インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
今起きた出来事を掻い摘んで千冬に話す。千冬は皆の料理を食べながらそれを聞いた。
「やっぱりラウラが一番美味いな」
「千冬姉、真面目に聞いてる?」
「学園では先生だと……いや、休日だから良いか。聞いてるさ」
千冬は箸を置いて答えた。
「聞いたからこそ、驚いてるんだ」
その顔に笑みを浮かべて、答えた。
「まさか、ラウラが関わってるとは言え、彼奴が普通に食事しているとはな。本当に驚きだよ」
その言葉に全員が首を捻った。
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ」
千冬は語る。白の異常さを。その異質さを。
「奴は食の概念が無い。必要なのは肉体を維持する最小限の栄養源のみ。その舌は毒などの物を調べる為にある。故に味覚は存在するが、その舌には食事を楽しむ意味などない。美味い不味いなどの感覚は持っちゃいないし、そんな事を知らないだろう」
分かるか、と、千冬が説明を付け加える。
「例えば、ラウラのこの料理。奴にとってみれば、こうなるだろう。何の肉が使われていて、どの素材、どんな調味料が使われている。どんな工程で作られて、どんな風に作られたのか、全て理解できるだろう。そして、それで終わりだ」
「終わり……?」
一夏の言葉に、千冬は頷いた。
「それだけだ。味の良し悪しなど分からない。セシリア、お前、前は料理が不味かったらしいな。その料理でも無表情で淡々と食べられるのが白だ」
「私の料理で例えられるのは複雑なのですが……」
「すまん、気にするな。ま、美味しいや不味いは知識としてなら知ってる。他人の食事を見て、そいつが美味い不味いと思っているかも判断できるだろう。だが奴の体はその判断が出来ない。兎も角、これはどうしようもないことだ。何故なら、体が、体質がそうだから。どうやった所で変えることもできない。白は食べ物の美味しさを一生理解出来ないだろう」
昔、千冬は白がラウラの弁当を食べているところを見て揶揄って聞いたことがある。美味しいかと。白はその時にこう答えた。分からないと。
『教えてくれ、千冬。これは美味いのか?俺は分からないんだ』
その言葉に感情はない。
『俺は美味しいの一言さえ言ってやれないんだ』
その無表情では、何も伝えられない。
「…………」
その言葉に、沈黙が辺りを支配した。
「どうした?ラウラの料理が食わなきゃ冷めてしまうぞ?」
「……織斑先生はどうしてそんなに冷静なのですか?」
シャルロットの言葉に、千冬は平然と答えた。
「どうしようもないと言っただろう。私が気にしてどうする」
考えて、抗えて、変えられるのは肉体と精神のみ。生まれ持ったモノは何をどうしようとも変えることはできない。髪の色だって染めて誤魔化すことはできても、根元は変わらない。それと同じ。
変えられないモノも存在する。
努力も何もない。
不可能なものは不可能で、不変のものは不変のままなのだから。
どんなに努力しようと変えられはしない。
「白の根源は変わらない。それがラウラであろうとも、だ。奴は異常で、異質であり続けるしかないのさ」
「なら、何故、今の白さんは食事をするのですか?」
「ラウラが作ったからだ」
それが、ただ一つの答え。
「ラウラが作りたいからそれを食べるんだ。ラウラの自己満足に付き合い、彼女の笑顔を見て、幸せにさせる為に、彼女の料理を食べて一緒に食事を取る。ラウラの為に、白は食事をしているだけだ」
ずっと黙って聞いていた楯無は、顔を上げて聞いた。
「……それでも、嘘でも美味しいと言えないものですかね」
「それが言える性格だったら、奴は今頃生きていない」
「…………。へ?」
衝撃の発言に、ワンテンポ返事が遅れた。
「え、それは、どういう意味ですか」
「決まってるだろ。死んでるってことだ。自分の業を通して、他人へ嘘を吐くことが出来る精神を持っているなら、とっくの昔に死んでる。まあ、相手がラウラなら、遠い未来なら可能かもしれないけどな」
そんな柔な肉体ではなく、そんな柔な精神ではないから。その精神を一度崩壊させ、壊して、粉々にしてしまったから、今の白がいる。
千冬は白の過去の話を聞いていない。それでも、VTシステムの時のラウラを見れば、白にどんな過去があったかは朧気に予想はできていた。
今まで患っていたトラウマの原因は、底無しに深いことも、分かってしまった。
克服できても、その楔は彼の心臓に刺さったままなのだ。
「……先生は、何故それを教えてくれたのですか?」
「下手に隠すより教えた方が良いと判断したからだ。言っとくが、変な同情とか持つなよ。奴は他人の言うことなど興味もない。そうか、と言われて流されるのがオチだ」
