インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
白と冬雪が旅館へ戻る。
入り口で待っていた神殺しに部屋を案内させると、少し離れの部屋へと進んで行った。VIPルームのようなものらしく、特別な部屋らしい。普段も予約でも受け付けない部屋だそうだ。
ドアを開ければ畳の香りが漂ってくる。広い部屋にラウラと恵、そして黒が座って緑茶を飲んでいた。
時刻は既に夜を回っている。白と神殺しは兎も角、他の人はお腹も空く頃だろう。神化人間といっても、黒と冬雪は人体改造をされていないので、普通の人間に比べて体が強くて頑丈なだけだそうだ。
「じゃあ、飯はどうする?」
「どうするって、どういう事だ」
聞けば、この部屋にはキッチンが備えられており、材料を貰って自分達で作れる事もできるのだとか。
無論、プロに作ってもらった方が美味なのは確かだが……。
「一緒に作りたいです」
冬雪が目を輝かせて言った。
この提案はラウラと一緒に何かをしたがっていた、神殺しなりの配慮なのだろう。
味が分からない白としてはどちらでも構わなかったし、皆が乗り気なので反対もない。
「材料を持ってきてもらうか」
備え付けの電話でフロントに連絡し、お願いをする。数分後には材料が揃えられ、海の幸や山の幸が沢山運ばれ、料理好きのラウラはテンションが上がっていた。
道具はキッチンに揃っているので、早速ラウラと冬雪がそこへ立つ。
「恵さんは?」
「私は良いわ。二人で楽しみなさい」
それならと、二人で作ることに決まり、アレをこれをと話しながら料理を開始した。
「…………」
白はその二人の後ろ姿を眺めた後、窓を開けて一人縁側へと出る。窓を閉じると声も音も遮断され、ここに一人残されたような錯覚に陥った。
視線の向こう側には海が広がり、月明かりが海を照らし出す。静かな波音が絶え間なくこの世に奏でられていた。縁側に腰掛け、特に何をするわけでもなく夜空を見上げていると、神殺しが窓を開けて入ってきた。
「一人で何してんだよ」
「何も」
白は夜空を見上げたまま答える。
「何も出来なかったのが、俺の人生だった」
「…………」
神殺しは窓を閉めて、車椅子から降りて器用に白の隣に収まった。
「白」
神殺しが懐からある物を取り出した。
双剣の片割れ。
白が元々持っていた、双剣の一本。
「いらない」
「お前のだろう。生きてるなら、生きるなら、お前が持つべきだ」
「それが罪の証であろうとも、それは武器だ。だから、受け取れない」
もう二度と戦わないと誓ったから。
「そうか」
神殺しは振り被り、剣を投げ飛ばした。
その強靭な身体能力で投げ飛ばされた剣は、月に向かって消えていく。落ちる音も、姿も見えず、掻き消えていった。
「もう、回収も出来ん」
「それが良い」
片割れのアレは、ナイフ使いと共に死んだ物だから。もう手にすることはない。
「なあ、神殺し」
「何だ、白」
「お前、料理の味は分かるのか」
「分かるよ。俺はお前程、体が狂っちゃいない」
「そうか」
体はどうしようもないだろうと、神殺しは言う。そんなことは白にだって分かりきっている。
「……悩んだ所で、解決しないことなんだがな」
「悩めるようになっだけ、良かったじゃないか」
神殺しは笑う。
感情を得たお前は、これから人間としての苦労と悩みを抱えて生きていくのだと。
当たり前の事で迷って。
当たり前の事で悩んで。
普通の人間のように、生きていけるのだ。
「それは経験談か?」
「まあな」
神殺しは昔、一人の女性と過ごした時間があった。
アレが好きという感情だったのか、愛だったのかは、今でも分からない。
そして、彼女との出会いが、彼女の死が、神殺しを人間として変えたのだ。
だから、神殺しはシロを殺した。
世界を動かす為に。
裏世界を壊す為に。
このまま壊れていく世界を救う為に、犠牲を。
「俺達は似ていて、やっぱり正反対だ」
かつて裏世界に居た白い姿と黒い姿。
血のような赤い瞳を互いに携えて、何度もその刃を交えた。
死を得て神殺しは人間となり、救うことで白は人間となった。
「白。お前は、ラウラ・ボーデヴィッヒを愛しているか?」
その問いに、白は真っ直ぐに答えた。
「ああ。心の底から、愛している」
その後、二人は会話もなく、呼び出しが来るまでずっとそこに居た。
新鮮な刺身や山菜の天婦羅。出汁をとった鍋など、ラウラと冬雪は様々な料理を用意し、皆がそれに舌鼓を打った。材料もさることながら、ラウラの腕を褒めていた。
食事が済み、ラウラは一人、腹ごなしに行くと言って部屋から出た。
「……さて」
恵から貰った地図を広げた。
旅館から出て、森の中を歩く。辺りは暗いが、ラウラは自前の目の力で道を探りながら歩みを進める。
