インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

38 / 163
この闇の中で

「…………」

白の視界に海が広がっていた。

静かな波音だけが、耳に響く。

「……ここは何処だ?」

「私の中」

白が振り返る。白い髪の少女がそこに居た。その姿に一瞬のデジャヴを感じるが、彼女ではないと心で否定する。

「お前は、何だ?」

「私は、私。そうね、ここは精神世界のようなものかしら」

少女が歩み、波打ち際へと立つ。波が彼女の足に当たり、覆い尽くす。

「貴方は織斑一夏、織斑一夏はラウラ・ボーデヴィッヒ。ラウラ・ボーデヴィッヒは、貴方の中に居る」

「何だと?」

「今頃、それぞれの過去を見ている頃じゃないかしら」

早く行ってあげなさい。

「彼女の心が壊れてしまう前に」

 

 

 

子供の白と別の子供。

二人はそれぞれの武器を取り、殺し合った。相手を殺した白は研究員達のところに戻り、拍手を贈られた。

『おめでとう』

『良くやったね、偉いぞ』

『ちゃんところせた?』

『ああ、次はもっといい方法があるから、それを教えてあげよう』

『ありがとう!』

ラウラは悪い夢でも見ている気分だった。夢ならどんなに良いことか。だが、これはきっと現実で起こったことで、白の過去の記憶なのだ。

ラウラは既に何十回、何百回と同じような光景を見ていた。他にも、人間の解体や薬物の実験も腐る程見た。白が行う全てを見続けた。

悪意もなく、ただ純粋に人を殺し、解体し、実験していく。

当たり前のように。

白は健気に努力して、頑張って、その実力を伸ばしていった。

ラウラの顔は酷く疲れきりってしまっている。それでも、ラウラは見続けた。彼の過去から目を背けることだけはしなかった。

白の動きが、回を重ねる毎に洗練されていくのが、ただ悲しかった。

自分の感覚と白の感情が混ざり合うような感触に、ラウラは内心危ないと危機を感じながらも、白の光景を見続けた。

『ねえ、しんじゃったこはどうするの?』

『ごみ捨て場に捨てるんだよ』

『ふーん』

『さ、お母さんの所へ行って来なさい』

『うん!』

白が部屋から出て行き、ラウラもそれについていく。

『おかあさん!』

『おかえり』

ある部屋に辿り着くと、そこには白の母親が居た。無論、本当の親ではない。親の代わりをしている人、と言うべきか。

『きょうもじょうずにころせたよ』

『……そう』

母親は悲しげに目を伏せた。

この母親が悲しんでいるのも何回も見た。この女性にどのような経緯があったかは知らない。それでも、この女性は普通の人と同じく、人の死を悲しんでいる。

『……あのね』

『うん!』

母親が白の目線に合わせ、語りかける。

『それは、いけないことなの』

『…………ほめてよ』

『我儘を言わないで、お願い』

『なんでほめてくれないの!』

『それは良くないことなのよ。きっと、いつの日か後悔する。だから……』

『……っ!もういい!』

白が喚き声を上げた。

『なんでおかあさんだけほめてくれないの!ほめてほしいのに!おかあさんに!なのに!おかあさんだけが!なんで!』

白の努力は全て一点にあった。

お母さんに褒められたい。

たった、それだけのことだったのに。

『私は……』

『もういい!おかあさんなんてしんじゃえ!』

扉を開けて飛び出していく白。母親はただ悲しそうな目でそれを見送った。

またも場面が切り替わる。

先程の続きのようで、向こうから白が走ってきた。一人の研究員とぶつかってしまう。

『おや、どうかしたのかね?』

『おかあさんがほめてくれない!おかあさんがころしはいけないっていうの!』

不味い、とラウラの顔から血の気が引いた。

『何だと?』

研究員の目が鋭くなる。当たり前だ。此処では、殺しをいけないなどと教えてはいけない。そういう場所なのだ。

それが規則で。

それが教育で。

それが、常識なのだから。

「駄目だ、白!」

その声は届かない。

『おかあさんをころして!』

だから、母親が異常だと知られてしまった。

『ああ、殺してあげるよ……』

再び場面が切り替わる。

いつものように殺しを終えた白が部屋へ戻ってきた。

『ただいま』

『おかえり』

そこには、母親とは別の女性が居た。

『……え?』

『どうしたの?』

『おかあさんは?』

『ころしたわよ』

ドクリと、鼓動が聞こえた。

