【リメイク】緋弾のアリア 抜けば玉散る氷の刃   作:てんびん座

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大失敗です。
活動報告にも記載しましたが、前作のリメイクを投稿するために今までの話を消していたら、最悪なことに作品そのものを消してしまうというあり得ない失敗を犯しました。
皆様の感想や評価なども一切合財を消してしまい、誠に申し訳ありません。

卒業論文が消えた大学四年生の気分が僅かながらに理解できました……。


第1弾

 世界には古来より、『男の娘(おとこのこ)』という物語のジャンルが存在している。

 

 日本男児の『男』に愛娘の『娘』と書いて『おとこのこ』と読む。断じて『おとこのむすめ』という読み方ではない。

 これは近年に生み出された造語で、簡単に言えば『女のような顔立ちの男』のことを指す。それも、女性と言われれば違和感を全く感じないレベルものを指すことが多い。また、女装の完成度が異様に高いことで外部からの性別の判断を狂わせる男性もこれに分類されるだろう。

 そして日本の妄想力逞しいオタクたちによって生み出されたこの言葉は、意外なことに歴史は古い。日本最古の歴史書である『古事記』を参考にするのならば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)による女装を用いた暗殺が有名なものとして挙げられるだろう。

 この暗殺事件の際、彼――もしくは彼のモデルとなった人物――は女装した状態で熊襲武尊の宴会に潜入し、そのまま色仕掛けをしつつ近づいた。そして油断したところを隠し持った武器で襲ったのである。性別という盲点を突いた、見事な暗殺と言えるだろう。誰にでもできるものではない。加えて言えば、帰路ではまるで土産のように他の国も侵略してしまうという武勇伝まで持ち帰った。

 そこに別に痺れも憧れもしないが、日本最古の俺TUEEは伊達ではない。まさに英雄と讃えられるだけの業績である。

 他にも、戦争を回避するために女装して隠れたギリシャの英雄アキレウス、女装させられ針仕事に従事したヘラクレスなど、海外にもその例は尽きないと言える。日本にも、武蔵坊弁慶をやり過ごすために女装した牛若丸という例もある。

 

 このように、女装した美男子というジャンルは古来から存在するのである。

 もちろん、これらが実際に起こったエピソードなのか、それともただの伝説なのかはわからない。

 しかし実在していない出来事だというのならば、それこそその出来事を記した書物が書かれた時代、物語が広められた時代に、『男の娘』という創作のジャンルが存在していたという証拠に他ならないだろう。

 

 これらのことから、男の娘は世界各地に根強く伝わる“文化”なのである。

 時に暗殺、時に隠密、時に脱走と、ここまで来れば“技”と言っても過言ではない。

 人間が他者を判別する時に特徴として記憶するのは、顔、身長、服装、髪型など様々なものがあるが、性別を偽っていると疑ってかかる者はまずいないだろう。

 つまりこれは擬態の一種であり、変装という能力の極みの領域のひとつなのだ。

 しかし、これは誰でもできることではない。異性に化けるということは、背丈や体格、顔立ち、声質、仕草など、あらゆるものを偽装しなければならない。

 ほんの僅かな違和感が他人の意識を引き付け、最悪その化けの皮は一瞬で剥がされる。

 よって異性装にはより中性的な顔立ちや体格など、フィジカルに恵まれていなければならないという前提が存在しているのだ。

 それらを踏まえるならば、異性装とは恐ろしい技術であることがわかるだろう。

 

 

 とはいえ、その才能に振り回される周囲は堪ったものではないだろうが。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 初めて“そいつ”に会った日を、ジャンヌ・ダルク30世は今でも覚えている。

 忘れもしない、初めてイ・ウーの拠点である原子力潜水艦『ボストーク号』に乗船した日だ。その時、イ・ウーの拠点であるボストーク号は、確か地中海を航行していたとジャンヌは記憶している。当初は原子力潜水艦という意外すぎる拠点に愕然とし、そしてリーダーである『教授(プロフェシオン)』が伝説の名探偵シャーロック・ホームズその人だということに開いた口が塞がらなかった。

 今となっては慣れたものだが、当時は意外だとか予測不能だとかいう言葉を超越し、もはや現実と非現実の境が曖昧となったものだ。

 ジャンヌ自身は代々続く歴史ある魔女の一族であり、その長い歴史の中で吸血鬼ブラドなどの化生や他の怪人たちとも渡り合ってきたため、その驚きは幾分かマシであったと言える。しかし何も知らない一般人がこの話を聞けば、あまりの荒唐無稽さに都市伝説と言っても通用しないだろう。

 

 イ・ウーとは、言うなれば世界一アンダーグラウンドな学校である。

 

 そのルーツは第二次世界大戦にまで遡るとされている。当時、枢軸国では異能者や超人などの育成機関が存在していたらしい。戦争において、古くから未来まで淘汰されることなく使われる兵器――つまりは人間の強化を目論んだのである。

 しかしその計画は、大戦の終了に伴って頓挫。機関は解体され、そのまま消滅するはずだった。

 だが、そこで機関が消えなかったからこそ今のイ・ウーがある。恐るべきことに、彼らは所有していた潜水艦を強奪することで国を脱走、文字通り機関そのものを持ち逃げしたのだ。