そして、シロの墓へと辿り着いた。
「…………」
ラウラは墓の前へ行き、白い花を一輪そこへ差した。
服が汚れるのを厭わずに、その場に正座して正面に向かい合う。赤い瞳と黄色の瞳が墓を見つめた。
静かな夜空の中、木々の囁きと波音が辺りに広がる。
「初めまして、シロさん。ラウラ・ボーデヴィッヒと申します」
海風が吹く中、ラウラが口を開いた。
「私は貴方を白の記憶から見たことがありますが、貴方は私を見るのは初めてでしょう。……白は、生きています。人間として、しっかりと生きることができました」
独白のように、墓に語りかけていく。
「白は貴方のとこを憎愛していたと言いました。実際、どうかは分かりません。彼は嘘を吐けないので、そう思っていることは本当でしょう。でも、憎んでいながらも、確かに貴方の事を愛していました。……貴方は、どうだったのでしょうか。自分を歩けなくした白のことを憎んでいたのでしょうか。それとも、それ以上に愛していたのでしょうか。あるいは、もっと複雑な何かだったのでしょうか」
しかし、それでも。
「私は白が好きです。大好きです。愛しています」
だから、私は。
「貴方から白を奪っていきます」
この世界から、貴方から。
私は、白と共に。
「謝罪はしません。許してくれなくても結構です。しかし、私は彼と一緒に居たい。白を愛して、白に愛されたい。私達は、生きています。苦しいことも辛いこともあるでしょう。私はまだ若い。先の事もまだ分かりません。きっと、様々な困難があることでしょう。それでも、白の手は離しません。二人でずっと、ずっと歩いていきます」
白の事を、心の底から愛しているから。
「白は、私が貰います」
ラウラはシロの墓へと、深く頭を下げた。
柔らかな月明かりがラウラの髪を照らし出し、優しい風がラウラの髪を揺らす。
誰の目にも届かないその光景は、ただただ美しかった。
浜辺で、白とラウラが手を繋ぐ。
もう帰るまで時間もない。
砂浜に立ち、海の囀りを聴きながら二人はそこに立つ。
神殺しと恵、冬雪と黒も、その場に居合わせた。流石に砂浜に車椅子は大変なので、神殺しは恵に肩を貸してもらっている。
「また来ますか?」
冬雪の問いに、白は首を振った。
「いや、もう来ることはない」
青年と束に頼めばまた来ることも可能かもしれない。それでも、白はもう来ないと心に決めていた。別れを告げて、優しい世界に触れられた。黒と冬雪という、神化人間の終わりも見ることができた。
それで満足だ。
これ以上、世界を混乱させるようなことはすべきではない。
「…………」
無言で見上げる冬雪を、白は優しく抱擁した。
「俺はもう、この世界では死んだ人間だ。これが正しい」
「お父さん……」
「お前は、自分の道を歩け。支えてくれる人は周りに沢山いる」
それが父親としての、最初で最後の言葉だった。
抱擁から解放された冬雪は、ラウラと白に頭を下げる。
「ありがとうございました。お元気で」
「さようなら!」
黒が笑顔で言う。別れを涙で語るのではなく、笑顔で見送るのが、彼の人間性をよく示していた。黒となら、冬雪も共に歩いて行けるだろう。
「じゃあな」
神殺しが軽く手を挙げる。
それだけなのが、とても彼らしい。
「白」
恵が白に問う。
「貴方は、幸せだった?」
かつて、恵は白にそう問いたことがある。
自殺前に、一人去って行く彼に、同じ質問をした。最後の会話を思い出す。
「苦痛だったよ」
白が答える。
「楽しい時などなかった」
かつての答えを。
「幸せな時などなかった」
そして、今だからこそ、新しい答えを出す。
「だけど、今は幸せだ」
白は笑うことができた。
心の底から、笑ってみせた。
「本当に、幸せだ」
ラウラの隣に立ち、白はこの世界で笑うことができた。
「……そう、良かった」
恵は、笑い返す。笑い返すことができた。
預かっていた花冠を白に手渡す。白は花冠を、この世界の祝福を受け取った。
微笑んで見送る彼らに、白達は笑顔を返した。
「ありがとう」
お礼の言葉だけを残し、白達が消える。音もなく、前触れもなく、まるで夢だったかのように、白とラウラは消えた。
砂浜に残った足跡だけが、確かに彼らがいたのだと教えてくれた。
「んじゃあ、戻って温泉でも浸かるか」
「背中でも流そうか?」
「なんだお前、父親の偉大さを改めて感じたか?良いぞ良いぞ。存分に洗うが良い!」
「尊敬度が一気にマイナスだわ!」
「お背中流しましょうか恵さん」
「冬雪ちゃん。真似しなくて良いのよ?」
家族が帰る道も、足跡が刻まれる。
いつか消えるこの足跡も、今は確かにここに存在した。
墓参りが思ったより長くなってしまいましたが、これで終了です。
そろそろ番外編も終わりが見えてきました(いつ終わるとは言ってない)