『ころした……?』

『ええ、死んだの。だから、今日から私が新しいお母さんよ』

『しんだ?』

『今日も上手に殺せたんだって?偉いわね』

『ちがう……』

白が一歩下がる。

『ちがう!』

白は部屋から飛び出した。

そして、彼がやってきたのはごみ捨て場だった。

乱雑に積み重なれられた死体の山。壁や床はこびりついた血の跡で変色していた。見ているだけで気絶してしまいそうな死が、人間の成れの果てがそこに広がっていた。

むせ返るような死体の山を白は掘り進めていく。

肉を掻き分け、ぐずりとした感触を、肉を引き千切り血を滑らす感触を手にしながら進んで行く。

異臭も汚れも厭わずに、ただ母親だけを求めて。

『おかあさん?おかあさん?』

引き摺り出した一つの物。

かつて母親だった、首だった。

『おかあさん、ごめんなさい。あやまるから、もどってきて』

きっと、この母親が居なければ白は異常なままでいられただろう。殺しも死も何事もなく受け入れただろう。狂気を抱えたまま正常でいられただろう。

だが、殺しはいけないと、一人の教えがあった。彼にとって、たった一人の母親の、愛した人の教えがあった。

『おかあさん……』

故に、彼は理解してしまった。

殺しの意味を。

死の本質を。

その異常を。

『うそだ……』

ラウラは、それを見ていることしか出来なかった。

『うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ』

ぼとりと、彼の手から首が落ちた。

『ん?誰か居るのか?』

一人の研究員が蹲っている白を発見した。

『どうした?』

白の肩を叩く。

その手が捻り切れていた。

『え?』

研究員の首が捻り切れていた。

そこに既に白の姿はない。

「え?」

速すぎてラウラの目にも追えなかった。

場面が変わる。一瞬、割られたガラスケースが目に映る。双剣を手にした白がいる。

「いや、あれは」

その子供の目は、白く染まっていた。

「二重人格……」

死を受けいられなかった白の心が、別の人格を作り出した。

場面が次々に入れ替わる。

『早く、早く奴を殺せ!』

『何故だ!何故これほど神化人間がいるのに殺せない!』

『助けて!たす』

疾風のように、それは駆け抜ける。通り道には屍体と血が溢れていた。

何故殺す?

何故死なす?

何故褒めた?

そうか、知らないのか。

お前らも知らないのか。

殺しの意味を。

死の意味を。

なら、教えてあげよう。

俺が、殺してあげる。

広い天井に、広い敷地。この施設で最も大きなこの部屋は今、阿鼻叫喚に包まれていた。

それが移動すれば五人が死に、それが動けば十人が死に、一振りすれば三十人が死ぬ。

微塵の躊躇いも慈悲もなく、ただ殺す。殺して殺して殺して殺して。

数分後には、何の声も聞こえなくなった。そこら中に積み重なった死体の山。下には真っ赤な血が海のように広がっている。

中央に、彼は立っていた。彼だけが立っていた。

孤独に一人、立っていた。

もぞりと、山の一つから1人の影が動く。それが動き出そうとすれば、彼はその人間に襲いかかった。

それは少女だった。

白い髪の少女。

白と同じ、白い姿。

同じ、人間。

その少女に双剣が突き刺さる。

赤い血が、二人を濡らした。

少女が倒れるのを、赤い瞳の彼は、茫然と見ていた。

「……あ」

咄嗟にラウラは駆け出した。

あれは白だ。二重人格じゃない。

駄目だ。理解してはいけない。

駄目だ。駄目だ!駄目だ!!やめろ!考えるな!

『え……』

僕が殺した。僕が死なせた。僕が、全部、全部?

無数の屍体の山。血の海。そこに、生きている者はいない。誰一人として。全員死んだ。全員殺された。

誰の手で?

「駄目だ!白!」

抱き締めようとするが、当然その体は擦り抜ける。

『あ、あ、あ……』

ラウラはそれでも尚、白のことを抱き締めようと必死にもがいた。

「駄目だ、駄目だ……!ああ、お願い、お願いだから、考えちゃ駄目……!」

涙を流し、懇願にも似たその想いは、決して過去を越えられない。

「白……!」

『ああああ』

僕が、殺した。

これを殺した。これを死なせた。人を殺した。人を死なせた。

愛する母親と、同じ様に。

『あ あ あ あ あ あ あ あ あ』

これが、死。

『ああああああああ!!!!!』

死。

 

絶叫が轟き、世界が割れた。

 

