インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
世界を戻った後、ラウラは暫く落ち込んでいた。
青年と束が調整を行っている後ろで、膝を抱えて丸くなっている。
「ラウラ、そう落ち込むなよ」
白が声を掛けるも、ラウラの様子は変わらなかった。どんよりとした空気が見えるようである。
「いや、白以外を好きになる可能性があったのがな……。別に一夏がどうという話ではなく、単純にショックだ……」
どうも結構なダメージを負ってしまったらしい。白が居なければそれ以外の人間を好きになるのは当然だし、居たとしても一緒にならなかった可能性もある。
ラウラはどうなろうが全部白と一緒か、あるいは生涯孤独と思い込んでいたようだ。
「…………」
白はラウラの側に座り込むと、彼女の頭を自分の膝の上に乗せて、頭を撫でた。白の優しい手付きに、擽ったくなるような気持ちが、ラウラの胸の中にじんわりと広がる。
「ラウラ。俺は昔にシロの事を憎み、愛していた。その事で、お前は俺を嫌うか?」
「そんな事はない」
「そうだろう。それと似て非なるようなものだ。俺は別世界のラウラが誰を好きになろうと、どうでもいい。たった一人、お前を愛して、お前に愛される事が出来れば、それで良いんだ」
だから、と言葉を続ける。
「他の世界の自分も、他の世界の俺も見るな。自分だけを見て、俺だけを見ろ。他にあった可能性なんていらない。俺はお前を、お前だけを愛している」
ラウラは白の肩に手をかけて、僅かに身を起こす。
「ああ、私も」
ただ一人の貴方を。
「白だけを、愛してる」
二人は長い口付けを交わした。
「……ねぇ、私、凄い気不味いんだけど」
「作業中に他人の事を気にするなんて珍しいじゃないか」
ボソボソと声を潜めて束が青年に話し掛け、同じ声量で青年も返す。
「そりゃ、こんだけラブラブフィールド張られたら誰でも気にするよ」
「非科学フィールドは放っておきなさい」
「何で貴方はそんなに冷静なんだよう」
「心の中では糖尿病末期さ」
涙目の束と、悟りを開いたような青年の顔はどこかシュールだった。少しして修正が完了し、世界の選択も行ったのだが、二人に話し掛けられるタイミングがなかなか無かった。
「おい、お父さ……うわっ!何このピンク空間!」
偶然来たマドカにより時間は動き出し、青年は白とラウラに説明を行う機会を得た。
「ごほん。じゃあ説明するけど、今、白くんの世界に座標を設置した」
青年は一応数式などを見せるが、もちろん分かる筈もない。実際、人類がこの数式を解くのは何十年後の話だろう。
「世界と世界を繋げるのはかなり無理がある。例えるなら、鉄板を爪楊枝で開けるようなものかな。僕達の技術でも限界があって、世界と世界を繋ぐのに限度があるし、歪みも生じる。さっきの時間が過去に行ってしまったのと同じさ」
つまり、と長い説明を出来るだけ簡単にして省く。
「白くんの居た世界に限りなく近いが、もしかしたら厳密には違う世界かもしれない。時間可能な限り合わせてるけど、ズレがあるかもしれない。それ程、世界の流れは早くて無限にある。今この一秒でも世界の選択肢は無数に増え続けている。それに、白くんがこの世界に来てから年数も経ってるしね」
「良いさ。シロへの別れなどどこでも出来る。可能性の一つを見るのも、悪くない」
ラウラは先程の実験で転送による安全は分かった為、今度は私服に着替えて来た。
そして、白とラウラは再び転送室へ入り、互いの手を繋ぐ。
「白」
ラウラの声が部屋に反響した。
「怖いか?」
「いいや」
握った手に、少しだけ力を込めた。
「ラウラと一緒なら、怖くない」
転送開始。
その言葉と共に、二人の姿は消えた。
「どう?」
束の問いに、青年が頷く。
「理論上は成功だ。間違いなく、白くんの元の世界へ飛んだ筈だ」
後は彼らの帰りを待つのが青年達の仕事だった。
白とラウラは路地裏に居た。
ゴミが溜まり、腐敗した場所は嫌な異臭が鼻を突く。出現する際に人が居ない場所を指定されたのだろうが、嫌な場所に出されたものである。
「まあ、俺らしいか……」
この世界で、表に立ったことなどないのだから。だから、この光の届かない所から始まるのは、必然なのかもしれない。
白とラウラは手を繋いで路地裏から出た。大通りに繋がるその道は、巨大なビル群と大勢の人で賑わいを見せている。電話で怒鳴る男や、携帯を弄りながら道路に座り込む女性。忙しそうに駆けていくスーツを着た男性や、建物の影に隠れるように寝る老人も見受けられる。誰もが他の人を見もしないし、興味もない。自分の現実ばかり追って、その果てに夢さえ捨ててしまっている。嘘も偽りもなく、その薄汚さを前面に出して、ただそこに在り続けるだけだ。
ここは変わらない。
相変わらず、この世の汚さを見せつけられる道だった。
だからこそ、確信した。
この世界は、かつて自分が居た世界なのだと。
白はラウラにこの光景を長くは見せまいと、足早に手を引いて歩いていく。やや強引なその足取りに、ラウラは文句も言わずについて行った。
