インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
青年は珈琲を二つ作り、一つは自分の、もう一つは白の前に置く。砂糖とミルクを大量に入れ、一口飲んで、満足そうに頷いた。
「ああそうだ、先に謝罪しよう。マドカがとんだ迷惑を掛けたね。あれは嫉妬というか、子供特有の目立ちたがりみたいなものかな。許してやって欲しい」
青年はそう言って頭を下げた。
「あいつ自身、自己満足とか言っていたしな。俺以外なら死んでるぞ」
「君も死に掛けただろう」
「確かにそうだな」
どうでも良いと言わんばかりに珈琲を口に含んだ。毒は入っていなかった。
「それで、亡国機業のトップよ。俺としては聞きたいことが沢山あるのだが」
「答えられるものがあれば答えよう。ただ、時間もそれほど残されていない」
「時間?」
「もうすぐここの電源が無くなり、完全に孤立される。脱出には、あの無人機で空間転送するしかない。……ちなみに、ここは何処だと思う?」
白は、一つ、答えを出した。
「深海」
お、と青年が目を見開いた。
「正解だ。よく分かったね」
「これは更織の功績だ。亡国機業と篠ノ之束。この二つがこの世界のどこで身を隠しているのか。答えは人の目につかない場所。そして、この二つに関連しているのは超技術を持っていること。相反する二つが行く先は逆側」
つまり、と空と地面を指差した。
「片方が宇宙で、片方が深海だ」
「流石、更織もやるね。ちなみに、こっちを深海と思ったのは?」
「馬鹿と煙は高い所が好きだからな」
「なかなか痛烈だね、君」
白の答えに、青年は苦笑いで応じた。白は無表情で返した。
「それで、何から聞きたい?」
「なら、何故ISを作った?」
「根幹からか。長くなるけど、それくらいの時間は残されてる」
青年がモニターの電源を入れた。
一人の女性の姿が映し出された。それは、束に酷似しているが、モニターに写っている女性の方が、少しばかり歳が上のようだ。
「……篠ノ之束の元となった人間か」
「そう、篠ノ之束は人造人間であり、クローン人間だ。画面の彼女がISの基礎を発明し、設計した人物。僕はその助手だ。細胞弄ってるから僕の見た目はこんなだけど、結構な歳なんだよ?」
「世の中のおば様方にその方法を広めれば大金持ちだな」
「面白いこと言うね。兎に角、彼女はハッキリ言って変わった人でね。僕を助手に選んだのも、遺伝子的に一番良い組み合わせだったから、だよ?あれは驚いた」
青年はその時のことを思い出してか、クスクスと喉を震わせた。
「そんな彼女の夢は、途方も無いものだった」
白は青年の顔を見る。青年は、眩しそうにモニターを見つめていた。
「新しい人類を作ること」
新人類。IS。
イコールでピンと来ないが、白の頭には何となく解が組み立てられていく。
「……ISは人間の進化を助長させる為のもの?」
「ああ、凄いな。今ので理解できる?当時、僕は全然出来なかったよ?」
カチリとモニターが切り替わる。
ISの構造と人間の構造がそれぞれ映し出された。
「人間に限らず、生物は脆い。この地球という限られた環境でのみ生きることが出来る。しかし、機械はそうじゃない。勿論、限界もあるけど、それでも生物以上に色々な場所での活動が幅広く出来る。地上、地中、水中、深海、空、宇宙……。機械はこんなにも可能性がある」
だから、この女性は
「人間と機械の融合を考えた」
次のモニターでは、人間の構造と機械の構造が混ざり合った理論が羅列されていた。
「機械を身に纏って宇宙や深海へ行く理論を、彼女はすぐに完成させた。彼女は天才とか鬼才とか呼ばれてたけど、そんなものじゃないね。あれは異常者だったよ。ネジが何十本も外れてるんじゃないかと思うくらいの異常者だ。だからこそ、こんな機械を作れたんだ。でも、彼女の求めてるものはそれじゃなかった。それだったら、大雑把に言ってしまえば、ロケットで宇宙に行くのと変わらないからね。まあ、これでも充分凄いんだけど」
