インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
白が目覚めてから翌日、久し振りの睡眠を取ったラウラは元気を取り戻し、いつも通りに制服に着替え、登校しようとした所を白に止められた。
「今日は休め」
「もう大丈夫だぞ?」
「精神的な疲労は肉体には見えん。かつ、本人が意識していない所で弱っていたりする。俺が目を覚ますまで衰弱していたのはどこのどいつだ?」
「私です……」
おかしい。つい先日まで寝ていた筈の白の方が何故強気なのだ。
「し、白だって昨日まで寝てたぞ……」
ちょっとだけ抵抗を試みる。
「そんな柔な身体ではない。精神もまた同じだ。それに、俺も休みを取るよう言われている」
「そ、そうか。でも、心配はいらん。皆にも迷惑を掛けたし、これ以上は……」
そそくさと白の脇を通り抜けようと動く。白が壁に手を付き、ラウラの道を塞いだ。ラウラに顔を近付けて言う。
「行くな」
「は、はい」
ラウラは思わず胸を高鳴らせ、素直に頷いてしまった。
……単純すぎるぞ、私。
制服から私服に着替えたラウラは手持ち無沙汰でベッドに座り、足をプラプラさせていた。
「何を遠慮している」
白の言葉に、ラウラがギクリと体を強張らせた。
「え、遠慮など……」
「俺がシロを愛していると言ったのを気にしてるのか?」
「…………」
図星を突かれたラウラは、言葉を詰まらせた。その様子に白は軽く息を吐く。呆れているかのような仕草だった。
「死人に気を遣ってどうする」
「そういうわけじゃない」
白の心はシロにあるのではないか。
そう思うと、心が痛かった。
身勝手な自分に、少し嫌気が差した。
白はラウラの隣に腰掛けた。
「俺はあいつを愛していて、憎んでいた」
ラウラは白の顔を見る。いつもと変わらぬ無表情がそこにあった。あの過去を振り返り、シロの死を受け入れてなお、白は変わらない。
変われないのかもしれない。
それとも既に、変わったのだろうか。
「多分、本当はもっと言葉にならない複雑な感情だ。アレは俺に似ていた。俺の二重人格を止め、感情を無闇に揺さぶり、そして、どうしようもなく壊れていた」
感情の無い声で淡々と続ける。
「俺は二重人格を目覚させない為に感情を殺して生き続けなければならなかった。だから、俺は無理にでも生きた。その為に俺を受け入れたシロに依存した」
一人では立ち上がれなかったから。支えを必要として。
「シロが壊れていたのは、元からだろうな。あの中で育った人間が普通の筈がない。シロは、拒絶を知らなかった」
あの実験全てを受け入れて、殺されそうになった原因の白を受け入れて、最後には自分の死を受け入れた。
拒絶の怠惰。
「それが、シロの処世術だった」
だから俺はシロが憎かった。
命の意味も死の本質も理解せず、全て受け入れたシロが憎かった。生死に執着していない姿が、自分を見ているようで嫌だった。
そして、愛おしくて。
「昔、色々な愛があると話したことがあるな。多分、俺とシロの間にあったのも愛だった。とても特殊な愛がな」
「…………」
「だが、俺はシロを殺せた。その死を受け入れられた。故に、もうシロを愛することも、憎むこともないだろう」
ラウラから言葉は無かった。何と答えれば良いのか分からなかった。
「……ラウラは、あの後、俺の過去の続きを見たか?」
「……いや、直ぐに目が覚めた」
「なら、聞かせてやろう」
どうせ、すぐに終わる話だ。
そして、お前には全て知っていて欲しい。
黒い少年、神殺しによるシロの殺害。
白の二重人格を封じる手立てが無くなり、裏世界は均衡を崩した。二重人格を引き起こさずにどうやって白を殺すべきか。裏政府も裏組織も、その一点に集約された。出た結論は、死の意識を与えぬ即死。白は誰かに殺される事を受け入れる意思を持った時、その瞬間に二重人格と入れ替わる。故に、例え自分が邪魔な存在と分かっていても、死を受け入れるわけにはいかなかった。相手を殺さない為に相手を壊すという矛盾。何より、自分という存在を生み出した裏世界を、このまま野放しには出来なかった。
白は、世界共通の敵となった。
そして、彼は向かってくる者全てを壊した。時に全身を動かせなくして、時に精神崩壊を起こさせて。ひたすら、壊し続けた。粉々になった自分の心を、ひたすら壊し続けた。何度も何度も何度も。
そこに、一切の感情は無い。
そして、生き残りの神化人間全員と白の戦いが行われた。
「正確に言うならば、戦うことができた神化人間達と、だがな」
結果。
戦闘中、白の二重人格が現れ、神殺しのみを残して神化人間全員死亡。シロを殺した神殺しとの相対で、辛うじて自分の意思を戻すことができた。神殺しの下半身を不随にし、決着が着く。しかし、一時的にでも二重人格に引っ張られた体が、二重人格に乗っ取られるのは時間の問題だった。