今、彼の心は、死んだ。

「う、ああ……」

真っ暗な世界の中、ラウラは地面に四肢を付き、泣き崩れた。

「何で、こんな……」

彼は教えられただけなのに。それを実行しただけで、そして、心を壊して。

「こんなことって……!」

再び世界が光を取り戻す。

先程と全く同じ光景の中で、白はそこに座っていた。

その白は、無表情で無感情で、ただそこに居た。それは、ラウラが最初の頃に出会った白そのものだった。何もない。本当に、何もない存在で、ただそこに在る。

『う……』

白い少女が目を覚ます。

最後の彼女だけは、生きていた。

『私、生きてる……』

『ああ……』

掠れた声で少女は尋ねる。

『何でこんなことしたの?』

『…………』

そこに答えは無かった。

『あなたの、名前は?』

『……神の刃と呼ばれていた。もう、今は何者でもない』

『なら、名前、付けなきゃね』

少女が笑う。こんな時でも、少女は笑って見せた。

『白……ビャクって、呼んでいい?』

『好きにしろ。お前の名は何だ』

『神の盾……。でも、もう私も何者でもない』

『なら、白……シロと呼ばせてもらおう』

一人の神化人間の暴走。

その結果は裏世界に多大な影響を与えた。

シロとビャクは裏政府に回収され、その下で働くことになる。シロはビャクの二重人格から引き戻すことが出来た存在として重宝された。つまり、いざという時の為の保険だった。彼女がいるからこそ、裏政府も安心してビャクを使うことができた。

二重人格の引き金が殺しと感情と分かり、彼に殺しの任務は一切こなかった。

たまたま出口付近にいた数名の生き残りである神化人間。

裏政府に属す者もいれば、そのまま裏組織を転々とする神化人間もいた。

『ビャク』

『何だ』

『笑って』

そんな事を、時たまシロは繰り返した。確かにシロがビャクを戻したとはいえ、あまりの危険なお願いである。

『私と一緒なら大丈夫なんでしょう』

だから

『泣いてもいいよ』

車椅子生活を余儀なくされたシロは、それでもずっと笑っていた。ビャクはずっと無表情だった。

時には公園まで散歩することもあり、ラウラはそれに着いて行く。

二人の軌跡を、ずっと辿って行く。

「……何で」

ラウラは悲痛に声を上げた。

「泣けば良いじゃないか!」

聞こえない。分かっていても、それでも叫ばずにはいられなかった。

「シロと一緒なら大丈夫なんだろう!なら泣けば良い!悲しめば良い!理不尽だと嘆けば良い!何で無理をするんだ!何で何も言わないんだ!ずっとずっと無理をして!ずっとずっと感情を殺して!我慢しなくて良いじゃないか!」

泣き叫ぶラウラ。幼い子供のように、泣きじゃくった。

「怖かったんだ」

ハッと顔を上げる。

シロとビャクの背中の向こう。

ラウラを真っ直ぐ見つめる白が居た。

「また二重人格が現れて、彼女を、シロを殺してしまうことが怖かった。その恐怖も、感情の処理として殺し続けた」

白がラウラの前まで歩み寄る。

「幸せを感じられない幸せは、不幸でしかない」

故に、この平和な光景も、あの頃の彼にとってはただの苦しみだった。シロと共にいることは、苦痛でしかなかった。

場面が切り替わる。

「ここは……」

薄暗い部屋の中、シロが日記を書いていた。本はパタンと閉じられ、引き出しにしまわれる。

『……何か用?』

『殺しにきた』

開いた窓辺に、黒い髪の少年が居た。

『そう』

『……抵抗しないのか』

『必要なことなんでしょう?』

白が小さく言葉を紡ぐ。

「裏世界は神化人間達の所為で均衡を保っていた」

「え……」

「裏世界が成長を続け、表世界まで顔を出すようなってきていた。このままでは、世界は何れ壊れてしまう。だから、問題となっている神化人間の均衡を崩す必要があった。つまり」

