インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
白がIS学園へ来て3日目。
白の立場は非常に微妙なものになっていた。
IS学園を襲った無人機のISという貴重な情報。幾つもの国の国境を越えた領空侵犯。そして、何事もなく日本まで着いてしまったという事実。
この情報は政府を脅す武器にもなれば、自身を殺める爆弾にもなりうる。
「俺を解雇してください」
それが白の提案であった。
まず、白が今日本にいることを政府に知られてはいけない。それがバレれば政府がそれを隠す為に白を消そうとしてくるのは予想がついている。
成り行きとはいえ軍にも世話になった。迷惑は掛けられないというよりは
「お互いに殺し合いは本意ではないでしょう?」
敵になるなら殺す。
つまりそういうことだ。
まず、偽りのシナリオを作ることから始めた。
ISを偶然発見した海軍。協力支援として連絡を受けた空軍。空軍の一人が様子見に出発したが、連絡が途絶えてどうなったかは不明。その軍人は日本まで着けた所で燃料切れ。機体は無事だったが、脱出に失敗して死亡。何故連絡が出来ず、何故国境を越えていたのかは軍としても分からない。
……というのが、あらすじとして出来上がった。
元々、白という異質の存在を政府は知らない。故に、事が露見する前に白の存在を消す必要がある。
架空の一人の人間のでっち上げと犠牲が必要だったが、書類で済ますことが出来る。
危険があるから軍には戻らない、とは白の意向だった。
彼の戸籍は存在するがそれも軍により作られたものだ。消すのもまた同じ事。
白が話したのはアデーレの上司のみであり、一応信用出来る人物である。彼も話を聞いてキナ臭さは感じていたので、軍に関しては後は任せろと言っていた。白というジョーカーを手放すことが難しいのは想像に固くない。それでも、信用するもしないにも、軍に関してはこの人物しか頼ることが出来ないのでこれで落ち着ける事とした。
IS部隊には引継ぎ事項を文章化して送り、直接の連絡は避けた。
この行動は三日間、取調室で篭り切りのまま飲まず食わず、不眠不休で行われ、千冬を除く教師陣に心配や不安を掛けた。一応、不審人物だからと名目上は軟禁しているが、まさか食事に手をつけることもないとは予想外だったようだ。このような事があり、教師陣の間で自殺されてないかと無駄な不安を駆り立ててたりした。千冬は放っておいていいと言っていたが、少しでも話をしたことのある真耶はあまりにも心配だったようだ。一度こっそりとお茶の差し入れに部屋へ入ったのだが、白は何一つ変わらぬ様子で携帯を弄っていた。逆に、知り合いの知り合いだからといって、不審人物認定されている者に同情して近付くものではないと忠告された。
4日目には白が軍でやることは全て終わった。念の為に無線機も使用していた携帯も海の遠くへ投げ捨てた。戦闘機は日本の自衛隊が預かり返還するそうだ。
何だかんだ、白とアデーレの読み通りになっている。それでも此処から先は不明瞭だ。
もう軍も抜けたのだから、篠ノ之束だの亡国機業だのISだの、気にしなくても良いのかもしれない。だからと言って他にやる事もない。
……どうするべきかな、俺は。
千冬の言葉もあり、白の軟禁は解けた。しかし、もう彼には戻る場所も行く場所もない。
「それで、これからどうする?」
全ての処理が終わった時には既に夜になっていた。空気でも吸おうと千冬に言われ、今は彼女と共に屋上で夜空を見上げている。
「さてな。根無し草として放浪するには慣れているが」
「此処で働く気はあるか?」
本気で言ってるのか?