 その後は、研究の成果やその戦力を狙う国連や様々な裏社会の組織からも逃げ果せ、ついにイ・ウーという独立した組織へと昇華したのだった。

 

 そんな大戦期に発足したこの組織が現代において何をしているのかというと――何もしていない。

 

 この組織には、組織としての目的が存在しないのだ。目的は所属する個人たちが勝手に掲げるものであり、組織全体がひとつの目的を持つことはない。全員がバラバラに動くこの組織は、尋常な組織から見れば烏合の衆と謗られても全く反論できないだろう。

 そんな組織と呼べるかも微妙なこの秘密結社が、何故今まで存続できたのかというと、これはイ・ウーの長である『教授』の力が大きいだろう。長い歴史の中で何代にも亘って継承されてきたその称号は、イ・ウーの中では絶大な重みを持つ。

 その理由として挙げられるものはただひとつ――純粋に強いからである。

 歴代の教授たちは、その圧倒的な強さによってメンバーたちを力尽くで従わせてきた。無論、下剋上上等、不意討ち闇討ち騙し討ち歓迎、多勢に無勢も正当という、まさに勝てば官軍が罷り通る過酷な環境下においてだ。あまねく反乱分子を蹴散らし、粉砕し、従わせることで、初めてイ・ウーの教授の名は継承される。

 要は、教授は超人組織イ・ウーにおける最強の存在なのだ。

 話が逸れたが、ここからがイ・ウーという組織の最大の特徴と言える部分だろう。

 この組織、全体の目的が存在しない代わりに、所属する構成員たちの全てに強いる規則が存在する。

 

 それは、互いに技術を教え合うことで更なる高みを目指すことである。

 

 この規則は大戦期の時代の名残であり、イ・ウー最大の存在意義とも言える。

 イ・ウーにおいて、各々は何をしても良い。私闘、強盗、共謀、暗殺、裏切り、侮辱――全てが許される。

 ただしこの組織に名を連ねる以上は、切磋琢磨を繰り返すことで強くならねばならない。そして強くなった後は、何をしても良い。イ・ウーを乗っ取るも、世界へ羽ばたくも、古巣へ戻るも構わない。来る者拒まず、去る者追わず――それがイ・ウーのスタンスだった。ここで得た技術やコネクションをどうするかは本人次第。あくまで組織は場を提供するだけだ。

 それこそが、ここが構成員たちに“学校”と揶揄される所以でもある。

 

 そんな魔窟でジャンヌが“そいつ”と出会ったのは、入学初日。ボストーク号の内部を知るために、当て所なく船内を見て回っていた時だった。

 

 その光景を、ジャンヌは今でも覚えている。

 そこに居たのは、自分よりも年下であろう小柄な少女だった。

 

 ――腰まで届く黒髪が、所々に混じる鮮やかな桜色の美髪を伴って靡く。

 ――日の光とは縁の遠そうな白い肌が、滴る汗に濡れる。

 ――闇色の澄んだ瞳が、何もない虚空を見据える。

 

 その少女は、自分を見つめるジャンヌになど目もくれず、黙々と刀を振っていた。それは、上段からの振り下ろしをひたすらに繰り返す、ただそれだけの単純な素振り。

 しかしその一連の動作を、ジャンヌは理屈を通り越してただ“綺麗だ”と思った。

 剣と刀、種類は違えど同じ刃を振るう人間として、ジャンヌはその流麗さに見惚れた。ただの素振りだというのに、そこには剣士としての技術が凝縮されている。

 

「同年代でこれほどの技量を持つ人物が、まさか自分の他にいるとはな……」

 

 自然とそんな言葉が口から漏れる。だが、これは決して自惚れや慢心から出たものではない。

 ジャンヌは幼い頃より、一族の後継ぎとなることを定められていた。栄えある『銀氷の魔女』の一族として、幼少より剣術と魔術の修行に耐え抜いてきたのだ。よって、剣術においては一流と言っても過言ではないとジャンヌは自負している。未だ若輩者であることはもちろん認めるところではあるが、並みの武偵や異能者に引けを取ることはないと確信していた。

 そしてそれは、事実ではある。未だ十代のジャンヌではあるが、魔術と剣術の技量はイ・ウーに迎えられるだけあって非常に高い――表社会や、裏社会における末端組織においては。しかし、ジャンヌはひとつだけ勘違いをしていた。ここはイ・ウー、裏社会の奥の奥。世界の闇が凝縮され、圧縮され、その身を食い合う血塗られた場。天才という言葉を嘲笑う怪人、千年単位で歴史を紡ぐ血筋の魔女、人間の理解を越えた怪物が闊歩し、その技術を学び合う。云わばここは、世界最“凶”の学び舎なのだ。

 そのような場所に居る人物が、例え若かろうと“尋常な人間”であるはずがない。入学して日の浅く、また文字通りまだ若輩者であったジャンヌはそこの理解がまだ足りていなかった。

 もし、もしも過去の自分にジャンヌが言葉を伝えられる機会があるとすれば、確実にこの時の自分に宛てたものだろう。

 

