インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
感情が生きている。
「…………」
白は少しだけ瞑目した。
出るのではなく、生きていると老婆は言った。
成程と、一つ理解する。
「本来あった感情が生き返り、それを制御出来ていないということですか」
殺され続けていた感情が爆発的に生き返り、白がコントロール出来る容量を超えている。
墓参りの時、初めは別れは必要ないと考えていた。実際に行けば、母を思い出して涙を流し、シロの墓を前に自分の想いを再確認した。
ラウラが望めば抱くと言いながら、最近では自分から求めていくこともある。
自身の思考と体が一致をしない。
「貴方様は感情を制御していたわけではないのです。感情が育つ前に殺し続けていただけ」
感情を抑えていたわけではなく、殺していた。白は二重人格が生まれてから今まで、感情を操作していたわけではなかった。その為、育ち始め、大きくなり始めた感情の扱い方など、知る筈もないのだ。
「故に、貴方様はまだ幼いのです」
「子供が泣いて怒って笑うのと同じ。今の白さんは純粋に感情を表してしまうのでしょう」
女性の言葉に、ラウラは納得した。
「でも思考が子供ではないから、感情の反応に戸惑ってしまうのですね」
「後は、きっと不器用過ぎるのね」
「不器用?」
「感情表現が、ね」
女性はラウラに巻くの帯を整えながら言った。
「感情の名前も分からず、操作も出来ず、扱い方も知らないものだから、表現の仕方が分からない」
帯締めが終わり、女性はラウラの肩に手を置いて笑う。
「自分の中の貴方に対する愛情表現が分からない。思考と感情にはギャップがある状態。だから、感情の部分が分かり易いキスとか体を重ねることで、貴方に愛を伝えているのよ」
思考は愛しているの言葉と、贈り物で愛情を示すことができる。しかし、感情は愛しているの言葉だけでは伝えきれない気持ちが勝り、生物的本能のように、一番分かり易い方法として体を求める。
「簡単に言ってしまえば、彼の悩みって言うのはね」
鏡に映り、着物を着付たラウラは、とても綺麗な出で立ちでそこに居た。
「貴方の事が好き過ぎてどうしようってことよ」
贅沢な悩みだと、女性は笑った。
「だから、愛し方を知ってください。感情の抑え方と、表現を学んでください。それが自ずと心の在り方に触れることでしょう」
「……分かりました」
白に不足しているのは経験だった。
子供は成長過程で社会経験や人間関係、知識はもちろんのこと、感情の使い方も覚えていく。白は感情経験が限りなくゼロの状態だ。二重人格を殺してから時間が経っているとはいえ、全ての感情が息を吹き返し返したのはついこの前のこと。
こればかりは時間が掛かることだろう。
「ありがとうございました」
それでも、それを知れたことは良い事だった。
白は頭を下げて御礼をする。
「この老婆でも、役に立てたなら嬉しく思います。……さて、そろそろ時間ですかね」
時計は良い時間を指している。白は顔を上げて、老婆の顔を見た。
「不躾ついでに、一つお願いがございます」
「ええ、分かっていますよ」
白の言葉に、老婆は子供を見つめる優しい眼差しで頷いた。
「はい、終わり」
「ありがとうございました」
相談に乗っていた為に着付けの説明は聞けず終いだったが、それ以上のと事を得られたので満足度は高かった。
「私の番は、終わりよ」
「?まだ何かあるのですか?」
「髪の毛を結ってないでしょう」
確かに、ラウラの髪はそのまま真っ直ぐ下ろした状態だ。私の番は、ということは、別の専門の人でも居るのだろうか。
「では、後はごゆっくり」
女性が悪戯っ子のようにウィンクして去って行った。入れ替わるようにラウラの側に来たのは
