インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
ラウラと白は工事中のビルから港を眺めた。
「倉庫の前に男二人が見えます」
「分かり易いな。やはり罠か?」
ラウラは眼帯を外してナノマシンを使用して遠視を行っていた。白は単純に視力で見えている。
ラウラは強風で髪を抑えながら白に尋ねた。
「どうします?」
「俺が行く。ドイツのISを狙っている可能性は極めて低いが、無いわけじゃないからな」
可能性が低いのはドイツのISを狙っているか、誘拐した織斑一夏本人が目的であること。前者はドイツ軍が動くこと自体が曖昧であるし、後者は織斑一夏にどれだけの価値があるのか分からない。最も可能性が高いのは、織斑千冬が狙いか、モンドグロッソの決勝を中止させることか。
どう予想しても目的は定かではないが、任務を果たすだけだ。
「ラウラは俺から連絡があるまでここから動くな。仮にあの倉庫から誰かが逃げるようなら捕縛して構わん」
「……私も突入しないのですか?」
「人を殺せるか?人を殺さずに捕まえられるか?人を撃てるか?」
「…………」
「言っとくが、敵を殺さないのは、殺すより難しいぞ」
「……了解しました」
ラウラは不満顔だが了承し、白は行こうかと身を屈めた所で無線が鳴る。出鼻を挫かれたが、無線に出た。
「どうしました?」
『織斑千冬が棄権し、織斑一夏の捜索に加わることとなったわ』
「……何故」
『誘拐の話は何者からか連絡があったみたい。ドイツ軍が動いてると伝えたのだけれど、自分も探すと聞かなくてね。信用云々ではなく、弟が余程大事なようよ』
「誘拐犯の目的が仮に織斑千冬の大会棄権だとしたら、既に目的は達せられてしまいましたね。取り敢えず、これから織斑一夏がいると思わしき倉庫に侵入します」
『任せたわ』
無線を切り、白は音も無く跳んだ。
ラウラはあっという間に遠ざかる背中を眺めた。地面に降り立った彼は、倉庫の隙間を縫って姿が見えなくなる。
時間が経っても、波の音と風の音が虚しく聞こえてくるだけだった。
「…………」
自分が未だ役立たずなのは自覚している。自覚しているつもりだった。
しかし、実際に現場で置いてきぼりにされるのは、彼女にとって精神的に来るものがあった。
彼との距離をまざまざと見せつけられているようで、自分の非力さを見せられているようで、どうしようもなくやるせなかった。
誰かを守る為と言ったのに。
白の隣に立つと言ったのに。
これではただの大言壮語ではないか。
ラウラは悔しさに唇を噛み締め
「こんな所で何をしているのかしら、お嬢ちゃん」
爆発と共に吹き飛ばされた。
白はまず倉庫の周りを確認する。
大きな門の前見張りは二人。その脇に人が通る為の小さなドアが設けられている。他に出入り口はない。窓は全て材木で塞がれていて閉ざされて中は確認できない。剣を使い、窓からの侵入することも考えたが、光加減でバレると断念。
……正面から行くか。
敵の目的は不明瞭。故に殺さずに捉えるのが懸命だ。
白は倉庫の脇から瞬時に飛び出し、そのまま二人の前に躍り出た。音も無く、人間ではあり得ない速さに二人の脳は一時的に停止し、それが致命打となる。其々が顔面を地面に叩きつけられ、そのまま意識を飛ばした。
男達を倉庫の脇へ退けて、自らの剣である白剣を呼び出す。スッと、乱れなくドアと壁の隙間に振り下ろした。無音のままドアの鍵は役目を失った。僅かな隙間を空けて鏡を使用して中を確認する。一瞬で引っ込め、後は記憶で脳内整理した。
銃器を持った男達が10人ほど中に居て、奥で箱に縛られた幼い少年が確認できた。艶やかな黒髪に、整った顔立ちで東洋顏の少年。
……アレが織斑一夏か。全員男ということは、IS使いは中に居ない。
ならば、このまま行く。
白は自宅に入る気軽さで、ドアを開けた。
突然の来訪者に驚く男達。全員が驚き、銃を構えた。
「何だテメェは!」
白は無言で歩き続ける。
「おい止まれ!……分からねえのか!止まれ!」
全く歩を緩めない白に、一人の男が牽制で銃を放とうと引鉄に指を添える。
その男の顔に白の足がめり込んだ。
そのまま男の顔を踏み台に跳ぶ。間際に銃を切り裂くことも忘れない。
「ぶっ!?」
「がっ!」
白は三度同じ方法で跳び、次の時には一夏の両隣に居た男達を殴り飛ばした。白を撃とうとしていた男がそれに巻き込まれる。
これで残り4人。
「貴様!」
自動小銃を構えた男の銃弾を弾き、一瞬で近付き背後から手を回して拘束する。
残った3人が止まるのを見計らい、男をそのまま気絶させて、手を離し移動。
無理に白の動きについて行こうとした男の銃を軽く捻り、指と手の骨を駄目にすると、そのまま男に銃を突きつける。
「動くな。さもなければ殺す」