「ああ、凄いな。まるで欲望の塊だ」
「それは彼女にとって褒め言葉だよ」
モニターが切り替わる。
今度は機械の理論構築がびっしりと書き込まれている黒板と、それを前に笑う女性が居た。
白は少しだけ珈琲を飲む。まだ、熱さは残っていた。
「AIの構築。もっと突き詰めれば、彼女は機械に魂を入れようとしたんだ。そして、機械と人間が一緒になれば、新しい人間が生まれるのではないかと考えた」
「……成程」
白が再び解を見つける。
「女性だけが動かせるようにしてたのは、母胎が必要だったわけだ。ISと人が一緒になり、そして子供を宿せば、新たな子供が進化の可能性を秘めている、と」
「君は一段階早く行くね。話してて楽だけど。……その通り。機械と人間の融合と言っても、結局は違うもの同士だからね。だから、その二つを可能な限り一体化させて、その上で子供を作れば、機械の能力をも取り込んだ、進化した人類が産まれるのではと考えた」
「随分と望みが薄い可能性だ」
「彼女は現実主義者であり、夢想家であったのさ。機械の能力は必要だったけど、実際に使わなくても良かったというわけだ。子供を作るなら、僕としては男性側も重要なんじゃないかと思ったんだけど、彼女は必要としなかったらしい」
そして、彼女の手によって作られたのが、白式のコア。ただ唯一彼女自身の手で完成されたオリジナル。
「そして、その当日、彼女が死んだ」
事故だった。
信号無視をしたトラックに撥ねられ、全身を強く打ち死亡。痛みを感じる暇すらなかったそうだ。
「研究は中止になり、研究所は閉鎖。彼女の研究は他の分野でかなり貢献していたけれど、これに関しては夢物語、空想話と同じ。新人類なんてものに誰も金を出すわけもない。助手も僕以外に居なかった。僕だけがこの知識とコアを引き継いだ。色んな所を巡って、色んな場所に頼み込んだよ」
青年はそう言って、懐かしんだ目で、自分の手を見下ろした。
「正直、綺麗じゃない分野にも沢山手を出した。それでも、僕は残された彼女の夢を叶えることに専念した」
そして、今や世界を掌握することすら出来てしまった。
「でも、世界なんてどうでも良かった。僕がやりたいのは彼女の夢を叶えることだけだから。しかし、ISは未完成のままだったんだ」
「……人間とISをもっと近付けさせなければならなかった」
「そう。でも、僕にはこれ以上ISを発展させることは無理だった。僕の知識と技術では限界が見えていた。だから、僕は、人体の方に手を出したんだ。人造人間だよ」
彼女の知識でなければISは発展できない。だから、人間を機械に近付けることにした。そうして生み出されたのが、千冬を始めとした人造人間達。
「……そして更に、僕は彼女を生き返らそうと考えた。彼女の力を借りる為に。彼女にもう一度、生きてもらう為に」
それが篠ノ之束。
「クローン人間か」
「クローンの上に、様々な人間、様々な媒体から彼女の情報を一つ残らず掻き集めて、あの子の脳に送り込んだ。だから、あの子は幼い頃からISを作ることが出来て、ISを発展させることができる。でも」
青年は顔を俯かせて、その顔を両手で覆った。
「あの子は篠ノ之束であって、彼女ではなかった」
それは、懺悔か、後悔か。
「束は新人類なんかに興味はなかった。それどころか、他人に一切興味がなかった。考えてみれば当たり前だ。彼女はクローンとして生まれたのを自覚している。自分を見失った上に他人を信用出来なかったんだろう。生み出す為には人間の母体が良いと、篠ノ之夫妻の協力を得たが、お陰で両親にすら懐かない始末さ」
そこには愛が無いから。生まれて来たら元より天才の生まれ変わりとして扱われ、使う能力も技術も生まれ変わりで、引き継いだものとして扱われた。自分がやることなのに、ずっと、他人がやることとして扱われ続けた。どれ程褒められても、どれ程尊敬されても、それは自分ではなく、死んだ彼女に向けられたもの。
だから、束は妹の箒を愛した。唯一、何も知らず、無邪気に自分に笑ってくれる妹を愛した。