 ――そいつに近づくな、関わるな、今すぐに、走って離れろ、むしろボストーク号から出ろ、フランスの実家に帰れ……

 

 考えればキリがない。それほどにジャンヌは、この時の自分の行動を後悔している。

 ここでもしも“そいつ”に話しかけなければ、恐らく自分の人生はガラリと変わっていただろう。しかし過去は変わらない。少なくとも自分は変え方を知らない。

 

 そしてジャンヌは――

 

「失礼、少し良いだろうか?」

 

 確かそんなことを言いながら、そいつ――犬塚(いぬづか)(みやび)へと声をかけたのだった。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

「ぶはっ!?」

 

 ボストーク号の船内の一室、そこで奇妙な声を上げる少女が居た。

 その異様な息苦しさに、眠りの底にあったジャンヌの意識は強制的に覚醒させられる。何か懐かしい夢を見ていた気がするが、そんなものは今起こっている非常事態によって記憶の彼方へと葬られた。

 ジャンヌにとって、この状況は全くわけがわからなかった。突然の息苦しさに目が覚めたかと思えば、まともに息を吸うこともできない。そして必死に目を開けてみれば、何故か視界は暗黒に染まっている。おまけに顔が痛いくらいに冷たい。まるで顔中に細い針が突き刺さっているかのようだ。痺れすら感じるこの痛みに、ジャンヌは思わず涙を流す。

 一体何が起こっているというのか。

 必至に手足をジタバタと動かすと、ゴズンッという音と共に右脛に激痛。どうやら何かの角にぶつかったらしい。死ぬほど痛かった。

 

「ぐっ、このっ!」

 

 体内の酸素が限界レベルに達したジャンヌは、決死の覚悟で顔面にへばりつく“何か”を剥ぎ取った。途端に視界は明るくなり、肺へと正常な空気が送られる。非常に美味い。空気がこんなに美味いものだということを、ジャンヌは生まれて初めて思い知った。深海の底における貴重な酸素を使用して深呼吸を繰り返すことで、ジャンヌは必死に息を整えようとする。

 しかし次の瞬間、消灯していたはずの部屋の明かりが唐突に点灯する。暗闇の世界から光の下へと引き摺りだされたジャンヌは、その眩しさに目を晦ませた。反射的にスイッチへと視線を向けるが、急激な明度の変化に耐えられないジャンヌの目では下手人の影しか捉えられない。即座に光に慣らそうと目を細めるが、そのような時間を下手人が与えてくれるはずもなかった。

 右手に帯状の何かを手にしているその影が、まるで地面を這うように低い姿勢で迫り来る。視界がハッキリしないジャンヌだったが、それが“敵”であるということは瞬時に理解していた。同時に、戦慄もしていた。

 

(施錠された私の部屋に侵入し、あまつさえここまで接近を許すだと!?)

 

 そう、ジャンヌが驚いたのは、ここまで徹底して気配を感じなかったことだ。こうしてジャンヌの目前にまで接近しているこの瞬間さえ、敵は足音の一つすらも立てない。気配が希薄という、まさに暗殺者として最高の難易度の技術を敵は有している。それを加味すれば、むしろまだジャンヌが生きていることが不思議なほどだ。

 夜討ち、朝駆けは襲撃の基本。卑怯だと罵るような真似はしない。しかし、もしも敵が初撃で殺す気だったならば、もしも顔に食らったものが刃や銃弾だったならば、ジャンヌは既にこの世を去っていたのだ。敵が何故わざわざ点灯するという無駄なことをしたのかは定かではないが、こうして生きている内に自分の命を諦めるつもりなどジャンヌにはさらさらなかった。

 となれば、ここは抵抗あるのみだ。

 

「ハッ!」

 

 薙ぐように振るわれた帯状の何かを、ジャンヌは飛び上がって回避した。ベッドのスプリングを利用したその跳躍は、パジャマという動きにくい格好だというのにジャンヌの高い身体能力によって天上付近までその身体を運ぶ。

 そしてジャンヌの手には、鞘に納められた一振りの剣が握られていた。ジャンヌとて馬鹿ではない。このような寝込みを襲う敵が現れた場合の対策として、寝起きの直後に武器を手に取れるよう傍らに忍ばせていたのだ。

 空中で幅広の洋剣(クレイモア)――デュランダルを抜剣したジャンヌは、落下のエネルギーを追い風に敵に反撃する。風を切りながら振り下ろされたその斬撃は、まさに流麗にして無謬の一撃だった。空中という姿勢が安定しない場だというのに、斬撃の軌跡はまるでブレがない。たったこれだけの動作だけでも、ジャンヌの剣術家としての技量が相当に高いということが窺い知れる。尋常な暗殺者ならば、あるいはこの一撃で斬り殺されていたかもしれない。

 

 だが、敵は大凡尋常と言える領域に居るような存在ではなかった。

 