暫く歩いて行くと、広い公園へ出た。広大なこの場所は、池も道も整備されている。
先程の大通りとは違い、広くとも人が殆ど見受けられない。都会とは思えぬ静けさと、人工的な自然が、白達を覆っていた。
「……ふぅ」
自分のテンポでない足取りに、ラウラが少しだけ息を吐いた。
「すまない、ラウラ」
「いや、大丈夫だ」
醜いあの光景は、きっとこの世界における現代の縮図のようなものなのだろう。別にアレを恥とも思わないし、侮蔑するものとも思っていない。ただ、ラウラを不快にさせないが為に、アレを見せたくなかった。その白の意思を、ラウラも読み取っていた。
「少し休むか」
「別に私は平気だぞ」
「なに、急ぐ旅でもない」
時間制限はあるが、別に拘ることもない。この世界に来たこと自体、既に目的は達成されているようなものだ。シロはかつてこの世界で生きていたのだから。だから、この世界に来て、そして去ることが、それが彼女との別れとなることだろう。
白とラウラはベンチへと歩み寄る。
白はベンチにハンカチを広げて、その上にラウラを座らせた。
「何か飲み物でも買ってくる」
「分かった、待ってる」
白は一人、記憶を読み起こしながら、近くの自動販売機へと足を進めた。
ラウラは白の背中を見送った後、空を見上げる。青く広がる夏の空は、色鮮やかであり、そこに世界の違いなどないように見えた。
「……今の白には、この空がどう見えるんだろうな」
白は少しだけ一人になりたかった。
もしかしたら、白のそれは無意識の思いだったかもしれない。それでもラウラはそれを感じ取り、白を見送った。
覚悟であれ、別れであれ、あるいは何もないものであれ、この世界に来て僅かな時間でも一人で過ごすというのは、きっと彼にとって必要な行為なのだ。
「…………」
少しの時間、ラウラは木々の葉の音と鳥の囀りに包まれた。
そこで、視界の端で何かが見えた。強化されたその瞳が人影を捉える。
人気の無いこの広い公園で、舗装された道を車椅子の男性と、それを押す女性。
青い髪に青い瞳と、かなり目立つ容姿をしていたから、最初はその女性が目に付いた原因だと思っていた。
その女性は長い髪を揺らしながら、車椅子の男性に笑顔で話かけている。夫婦なのだと直感で理解した。
「…………っ」
ラウラは息を飲んだ。
自分の目を引いたのは、男性の方だと理解した。
黒髪の男。悪戯っ子をそのまま大人にしたような、あどけなさが残る男性。
その顔には見覚えがあった。
成長していて、少し顔立ちが変わっているが、間違いない。
「……神殺し」
シロを殺した、神殺しという名の男だった。
「…………」
ラウラは無意識に立ち上がった。
道の真ん中で進路を塞ぐように立つ。まだ遠くとはいえ、この行動は目立つ。神殺しと女性は、やや不思議そうな顔でラウラを見ていた。
「…………」
自分が何をするつもりなのか、ラウラは分からなかった。ただ、自然と体が動いた。何かを言わなければいけない気がして、でも自分が何を言う気なのか全く分からない。
一人頭を混乱させていれば、遂に神殺しと女性が目の前まで来て、止まった。
流石に彼らも自分達に用があると分かったようだ。
「……何か用ですか?」
神殺しの問い掛けに、ラウラは顔を上げる。
その紅い眼を見て、ラウラは白の過去を思い出した。
シロが殺されるあの瞬間。
自分の体をすり抜けた刃は、シロを突き刺した。
ラウラの目に映ったのは、神殺しの顔。
「……貴方は」
辛く、苦痛に満ちた表情を、思い出した。
「シロを殺したことを後悔していますか?」
一陣の風が吹き抜けた。
白は自動販売機の前に来た。
適当に珈琲のボタンを押し、ラウラの分だけを買う。幸いにも通貨は共通していたようで、無事に購入できた。戻るかと踵を返すと、ふと視線を感じる。
何処からかと見てみれば、遠くの太い木の枝に、一人の少女が座っていた。
歳は十代半ば頃。
腰まで長い白銀の髪に、紅い瞳。
陶器のような白過ぎる肌に、眠そうな無表情がこちらを眺めている。
「…………」
白がラウラの所へ帰ろうとすれば、それに慌てたのか、本人としては急いでいるつもりのようなゆったりとしたスピードで木を降りて、こちらに歩み寄ってきた。
目の前に来たその少女は、白を見上げた。
紅い瞳と紅い瞳が混じり合う。
「……あの、一つ質問があります」
白程では無いが、あまり感情がなさそうな声で少女は尋ねた。
「貴方の名前は何ですか?」
「…………」
白は暫し無言のまま少女を見つめ、少女も目を反らすことなく見つめ返す。
「何の名前なら納得する?」
白は、答えを上げた。
「神化人間。神の刃。ビャク。ナイフ使い。……どれが、お前の求めた答えだ。そして、お前は何者だ」
少女が口を開いた時
「ふーゆーきー!冬雪ー!!」
遠くから、少年が走ってきながら大声で名前を呼んできた。冬雪とは、この少女の名前らしい。
少年が追いつく前に、少女、冬雪は白に頭を下げた。
「……私は、白鳥冬雪」
顔を上げた彼女は、少しだけ微笑んで、告げた。
「初めまして、お父さん」
数話ほど白の話になるのでISどこいった状態になりますが、ご容赦下さい。