インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
澄み渡る青空が広がる。
光の中で、一羽の鳥が、IS学園の屋上を飛び交った。
IS学園というだけあり、女子更衣室はとても広い。基本的に女子生徒しかいないので教室で着替えるのが主ではあるが、部活動やアリーナで練習をする時などでよく使用される。
だだっ広い空間にロッカーが行儀よく並ぶその空間に、一つ、似つかわしくない物が鎮座していた。
更衣室に入った際、真正面に置かれて、物凄く目立った服。
純白のドレス。
女性なら誰しもが憧れを抱くウェディングドレスが、そこにあった。
「…………」
ラウラは別の劇で使用するものかと一瞬思ったが、明らかに質が違う。薄いヴェールに、白く飾られた薔薇。電灯にも輝く煌めき。本物のウェディングドレスだと、すぐに分かった。
その綺麗さに、一瞬見惚れる。
「何でこんなもの……が?」
ガシッと、左右の腕を箒とシャルロットに掴まれた。鈴が鍵を掛け、楯無とセシリアが化粧道具一式を取り出す。
「み、皆?何をしているのだ?」
変な汗を掻き始めたラウラを、皆が良い笑顔で迎え入れる。
「駄目だよラウラ。汗掻いたら化粧の乗りが悪くなるよ?」
「いやこれ、どんな状況だ?」
「どんなって、大体分かるでしょう?」
「いや、正直混乱が上回ってるのだが」
「あらあら、元軍人さんですのに情けないですわね」
「いや、ある意味拷問より意味不明だから」
必死に抵抗を試みるラウラを、放送の音声がトドメを刺した。
『白さんとラウラさんの結婚式を開催します!』
「何だそれええええええ!!?」
ラウラの叫びが更衣室に響き渡った。
用意された椅子に座らされたラウラは、大人しく顔に化粧を施されていた。
「化粧なんて初めてだ……」
「あら、これからは多少でも心得があった方が良いわよ?」
楯無がラウラの頰に化粧水を染み込ませたガーゼを当てながら言う。
「確かに若い内は必要ないけど、将来は最低限マナーくらいの化粧は使えなきゃいけないからね」
「むう……」
セシリアがラウラの髪を梳きながら問い掛ける。
「結婚式が不満ですの?」
「不満なものか。だが、心の準備が全然出来てない」
ラウラの頰はチークも塗っていないのに赤く染まっている。もう既に相当恥ずかしいらしい。
「こんなの全然予想してなかったぞ……。せめて私にだけでも話してくれたら良かったのに」
「それ、白に喋らないか、顔がニヤけない自信ある?」
「……ないな」
嬉しさのあまり頰を綻ばせるのは容易に想像出来る。ラウラがそんな状態なら、白はすぐに勘付く筈だ。
「でも、こんな全校生徒の前なんて恥ずかしい……!」
うわあ、と両手で顔を塞ぐラウラ。
「ほら、顔を覆わない」
「いやぁ、可愛いね、ラウラ」
ラウラの乙女な反応にほんわかとした空気が流れる。微笑ましい光景である。
「よくマリッジブルーとか聞くけど、ラウラに限ってはなさそうだね」
む、とラウラが首を傾げる。
「何だそれは?」
「知らない?結婚するに当たって、将来の不安とか、環境の変化を心配して、鬱になることだよ」
シャルロットの説明に、はてとラウラが更に首を傾げた。
「何を心配する必要があるのだ?」
「確かに、貴方達は既に同棲してるし、お互いの事は昔から分かり合ってるし、ぶっちゃけ何も変わらないわよね」
白とラウラにとって、結婚は周りに見せる証明のようなもので、二人の気持ち自体には微々たる影響しかない。精々、変わるのは周りの態度くらいだ。
「うむ、これで白に色目を使う奴もいなくなる」
寧ろプラス思考なラウラである。白も白で、恐らく同じ事を考えているだろう。
「浮気とか心配しないの?」
「すると思うか?」
「しないな」
「絶対しないわ」
「うん、しないわね」
