インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
「乾杯!」
「……乾杯」
白と千冬の杯が甲高い音を立てる。
居酒屋の個室のテーブルに、二人はいる。焼き鳥や魚など、様々な料理が既に並べられていた。周りからは騒音かと勘違いするほどの話し声や笑い声が木霊していて、その中を店員のオーダーが時たま飛び交っていた。
「何だ?テンションを上げろよ」
「俺は普段からこんな感じだ」
「嘘つけ。ラウラと居る時はもっとこう……何というか、態度が違うだろ」
「そうか?」
白が首を傾げる。彼の反応を見て、千冬が呆れた顔をした。
「気付いてなかったのか?」
「微塵も」
「自分に鈍いな」
「その自覚はある」
千冬は酒を呷り、白も一口だけ酒を口に含ませた。
「臨海学校でも呑んでいたそうだな。酒が好きなのか?」
「それなりにな。意外と酔えるが、限界までの容量は大きい。アルコールの処理も早いから便利なものだよ」
「ほう」
酔う感覚を知らない白は少しだけ興味を持つが、無理なものは無理かと直ぐに切り捨てた。
「ラウラも酒飲んだらしいが、大丈夫だったようだな」
「まあ、私達ほどでないにしろ、人造人間だしな。アルコールくらいすぐ分解できる。初めは、白ー白ーと、言っていたぞ」
「……そうか」
……それは暗に俺の行動が酒を飲ませと責めているのだろうか。
「あ、そうだ」
何かを思い出したのか、千冬がしかめ面で白を睨む。
「臨海学校と言えば、お前、連れ去られてから戻ってくる時、普通に職員室に入ってくるなよ。VTシステムの時もそうだったが、何事もなかったかのように来られるとコッチも反応に困るんだぞ」
ラウラと白が深海から脱出したあの日。
ラウラが飛び立ってから丸一日が既に経過していた。何も音沙汰が無いことで、事情を知っている者達と、無人機に連れ去られたことだけ知っている職員達は白達の身を案じていた。
そこへ、普通にタクシーで帰ってきた白が職員室へ入ってきての第一声が
「後で返すからタクシー代貸してくれ」
だった。
教員達は泣くこともできず、目が点になっていた。
「あそこまで心配させておいてタクシー代は無いだろう……」
「悪かったよ。だけど平気だったんだから仕方あるまい」
「その後のイチャつきはいらなかったぞ。絶対いらなかったぞ」
結局、白があまりにも普通だった為、戻った後に感動の再会も何もなかったのは記憶に新しい。
「イチャついてなどいないが?」
「素だったのか。余計に質が悪いな」
タクシーで待っていたラウラと白は手を繋いで学園へと戻り、ラウラの体に少し衰弱が見られたので、簡単な食事と水分補給を食堂でにとりに行った。本当に大丈夫かと千冬が食堂へ見に行った、白がアーンさせたり頭撫でたりキスしたり肩を抱いてる所を見て、煤けた表情で職員室へ戻ってきた。ついでに携帯で撮った現場を他の職員に見せた。男運の無い榊原菜月がそれを見て本気で泣いた。余談であるが、その後一人でお酒を浴びるように飲んだそうだ。
「あの後、戻ってきた俺より暫く使い物にならなかったんだぞ」
「正直、悪かったと思ってる」
だが千冬ならまたやりそうだと白は予感めいた事を思った。
「しかし、俺と食事に行こうなど、今更ながら随分とお前も酔狂だな」
「何を言う。友人と食事し、飲み交わすのは当たり前だ。そこには異常も正常もあるまい」
「そんなものか」
「そんなものさ」
食事は主に千冬が摘み、白は時たま付き合いで何かしら口に入れた。
「そういえば、学園祭の生徒会の案を蹴ったらしいな。更織が学園祭の案を作り直さねばと嘆いていたぞ」
「怪我人が出そうな案を採用できるわけなかろう。当然だ」
「アレはアレで面白いと思うけどな」
「たまに思うが、お前、一夏で遊んでいるだろう」
「そんな事は無いぞ」
「こっちを見て言え」
千冬は笑って誤魔化した。
「それより、最近ラウラとはどうだ?」
「明からさまに話を逸らしたな。ラウラとはいつも通りだ。変わらん」
「変わらず仲睦まじいようで何よりだ。倦怠期とかの心配はないのか?」