 暖色の帯が撓る。ジャンヌの目には、敵の帯がまるで蛇のように蠢いたように見えた。

 なんと敵は、その手に握る帯状の何かでジャンヌの剣を側面から弾いたのだ。俗にパリィとも呼ばれるこの技術は、武器を扱う者にとってはそう珍しい技術ではない。しかし問題は、振り下ろされる剣をこの柔らかい武器で弾いたということだ。デュランダルよりも遥かに軽量であろうあの武器で、まさかこうまで容易く弾かれるとはジャンヌも想像していなかった。

 そして着地と同時に、ジャンヌは更なる驚愕の事実に気付いた。ようやく視界が元に戻り始めたジャンヌの目が、敵の武器を捉えたのだ。そしてその武器の正体に愕然とする。一見すると、それはただのオレンジ色のタオルにしか見えなかったのだ。水に濡れているのか雫が滴ってこそいるが、たった今デュランダルを弾いた帯状の武器の正体は“何の変哲もないただの布”だった。まさか濡れた布一枚で、敵は自分と戦っていたというのか。だとすれば、もはやそれは敵の技量に感服するほかない。

 だが、感服の念を抱くのも刹那の間で終わる。戦いは、未だ続いているのだ。だが、その刹那が勝敗を分けることとなる

 

「しまったッ」

 

 一瞬の隙だった。その隙の間に、タオルがジャンヌの足を絡め捕る。

 水分によって重みを増したタオルは、まるで鞭のように鋭かった。そして腕を締め付けるその力も、普段の乾き切った状態とは比較にならない。まるで蛇の咢に喰い付かれたかのように、タオルはジャンヌを逃がそうとしなかった。

 

「うぉッ――」

 

 着地によって姿勢が安定していなかったジャンヌは、あっさりと引き倒された。地面に俯せに倒れたジャンヌは、もはや背面ががら空きだ。いかに切れ味の良い剣であろうと、剣士が倒れ伏した状態ではまともに力を発揮できない。

 そして敵は、既にジャンヌの背後を取っていた。馬乗りに跨った敵は、膝でジャンヌの両腕を抑え込んでいる。これでは身動きが取れない。

 

()られたッ……!)

 

 一瞬の不覚に、ジャンヌは死を覚悟した。布状の武器を使うということは、恐らく敵がジャンヌを殺す方法は絞殺だろう。背後から完璧な姿勢で首を絞められれば、呼吸を封じられて文字通り息絶えてしまう。

 迫り来る死への恐怖に、ジャンヌは思わず目を瞑った。

 そして――

 

「不合格!」

「いだだだだだだだだだだッ!?」

 

 首から顎を掴まれたと思った瞬間、ジャンヌは海老反りなっていた。キャメルクラッチだ。腰に激痛が走り、あまりに急激な角度によって背骨が軋む。まるで腰から胴体を真っ二つにされるかのような角度に、ジャンヌは盛大な悲鳴をあげた。それを背後から眺めながら、下手人は嘲笑を浮かべていた。

 

「ジャンヌ、君ね~。ボクが殺す気だったら二回は死んでいたんですけど?」

 

 キャメルクラッチの角度が更に増す。「ぅぉごぉぉぉ!」と呻くことしかできなくなったジャンヌは、必死に腕をタップした。だが無視された。朝から少女があげていい声ではなはなかったが、ジャンヌも好きでそうしているわけではない。

 しかし激しさを増したタップが功を奏したのか、下手人はパッとジャンヌを解放した。海老反りの姿勢から解放されたジャンヌは、荒い息を吐きながら地面に倒れ込む。

 

「寝込みを襲われるなんて、この業界じゃ当たり前だよ? なのに部屋に侵入されても寝こけているなんて、敵に『どうぞ殺してください』って首を差し出しているも同然! 起きられないなら、せめて部屋に罠を仕掛けるとか……ジャンヌ聞いてる? っていうか起きてる? おーい」

 

 声の主は、倒れたまま顔を上げないジャンヌを訝しんだようだった。何度か身体を揺すってみるものの、ジャンヌは一向に起き上がらない。そして、それこそがジャンヌの狙いだった。

 脱力していたジャンヌの身体が、まるでバネ仕掛けのように動き出す。瞬発的なその動きに、油断していた声の主は反応が遅れた。「おおっ!?」と目を見開くその人物に、ジャンヌは勢いよく密着した。そしてその両手を、“そいつ”の顔に突き出す。

 

「貴ッ様ァァァァァァ!」

 

 轟くジャンヌの怒声。

 白魚のように細いジャンヌの指が、下手人ことミヤビの頬を掴み取った。そしてミヤビが抵抗する暇も与えず、全力でそれを左右に引っ張る。頬の肉が、まるでゴムのように伸びた。

 

「ひぎぃぃぃいいいっ、痛い痛い(いひゃいいひゃい)! 放して(はらひて)~っ!」

「絶対に許さん! 絶対にだ!」

 

 状況は逆転した。先程とは打って変わり、今度はミヤビがジャンヌに悲鳴をあげさせられていた。頬を引き千切らんと目をギラギラと輝かせるジャンヌは、横だけでなく縦や前後などの様々な方向に頬を引き回す。その度にミヤビの悲鳴は大きくなり、とうとう薄っすらと瞳に涙を浮かべ始めた。それを見て少しは溜飲を下げたのか、ジャンヌは頬を捩じるようにしながら手を放す。ミヤビは泣きながら地面を転げ回った。その様は、先程までジャンヌに死を覚悟させた“敵”と同一人物だとは思えない。

