インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
千冬がドイツ軍で働く最後の日。
夜に白が部屋にいると扉がノックされた。開けてみると、千冬がビニール袋を片手に立っていた。
「酒は呑めるだろ?付き合え」
断る理由もないので部屋へ招き入れた。コップくらいは常備しているので、2つ持ちテーブルに置く。千冬が持ってきたのはワインとビール。
「ドイツの酒は安い」
「そういう国だからな」
別に好き嫌いはないが、せっかくあるのだからと二つ開ける。千冬はビールを選び、白はワインを選択した。
「乾杯」
「ああ」
カン、とグラスが重なる音が鳴る。
「酒を呑むのは二度目だ」
「最初は何だ?」
「部隊が正式に決まったから、部隊の隊員達で軽いパーティをやった」
「羽目は外さなかったか?誰かに襲いかかったか?」
くくく、と意地悪そうに笑う千冬。薄々思っていたが、千冬は揶揄い癖があるようだ。
「酔わんし、襲いもせん。ご希望ならここで押し倒してやろうか」
「欲情も出来ん癖に。来たら全力で殴ってやろう」
「お前に惚れる男は不憫だな」
「貴様に惚れた女は可哀想だ」
互いに遠慮ない物言いをする。
「遠慮ないな」
「友人だからな」
「親しい間にも礼儀ありって言葉知ってるか?」
「本音で話せるのが友だと思ってる質なのさ」
ラウラとであれば二人で無言のまま静かに過ごす時が多いが、千冬とならこうして憎まれ口を叩き合うことが殆どだった。無表情の所為で無口に思われ勝ちであるが、感情を表に出し難いだけで本人は口数が意外と多い。
「ラウラの件はどうする?」
「……時期を見て切り出してみる。本人が断るなら、それで良い」
「……なぁ、白」
千冬はグラスを煽り、白を見やる。
「お前は最後の選択を相手に任せることが多い」
「俺が決めることではないからな」
「それはそうだが、私が言いたい事はそうじゃない」
僅かに身を乗り出し、囁くように言った。
「少しくらい意見を押し付けても、我儘を言っても良いんじゃないか?」
……ああ、織斑千冬。お前は本当に人の観察が上手いな。
「怖いのか?」
「何が」
「人と関わることが。自分の意思を知ってもらうことが。自分の思いを、知られることが」
無関心でいなければならなかった。
物でも人でも興味を持ってしまえば感情が出る可能性がある。だからそれを恐れた。その恐れさえ、消してしまわねばならなかった。
無関心で無感情で、ただ白く。
「他人は怖くない」
恐れているのは、自分と過去。
「俺は一度壊れているんだ」
幼い心が壊れて、その防衛反応で二重人格が作られた。二重人格が引き起こした結果を目の当たりにし、心が死んだ。
「感情を出す、褒める、我儘を言う」
つまり、そういうことなのだろう。
「幼い頃の行動を、俺は出来ない」
そして、素直に感情を出せるようになった時、過去を振り返ることが出来るのだろうか。それを受け入れられるのか。受け止めきれるのか。
「きっと出来るようになるさ」
「何を根拠に」
「お前にはボーデヴィッヒが近くに居るじゃないか」
一人の少女が脳裏に浮かぶ。
「あいつは、お前と似て非なる者。しっかりと人間として生きている。そして、理解し支えてくれる存在だ。確かに少女ではあるが、良い女だぞ」
「……だから、俺は」
「遠ざけたいか?自分という反対の存在から。しかし、ボーデヴィッヒは強くなった。誰かさんのお陰でな。もう、お前の思い通りには出来んぞ」
だから、白。
「今度はお前が救われる番だ」
「救いなど求めたことはない」
「……そうだろうな。だけど、いい加減、人形のフリも疲れてきたんじゃないか?」
人形のフリ、か。
「もうお前は人形じゃなくて良いんだぞ」
「知っている。だが幼少期から長年染み付いたのを簡単に取れる筈もない」