「白……?」
先程まで話題にしていた白だった。
「俺が髪を結いたいと頼んでな。迷惑だったか?」
「ううん。お願いします」
ラウラは笑顔で了承した。
白は櫛でラウラの髪を全体的に梳いていく。優しく丁寧に、一本一本大切に扱っていく。
「…………」
「…………」
白とラウラは暫く無言だった。
白が動く度に布地の音が静かに鳴る。ラウラは目を閉じて、全てを白に委ねた。
向こう側から微かに箒達の声も聞こえてくるが、白とラウラには届かない。
「ラウラ」
「うん」
ラウラの髪を纏め上げて、白は、口を開いた。
「好きだ」
「うん」
「大好きだ」
「うん」
「愛してる」
「……うん」
白の一言一言に、ラウラは丁寧にしっかりと返事をする。
「言葉では伝えきれないくらい、お前を想っている。だから、俺はきっとまた、俺自身を抑えきれない時が来ると思う」
「うん」
煌びやかな装飾を施した簪を手に持ち、ラウラの髪に挿す。
「出来たぞ」
静かにラウラが目を見開いた。
鏡に映る自分がそこに居る。
黒い和服に身を包み、その色合いに映える銀髪を上げ、引き立てるように簪が輝く。
「ありがとう、白」
白がラウラの肩に手を置き、ラウラがその上に手を重ねた。
「なぁ、白。悲しみとか痛みとか
、本人と同じ物は他人に伝わることはない。何故なら、それぞれ基準が違うから。いつか、そんな話をしたこともあったな」
本人の苦しみは本人にしか分からない。そして、逆もまた同じ。
「喜びや幸せも同じだ。本当の大きさなんて、本人にしか分からない。だがな、白。私は断言しよう」
ラウラは堂々と、高らかに言った。
「お前が私を想う以上に、私は白の事が好きだ。大好きだ。愛してる」
愛の大きさで勝てる筈がないと、ラウラは断言する。
「抑えきれなくて構わない。私はそれを全て受け入れてやる。白の想いを全て包み込んでやる」
「ラウラ……」
「感情を制御したいなら、時間は掛かるだろう。構わないさ。二人でずっと頑張っていこう。白が抑え切れなくても、私は全部抱き締めてあげる」
鏡に映る白とラウラは、真っ直ぐ前を見ていて、そしてお互いを見つめ合っていた。
「私の愛を、甘く見るな」
ラウラの笑顔に、白は小さく微笑んだ。
肩に置いた手を回して、ラウラを抱き締める。
「ありがとう、ラウラ」
だけど、と続ける。
「俺の方が愛してる」
いいや、と言いながら、ラウラは白の両腕を握った。
「私の方が愛してる」
永遠に決着のつかない比べ合いを、白とラウラは声が掛けられるまで続けていた。
この和服で縁日を回る。
老婆の提案に、こんな綺麗な格好でと焦りを見せたが、レンタル品だから構わないと言われた。
あまりにも綺麗過ぎるので本当にレンタル品か怪しい物だが、それならと受け入れる事にした。
待ちぼうけを食らっていた一夏の前に皆が着物姿を見せる。
「皆、綺麗だな」
一夏の素直な感想に、一同は嬉しそうに笑った。
今はそれだけで、彼女達も満足だった。
「さて、縁日に行くか」
「この着物汚さないように気を付けないと……」
縁日ということで全員が落ち着いた色合いで着飾っている。それでもどこか気品を感じさせていた。
いくらレンタル品と言えども、かなり気を遣う。
「良い物を借りれた、と思って、楽しもうじゃないか」
「そうですわね。プラス思考で考えましょう」
「ありがとうございました」
皆が頭を下げて店を出て行く。
白とラウラが残り、老婆と女性に頭を下げる。
「貴重なご意見、ありがとうございました」
老婆はニコリと微笑んだ。
「お二人の幸せを願っております。これから何があっても、きっと大丈夫です」
「はい」
これから先、何があろうとも。
きっと二人は幸福でいられるだろう。
歩き出す二人を、老婆達は静かに見送った。