千冬の目を見てみると、冗談のつもりではないようだ。
「用務員かつ生徒の護衛」
「織斑一夏の護衛の間違いだろ」
「いや、教師としては生徒全員を守らねばいけないからな」
それに、と続ける。
「此処に居ればボーデヴィッヒに会えるぞ」
「……入学するのか?」
「お前が色々と処理している間に手続きは済ませた。お前が軍を抜けるのも見抜かれていたようだな」
学園に興味があったわけではなく、俺に会いに来る為か。何とも、本末転倒と言うか。
「……最近のラウラは何故か俺の行動や内心を読み取ってくるな」
「愛だろ」
「は?」
白は思わず間抜けな声を上げた。千冬から愛の単語が出てきただけでも驚きものである。
「馬鹿にするなよ。ボーデヴィッヒはお前を愛してる。好きじゃない、愛してるんだ。分かるな?」
「分かるか。分かりたくもない」
白の拒絶に、千冬は微かに眉を動かした。
「……成程、愛もお前のトラウマという訳か。難儀な男だ」
「…………」
白は否定も肯定もしなかった。
それが何よりの答えだった。
「別に私にトラウマを語れとは言わん。だが、ボーデヴィッヒには話せ。今のあいつは、それも受け止めてくれる」
「受け止めてどうする?愛?愛だと?下らない」
……下らない。
下らない。
下らない。
瞬間、千冬の拳が飛んできた。白は反射的に受け止める。空気が破裂したような甲高い音が空に高鳴った。
「……何のつもりだ」
「思考を止めるな。もう感情は殺さなくて良い筈だ。今の貴様は自分の意思を殺そうとした」
「…………」
「例え恐怖でも怒りでも悲しみでも、マイナスでも感情に変わりない。それが刺激になるなら私はそれでも良いと思っている」
……他人事だからな。自分の苦しみなど他人には理解できん。
「ボーデヴィッヒは自覚してはいないだろう。だから拒絶するも受け入れるも貴様の自由だ。ボーデヴィッヒはその結果を受け入れる。それだけの器を今の彼奴は持っている」
「随分と高く評価するじゃないか」
「お前が支え、私が鍛えた人間だ。強くない筈がない」
それは自分への自信と白への信頼が現れていた。
「決断は貴様が下せ。別に直ぐに決めろとは言わん。ボーデヴィッヒも自覚していないしな。ただ、今のまま普通に感情を持つようになれば……」
自分に潰されるぞ。
その言葉に、白は無表情をもって迎え入れた。
「……ボーデヴィッヒが入学してくることに変更はない。散々説教たらしく言ってすまなかった」
「構わん」
二人は手を離す。夜空を見上げれば、雲一つない宇宙がそこには広がっていた。
「それにしても、歳の近い男女が一緒で夜空を見上げているというのに、ムードも何もないな」
「俺達の間にそんな出来事など一度もなかっただろ。月が綺麗ですね、とでも言って欲しいか?」
「夏目漱石か、懐かしいな。逸話と聞いたが実際どうだったのだろう」
「知らんな。過去の話で本人でもないなら知る由もない」
「そうだな。その通りだ」
最後の質問だと、千冬は白を見ずに問い掛けた。
「お前は何を恐れている?」
それは何度も自問した問い掛け。
何度も考え、何度も答えをだし、何度も再考した。
だから、きっとこれが答えなのだ。
「嫌なんだ」
下手に関わりを持てば関係が出来る。
関わりを持てばその人との時間が長くなる。
そこで終れば良いが、それ以上に、その人物を大切と思ってしまったならば。
「きっともう俺は、耐え切れない」
大切だった。
唯一無二の存在だった。
そして恐らく、愛していた。
「俺の側に居る人を」
もう二度と失いたくない。
言葉が出ない。白は踵を返し、無言のままその場を後にした。千冬は追いかける事はしなかった。
「後はお前に任せるぞ」
小さく呟いた言葉は誰に聞こえるまでもなく消えていく。
白は階段を下りながら思考を巡らせていた。夜の学園は足元を照らしている照明以外の明かりはない。薄暗い中を、白は行く当てがないまま歩いていく。