「呪いだな、まるで。お前はどうやって救われて、いつになったら自分を許せるのだ」
「それこそ、神のみぞ知ることだ」
どうなるかなど、考えていない。考えたこともない。考えたくなどない。救うとか救われるとか。許すとか許されるとか。
だって、きっと、耐え切れないから。
「手間の掛かる友人だな」
「類は友を呼ぶんだろ」
「殴るぞ」
「また今度にしろ」
酒の苦味はほろ苦く、月夜ばかりが肴となった。
千冬が白の部屋から出ると、廊下の向こう側からラウラがやってくるのが見えた。ラウラは千冬の存在に気付き、敬礼した後に尋ねる。
「白はもう寝てしまいましたか?」
「いや、まだ起きてる。そもそも睡眠が必要な奴でもないからな。……急ぎじゃないなら、私に付き合え、ボーデヴィッヒ。今夜が最後だ」
「ハッ」
「敬礼はいらん。今はプライベートだろ」
白の部屋を離れ、二人はラウラの部屋へ向かった。千冬の部屋は既に片付けており、直ぐに撤去できる状態だったからだ。
流石にもう酒はないので、千冬は珈琲を口にし、ラウラはココアを飲んだ。
「お酒を呑んでいらしたのですか?」
「ああ。匂うか?」
「あと、顔も赤いですね。少しだけですけど。教官がお酒を呑まれるとは意外でした」
「そうか?私だってこれ位は嗜むさ」
自分で赤くなっている頰に触れる。
「……私は昔、散々鬼だの化物だの言われてきたが、奴を見ていると私はまだ人間らしかったんだと自覚するよ。白は身体能力はさる事ながら、睡眠欲も食欲も性欲もなければ、こうして酒に酔うことも無い」
「……それでも、白は人間です」
「そうだな。哀しいほどに、奴は人間なんだ」
いっそ化物であった方が救われたかもしれないのに。
「なぁ、ボーデヴィッヒ」
「はい」
「お前は、白が好きか?」
真剣な眼差しの千冬。
それを受けたラウラも、自分の心と真剣に向かい合った。
「正直、分かりません」
「…………」
最初は白の強さに惹かれた。英雄のような力に憧れた。故に彼は現実を語り、その強さを否定した。だから、力ではなく白という存在を見据えることができた。そして、彼の弱さを知った。
助けたい?支えたい?
そうではない。いつでも彼の力になれるように。いつでも彼を見れるように。いつか、彼に頼られるように。いつか、彼が前を向けるように。
白の側に居ると誓った。
「ただ私は、彼と共に在りたい」
それがラウラの答えだった。
「……ふふ、成程」
千冬は口に弧を描き、長く息を吐く。
「やはり、もうお前を小娘とは呼べんな」
「……教官。まさか、教官は白の事を」
「違う。勘違いするな。アレと私は友人さ」
……そうだな。私も友だと認めよう、白。お前は間違いなく私の友人だよ。
「ボーデヴィッヒ。奴を頼むぞ」
お前が側にいることが、きっと正しいのだ。同じ造られた人間であり、違う存在。
故に隣に立てる存在。
「アレには、お前が必要だ」
「はい」
何せ兎は寂しいと死んでしまうのだから。
翌日、白とラウラは千冬を空港まで見送った。部隊の人数が来るわけにもいかないので、代表としてこの二人が選ばれた。最期になるかもしれない挨拶でも、迷いなくすっぱりと別れる動作が千冬らしかった。
その後、二人は屋上で千冬が乗った飛行機を見送っていた。
「教官が行ってしまったな。……ああ、もう教官とも呼べないのか」
「そうだな。これからはお前達が千冬に習った事を教えていく番だ」
「分かっている」
白の手に感触が伝わる。見てみると、ラウラの手が重なっていた。
「少しだけ、こうしていてもいいか?」
「……ああ」
「ありがとう」
この手のように、今は一緒でもいつか離れ離れになるのだろうか。そして、未来では別の誰かと手を繋いでいるのかもしれない。それで幸せなら、それが良い。
だから、今は。
今だけは、こうして隣に居よう。
願わくば、この先もずっと。