「何年一緒に居たと思っている。今更過ぎるだろう」
「それもそうだな。お互いの事も解り合ってるし、問題もないか。やれやれ、本当に羨ましいよ」
「お前も誰かと一緒にならないのか?」
「そう思える奴が現れるまで待つさ。ま、それまではこうやってたまには付き合ってくれ」
「俺で良いなら構わんが」
そこへ、声が聞こえた。
「あれ?織斑先生に白さん」
振り返ってみると、真耶と先程話に出ていた榊原菜月。それと数学担当のエドワーズ・フランシィがいた。
「こんばんは」
「飲みに行くって、このお店だったんですね。偶然です」
フランシィと菜月が頭を下げてくる。白と千冬も合わせて挨拶を返した。
「何なら、ご一緒にどうです?」
千冬の提案に、三人は顔を見合わせた。
「宜しいのですか?」
「もちろんです。こいつの惚気話に胃をやられかけていましたので」
「あはは、そういうことでしたら」
白も別に拒否する理由もないので、三人の参加に了承。
白の隣に真耶が座り、正面に三人が座る状態となった。取り敢えず飲み物を注文し、改めて乾杯の音頭をとる。ビールを飲んだフランシィがややあと口を開いた。
「惚気話って、噂話は本当ということですか?」
「噂話?」
「一組のラウラ・ボーデヴィッヒさんとお付き合いされてる噂です。職員の方もクラスの生徒達もその話題ばかりでしたので」
「別に隠してるつもりもありませんよ」
白の答えに合わせるように、千冬が携帯の写真を見せた。
「あの時、エドワーズ先生は非番でしたからね。ほら、こんな写真ありますよ」
「あらまあ」
「消してなかったんですか織斑先生!私の傷が!抉られる!」
フランシィは目を丸くして口に手を当て、菜月は最早トラウマの域なのか、必死に見まいと顔を手で覆い隠した。
「ボーデヴィッヒさんとは仲良くしていますか?」
「喧嘩はした事無いですよ。意見のぶつけ合いならありましたが」
「それ、喧嘩と何処が違うんですか?」
「お互いの事を想いあっての主張ですからね。喧嘩のような、自分の主張のみを押し通すのとは少し違います。それも、もう今後ないでしょうけど」
お互いを想い合ってるが故のすれ違い。それが大きく出たのが臨海学校時の出来事だった。しかし、もう白とラウラは分かり合え、再び手を取り合うことができた。本当の幸福を知ることができた。だからもう、離れることは無い。絶対に。
「羨ましいわぁ。凄く羨ましいわぁ。私なんて実家から結婚はまだかとか、見合い写真とか渡されるのに……」
さめざめと泣く菜月の頭をフランシィが撫でる。それを横目で見ながら千冬が容赦なく言った。
「まだ酔うには早いですよ、榊原先生。それと、貴方は男運が悪いだけというか、男の趣味が悪いんです」
「織斑先生だって付き合ってる異性の方いないじゃないですかー」
「私より強い男が居れば考えますね」
「それほぼ居ないに等しいんじゃ……」
「山田先生とかモテそうなのにいないんですか?」
「ええ!そんな私なんか……」
女性トークが始まり、白は自然と口を閉じた。別に気を遣ってるわけでもないが、盛り上がってるなら口を出さなくても良いかとのんびりしていた。
「白さんとラウラさんて結構歳離れてません?学生との恋愛なんて周りの目が痛いんじゃないですか?」
そう思っていた途端、フランシィから質問が飛んでくる。白は普段通り答えた。
「周りは関係ありません。歳も同じです。疚しい事も恥じる事もない。俺はラウラを愛し、ラウラも俺を愛してくれた。俺達は愛し合っている。だから一緒に居る。それだけの話です」
女性達がピタリと止まった。
「か、かっこいい……」
「凄い堂々とした告白……。ボーデヴィッヒさん羨ましい」
「すみません、ハイボール一つ」
「織斑先生が現実逃避してる……」
「違います、慣れただけです」
「メニュー表逆さまですよ」
「…………」
千冬は黙ってメニュー表を横に置いた。何となく哀愁が漂っていた。
「ボーデヴィッヒさんとはいつからお知り合いなんですか?」