……恐怖。これが恐怖か。
怖いのか。怖いのか、そんなにも。何かを失うことが。誰かを失うことが。そんなにも、こんなにも。
最近では感情がほんの少し出ていることに自覚があった。と言っても、それは心の中の話であり、言動や表情には一切出ていない。
それだから。
だからこそ
「クソが……」
一瞬でも思ってしまった。
ラウラに会いたいと、思ってしまった。
僅かに感情が出ただけでこれか。
オマケに自分から距離を離そうとしたくせに、たったこれだけの事でラウラに近くにいて欲しいと思う。
まるで子供だ。
他人より少し近くに居る歳下の少女に甘えるなど、情けないにもほどがある。きっと、近い存在なら誰でも良いのだろう。何とも節操の無い。子供のように、見境が無く、愚かだ。
ラウラは最初に会った頃からかなり成長した。肉体的なものだけでなく、精神的にも。
……それに比べて俺はどうだ。
同じ時間を掛けてもこれだ。ほんの少しばかりの、それも心の中だけの感情を取り戻しただけだ。その上、この体たらく。
こんな状態でこの先どうしろと。
やはり、俺は、死
「白!」
思考が強制的に止まった。
背後から聴こえた声は、間違いなく彼女のものだ。白はその場で振り返り、幻聴でなかったことを確信した。
「ラウラ……」
廊下の向こう側。
ラウラ・ボーデヴィッヒが立っていた。
見慣れた軍服ではなく、IS学園の白い制服を身に纏い、彼女はそこに立っていた。ラウラは純粋に再会を喜び、笑顔で白に近付いていく。
「久し振りだな。と言っても数日だけだが。全く、本当に軍を辞めるとは思わ……」
「来るな」
白は拒絶の言葉を吐いた。
ラウラが足を止める。
三メートル。それが二人の距離だった。
「どうした?」
「何故、此処にいる?転入はもう少し後じゃないのか」
「そんなの、お前に逢いに来たに決まってるだろ?だから早目に学園の寮を借りて日本に来たんだ」
当然、とばかりの言葉に、白は軽く眩暈を起こすような錯覚を覚えた。
「……まあ、良い。何でこの時間に校舎をウロついてるんだ」
「自分のいる場所の立地把握は大事だろ。無論、許可は取っているぞ。寮長は織斑先生だからな」
……あの女……。
「白」
ラウラが一歩踏み出す。
「来るなと言ってるだろ」
白が一歩下がった。
「うむ、嫌だ」
ラウラは歩みを止めずに白との距離を一気に詰めた。白は二歩だけ下がったが、それ以上足を動かすことができなかった。
ラウラは白の目の前で、彼を見上げて言った。
「今のお前は崩れてしまいそうだ」
赤い瞳は、真っ直ぐに白を映し出す。
「……なぁ、白。私はまだ未熟者だ。お前には情けない姿を沢山見せてきた。そして白の性格上難しい事も分かってはいるけど、敢えて言うぞ」
ラウラは更に一歩踏み出して、白の体を抱き締めた。二人の距離に、隙間はない。
「私に甘えて」
支えたい。辛いなら頼ってくれ。
いつでも、側に居るから。
「……ラウラ」
引き剥がさなければ。
じゃないと失ってしまう。また無くしてしまう。駄目だ、そんなことは。それだけは。
「…………」
それでも、言葉が出ない。
何故だ。俺の近くに寄るな。嫌いだ。
そう言えば良いだけじゃないか。
それだけなのに。
「……ラウラ」
「……何?白」
囁くような小さな会話。夜中の校舎でも、その言葉は二人にしか聞こえない。
「俺はどうすれば良い……」
「私を抱き締めて。あの時のように」
一夏が誘拐された日。あの時、一度だけラウラを抱き締めた。
あの頃から、随分と経った。
本当に、随分と時が経った。
「今はそれだけで良いよ」
あの時の幼い少女でもなければ、軍人の少女でもない。
ただ、白と一緒にいる少女として、ラウラは話す。
「今は言葉も理由もいらないから。だから、抱き締めて」
白は少し時間を掛けて両腕を上げる。ラウラの細い体を守るように、優しく包み込んだ。
窓の月明かりが、シルエットを映し出していた。