インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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願いの代償

沢山の大人がいた。

『良くやった』

沢山の子供がいた。

『凄いね』

一人の女性が居た。

『それはいけないことなの』

一人の少女が居た。

『貴方の名前は何?』

笑っていた。笑顔が溢れていた。大人達が口々に称賛の声を上げた。足元には血溜まりができていた。子供達が凄いねと囃し立てていた。足元に転がっていたモノはゴミ処理場所に捨てられた。周りの人間達が拍手した。

褒めて。褒めて。

良くやったと褒めて。

『良くやった』

大人達が沢山居た。

子供達が沢山居た。

一人の女性が居た。

『それはいけないことなの』

誰もが目の前で血だらけになった。なって崩れて積み重なる。山が出来る。ただの肉になる。

いくつもの山が出来て、出来て、出来て、出来て。

赤い海が広がって、鏡のように天井を写す。

目の前に白い少女が立っていた。

『貴方の名前は?』

下を見た。鏡の赤い血が反射して自分の顔が見えた。

同じ顔をした白い瞳が自分を見ていた。

 

 

 

「白!」

目を開く。

薄惚けた視界一杯に、少女の顔がある。

誰だ?いや、何故だ?

おかしい。

嘘だ。

「……何故だ?」

掠れた声で呟いた。

「何で、生き残りがいるんだ?」

だって、殺したから。

殺し尽くしたから。

居る筈がない。

生者がいるわけがない。

少女は答えた。

「……お前が助けてくれたからだ」

「…………助けた?」

誰が、誰を?

「そうだ。お前が助けてくれたから、私は此処にいる」

助けた……。

少女は俺に覆い被さるように上になり、両手で彼の顔を挟んでいた。

他の物が視界に入らないように目を合わせ、俺の瞳の奥をジッと覗き込む。

「私が誰だか分かるか?」

誰?

誰?お前は。

お前は……。

「……ラウラ。ラウラ・ボーデヴィッヒ」

「そうだ。お前は誰だ?」

誰……?

神化人間。

神の欠片。

神の刃。

ビャク。

ナイフ使い。

どれだっけ。

今の俺は、何だっけ。

「……白?」

「そうだ。息を吸え、ゆっくりと。深く吸うんだ」

俺は素直にそれに従う。

「限界まで吸ったら、大きく吐くんだ。ゆっくりと。それを何回か繰り返せ。焦らなくて良い」

俺は深呼吸を何回か繰り返した。

「私が誰だか分かるか?」

「……ラウラ」

「そうだ」

「ラウラ」

彼女の名を呼び布団から手を出す。

「お前は生きているよな?死んでないよな?」

手を彼女の頰へ添えた。凍えるような冷たい手から、ラウラの体温が伝わってくる。

「生きてるよ」

「ああ……」

 

 

良かった。

そう呟いて、白は再び目を閉じた。白の手が布団に落ちる前に片手で支え、そっと下ろす。口元に手を当てて呼吸を確認する。静かではあるが、安定した呼吸だった。

朝日が顔を出し、窓から薄っすらと日が差し込んでいる。夏が近付いてきた時期で、少しだけ湿気が部屋の中を充満していた。

「……膝枕の時と同じか」

感情を出したせいだろう。我儘というトラウマ行為が、かつての記憶を呼び起こし、彼を苦しめた。

ラウラが白の異変に気付いたのは偶然だった。軍の習慣で早起きした彼女は、何故だか嫌な予感がして白の寝顔を覗き込んだのだ。

白は魘されてもいなければ震えてもいない。しかし、その顔が青白く、体温がどんどん急激に冷えていった。息も弱く小さくなっていく。脈拍が妙に早く、波打つ感覚はとても小さい。

このままでは死んでしまうのではないか。

そんな不安に駆られたラウラは眠りから起こすべく、必死に名前を呼び続けた。

『今は白と名乗っている』

彼のその言葉が脳裏に過る。それは今まで別の名前を使っていたという事だ。きっと、彼にとって名前はただの名称であり、自身のものとしていない。かつて名前の無かったラウラには、それが理解できてしまった。名前だけでは効果が薄いと判断したラウラは、彼に覆い被さり、両手で彼の顔を挟み込んだ。

