インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
気付けば、二人の珈琲はすっかり冷めてしまっていた。
「だけど、僕の方でも問題が起き始めたんだ」
青年が腕を組む。
「亡国機業の組織が大きくなり過ぎてた。ISの技術を盗もうとする人間や、束を捕まえようとする人間なんかが増えてきた」
結果は違えど、白が作られた神化人間の組織と同じだ。
組織を維持する為に建前を作り、本音は隠された。いつの間にか建前が全員の本音となり、それに支配される。本来の目的の為に動いているのは、この青年一人のみとなった。
「今までの事件は、貴様は関係ないと?」
「関係ないとは言わないさ。国を使って色々したこともあるしね」
……この男がやった事象と、亡国機業がやった事象が微妙に食い違うせいで、何をやりたいのかいまいち把握できなかったのか。こいつの話を信用するなら、の話だが。
「向こうはISの技術全てを奪った気でいるけど、実際はそうじゃない。今の彼らでは似たようなものは作れても、かなり劣化したISもどきしか作れないだろう。簡単に彼女の技術など盗ませないし、盗めるものでもない。どちらにしろ、もう亡国機業は無くなった」
「無くなった?」
白は目を細めた。
「……潰したのか?」
「僕の大量の無人機を見ただろう?亡国機業の活動は主に深海で行われていた。空間転移技術は彼らには無い。狙うには、格好の餌食だった」
青年の声が少しだけ震える。
「僕は、僕の意思で初めて人を殺した」
「…………」
それに関して、白は何も言わなかった。
「結局、意思のあるISは白式……雪羅しかないということか?」
「……現状確認できるのではそうだね。元々、ISのコアネットワークはコアの知識共有の為にあるんだけど、彼女はプライバシーという概念があるのか、繋がるのを嫌がるんだよね。そもそも、女性という性別があることに驚いたよ……」
人間に近付けたとはいえ、機械が性別を持つ。それはあまりにも、予想外の出来事であった。
「だから、一夏を使ったのか?」
ISが女性だったから、一夏という男性を使う。
そういうことかと、尋ねた。
「結果的にそうなった。織斑一夏という男を作る気は無かった。アレは単純なミスから作られてしまった男の子だ。亡国機業の他の連中に知られた所為で、彼をこんな危険な目に合わせる羽目になってしまったけれどね。だから、一夏の元に彼女のコアが行くよう、束を誘導した。白式が目覚めてくれれば、必ず彼の力になってくれると思ったから。計らずも、男性操縦者と女性のISという、真逆の方向に順調に進んでしまったわけだ」
「災難と言うべきか?」
「運命だったと受け入れたよ」
青年は肩を竦めてみせた。
「学園を襲った無人機はお前と亡国機業、どっちだ?」
「亡国機業さ。彼らの狙いは白式だったからね。お粗末な無人機だったが、実験も兼ねていたのだろう」
「なら、VTシステムを使ったのは?」
「あれは、僕だ。白式の成長を調べようとした結果だ」
「成程」
白は青年を殴り飛ばした。
青年が地面を滑り、壁に衝突する。加減しているとは言え、力強い一撃は、体に鋭い衝撃を与えた。
「アレのお陰で過去を克服した。結果的には感謝しよう。だが、ラウラを利用し、傷付けたことは、許さない」
淡々と語る白の目の奥。
その心の奥底に、激情を垣間見た気がした。
「……そうだね、これは当然の攻撃だ。甘んじて受けよう。済まなかった」
青年は鼻血を拭い、口から折れた歯を吐き出した。鈍い痛みと鉄の味が口の中で広がる。
ハンカチを取り出して口元を押さえながら席に戻った。
「……残った人造人間達はどうした?」
「普通に暮らしてる子もいれば、IS乗りとして活動している子もいる。元々、数も多くなかった。マドカだけは僕について来たけどね。何故だか懐かれたようなんだ。今回の話も、白君でないと理解出来ないと言ったから、その嫉妬が君に向けられたんだろうね」
