インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
白は窓から外を眺めていた。
この場所は星空がよく見える。都会とは光の明度が違う為、満天の星空がそこにあった。宇宙に散りばめられた砂の様に広がる星々の輝き。
しかし、白の視線はその先にある。
「どうした?白」
ラウラが白の隣へとやってきた。
「……向こうでは雨らしいな」
「ああ、雷も降るそうだ」
ラウラがそっと白の背中に手を添える。
白はそれに応える様に、同じ様に背中に手を当てた。
「……心配か?」
「いや、万が一はアレが動くし、問題は無い」
「……まだ零には任せられないか?」
「それとこれとは別問題だろう」
それに、と続ける。
「まだ、零から覚悟を受け取っていないからな」
「雨、止みませんね」
ヒカリが窓の外を見て呟いた。
二人は風呂を終え、歯磨きも済ませている。寝る準備は万端だが、もしかしたら雨が弱まるかもと期待したが、この時間まで止まないとなると諦めるしか無い。
「まあ、仕方ないな」
零の家には既に連絡済みだ。箒は渋々であったが、事情が事情なので止む終えまいと返答は貰っている。百花からは頑張れの一言を貰った。何を頑張れというのか、敢えて零は聞かなかった。
「おっ」
雷の鳴る音が響く。
2人きりでもこの環境では良い雰囲気を作ることはできないだろう。
ヒカリの家も娯楽物は少ない。
白は当然ながら全てに興味を示さないし、ラウラの趣味も料理だったり家事全般に向けられている。好きなものはと聞かれれば白と答えたりするので、ある意味話にもならない。ヒカリ自身も漫画などに興味があるわけでもなく、小さい頃にやったのはガーデニングだった。何故それかと問われれば何となくとしか答えられないが、今では興味を向けていない。作物を育てられると、寧ろラウラの物となっていたりする。
「……後は、ほぼ零くんの追っかけでしたしね」
「追っかけって、どういうことだ?」
「ISの勉強とかですよ。貴方がやろうとしたことを勉強とかしてたんです」
零がISの道に進むと聞いてISを勉強し、怪我を負って選手として活躍出来ないとなれば、技術方面へ目を向けた。
「マジか」
「……言ったでしょう?私、結構重い女ですよ」
プイっと顔を反らす。
重いと言っても、そのことを今では話もしなかったし、零に興味がないかのように振舞ってきた。
仮に零が誰かと恋人になったのなら、ヒカリはそれを良しとしただろう。ただそれでも、影で支え続けていた筈だ。
「いや、好きな子にそこまで思われてたんなら、凄い嬉しいけどな」
そう言って、零は照れながら微笑んだ。
重いのは自分も一緒だと語る。
一度振られてから、結局ヒカリのことを想い続けてきたのだから。
「似た者同士ですね」
「全くだ」
そう言って、2人で笑った。
テレビを見たり、歓談したり、そんな事をして時間を潰す。潰すというよりは、いつの間にか時間が経っていたという方が正しい。話すだけでも夢中になっていた2人は、予想以上に時間が過ぎていることに気付かなかった。
時計を見て、かなり時間が経っていた事に気付いて口に出す。
「そろそろ寝るか」
「そうですね」
そう答えた瞬間、雷鳴が轟いた。
瞬間、家の電気が全て消えた。
光が消える。
暗闇が広がる。
光が届かない、暗闇。
「…………っ!」
零は反射的にヒカリを抱き締めた。
ヒカリに暗闇を与えてはいけない。
闇をヒカリは恐れる。
ただ、それだけを思っての行動だった。
「……零、くん」
「大丈夫だ、ヒカリ。俺がいるから大丈夫だ」
ヒカリに暗闇見せない様に包み込んで。
一人ではないからと、俺がいるからと語り掛ける。
「だから、大丈夫だ……!」
「……はい」
ヒカリの腕が上がり、零の体に触れる。
「ありがとうございます、零くん」
彼女の声に震えはなく、優しい柔らかな響きが籠っていた。
「でも、大丈夫ですよ。落ち着いて、周りをよく見てください」
「え……」
零は顔を上げて、それを見た。
蛍の光のような、淡い光の泡が周囲に幾つも浮かび上がっていた。
儚くも温かな光は暗闇に落ちる筈だった空間を明るく照らし出す。
「これは……?」
「ある一定の暗闇になると自動的に機械が反応して光を灯すのです」
IS技術の無駄遣いですよねと、ヒカリは微笑んだ。
