前がつけられたそうなんですがね。金さえ貰えりゃ、どの陣営にもつくっていう流れ者でさ」

 「なるほどね。まあ、用心はするよ」

 コブラがグラスを傾けながら答えた。


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