「十年くらい経ちますかね。事情があるので詳しくはお話出来ませんが」
あの時、ラウラを受け止めてから、全てが変わっていった。ラウラも、白も、世界の流れも。
結果だけ見れば俺は世界を救ったのかと白は思ったが、どうでも良いかと放棄した。
「この前、新聞部にも質問されましたよ。そんなに珍しい事ですかね?」
「珍しいというか、女性は恋の話には夢中になるものなんです」
クスクスと真耶が笑う。既にほんのりと頬が赤い。どうやらあまり酒には強くないようだ。
「あまり無理をなさらないように」
「やだー、心配されちゃったー」
「…………山田先生?」
「烏龍茶でも注文しておくか」
真耶の様子に千冬が苦笑いを浮かべて店員を呼んだ。
暫くすれば大量にあった料理も消費され、コップが空いては新しいのが来てを繰り返した。
そろそろ良い時間かと、帰宅準備を進める。皆潰れることはなかったが、真耶は完璧に酔っていて、菜月は気持ち悪そうにフラフラしていた。
支払いを済ませて外へと出る。
夏の暑い風は心地良いとは言えないが、海の近くから来るので多少涼しくはあった。
「タクシーで帰りますか?」
「いや、私、乗ったら吐いちゃいそうですぅ……」
「あはははは、大丈夫ですか榊原先生ぃー」
「自分の容量くらい把握しておいてください二人共」
フランシィが頰に手を当てて溜息を吐いた。彼女の頰も赤いが、それだけである。普段の様子と変わりない。
「……歩いて帰るか」
「そうだな、そんなに長い距離じゃないし」
白と千冬の案で徒歩帰宅となった。万が一、菜月が吐いてでもして楽になればタクシーを呼ぶつもりだが
「乙女の最後の矜持ぃ……!」
と言って、店でも路上でも吐こうとはしなかった。
千冬が菜月に肩を貸し、真耶は普通に歩けるようなので、突発的な事をしないか白とフランシィが監視しながらの帰り道を歩いて行った。
「ただいま」
「おかえり」
白は部屋へと帰り自然と挨拶を口にしたが、まさか返事が返ってくるとは思わず、目を瞬かせた。
時刻は既に深夜を回っているので、寝ているものだとばかり思っていたのだ。
「ラウラ、起きていたのか」
部屋へ入れば、ベッドに腰掛けたワンピース型の寝巻きを着たラウラが目に入った。その手には本があり、何故か眼鏡を掛けていた。
ラウラが本から顔を上げてニコリと笑う。
「まあな、本に夢中だったし」
そう言いながら、本に栞を挟んで立ち上がる。どう見ても白の事を待っていたようだが、敢えて出された読書を理由にされてしまえば何も言えない。
「あまり夜更かしすると体に触るぞ」
「一日くらい平気さ」
ラウラは立ち上がると、自然な動作で白の上着を預かった。白は汗を掻くことが無い為、この季節でも上着を着ていようがいまいがあまり関係なかった。
ラウラが上着を持った時、居酒屋の匂いがツンと鼻に突いたので、服についた匂いを嗅ぐ。
「今まで、例の服だったから匂いは気にしなかったが、普通の服だとこんなにも匂いが付くものなんだよな」
「タバコと酒臭いだろ?これからは仕事着はあの服で良いかもしれん」
白の元々着ていた服は防護性、撥水性にも優れているが、匂いも付かない。何も寄せ付けない本当に特殊な服だ。白の剣同様、何の素材で出来ているかも分からないとんだ代物である。
「かもな」
一先ずハンガーに掛けて干しておいた。
「ところで、その眼鏡は何だ?」
「これか?ただのファッションだ。伊達眼鏡だから白も掛けられるぞ」
ラウラは白へ近付き、眼鏡を白に掛ける。白の視界がブレることはなく、ピントが合ったまま丸い枠の中でラウラを見た。
「成程。だが……」
白が片手で眼鏡を外し、ラウラに口付けをした。ラウラの口にお酒の香りが伝わる。
「キスの時は邪魔だな」
「……でも、眼鏡を掛けた白も、外す仕草も格好良かったぞ」
はにかんで言うラウラに、白は小首を傾げた。
「そんなものか?」
「好きな人の姿は沢山見てみたい。私の眼鏡姿はどうだった?」
「お前はいつでも魅力的だよ」
白はラウラに眼鏡を掛けさせ、再びキスをした。
夜は更けたが、彼らの夜はまだ長くなりそうだった。