「ビャクの二重人格を抑えている、シロの死……」

「そうだ」

だから、と白は続けた。

「俺は、見殺しを選択した」

「え」

なら、今見ている、この場面は……。

『抵抗すれば良いだろうが!生きたくないのか!』

『死んでもいいよ』

シロは笑った。壊れた笑顔で笑った。

『それで、ビャクが苦しみから解放されるのなら、それでいい』

『……奴が二重人格から解放される保証はどこにもない。寧ろ、お前がいなくなることで二重人格に呑まれる可能性が大きい』

『……それでも、二重人格に苦しんだまま生きていかせるより、僅かな可能性に賭けたい』

そして出来るなら

『いつか、彼を受け入れてくれる人と出会えることを祈ってる』

シロが目を瞑る。

『さようなら、ビャク』

少年は剣を振り上げた。

「やめて!」

ラウラは少年の前に踊り出す。

剣が振り下ろされた。

白の足元に、シロが倒れた。

「…………」

黒い少年は苦しそうに顔を歪め、窓から飛び降りて行った。

「……そうか」

白が呟く。

「お前は、こうやって、死んだんだな」

「白……」

ラウラが振り返る。白はただ無表情で、シロだったものを眺めていた。

「……やっと、看取ることが出来た。やっと、お前を見殺しに出来た。やっと、やっと」

やっと、シロを、殺せた。

「…………ああ」

良かった。

そう呟いた白が、その場に膝をついて崩れ落ちた。

「白!」

「……愛していた」

駆け寄るラウラの足が止まる。

「愛して、そして、憎んでいた」

心の底から、愛していた。

心の底から、憎んでいた。

自分を受け入れて、そして、感情を生み出すシロ。

感情を殺して殺して、それでも、この想いだけは消せなくて。

いつかそれも分からなくなって。

思い出しても取り戻せなくて。

だから、だから、もうこれで終わりだ。

もう、終わったんだ。

終わらせることができた。

「………白」

「さようなら、シロ」

俺はお前が大嫌いで大好きだった。

もう二度と会う事もない。

お前の死を、俺は受け入れよう。

さようなら、愛しくも憎い人よ。

ありがとう。

お前を殺して、俺は生きる。

「これで、もう二度と、シロを憎愛することはない」

「…………」

「ラウラ」

白はラウラの肩を掴み

「先に、行って、待っててくれ」

トンと、軽く押した。

「白っ……!」

ラウラは落ちていった。

「待っててくれ」

白の声だけが聞こえる。

「必ず、お前の所へ行くから」

黒い闇に飲まれて、ラウラの姿が見えなくなる。

いつしか、白は真っ暗な空間に居た。

「いるんだろう、情報屋。いや、神の眼」

暗闇の向こうから、一人の少年が姿を見せた。首から上が闇に紛れて確認出来ない。

「何故分かった?」

「これは俺の記憶じゃない。俺の記憶なら、シロの死を見れない。これは神殺しとシロだけの記憶だろう。なら、お前が引っ張ってきたに他ならない」

神の眼。

人の記憶を操り、読み取り、弄る神化人間。

その本質は、目を見ることで他人に自分を潜り込ませ、脳内の一部に自分の因子を潜り込ませる事。つまり、人口の数だけ神の眼が存在し、同じ数の人間が居る。やろうと思えば体と脳の支配すら出来るだろう。

そして、このように他人の記憶を共有できる。それは人間だけに留まらず、全ての生物に通ずる。つまり、彼は全ての知識を有し、全ての生物であるのだ。

神化人間の唯一の成功作。

「その通りだ」

「俺にも潜り込ませているとはな。それで、この世界の情報は掻き集めたのか」

「ああ、何とも面白い世界だったぜ」

神の眼は単なる知識だけを求めた。

入り込んだ人間をどうするかなど微塵の興味もない。世界を掌握できるにも関わらず、そんなことに一切関心はない。ただの、知識に貪欲な神だった。

「何故、俺をこの世界に落とした」

「意図してやったことじゃない。たまたま、最初にこっちに来ていた俺の因子と、お前の中に居た因子が惹かれ合った結果だ。まあ、良かったじゃないか」

ここでなら、幸せを掴めるかもしれないだろ。

そう言って、彼は笑った。

「……この世界の情報を寄越す気はあるか?」

「無いね。怠けちゃいけないぜ、白よ。貴様の事は、貴様で解決しな」

「元より期待もしちゃいない」

白は立ち上がる。

「今回の事は感謝している」

自分の力だけで立ち上がる。

「だが、もう用済みだ」

待っている彼女の元へ、歩いて行く為に。

「俺の中と、ラウラの中から出て行け」

白は己が双眸で神の眼を見た。

神の眼に支配されているのなら、支配し返す。

貴様にある二重人格の恐怖、トラウマを利用して。

「……はっ、流石は」

神の眼は最後まで言い切ることなく、霧散して行った。

白は歩く。彼女の側に行く為に。彼女の隣に立つ為に。

その暗闇の中で、ラウラという光を求めて。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。