「ま、待て!」
突然の目紛しい事態に泡を食う男達。倉庫内で気絶させたのは7人。残り3人の内、1人が人質。
「お、俺たちは餓鬼を見張ってろって頼まれただけだ!」
「知らんな。それは後でじっくり聞かせてもらう」
白は横目で一夏を確認した。
彼はその目を丸くさせ、ポカンと口を開けていた。姉の応援に来て、いきなり誘拐された。と思えば、人外な動きの助けが来た。今の事態が急激すぎて、子供の脳にしてもパンク状態であろう。夢でも見てるんじゃないか、と思う方が当然である。
白が口を開こうとした所で、遠くから爆発音が聞こえた。
「……事態が変わった。悪いが眠っててもらおう」
人質に取っていた男を気絶させると、残っていた男2人も一瞬で意識を刈り取る。
「お前、織斑一夏だな」
「え、あ、はい」
一夏が返事をした時には既に縄は切られ、自由の身となっていた。
「緊急事態だから手短に言う。そこの荷物のどこかに身を隠せ。俺の声があるまで誰が来ても反応するな。自分の身を最優先に守れ。そして」
男の一人が持っていた、一番小さな口径の銃を握らせた。
「これはその為の武器だ」
「こ、こんな物。俺には」
「撃てとは言わん。俺が与えるのは手段と選択肢だ。捨てるも撃つもお前次第だ」
一夏は誘拐されてから、どこか夢心地でいた。非現実的な、まるで映画の中に迷い込んでいる気分だった。日本に居たなら、まず実物の銃など見ることもない。いきなり攫われ、見も知らぬ外国人に囲まれて、銃を突きつけられていた。それが現実で、自分の身に起きていることなど、到底信じられるものではなかった。おまけにヒーローのような存在が自分を救おうとしている。正しく物語のようではないか。
しかし、これは現実だ。
手に持ってしまった銃の重さが、厭に実感させられた。
今更に恐怖感が全身を支配し、震えが止まらなくなる。顔は青ざめ、歯がガチガチと鳴った。
「織斑一夏。周りの敵を無効化した今、俺はお前に構っている暇はない」
「そ、そんな!助けてくれないのか?」
子供心の不安は、見放されるかもしれないという更なる不安を駆り立てた。
「既にお前は安全圏にいる。俺はまだやり残していることがある」
白の無表情は変わらない。その瞳は圧力となり、一夏を射抜いた。
「俺は助けに行く奴が居る。お前はどうする?その銃で、俺に行くなと脅すか?」
「……!」
一夏はその重さの意味を理解した。
これは力だ。
自分を守る為の力でもあれば、先程の男達のように、誰かを支配する物でもある。正義も悪も、それは力を持って行われる行為だ。
自分の姉の後ろ姿を思い出す。
直向きに強い、姉の姿。
しかしその強さは、間違ったことには決して使われることはなかった。
だからこそ、自分は姉に恥じる真似をしてはならない。
「……わかった。あんたの言う通りにする」
「よし」
白はそう言うと、外へ飛び出した。
それは正しく、誰かの為に駆け付けるヒーローのようではないか。
一夏は見ていないと分かっていながら、敬意と感謝を込めて、頭を下げた。
敵のIS。
ラウラはそう判断した瞬間にISを纏おうとした。
「遅い」
向こうの行動の方が早く、ランチャーによる爆撃により吹き飛ばされた。絶対防御が発動されるが、無駄にそのエネルギーを消費してしまったと飛ばされながら歯噛みする。
吹き飛ばされながらも体勢を整え、ISを展開した。
その時、再びランチャーがラウラを襲う。防御体勢でなかったラウラはマトモに喰らい、更にエネルギーを減らされた。海の上まで吹き飛ばされたラウラは、焦りながらも冷静になれと何度も頭の中で呟く。
敵のISは20歳前半と思われる女性で、その金髪を太陽に輝かせている。装甲がド派手なピンク色で、ラウラは顔を引き攣らせた。
「あら、貴女、適合に失敗してるのね」
その言葉で自分が眼帯を付け忘れていることを思い出したが、既にどうでも良い問題である。
「悪いか。それより、何だその色は」
「可愛いでしょ?」
余裕なのか、女性はその場で回転して見せて全身を見せてくる。
何故そんな余裕なのかと考え、理解した。女性は白の存在を知らない。つまり、自分が最高戦力であると考えると同時に、自分より下の実力と分かったから、その余裕を持て余しているのだ。
ラウラは悔しがる所か、馬鹿めと、表情には出さないで内心ほくそ笑んだ。
自分の実力など分かりきっていることである。それより、その余裕が白を前にしてどれほど持つというのか。もしかしたら違う場所の捜索をしている、アデーレと織斑千冬もこちらに向かってきているかもしれない。そんな余裕など、すぐに壊れる。
「ISは兵器だ。色などいらない」
では、自分にできることは?まず勝つことは出来ない。そのくらいの力量の差があるのは明白だ。