 そんなミヤビの容姿は、初めて会った頃から全く変わっていない。トレードマークである腰まで伸びた艶やかな黒髪は未だに健在だ。相変わらず身長は低く、恐らく140センチと少ししかない。そして髪と同じ黒い瞳は、まるで地上の光を吸い込む夜空のように黒く輝いている。メッシュのように黒髪に混じる赤毛は、心なしか以前より増えたように感じた。

 服装は相変わらずの子供服で、所々にフリルが飾られているワンピースだ。色彩こそ大人しめだが、スカートの裾や袖口のフリルによって派手すぎない程度の華やかさを感じる。確証はないが、これはジャンヌの同期の少女の趣味だろう。

 しかし何よりも目を引くのは、腰に差された日本刀だ。黒塗りの鞘に納められた一振りの刀が、派手な柄のカービングベルトによって腰に固定されている。ただでさえ目立つそれだが、漂わせている空気も尋常ではない。その辺の美術館などで飾られているような金属の塊と違い、何か得体の知れない気配のようなものを薄く放っていた。

 

「というか、ミヤビ。貴様、どうやって私の部屋に入ってきた。鍵はかけていたはずだぞ」

「いったぁ……えぇ? 普通に玄関から入ったよ?」

 

 頬を手で押さえながら、さも当然のように話すミヤビ。しかし、ジャンヌが聞きたいのはそんなことではない。

 

「だから鍵はどうした、鍵は! ついでにチェーン! 私は寝る前に確かに掛けたぞ!」

「ちょっと頑張ったら開いた」

 

 嫌な予感がした。

 このミヤビという奴が碌でもないことを仕出かすことは、ここしばらく付き合いで既に理解している。そんなやつの“ちょっと”が、常人のちょっとと同等のはずがない。今までの経験に当てはめるのならば、この“ちょっと”をまともに捉えることはできなかった。

 ミヤビの隣を走り抜けたジャンヌは、寝室から転がるように飛び出して玄関へと急ぐ。そしてそこでジャンヌが見たものとは――

 

「……うん?」

 

 至って普通の玄関だった。鍵はジャンヌの記憶通りに施錠され、異常はどこにも見られない。玄関が跡形もなく消し飛ばされているくらいは覚悟していたジャンヌは、些か拍子抜けした。どうやら普通に――常識的に考えれば全く普通ではない――ピッキングを行使したようだ。

 ほっと一安心したジャンヌは、改めてミヤビに怒りをぶつけようと踵を返す。どんな理由であれ、夜襲を仕掛けられたことに対する報復はまだ終わっていない。「こうなれば今日こそ徹底抗戦だ」と息巻いたジャンヌは、しかしそこでようやく大きな違和感に気付く。

 

「いや、待て……」

 

 再び玄関に視線を向ければ、やはりいつも通りの扉があるばかりだ。異常はない……かと思いきや、よく見れば鉄製のチェーンが半ばで切断され、まるで紐のように扉にぶら下がっているではないか。通常、チェーンは扉枠に根本が固定されている。となれば、扉に引っ掛かったままぶら下がるのはおかしい。

 ここに来てようやく異常が判明した玄関に、ジャンヌは恐る恐る歩み寄る。ヒタリヒタリと床に張り付く素足の音が、嫌に耳に響く。緊張に思わずゴクリと生唾を飲み込みながら、ジャンヌは意を決して扉に手を伸ばした。

 そして次の刹那、扉は既にその機能を果たしていないことが判明した。

 軽く擦れただけのジャンヌの手によって押し出された扉は、何の抵抗もなく玄関の外に倒れ込んだのだ。重厚な扉が巨大な音を立てながら外の廊下に叩き付けられ、朦々と埃が舞う。一気に開放的な造形となった玄関にジャンヌは開いた口が塞がらない。

 

「なん……だと……」

 

 そこにあったのは、扉“だった”ものだ。

 防弾性の扉は、その機能を活かすことなく破壊されていた。呆気に取られながらも扉枠に視線を巡らせたジャンヌは、蝶番やデッドボルトは綺麗に切断されていることにようやく気付いた。まるで最初からそう加工されていたかのように、その断面は滑らかだ。何も知らない人間が見れば、誰もこれが刃物を用いた人の手による技の成した結果だとは思わないだろう。

 せめて、せめてピッキングによる開錠だったならばと淡い期待をしていたジャンヌは、想像以上の惨状に思わず膝を突いていた。同時に、今度からは扉以外の部品にも気を使おうと誓った。

 しかし――

 

「……まあ、爆破じゃないだけ被害は軽かったか」

 

 ジャンヌは既に立ち直っていた。膝を突いてから僅か数秒の出来事だった。

 朝っぱらから冷却濡れタオルを食らい、キャメルクラッチをかけられ、挙句にドアまで破壊された。

 しかし悲しいかな、ジャンヌはこの程度のことなら既に慣れてしまっている。むしろ、玄関ごと使い物にならなくなるよりかは、遥かに運が良かっただろうとすら思えていた。これならばドアを交換するだけで済む。最悪の場合、部屋そのものがなくなっていたかもしれないと考えてしまうジャンヌは、もはや毒されてしまっているのだろう。