少しでも自分の体温が伝わるように。少しでも自分の存在を伝えるように。

結果として、彼を眠りから呼び起こすことが出来た。記憶の混乱が見られたが、一先ずは安心していいだろう。

「白……」

お前に何があったのか。一体何がお前を苦しめているのか。

それを知りたいと思うのは傲慢なのだろうか。

過去を知り、トラウマを助けてあげたいと思うのは我儘なのだろうか。

苦しんでいる白など見ていたくはないのに。どうしてそこまで一人で抱え込んでしまうのだ。

頭に触れ、その髪を梳く。さらりとした手触りの向こう、肉体では越えられぬ苦痛がある。

「せめて、今は……」

ラウラはそっと唇を白の額に落とした。

その眠りが安らかであることを祈りながら。

白から離れて制服を着込む。時間はまだ早いが、職員なら既に仕事を始めているだろう。出る前に白の布団をかけ直し、静かに扉を閉めた。

 

 

「延期か」

職員室へ赴いたラウラは仕事をしていた千冬に相談を持ちかけた。本来なら、ラウラは今日から授業に参加する予定だった。それを遅らせることは出来ないかと尋ねたのだ。

「理由は?」

千冬はまず、否定せずにその訳を聞いた。ラウラは少し視線を彷徨わせ、小さく言う。

「ここでは、少し」

「……廊下で良いか?」

「はい」

揃って廊下に出ると、千冬から切り出した。

「白に何かあったか?」

ラウラは昨日の夜の出来事から、今日の朝の事まで細かく説明した。

彼が我儘を言ったこと。抱き締められたこと。その反動の所為か、過去の悪夢を見たと推測できること。急激な体調の変化。記憶の混乱。

一通りの説明を聞いた千冬は眉を揉む。

「……我儘一つでそれか。トラウマの反動がそれ程とはな」

しかも、我儘と呼べないほどの、小さな願い。

トラウマというより、呪いに近い。

「今、奴はどうしてる?」

「寝ています。出来るなら、今日だけでも白に付きっ切りで居てあげたいのです」

「…………」

千冬は頭の中で予定を確認し組み直していく。

「……良いだろう。通学は三日後からで良い」

「…………。三日後に、何かあるのですか?」

ラウラは千冬にある僅かな裏を感付いた。

「鋭いな。明日にはその説明が出来る。今は白の看病をしてやれ」

「はい。……序でと言っては何ですが、お願いがあります。制服でズボンの着用は可能でしょうか?」

意外な話を振られ、少しだけ首を傾げる。

「可能か不可能かで言えば可能だ。ある程度の改造も許されている。しかし、その必要があるのか?」

よもやスカートが恥ずかしいとは言わないだろう。そんな性格ではないし、今のラウラの目付きは軍人のそれに近い。

「戦い易くする為です」

戦いという言葉に千冬が闘気でラウラを威圧する。しかし、ラウラは怯まない。例え千冬であろうとも、最早そんな事では、彼女を抑えることは出来はしない。

「あの無人機の件もあります。白は必要になれば戦うでしょう。彼が戦えば、戦う姿を目撃されてしまえば、彼の人生は普通の生活など不可能になってしまいます。それだけは駄目です。何があっても、阻止しなければ」

「だから、お前が戦うと?」

「そうです」

決意の篭ったラウラの言葉。

千冬はその意図を汲み取り

「この大馬鹿者」

一蹴した。

固まるラウラに、千冬は力を込めた言葉を続ける。

「何の為に白がお前を入学させたと思っている」

「それは……」

私に、普通の生活を……。

ラウラはハッと気付き、目を見開いた。

「そうだ。お前の普通の生活とやらはどうなる。お前が戦いを選んでは、それこそ、白の想いを踏みにじる行為だ。戦い易い為にズボンだと?却下だ却下。貴様はずっと淑女のようにスカートを履いて優雅に紅茶でも飲んでいろ」

「で、ですが……」

「それにな。外敵から守るのは我々教師の役目だ。外部者である用務員はもちろん、生徒にそんな真似などさせはしない。何でも一人で解決できると思うなよ。お前はまだ子供だ。子供なら、大人に頼ることを知れ。生徒なら教師に教えを請え。疑問に答え、間違いを訂正し、正しく導いてやるのが大人であり教師の役割だ。分かったらサッサと部屋に戻れ。この馬鹿者」