「私が暗闇を恐れるようになってから、お父さんとお母さんが束さんに頼んで作って貰ったそうです」
……だから、大丈夫です。
ヒカリの言葉を、零は半分しか聞いていなかった。
「…………」
この時、初めて零は気付いたのだ。
ヒカリは白を安心させる為に協力してくれと言った。だが、実際はどうだ。
ヒカリの傷跡はまだ残っている。
肉体にも、そして心にも。
実際に、大会の日にヒカリは無茶をして気絶した。そして、眠りにつく中で彼女は助けてと口にした。今も尚、こうして暗闇を恐れている。あの頃の恐怖を克服出来ずにいる。
それは、本当に大丈夫と言える状態なのか。心配ないと、胸を張って言えるのか。
否だ。
ヒカリにはまだ誰かの手が必要だ。
それは紛れもない事実である。
「…………」
そして、大会の時も、今この時も、ヒカリに光を与えたのは白。
心配をさせないということ。
大丈夫と言えるようにすること。
ヒカリを救うということは。
白の代わりを零が担うということだ。
「…………っ」
そう、零は初めて気が付いた。
周りの期待に応えて、親に心配を掛けないように生きてきて。ヒカリに支えられてきて、ここまで来た。ここまで来てしまった。
だから、気付かなかった。
両親を安心させたいというヒカリの願いを聞き、白と戦うことになった。頑張って一発入れろと周りの大人に激励された。
だから、気付かなかった。
そして、ここでヒカリの弱さを目の当たりにした。白の救いをこの目にした。
だから、気付いた。
己の人生に、自分の意思がないことに気付かされた。
それはもがき続けた中で、いつの間にか失ってしまったモノ。
いつの間にか捨ててしまっていた欠片。
今、問われているのだ。
零に覚悟はあるのかと。
「…………」
……代わりになれるのか、俺が。
大きく、広く、強く。まるで届かない距離にいるあの人に。
この、俺が。
「零くん」
ハッと我に帰る。
いつの間にか頰に温かく小さな手が触れられていた。
下を見れば、ヒカリが静かに微笑んでいる。
「零くんは零くんのままでいてください」
「……ヒカリ」
「貴方はずっと頑張ってきました」
ずっと、ずっと、ずっと。
ずっと零を見続けたヒカリだからこそ、そう言える。
彼の強さも、弱さも、全部見てきたから。
「貴方は、一夏さんにはなれません」
同じ男性操縦者でも、どれだけ周りが持ち上げようとも、一夏の代わりにはなれない。皆を救うと豪語する彼のようにはなれない。
「ましてや、私のお父さんの代わりなんて、なれるわけがありません」
神化人間という特殊な人間。有り得ない強さを持ち、孤独に生きてきた、そして静かに生きることを選んだ人。
そんな彼のようにはなれない。
「私は、零くんだからこそ、貴方を好きになりました」
誰でもない。
一夏でも、白でも、他の誰でもない。
代わりなんて存在しない。
「貴方だから、愛しています」
織斑零だから、ヒカリ・ボーデヴィッヒは愛した。
他の何者よりも最も深く、彼を愛した。
ただ唯一の存在である零を、ヒカリは愛したのだから。
「……ヒカリ」
……ああ、そうだ。
答えも意思も、既に持っていた。既に自分の中に存在した。
だって、俺が俺自身なのだから。だから、答えは自分が持っていて当たり前なのだ。
「俺は……」
白の代わりなどになれないだろう。それは努力とか、経験とか、そんな話ではない。過去にヒカリを救ったのは白だ。今更その代わりになどなれる筈もないし、代われるわけもない。
だから。
だけど。
だからこそ。
「俺も、ヒカリを愛してる」
過去は変えられない。
「俺と一緒に歩いて行こう」
それでも、未来はこれから描いていける。
この先を作っていくのは自分達で、進んで行くのは自らの足だから。
だから、一緒に歩いて行こう。
どちらかが倒れそうになれば支えて。
倒れてしまったなら、共に手を取り合って。
そうやって、2人で歩いていこう。
そしていつか、君を救ってみせるから。
「……はい」
零は身を屈め、ヒカリは少しだけ背伸びをする。
淡く光る幻想的な世界の中で、2人は口付けを交わした。
いつの間にか雨は上がっていた。
白とラウラが家に着く。
タクシーを降りて真っ先に目に入ったのは、外の玄関の前で待つヒカリと零だった。
「白さん」
零が一歩踏み出した。
「俺と、戦ってください」
初めて己の意思で決意を表明した。