 

「しかし、ここまで派手にドアを破壊されて私が気付かないとはな」

「だから言ったじゃん、頑張ったって。頑張って静かに斬ったよ」

「さっきのタオルもそうだが、意味もなく高度な技術を披露するのはやめろ」

「殺人濡れタオル『エッケルザックス』は無駄じゃないし~。原作を読んでからアニメを観てまで練習したんだし~」

「わけがわからん上に、濡れタオル如きに大層な名前を付けるな」

「如きとは失礼な。吸水性が良くて伸縮性にも気を遣ったタオルを探すのは大変だったんだよ? 色々な店を方々探し回って、最終的にツァオツァオに特注で作ってもらった一品なんだから。ちなみにお値段二枚セットで日本円に換算して四千円です」

「無駄に高い……!? 余計にいらんわ!」

 

 しかし、口でこそ意味のないといってこそいるが、先程のあのタオル使いの手捌きに対してジャンヌは脅威を感じていた。冷静に考えれば、あれがどれだけ恐ろしい技術なのかもわかる。布きれ一枚であれほどの戦闘能力を発揮することができるという点ももちろんだが、タオルという日用品を武器にすることができるということが恐ろしいのだ。あれならば、銃や刀剣と違い持ち歩いていても不自然に思われることはない。ミネラルウォーターをペットボトルに入れて持ち歩くだけで、ミヤビは武器を一つ携帯できることになるのだ。

 古代より、暗殺者たちによって暗器のような隠し武器は研究され続けていた。持ち歩いても違和感のないものを武器にする技術、武器を日用品に偽装する技術、武器を隠しやすくするために小型化や変形を図る技術など、どれも恐ろしいものばかりだ。先程のミヤビのタオルも、これの一つ目に分類される。濡れタオルという一見して普通の道具が、巧者の手にかかれば人間を殺害し得る武器に変貌する。その恐ろしさを、ジャンヌは身をもって感じていた。

 寝室から出てきたミヤビに、ジャンヌは視線を向ける。ミヤビから見れば、ただただ呆れているようにしか見えないだろう。だが、内心ではミヤビの技術に戦慄と称賛の念を抱いていた。あのような技術は、一朝一夕で身に付くものではない。

 そして、認めざるを得ない。今の“戦い”は、完全に自分の敗北であったと。もしもミヤビが本気でジャンヌを殺すつもりだったならば、今頃自分は物言わぬ肉塊になっていた。

 

「……それで? お前は朝からドアを破壊してまで何をしにきたんだ?」

 

 ジャンヌが時計を見れば、時刻は七時だった。

 そろそろ起きる時間ではあったが、肝心の目覚めは最悪である。気分的にはまたベッドに戻りたいが、目は冷却濡れタオルのせいで完全に覚めてしまった。

 そんなジャンヌに、ミヤビはにっこりと笑いかけた。

 

「実は、味噌汁を作りすぎちゃって。一緒に食べない?」

「そんなことのためにドアを壊すな!」

 

 ジャンヌの怒声がボストーク号に響いた。

 

 

 ◆  ◆  ◆ 

 

 

 非常に癪であったが、ミヤビの味噌汁は美味かった。

 基本的に和食よりもフレンチを好むジャンヌではあるが、イ・ウーに入学してからのここ数年の生活によって和食を口に入れる機会も増えた。それによって、多少はミヤビの国の食事の良し悪しもわかるようになっている。そして何より、味覚がこの料理を美味と判断していた。例え言葉を偽ることができたとしても、自分の味覚が美味と判断したという結果をなくすことはできない。しかし、これがドアと朝の爽快な目覚めを代償にして得たものだと思うと素直に喜ぶことができなかった。

 風通しの良くなった部屋のリビングで、ジャンヌは複雑な心境で味噌汁を啜っている。もちろん、使っている食器は箸だ。ボストーク号に乗船するようになってから、ジャンヌはミヤビや同期の仲間たちに簡単な使い方を教わっている。よって、それなりに様にはなっていた。

 

「チッ、こんな奴の作る食事がどうして美味なんだ。料理は愛情とかいうあの言葉は嘘だな」

「そんなことないと思うよ? 肝心なのはモチベーション、戦争でも士気によって数の差を覆せる。理論はそれと同じだよ」

「……不覚にも納得してしまったのが悔しい」

 

 できれば戦争以外の例えを出してほしかったが。

 しかし、兵士たちの士気によって戦況は変えることができるということには納得せざるを得ない。古くから士気を維持することの重要性は大きいとされているということももちろんだが、ジャンヌの先祖こそがまさに策によってそれを成し得ているからだ。神の意向を笠に着た大芝居によって、実際に初代ジャンヌ・ダルクの率いるフランス軍はイギリス軍を押し返している。

 しかし、ミヤビが愛情を込めて料理をしているかどうかは甚だ疑問であるジャンヌだった。やはり料理は経験と技術だ。

 