だから、束は千冬を友人とした。人造人間でありながら、自分の欲求に従い、自分から殻を破ろうとする姿に憧れた。
「彼女が生き返らなかったことに僕は落胆した。同時に、心の何処かで安心していた。死んだ人間は戻らないと。戻してはいけないのだと、分かっていたから」
そして、束が、事件を起こした。
白騎士事件。
「……あれは、頭を抱えたね。束を作って以来、罪悪感もあって、彼女達を意図的に野放しにしたけれど、あれは酷かった」
ISを認めない世界を、束は世界に見せつけた。
それはきっと、子供の癇癪のようなものだったのだろう。
私が作ったのだと、私の技術なのだと、誰かに認めて欲しかった。それだけだった。凄まじい戦闘能力を持つ。宇宙へ行けるマルチフォーム。そんなものは全てどうでも良かった。自分を認めてくれれば、それで良かった。
それだけで、良かったのに。
「世界はISを戦闘兵器として認知した。当たり前だよね。やり方がやり方だし、当然、世界は武力に目が行く。そして、家族はバラバラ。愛しい妹とも離れ離れだ。それが分からない程、束は子供だったんだろう」
だからこそ、ショックを受けて雲隠れした。
そして、やってしまった罪悪感か、それとも恨みか憎しみか、亡国機業と敵対する位置にいる。
「……それで、その尻拭いの途中が今というわけか」
「そうさ。結構大変だったんだよ?条約を作ったり、各国のISを抑えたり、世間の認識を戦闘兵器からスポーツに落とし込んで行ったり……。ISはそもそもそんなものに使われるべきじゃないのに、世間を納得させる為には妥協するしかなかった」
「御愁傷様だな」
「まあ、僕の罪だ。仕方ない。それに」
青年は疲れた笑顔で言った。
「子供の責任は、親が取らなきゃね」
「それが、私」
束は自らの境遇を全て語り尽くした。
……何で、こんな子に打ち明けているんだろう。
その疑問は何度も頭を過ぎったが、束はそれでも語り続けた。ずっと平坦な声で、態と感情を殺して、ひたすら淡々と語り続けた。
「…………」
ラウラは束の正面に座って、ジッと話を聞いていた。
「……笑えば良いじゃない」
束が顔を俯かせた。
「笑えよ!」
喉が裂けそうな慟哭が響いた。
「私がISを作った発明者だ!私がコアの構造は全部理解してる!私が世界を掌握してる!私が!私だけが!!」
ポタリと畳に何かが落ちた。
それを理解する前に、水滴が次々と跡を作っていく。
「何で!何で私を見てくれないの!何で私じゃないの!私は誰だよ!私を見てよ!こんな筈じゃなかったのに!何でこんなことになったのよ!」
その声は、ずっと溜め込んできたもので。
「そうよ!あなたの言う通りよ!私は危険なんて考えなかった!今回だってそう!ほーきちゃんが強くなれば良いって思った!ほーきちゃんが凄いって自慢したかった!それだけなのに!何でいっくんが死にそうになって、ほーきちゃんが死にそうになってるの!何で!分からないよ!どうすれば良いの!どうすれば良かったの!教えてよ!!私に、私を!助けてよ!!私は誰なの!!」
……教えてよ。
ふわりと、束をラウラが包んだ。
「……もういい」
ラウラは静かに言った。
「もう、彼女の真似をしなくても良い」
「……っ」
「彼女のクローンで悩み、そうやって苦悩しているのは、彼女ではなく、間違いなく篠ノ之束だ。だからもう、無理をして、彼女として生きるな」
「私がISを作ったんだ……」
束の呟きに、ラウラは穏やかに返した。
「それは、貴方のやりたかったこと?」
「……私は」
「貴方のやりたいことは何?」
「……分からない」
束は、小さく呟いた。
「分からない」
「なら、提案してやろう」
ラウラは体を離して、笑いかけた。
「箒と一緒に料理を作るんだ」
「料理……?」
「馬鹿にするなよ?好みはな、人によって全然違うんだ。その人の好みに合わせるというのは、どんな数学の方程式よりも難しい難問だ」
ISを作るよりも、ずっとずっと難しい。
「篠ノ之箒という妹がいるのは、間違いなく、篠ノ之束の証だよ」
その日、篠ノ之束は、初めて自分を理解した。