白はそういう存在なのだから。
白は中庭に居た。芝生の中に座り込み、冷める前にラウラの料理を完食する。
「…………」
ほぼ同時に、後ろから足音が聞こえてきた。
「はい」
その影が缶コーヒーを渡してくる。月明かりの中に浮かぶラウラが目に入った。
「ああ」
白は缶コーヒーを受け取り、手の中で弄ぶ。ラウラは白の隣に座り、缶コーヒーに口をつけた。
「飲まないのか?」
「後で飲む」
「……そういえば、白はよく珈琲を飲むよな」
「癖だ」
「癖?」
白は長い息を吐いた。
「どんな所でも、俺は必ず目を向けられた。今では大分緩和されたが、雰囲気が異質だからな。そんな中で珈琲でも飲んでいれば、見る奴は少しでも人間性を見出し、勝手に安心する。だから、俺は会話の時など、人と相対する時なんかは飲み物をよく飲んだ」
いつの間にか、それが常習となり、癖となっていた。
「……しかし、ラウラ。お前、何故こっちに来た。あのまま向こうで楽しんでいれば良かったのに」
「私は白の側に居る」
「普通の生活くらい、普通に楽しめよ」
「お前と一緒なら良い。白と、一緒が良い」
白はそっとラウラの頭を撫でた。
「……そんな顔をさせる為に食事したわけじゃないんだがな」
ラウラは目に涙を溜めて、悔しそうな表情で唇を噛んでいた。
「俺が異常な事など初めから分かっていたじゃないか。俺は食事を美味しいと感じたことはない。そして、俺は嘘を吐けないし、お前には、嘘を吐きたくない。だから、美味しいとは、俺は言えない」
嘘であろうとも。嘘であるからこそ、白は何も言えない。
「分かっている」
ラウラは顔を俯かせて口を開いた。
「……分かってたんだ。私の料理が自己満足なことくらい。それなのに、それ以上望んでも仕方ないのに。白がそれに付き合ってくれて、とても嬉しかった。でも、それが結果として白を苦しめていたなら……」
「俺が苦しいと言ったか?」
「言わない。お前は何も言わない。黙って耐えて、壊れる直前で、崩壊の寸前で、そこで踏み込んで初めて、声を出す」
そうしなければいけなかったから。そう在り続けなければならなかったから。
昔なら、最後の最後まで耐えて、耐え抜き、それすら無にしただろう。そうして、粉々心を更に踏み潰しただろう。
「ラウラ。俺は確かに美味しさは分からない」
だけど、と続ける。
「お前が楽しそうに料理を作っている姿が好きだ」
白は横から、そっとラウラの頭を抱き締めた。
「俺が食べて、お前が笑っている笑顔が好きだ。食べさせ合って照れてるお前が好きだ」
……自分など、どうでもいい。
「料理を通して、ラウラが幸せになるのなら、俺はそれを望む」
ラウラが白に料理を作るのが自己満足でも。白が美味しいと感じられなくても。それでも、そこに幸せがなるのなら、それで良い。
「やっぱり白は変わってない」
ラウラは少しだけ体を離し、白の目を見て言った。
「お前は私だけの幸せを考えている。自分の幸せのことなんか、全然考えてない。二人で幸せにならなきゃ、意味ないじゃないか」
「ラウラが幸せなら、俺は幸せだ」
「私が言いたいのはそういうことじゃない」
「分かっている」
……だけどな、ラウラ。
「俺には何もない。……本当に、何もない。寝ることさえ難儀で、食事をしても何も感じられなくて、感情はほとんど死んでいて。お前が望む一言さえ言ってやれない。お前を抱くことさえ、こんなにも難しい」
普通でありたいのに。ただ平凡でいたいだけなのに。
それは、許されない。
「俺は、まだ一歩しか歩めちゃいない」
ラウラの所へ行き、その手を掴めた。彼女を抱き締める事が出来る。それでも、この足が動かない。共に歩み進めない。この足はただひたすらに重く、重過ぎて。
「俺は、まだお前の隣に立てただけだ」
白は初めて、この身体を疎ましく思えた。
「白……」
白とラウラはキスをした。
白が食べていた残り味が、ラウラの口に伝わる。
白はラウラに問い掛けた。
「美味いか?」
「ああ、幸せだ」
今はまだ、ここが、限界地点。
「なら、俺も幸せだ」
歪であろうとも構わない。
既に白は壊れてしまっているのだから。正常な形など既に無理なのだから。
だけど、それでも、幸せを望みたい。
一歩でも、少しでも進んでいこう。決してこの手は離さない。進むのだ。
二人で一緒に。
数分後、食堂へ戻ると、鈴が白に私を殴れと言ってきた。
「なんだ?マゾに目覚めたのか?」
「違うわよ!反省的な意味でよ!」
ラウラが千冬の姿を見つけて問い掛ける。
「何してるんですか、織斑先生」
「晩御飯を集りに来た」
「え、先生それが目的だったんですの⁉︎」
何だかんだ、騒がしく食事は再開された。お互いに謝ることも弁解も無かったが、それでも普通に騒ぐことが、何よりの救いだった。
白は、最後までラウラの料理しか食べなかった。