「理子と桃子は何と言っていたか……そう、これが『お袋の味』というものなのか?」

「お、お袋……うん、美味しいならいいよ、別に」

 

 口元を盛大に引き攣らせたミヤビ。その表情は明らかに作り笑いで、無理やり笑顔を造っているということは明白だった。

 この常人離れした戦闘能力と思考を持つミヤビにも、少なからず弱点が存在していることをジャンヌは知っている。そのひとつが、“女呼ばわりされること”だった。

 そう、このミヤビという人物。初見ではまずわからないだろうが、正真正銘の『日本男児』である。ワンピースという男性がまず着ることのない衣服を着用し、髪を腰まで伸ばし、もう14歳だというのに声変わりの予兆すらない。身体は全体的に華奢で、手足などはふとした拍子に折れてしまいそうなほどに細い。

 

 

 だが、“男”なのだ。

 

 

 これはミヤビにとって最大のコンプレックスであり、指摘されることを最も嫌うことである。

 しかし自分の顔立ちが女性的であることは認めているため、反論することもできない。本人は「ま、まだ中性的だし……!」と必死に取り繕っているが、それが苦しい言い訳であることを最も理解しているのはミヤビ本人だろう。

 

「ミヤビ、お前が男だということは……ふっ、んんッ、……重々承知している」

「今笑ったよね? それを咳払いで誤魔化そうとしたよね?」

「だが、その服装と髪型は何とかならんのか? その格好で自分は男だと言われても、信じる方が難しいだろう」

「無視しないでほしいんですけど」

 

 素知らぬ顔でジャンヌは味噌汁を啜った。

 対するミヤビは、今にも卓袱台返しならぬテーブル返しをしそうなほど顔を真っ赤にしている。だがそれもすぐに治まり、不機嫌さを隠そうともせずにどっかりと椅子に腰かけた。

 

「これは実家の仕来りなんだよ。曰く、『犬塚本家の男児は、元服を迎えるまでは女児として育てられたし』って。そうしたら、将来は身体が丈夫に育つだろうっていう願掛けから来てるんだって。ご先祖様から数百年も続く、我が家の伝統だね」

 

 古い家柄には、時に奇妙な伝統や規則、あるいは家訓が伝わっている場合がある。特に特殊体質持ちの一族や、裏社会に根深い一族だとそれは顕著だ。

 事実、ジャンヌの一族にもそのような仕来りは存在する。ジャンヌの実家は完全に女系であるため、生まれてきた男は成人後に義絶されることとなるのだ。ジャンヌにも義理ではあるが兄が居り、彼ももうじき成人することとなる。別れの日は、そう遠くない。

 

「……そうか。お前の家にも、忌まわしい仕来りがあったのだな」

「わかってくれて嬉しいよ」

「だが、正直に言って私は趣味だと思っていた」

「殺すぞシラガ頭。……まぁ、そんな事情でねー。昔は元服――つまり成人は15歳だったんだけど、近代化の煽りを受けて18歳に、ここ数十年で20歳に変更されたんだよ」

 

 「あと200年早く生まれていれば!」と歯軋りするミヤビ。それを見て、ジャンヌはドアを切り刻まれたことによる溜飲を少し下げた。

 だが、そのようなことを天気の挨拶のように毎度ぼやきながらも、ミヤビは決して女装の習慣を辞めようとしない。このことがジャンヌには不思議でならなかった。既にミヤビは、その犬塚という家とも絶縁状態だと聞く。それならば、例えミヤビが女装をしなくとも誰も文句は言うまい。

 だがそんなジャンヌの真っ当な質問にもミヤビは困ったように、外見に見合わぬ、ある意味では歳相応の苦笑をするだけだ。

 

「まぁ、現実問題として女装(これ)……というか女児として育てられることは色々と合理的ではあるんだよね。無駄な慣習ではないんだよ。ボクも息子ができたらこの慣習を後世に伝えなくちゃいけない。まぁ、一族の人間以外だとその配偶者にしか理由は教えられない決まりなんだけど」

「女装を後世に? 変わった仕来りだな」

「確かに普通じゃないね。何にせよ、そういうわけだから他人のジャンヌに教えてあげるわけには……ハッ!? つまりジャンヌがボクと結婚すれば問題解決じゃん! どう? ウチ来る?」

「行くか。冗談はその顔だけにしておけ」

「ジャンヌ酷い。凄く傷ついた。顔はやめて、せめてボディに……いや、やっぱりどっちもやめて」

 

 にべもなく切って捨てるジャンヌに、ミヤビは「よよよ」とあからさまな泣き顔を浮かべた。

 そもそも、ジャンヌにとってミヤビに恋愛感情を抱くということがあり得ない。ジャンヌからすれば、ミヤビの容姿はもはや女も同然。むしろ、女子としての平均を遥かに上回っている。そんな外見の男を愛すには、もはや同性愛の気がなければ不可能だろう。万が一その問題をクリアしたとしても、最大の難関であるミヤビの人格という障害がある。この問題児を御するのが自分にとって無理難題であるということは、他ならぬジャンヌ自身が悟っていた。