少しは他人に興味を持つようにはなっているが、ラウラだけは完全に特別だ。何処ぞの女性が現れようと、白は見向きもしないだろう。それは周知の事実である。
おまけに彼の体は性欲に左右されるわけではないので、肉体に関してもその心配はない。
「ちなみに言うが、結婚て16歳からなんじゃ……」
ラウラの質問に箒が答える。
「そこら辺は姉さんが何とかするらしいぞ」
厳密には束ではなく青年の方だろうなと、ラウラと楯無は察した。私利私欲の為に国家を動かすのは相変わらずの二人である。あるいは、ラウラの年齢を詐称するのかもしれない。
「細かいことは良いのよ!それより、時間迫ってるわよ」
「そうですわね。殿方も待っていることですし、早く準備してしまいましょう」
ドレスを前に、ラウラが一つ思い付く。
「すまない、一つ頼みたいことがあるんだが……」
白は中庭に通じる廊下の柱に寄りかかり、ラウラを待っていた。
一夏とは既に別れて、彼は中庭の方で待っている。恐らく、多くの生徒が中庭に集結していることだろう。下手したら一般人も待っている筈だ。
学園祭だと言うのに、白の居るこの廊下は静かだった。
生徒会メンバーが規制をして、人を通さないようにしている為である。このタキシードといい、手の込んだことだと、寧ろ感心さえ覚えてしまう。
前に軍に帰った時に歓迎されたのを思い出す。
あの時は白の人望だと言われたが、今の事態はラウラの人望によって引き出されたものだと、白は感じていた。
それ程までに、今のラウラは人としての魅力に溢れている。
「白」
何度呼ばれたか分からない名を聞く。
顔を上げると、ラウラが廊下の向こうにいた。
純白のウエディングドレスに身を纏い、左右で色の違う瞳を真っ直ぐ白だけを見つめている。少しだけ化粧をして、彼女のそのものの魅力を引き出している。少しだけ照れがあるのか、頰を赤くして、それでも微笑みを携えていた。
「ラウラ」
白がラウラの前まで歩み寄る。
彼女はとても魅力的だった。
「綺麗だ」
そのまま身を屈めてキスをしようとするが、ラウラが人差し指で白の唇を抑えた。
「駄目だぞ、白。折角、皆が用意してくれたんだ。誓いのキスはもう少し後だ」
そう言って笑うラウラは、化粧の効果もあり、大人びて見えた。
「確かに、そうだな」
白は一先ず自分を抑えた。
「白も格好良いぞ」
「そう言ってもらえて何よりだ」
白とラウラが手を繋ぐ。
ラウラが腕を抱くのではなく、二人で同じ様に手を繋ぐのが、この二人らしかった。
「行こうか」
「うん」
二人は手を繋ぎ、光の方へと歩いていく。
ラウラと白が中庭へ足を踏み入れた瞬間、歓声が鳴り響いた。
中庭に居た多くの学生達が割れんばかりの拍手で迎える。囲まれた校舎の全部の窓から生徒達が顔を出して花弁を舞い踊らせた。
まるで雪のように舞い散る花弁。
白は一瞬、自殺の時を思い出した。
黒い雲に覆われたあの日。
雪の降る海の光景を幻視する。
自身の血で溶かした雪を、二度と掴めないあの刹那を想う。
白はあの時に死に、そしてこの世界へと落ちてきた。
「ああ……」
白はその花弁へ手を伸ばす。
太陽の光の中、青空の空の下で、その花弁を掴み取った。
この手で、確かに掴み取ることが出来た。
「眩しいな」
光輝く世界の中で、沢山の人の声を聞きながら、静かに呟く。その声を聞いて、ラウラは白の顔を見上げた。空を見上げる白は、切なげに、それでも嬉しそうに微笑んでいる。
「白」
彼の名を口にする。
その名を呼べば、白はラウラへと振り返った。
ちゃんと、白はここにいる。
ラウラの隣にいる。
その手を握り締めて。
「…………」
白はラウラに微笑んだ。
ラウラも白に微笑み返した。
それだけで良かった。
二人は歩き始める。
赤いカーペットが敷かれた、長い道を歩き始める。
周りの生徒達の祝福を受けながら進んでいく。
「隊長!」