「本当に、子供だな」
「全くだよ」
……さて、大体聞きたいは聞いた。ここからが問題か。
「それで、俺にどうしろと?」
青年から笑みが消える。
「君の過去はVTシステムを通して見させてもらった。平行世界から来たことも知っている。その上で、最終審判を任せたい」
青年が机に、ある機械を置いた。小型のそれは、脇には一つのスイッチのようなものが備えられている。
「これを押せば、全世界のISは起動しなくなる」
「…………」
「雪羅も同じだ。つまり、この世界の構造が一瞬で崩れ去る」
女尊男卑の世間も。
ISという武力も。
それに頼った概念も。
亡国機業も。
篠ノ之束の重要性も。
その全てを、覆す。
「何故、俺に託す」
「僕は、もう死ぬ」
青年はモニターを消した。
「もうすぐ、ここの電源はシャットアウトされる。海上に上がるのは不可能だ。脱出できるのは、あの無人機のみ。アレも転移一回分のエネルギーしか残されていないだろう。君はアレでIS学園に戻ると良い。僕は、ここで朽ち果てる」
「それは逃げではないのか?」
「逃げ、とは少し違うかな」
白の言葉に、青年は自虐的な笑みを浮かべた。
「僕はね、疲れたんだ」
「…………」
それは、とても泣きそうな笑みで。
「彼女のいない世界で、彼女の夢だけに縋るのは、もう無理だ」
青年は、崩れ落ちそうな自己を保っている。まだ、保っている。
それが、今の白には、理解出来てしまった。
青年の感情を、理解出来てしまった。
「お前は、その彼女を、愛していたんだな」
……心の底から。
「ああ、そうだ。君には理解出来るだろう。愛を知っている。そして、愛する人を失うことの、その恐怖も、理解できる筈だ」
彼にとって、今この時がただ虚しかった。
もう愛した人は居なくて。そして立ち上がる強さが無くて。彼女の夢に縋り付き、その心身を壊してなお、それだけを思い続けて。世界も自分も捨てて、その幻想だけを追い続けた。
それが、今の結果だ。
手元に残ったのは、多くの罪と、彼女が居なくても動き続ける世界。そして、歪んだ形で生み出された、彼女の夢だけだった。
「もう、疲れたんだ」
そう言って、ぼんやりとしている姿は、まるで魂を失った人形のようだった。
「…………」
白は平行世界の人間で、この世界を平等に見ることができた。女尊男卑も、ISという機械も、この世界の事象として受け入れた。感情もなかった彼は、それに対して思うこともなく、素直に起こったことを認識した。
そして、愛を知り、失う恐怖を知り、真実を知った。
故に、青年は白に託した。
この歪となった世界を動かし続けるか。
それとも、一度無に返すのか。
「全て無くなるぞ。お前の努力も、決意も、覚悟も。その功績も、生きてきた証も、価値も。彼女の、夢も。彼女の残した結果も。お前はそれで良いのか」
「それが君の決断なら、構わない。世界も、自分も、彼女を失った時点で、既に全てを失ってしまったから」
「……そうか」
白は、手を伸ばし
「これが、俺の答えだ」
その機械を叩き壊した。
その衝撃は機械を粉々にし、テーブルをも破壊する。机に乗っていたカップが地面に落ちて、甲高い音を立てて割れた。
「…………」
青年は目を丸くして唖然とした。
「俺も、世界なんてどうでも良いんだよ」
白は淡々と語った。
「お前も、ISを作った彼女とやらも、ISも、篠ノ之束も、亡国機業も、全てどうでも良い。俺がここまで動いたのは、人造人間で俺と同じ過ちを繰り返さないよう、私情で動いてきたからだ」
白が動いてきた理由は昔も今も変わらない。
人造人間を作らない為。自身の過ちを繰り返させない為。
贖罪であり、罪滅ぼしであり、償いであり、自己犠牲の、自己満足。
己のエゴの為だけに、動いてきた。