 

「……まぁ、それにほら。ボクとか男用の服とか着ても似合わないしさ。実際、中国にいた頃にそういう格好したら皆に似合わないって笑われたし」

 

 泣き顔から一転、ミヤビは自虐的に嗤った。

 しかしジャンヌとしては、「あぁ、確かに」と納得することしかできない。ミヤビにその手の服装を似合わせようとすれば、どう修正してもボーイッシュの枠に当てはめられてしまうだろう。無理に男性用の服を着せても、背が低く体格が細いミヤビではどこかに違和感が生じてしまう。というよりも、もはやミヤビに似合う服装は子供服くらいしかないのではないだろうか。

 

「それは……気の毒だったな」

「ううん、もういいんだ。この14年の人生でそれは悟ったよ。でも、この顔にだって使い道はある。これからは女装男子として精々利用するさ」

 

 溜め息交じりに自虐的な笑みを浮かべたミヤビには、流石のジャンヌも同情を感じてしまう。

 そう、ミヤビは好きでこの格好をしているわけではないのだ。年々背が伸びていくジャンヌにはその気持ちが良くわかる。ジャンヌは自分が比較的背の高い女であることを自覚している。しかしジャンヌの理想とする自分は、もっと小柄で愛らしい、所謂『可愛い系』なのだ。しかし自分のような女には、小柄の少女に似合う服装が似合わないということは自覚していた。ミヤビも同じような感覚なのだろう。

 そう思い、思わず慰めの言葉を口にしようとしたジャンヌは――

 

「まぁ、それに? ほら、ボクって他の犬塚男子と違って可愛いし? 何て言えばいいのか……そう、運命ってやつ? 普通の男の人が女装なんてしてもコスプレどころか正直気持ち悪いだけだけどボクってこんな顔だから似合っちゃうし? 本当はもう少しくらいは男らしい顔と体付きになりたかったけど、まぁ仕方ないよ。でも大変なのは、道端で時々誘拐されそうになったり年齢制限のあるコーナーで引っ掛かることかな。電車でも大人用切符を買ったら微笑ましい表情で駅員に見られたこともあるし。でもそれもこの顔が悪いんであって、つまるところボクの容姿が幼い少女として魅力的なのが悪いんだよね。はぁ、ちょっと憂鬱ではあるけれど、これも受け入れるべきアイデンティティの一つとして納得するしかないか。美しいは罪って言うけど、ボクのこの可愛さは前世のツケか何かが回ってきたのかも。というか、この背の低さはどうにかしたいんだけど。同期の中では理子よりも背が低いんですけど。ジャンヌは背が高くていいな~、羨ましい。その背丈を20センチくらいボクにわけてよ。ボクも一応、牛乳飲んだり煮干し食べたりでカルシウムを摂取してるけど、あれで背が伸びるってデマらしいし。ボクもジャンヌみたいに背を伸ばしたいなぁ。ジャンヌはどう思う?」

「………………」

 

 死ねばいいのに――この時、ジャンヌは心の底からそう思った。

 ミヤビは自虐ネタを語っているつもりなのかもしれないが、傍から聞けば完全に自慢話だ。特に可愛さに憧れを持つジャンヌからすれば、もはや挑発としか捉えることができない。真面目に殺意が沸いた。むしろ、これは遠回しにジャンヌのことを馬鹿にしているのではないだろうか。

 だが、ここはグッと堪えるジャンヌ。『銀氷の魔女』は策士なのだ。心は熱く、しかし頭は冷静に。例え烈火のように怒り狂っていようとも、頭脳は常に氷のような冷たさを保っていなければならないのだ。というよりも、そうでなければジャンヌは再びデュランダルを抜くことになっていただろう。

 

「でも、この見た目は敵の油断を誘うのには最適なんだよね。小さいし女だし。本当はこんな格好するのは嫌だけど、使えるものを使わないのは馬鹿のすることだしね。でも問題なのは、周りに女装趣味があると思われることだよ! これはあくまで才能の有効活用であって、決して趣味とか性癖とかじゃないんですよ!」

 

 グッと拳を握ったミヤビは、両目から炎を噴き出さん勢いで熱弁した。

 しかし対面に座るジャンヌは、「ヘースゴイネー」と返しただけで箸を止めない。それどころか視線すらも逸らし、まともに話を聞いている気配はなかった。どうやら心を殺すことで怒りを鎮めたらしい。顔からは表情が消え去り、まさに無我の境地で食事を行っていた。

 だがミヤビがそれに気付くことはなく、ますます熱の入った口調で演説を続ける。

 

「そもそも異性装というのは非常に高度な変装技術であって、趣味や性癖なんかで服装だけ取り換えている“にわか”どもとはレベルが違うんだよ!」

「ヘースゴイネー。サスガハミヤビダー」

 

 噛み合っているようで噛み合っていない。

 延々と異性装の談義を進めていくミヤビに、黙々と食事を進めるジャンヌ。

 傍から見ると異様なこの光景こそが、二人にとっての日常だった。

 

 つまり――今日もイ・ウーは平和である。

 

 

 

 

 

 


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