白は残された時間で裏世界を壊滅させ、最後に、海へ行った。
どんなに頑丈な体であろうとも、海中の圧力に敵わない。その事に賭けて、最後の手段に出る。
「長年溜め込んだ感情の爆発と、自分を殺す行為」
感情と殺しの二つの引き鉄を同時に引くことにより、二重人格を出す前に自身を殺す事に成功した。
白は自分の喉に触れる。
今はない刀傷を、思い返した。
「後は、深海へ沈み、俺の体も排除される予定……だったんだがな」
死んだと思ったのに。
やっと死ねたと思ったのに。
結局、死んだのは二重人格だけで、俺は生き残ってしまった。
全て捨てて、そして全てを失って。自分すら捨てたのに。
俺は、生き残った。
生きてしまっていた。
「この世界に落ちて、生きてしまった」
話し終えた白。言葉を発さないラウラ。
暫くの間、無言の時の流れだけが過ぎて行った。
「白」
ラウラは立ち上がる。白の前に立って、言葉を放つ。
「お前がやってきたことを正しいとは思わない。でも、どうしようも無かったんだろう。他の方法も別の道も無かったんだろう。だから、私はお前を責めることもしないし、何か言うことも出来ない。私にも、どれが正しかったのか、どうすれば良かったかなんて思いつかないから」
ラウラは、顔を上げた。
「だから、これは私の自己満足だ」
ラウラは白の頰を叩いた。
甲高い音が一つ、部屋に響く。
「白、お前は狂えてしまえば楽だったのだろう。自分を失ってしまえば、幸せだったんだろう。でも、それが出来なかった。出来ずにここまで来てしまった。きっと白の根源はもう変えられないし、変わるものでもないと思う」
でも、それでも。
「生き残ってしまった、なんて言うな。私は、白に出会えて良かった」
「…………」
「私は白に救われた。そこにどんな意味があったにせよ、お前は私を救ってくれた。そして、白の力に憧れて、依存しかけて。それも間違いだと正しくしてくれて、本音を話してくれて。その心の内にある弱さを知った。だから、私は白を救いたかった。白の側に居たかった。白の隣に立とうと決めた」
白は顔を上げる。
「いつしか、私はお前に惹かれていたんだ」
ラウラは真っ直ぐに白を見ていた。
「私は」
「ラウラ」
ラウラの声に、白は被せて発言した。
その声は、淡々としていて
「俺は最初、お前の姿に、俺とシロの姿を幻視した。だから助けた。だから、受け止めた。俺のようにならないように、必死に繋ぎ止めた」
感情も感じられなくて
「もう大丈夫と判断し、距離を置こうとした。でも、それが出来なかった。俺は自分がどうしたいのかも分からなくなっていた。俺が出来なかったことをやってるお前が羨ましかった。眩しかった。いつしか、ラウラは俺の側に居てくれて、俺の感情すら徐々に取り戻させてくれた」
ただ、無表情で
「そして、怖くなった。お前を失うことを。怖かった。俺は自分の心を疑った。シロとラウラを重ねて見ているんじゃないかと。ただの依存じゃないかと、どうしようもないほどに自分を信用出来なかった」
それでも、その心だけは。
「今、俺はシロを殺せた。その死を受け入れた。トラウマを受け入れることができた。故に、俺は、俺の感情を理解した」
ただ唯一の変化を。
俺は俺を受け入れよう。
その心を認めよう。
この感情を、認識しよう。
「だから、この心情を理解出来る。……やっと、言える」
白は立ち上がった。
手を伸ばし、ラウラの眼帯を外す。
互いの両目が、互いを見つめた。
「俺は、ラウラを愛している」
ラウラが何か言おうと口を開いて。
その口を、白の口が塞いだ。
驚くラウラは数歩下がるが、それでも白は離さない。
後ろのベッドに足を引っ掛け、ドサリとラウラがベッドに倒れ込む。
「……ズルい」
ラウラは小さく呟いた。倒れた衝撃で白いシーツの上に、綺麗な長い銀髪が広がっていた。キスで口を塞がれていた所為で呼吸がやや荒い。その白い頰を赤く染め、潤んだ瞳は白を写し込む。
「返事くらい、させてよ」
白はラウラの顔を挟むように両手を付き、彼女の上に覆い被さった。
ギシリ、とベッドが鳴る。
その瞳が絡み合う。
「言葉など必要ない」
「私が、言いたい」
ラウラは微笑んだ。
一つの想いを、その一言に込めて。
「愛している、白」
白の表情は動かない。
動かない表情を、人生で初めて疎ましく思えた。
「……俺は、欲求が薄い。だから、一つの物があれば、俺はそれで良い。……ラウラ」
囁くように、自身の全欲を持って、心の底から、一言だけ告げる。
「俺は、お前が欲しい」
はい、とラウラは、その想いに応えた。
誰もいない静かな部屋で、二人の唇が重なり合った。