「お幸せに!」
隊長の言葉に驚いて振り返れば、クラリッサと数名の黒兎隊の面々が居た。カメラを持って笑いながら撮っている。クラリッサは涙すら流していた。
「……何やってんだ、あいつら」
「大方、千冬が呼んだんだろう」
今のドイツ軍にコンタクトを取れるのは千冬くらいのものだ。だとしても、よく呼んだものだと、白は思った。
「黒兎隊はまだ良いが……」
クラリッサの後ろにいる男達をちらりと見る。隠しきれない隆々の筋肉を持った男達がそこにひしめき合っていた。
「おーい!白いのー!」
「たこ焼き美味え」
「こんだけ女性に囲まれるとか……。眼福!」
空軍隊長他、各部隊の軍人も何人かそこにいた。全員の手にはしっかりと食べ物が握られている。自由である。
「あいつらの方が何をしてるんだと言いたい。いや、本当に」
各々が好き勝手しながらも、ちゃんと白とラウラの祝福は忘れてはいない。
「白いのー!尻に敷かれるなよー!」
空軍隊長は大きな声で叫んだ。割と実感の篭っている声から察するに、彼は尻に敷かれているのだろう。
「まあ、ヘタレだしな」
「ヘタレだもんなぁ」
「お前ら聞こえてんぞ⁉︎」
ヘタレに過剰反応する隊長であった。
笑い合う白とラウラを、クラリッサがファインダー越しに切り取る。
二人の屈託の無い笑顔を見て、一人静かに頰を緩めた。
「さようなら、隊長。いえ、ボーデヴィッヒさん」
もう、彼女と彼が戦いに戻ることはない。
「お幸せに」
軍人ではなく、一人の人間として祝福を述べた。
白とラウラが更に歩を進める。
「ラウちゃーん!似合ってるよー!」
その声には流石にギョッとした。
束と青年と、マドカがそこにいる。正確に言えば、可愛らしいウサギの着ぐるみを着た束が青年の隣に立っていた。青年がやつれているのを見て、暴走した束に一生懸命着せたのだと察した。
「お疲れ様です」
「いやいや、大丈夫さ」
青年に礼を言うラウラの横で、白がマドカと顔を合わせる。マドカは白に言った。
「な?問題無かっただろ?」
「確かに、お前の言う通りだったよ」
マドカが笑い、白が笑顔で返す。それを見たマドカは数度目を瞬かせると、ややあと口を開いた。
「自覚してる?」
「何を?」
「ラウラ以外の他人に対しても、自然に笑えているぞ、お前」
そういえば、と白は自分の顔に手を当てる。作り笑顔を作るのは無理でも、普通に笑うことができていた。
それもそうかと、一人納得する。嘘を吐いたことがなかったのだ。嘘の笑顔を、作れる筈もない。
ただ、いつの間にか、自覚をしない程、素直に感情を出せていた。
「白くん」
青年が声を掛ける。
青年は静かな微笑みを浮かべ、一言だけ述べた。
「おめでとう」
「ありがとう」
白とラウラが進む。
「白くーん!ラウちゃーん!お幸せにー!」
喧しいウサギの声が後ろからずっと響いていた。
二人で苦笑いしながら進んで行くと、一夏達が目に入った。
「太陽の下だと更に綺麗ですわ!ラウラさん」
「うんうん、感慨深いね」
「おめでとう、二人とも」
「おめでとう」
「ありがとう、皆」
女性陣が笑い合う。その中で、白は一夏の額に目を向けた。
「一夏、額が真っ赤だぞ」
「白さんのデコピンの所為ですよ!」
「柔い額だな。鍛えろ」
「額を鍛えろって無理ですよ!」
皆が笑う。一夏も額に手を当てながら笑った。皆で笑い合えた。
「ああ、そうだラウラ。ブーケ私の方に投げて」
シャルロットの言葉に女性達が一気に食って掛かった。
「ズルいわよ!」
「私の方に投げろ!」
「いえ、是非私に!」
「じゃあ、間をとってお姉さんが」
「うお!会長いつの間に」
場が騒がしくギャーギャーと燥ぐ。その光景がいつもの彼女ららしかった。
「じゃあなー」
二人は歩いて行く。
「あ!ブーケ!」
「来ることを祈ってろ」
笑って遠ざかる二人に、鈴が吠える。