「人造人間を作っていた本人が目の前に居る。その人間は、もう疲れ果てている。もう作ることもないと、俺は判断する。お前の技術が無ければ、この世界の技術も人造人間も大したことはない。成れば、俺はそれで良い」
それ以外など、どうでも良い。
「貴様の罪も夢も知ったことか。やりたいなら勝手にやれ。俺に押し付けるな。貴様は生きて、今度は自分のやりたいことをやれ。貴様が生きなければならない理由はある」
「だが、僕はもう死ぬ」
「何を言っている?」
白は転がっている無人機を指差した。
「アレで戻るのはお前だ。俺じゃない」
男は今度こそ驚愕した。
「な、何を言ってるんだ?君をこちらに転移させてから、この艦はもう殆ど機能を果たしていない。既に何処にいるのかさえ分からないぞ。向こうに戻ってエネルギーを戻したとしても、ここに来ることなど出来ない」
「だから?」
「だ……」
青年は言葉を失った。
そんな青年を見ても、白は変わらない。いつも通り、無表情で、無感情で答えた。
「別に、俺は死ぬも生きるもどちらでも良い。私情が済んだ今、ただのうのうと生きる理由も無くなった。ここでどうなろうが知ったことか」
「彼女はどうなる。ラウラ・ボーデヴィッヒは、どうなる」
ラウラ。その名を聞いた瞬間、白の瞳の奥で何かが揺らいだ気がした。それも一瞬で消えた。
「ラウラは既に多くの人と一緒になれた。普通の生活も楽しめるようになった。俺が死んだら悲しむかもしれないが、それもいつかは無くなるだろう」
「……いいや」
青年は、力強く白の言葉を否定した。
「君は残された者の気持ちを知らない。VTシステム越しではあったが、僕は彼女が君を本当に愛しているのだと感じた。君を失えば、彼女は見掛けだけは立ち直るだろう」
愛する者に先立たれた男は語る。
「でも、それは見せ掛けだ。心はずっと泣いている。喜びも幸せも、きっとちゃんと感じる事が出来なくなる」
「ラウラはそこまで弱くない」
「かもしれない。でも、君はそれで良いのか?」
「ラウラが幸せならそれで良い」
「君が死ぬことで幸せになると思うのかい?君はそれで、幸せなのか?」
「ラウラには俺が死んでも、幸せになって欲しい」
白は、青年の目を見た。
「俺はもう、充分だ」
小さく零す言葉。
「俺を救ってくれて、愛してくれて、愛させてくれて、感情を戻してくれて、幸せを貰った」
この空っぽの心は、満たされた。
「もういい。もう、充分だ」
……ラウラはきっと、生きていて欲しいと言うだろう。他の奴らも多分同じことを言う。だけど駄目だ。他人の願いでは生きる理由にはならない。
何故なら、俺は自身を永遠に許すことはないから。
あの光景を忘れる事はない。
あの死の山を。
あの血の海を。
シロの死を、俺は一生忘れないだろう。
この身に剣を突き立てるほど生に執着はなく、戦いに身を落とそうとも死を渇望することはない。
唯一あったエゴは消え去り、この場には生と死の選択が残された。
この場で生きるべき人間が居るのなら、俺が選択するのは一つのみ。
誰かに理解してもらおうとも思わない。
俺は異質過ぎる。
だから、ラウラ。幸せになってくれ。
お前だけは幸せで居てくれ。
俺はそれだけで良い。
もう、俺は満たされたのだから。
白が立ち上がる。
「お前はここまでやった。ここまでやってこれた強い精神を持っている」
「……?」
「だから、精神崩壊は起こさないだろう」
何を言っているのかと訝しんだ青年は、一瞬で気付いた。
「……まさか」
ここで青年を転送させてもすぐに戻って来る可能性がある。ならば、戻ってこれないようにすれば良い。時間さえ稼げれば、それで良い。
「3日間、眠れ」
神化人間の本当の力。
白が不完全ながら持つ、他者を操る能力。
白の眼を見た青年は、その場に倒れた。
もう、彼を止められる者は居なかった。