……やるべきことは、出来る限りの時間稼ぎ。
ホフベルクの時の白の言葉を思い出し、会話による時間稼ぎを試みる。
「あら、ISは自身の体よ。着飾ることに意味があるんじゃない。そんな無骨なISに拘らずに、貴女もやってみたら」
女性から闘気が膨れる。どうやら、時間稼ぎに付き合ってくれる気は無いようだ。
「そんな物はいらな……。いや、考えて置こう!」
モンドグロッソでの白の言葉を思い出し、否定する言葉を否定した。
ラウラはそのままブレードを展開して突撃する。女性はラウラの言葉に、あら、と目を丸くしながらも同じくブレードを展開させそれをいなした。追撃を仕掛けるが、悉く弾かれる。むしろ、おまけとばかりに二撃三撃と斬撃を貰ってしまう。
女性はスイッと後ろに下がりながら、ラウラの目の前に小さな何かを投げつけた。
閃光手榴弾。
爆発したそれは、ハイパーセンサーで増幅される。
「ぐあっ……!」
視力と聴力を奪われたラウラは無防備となってしまった。
「弱いわねぇ、お嬢ちゃん。結構焦ってたし、もしかして初実戦だった?お姉さん空気読まなくてごめんね」
無論、その言葉がラウラに届くことはない。両手に銃を展開し、容赦なく引鉄を引く。一方的に減らされていくエネルギーに、しかしラウラは何も出来ない。せめて、少しでも相手のエネルギーを奪おうと銃弾が当たる方向から推察して特攻を仕掛けた。
「健気ねぇ」
そんな攻撃が当たる筈もなく、軽く交わされて、ブレードの餌食となった。
後はただの蹂躙だった。
撃たれて、斬られて、玩具のように弄ばれる。
エネルギーは最早空に近い。
「ばいばい」
振り下ろされたブレードに、僅かばかりのエネルギーが遂に無くなる。
飛行すら困難となったラウラは海へと落ちていく。
「ああ……」
本当に弱いな、私は。
何度、何度目の虚しさであろうか。どこまで落ちれば底がある。あと何度落ちれば良い。あと何度この悔しさを噛み締めれば良い。
最初は単純に誰かを助けたいと思った。
そして、自分を助けてくれた白の力になりたいと思った。
助けられた。だから、自分も彼を助けたい。
ただそれだけなのに。そんな小さな願いさえ自分は叶えられないのか。
なんと無様なことか。確かに、このまま海の藻屑となるのが相応しいかもしれない。
微かに回復した視力が、逆さまの岸の倉庫を捉える。そこから白の姿が出てくるのが見えた。
白だ。
彼はきっと、今、私を助けない。
何故なら、今最も高い白のアドバンテージは不意打ちにある。
生身の人間が、ISと同等の力を持っている。事前知識のないそれを急に見せつけられた時、どんな人間でも必ず脳を停止させ、隙を見せる。そこから完全に回復させる余裕も与えず、白は撃墜させるだろう。白ならそれが出来る。
しかし、今ラウラを助けてしまえば、当然その身体能力を敵に見せつけてしまうことになる。敵の余裕や油断、予想外の事柄は排除され、確実に警戒されてしまう。特に此処は海上だ。制空権のあるISが有利なのは明白である。
だから、白は今ラウラを助けることはない。
助けなくていい。
助けないで。
これ以上、貴方の足手纏いになりたくなどないから。
ラウラは微笑んで見せた。自分は大丈夫だからと。
そして、ラウラは海の中へ
「馬鹿が」
落ちることはなかった。
白が倉庫から出た時には、ラウラは既に落ちていた。ものの数秒もしない内にラウラは海の中へと消えるだろう。今ならギリギリ間に合う。
しかし、助けるべきかと、一瞬疑問が脳を過る。
ここで敵に身体能力を見せてしまえばアドバンテージの大半が失われる。それは得策ではない。それなら、敵を倒した後にラウラを回収する方が効率が良い。ラウラはISのエネルギーは0だろうが、まだ絶対防御は残っている筈だ。それなら海の中で暫くいても死にはしない。むしろ、姿を隠せて人質に取られる心配が無い分、そちらの方が良い。
だから、俺は
ラウラの微笑みを見た瞬間、体が動いた。
何だその微笑みは。何だその泣き笑いは。何だそれは。
泣きそうな顔で、助けないでと叫ぶな。
海を足場に衝撃を利用して跳ぶ。
ラウラを横抱きで抱え、小さく呟いた。
「馬鹿が」
それはラウラに言ったものか。自分に言ったものか。
ありえない光景に女性の脳が止まる。その隙に白は岸へと戻り、ラウラを地面に下ろした。
「しろ……?」
まだ閃光手榴弾のダメージが抜け切れていないラウラは、弱々しい声を上げた。
「何で……助けて…………」
「お前は俺を何だと思っている」
白は立ち上がる。
「IS如きに俺が負けるわけないだろ」
そう高らかに宣言した。
「だから、少し休んでろ。すぐに片付ける」
両手に双剣を携えたその背中は、ただひたすらに大きかった。
双剣を合わせ、高い金属音が鳴る。
偽り無しの開戦の合図が海に響き渡った。