千冬はポンと軽くラウラの頭を叩いて、職員室へ戻った。ラウラはその背中に、深く頭を下げた。

ラウラは部屋へ戻り、鍵を開けてドアノブを回す。

白のベッドがもぬけの殻になっていた。

「…………⁉︎」

自身の顔から一気に血の気が引く。

何処へ行ったのだろうか。そもそも、彼が自分の足で出て行ったのかも分からない。今の彼なら誰かが運んで行くことも出来ただろう。白の体温はかなり低くなっていた。ベッドの温度を確認した所で居なくなった時間は分からない。

白……!

「ラウラ?」

「!」

洗面台から顔を出す白。

服装がパジャマからいつもの服に変わっている。ただ、着替えていただけだったらしい。

「何してんだ?今日から授業だろ」

「あ……」

力が抜けたラウラが、その場に座り込む。その様子に白が近付き、片足をついてラウラに目線を合わせた。

「どうした?」

「どうしたって……」

いつもと変わらない白の反応に、ラウラは呆然と呟いた。

「覚えてないのか……?」

「何を」

「今朝の出来事を」

白は顎に手を当てて逡巡するが、軽く頭を振る。

「俺の記憶では、起きたのはさっきだ。起きたらラウラは居なかった」

記憶の混乱?

ラウラの思考が回転し、深く入り込み、そして回答を導き出した。

……違う。混乱などではない。

かつての白は感情が引き金となり二重人格と入れ替わるようになっていた。それをしない為に感情を殺していた。自己防衛反応として。恐らく、白は意図的だけでなく、無意識下でも感情を殺し続けていたのだ。

つまり、感情が動く記憶は、全て排除されている。

白が自ら寝るのは、記憶を消す為なんだ。

『珍しいな、白が覚えていないのって』

この前の自分の言葉が蘇る。

違う、覚えていないのが珍しいんじゃない。逆だ。記憶を忘れたことを覚えてる方が珍しかったのだ。

それはつまり、彼が普通に近づいてきてるということ。

それは喜ばしいことだろう。

しかし、それでも、何だこの仕打ちは。

だって、一つのトラウマと向き合ったのに。たった一つの小さな我儘を言っただけなのに。心が壊れそうな決意をしたのに。

それすら、無かったことにされてしまうのか。何事もなかったかのように、白く塗りつぶされてしまったのか。

「白……」

ラウラは、聞きたくない答えを聞く為に、その問い掛けをした。

「貴方は、幸せだった?」

「いいや」

昔、誰かに同じ質問をされたことがあったのだろう。

迷う事なく紡がれた言葉は

「幸福な時など一切無かった」

とても残酷だった。

かつての彼が罪を犯したのは何となく分かっている。でも、何故ここまで苦しまなければならない?何故、こんな目に遭わなければいけないのか。充分苦しんだじゃないか。造られてから人間らしい生活はできず、感情を殺し続けて、人形のようにただそこにいるだけで。まともに生きることも死ぬことも許されなくて。それでも足りないのか。まだ足りないというのか。

もう、良いじゃないか。

もう、休ませてあげてよ。

もう、許して。

「ラウラ」

白が指の腹でラウラの頬を撫でる。自分が泣いているのだと、そこで初めて自覚した。

「何故泣く」

私にはそれしかできないから。

「白の代わりに泣いている」

これしか、出来ないから。

ラウラは両手で白の顔をそっと挟んだ。

「私が誰だか分かるか?」

「………?ラウラだろ」

「貴方は誰?」

「………。白だ」

思い出して。それはきっと辛くて苦しいこと。

でも、忘れてはいけない。

貴方の歩んだ一歩を、無くしてしまってはいけない。

「私が誰だか、分かる?」

「……ああ」

白は少しだけ目を瞑った。

霧のような記憶の底で、霧散してしまった欠片が言葉を紡ぎ出す。

「ラウラ。お前は……生きているのか?」

「ああ、生きてるよ。……生きるよ。白と一緒に、生きる」

なら、良かった。

白はそう言って俯いた。頭を垂らし、前髪で目が見えなくなる。

まるで泣いているかのようかその仕草に、ラウラは彼の髪に、そっと静かに口付けた。


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