「ちきしょー!おめでとうー!」
知り合い達の間を通り過ぎ、二人は中央に置かれた教壇の前に立つ。しかし、そこには神父は居ない。どうするのかと思っていると、横側から一人の影が歩いてきた。
教壇に立ち、堂々と告げる。
「私が直々に神と共に祝福してやろう」
千冬が不遜な笑顔で言い放った。
「…………」
これは流石に予想外で、白もラウラもポカンとした。
その顔を見て、千冬は満足そうに頷いた。してやったり顔に、先に白が我に帰る。
「……成程。今回は完全に俺の負けだな」
「ああ、私の勝ちだな」
胸を逸らして笑う千冬。その姿は清々しいほどに格好良かった。
千冬がやって来た方を見れば、教師達が困ったように笑いながら手を振っていた。軽く手を振り返し、千冬に目線を戻す。
「で、お前が神父役なのか?」
「不満か?」
軍に居た頃からの白とラウラを唯一知り、長い付き合いである千冬。二人の共通の古い知り合いであり、友人として、ここに居る。
「見知らぬ奴より、私がよっぽど適任だろう」
「……そうだな」
頼む、と白は微笑む。
「ああ、任された」
白の自然な笑顔に、千冬は微かに目を見開いた。白の昔を知る千冬は、それだけで、色々と思うことがあった。
「……先に個人で言わせてもらおう」
だから、千冬も笑顔で祝福を上げた。
「おめでとう」
白とラウラは一緒に微笑んだ。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
千冬が教壇の下からある物を取り出して、ラウラへと手渡す。それは、白の世界へ戻った時に、ラウラと冬雪で一緒に作った花冠だった。
「これは……」
「箒達に頼んで部屋から持ってきてもらったんだ」
驚く白に、ラウラが答える。
「私はもう指輪を貰っているし、流石に私から指輪を用意することも出来なかったからな」
ラウラがそっと背伸びして、白の頭へと花冠を乗せた。
「今はこれが、指輪代わりだ」
そう言って、ラウラは柔らかく微笑んだ。
同時に、白のいた世界から、神殺し達の祝福が聞こえた気がした。
白は空を見上げる。
青く澄んだ空を、光り輝く太陽を、静かに見つめた。
どこまでも広いこの世界で、一羽の白い鳥が空を過ぎった。
羽ばたく鳥が一枚だけ羽根を落とし、白とラウラの間へと舞い落ちる。
「……ラウラ」
白はラウラを見た。
ラウラだけを見た。
もう、周りの人間も、声も聞こえない。
この光の中で、彼女だけを見る。
「愛してる」
余計な飾りはいらない。
ただそれだけで良い。
これから、いろんな事があるだろう。
幸せな事も、辛い事も。
それでも良い。
「白」
ラウラはそっと白の手を取る。
柔らかく小さな手で、白の大きな手を握る。
「愛してる」
ずっと側に居る。
偽りもなく、迷いもない。
透き通る程に純粋で、真っ直ぐな想い。
ただ、それだけで、幸福でいられるのだから。
永遠に居ると誓おう。
二人はここに居る。
沢山の祝福の中で、二人は口付けを交わした。
その手を取り、握り締める。
世界の祝福の中で、二人は、笑い合っていた。
二人は、ここにいる。
神化人間。
神に代わる人間として作られた白は、神の存在など信じていなかった。
「なぁ、白」
「どうした?」
「あのな、実は、病院へ行ってきたんだ」
「どうした?何所か具合が悪いのか?確かに、最近少し様子がおかしかったが」
「いや、うん。健康ではあったんだ」
「そうか」
だが、もし神がいるのなら一つ確信を持って言える事がある。
「だけどな、その、アレが来なくて。だから、まさかと思ってはいたんだが」
「?」
「……出来たんだ」
「……何が?」
神とやらは、とても気紛れなのだと。
「私達の、子供」
FIN
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