インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》 作:ひわたり
零が風呂に入り、ただでさえ少ない煩悩を更に洗い流した後、ジャージへと着替えた。
セシリアとの約束の時間まで暇が出来てしまった。
いつもなら、それこそ勉学にでも励むのだが、今日はヒカリがいる。勉強も必死で行わなければいけないわけではないので、零はヒカリを部屋に招いた。
「……何もないな」
招いたは良いが何もする物がない。
自分の趣味の狭さと娯楽物の少なさに自分で呆れてしまった。
「……というわけで、百花。なんかない?」
「いや、そこで妹に頼るのかよ、にーちゃ」
小さな机を中心に、零とヒカリと百花が零の部屋に集った。家族がいるとはいえ、折角夜にヒカリと部屋で二人きりなのにと、ほとほと呆れ果てる百花である。
百花もパジャマを身に付けており、ピンク色のシンプルな形の服装だ。少し羨ましそうにヒカリの胸元を見ているのは察してあげるべき所だろう。
「さっきみたいに2人でイチャイチャすりゃあ良いじゃんよー。あたしもう邪魔しないからさー」
若干投げやりの百花に、ヒカリが間に入った。
「いえ、百花さん。零くんをあそこまで持ってくるのは凄い大変なんですよ?レベルの高い所から攻めて、徐々に徐々にガードを下げて、そして敢えて妥協すると見せ掛けて本命をやるしかないのです」
「そんな策略があったの!?」
「大変だねぇ、ヒカリさん」
零のツッコミを軽くスルーして、百花は大袈裟に溜息を吐いた。
「じゃあ何する?トランプ?UNO?ジェンガ?テレビゲーム?それともツイスターゲーム?」
「確実におかしいの一つあるじゃねえか」
「ツイスターゲームで」
「選ぶなよ!トランプで良いだろトランプで!」
えー、と文句を言いつつ百花は下げていた腕を上げて勢い良く降ろした。シュコッとトランプが袖から飛び出して手の中へ収まる。何事もなかったかのように蓋を開けてトランプを切り出した。
配ろうとした百花の手を止める。
「いやちょっと、どっからどうやって取り出してんだ」
「え?見てなかった?こうやって……」
そう言って百花は同じ動作をする。すると、また同じようにトランプが飛び出してきた。それを机の上に置き、もう一回行う。またトランプが出てくる。
「分かった?」
「いや、謎が深まったけど!何それ手品!?」
「更に、このトランプにこうすると……」
百花はトランプの束にパチンと指を鳴らす。ひっくり返して絵柄の方を見せた。先程まで普通のトランプだったのが、全て零の顔写真と変わっていた。
「ただのトランプがにーちゃの小さなブロマイドに」
「盗撮!?」
いや、ツッコム所はそこじゃないと内心で自分にツッコンだ。
「おいくらですか?」
「ヒカリ!?」
「全部で100円かなー」
「俺安いな!」
目の前で行われる売買に、零は脱力して机に突っ伏した。ヒカリは写真を手に入れて満足そうである。ホクホクとした笑顔が無駄に可愛らしい。
「あたしが出来る暇潰しはこれ位かな」
「いや、充分すげえよ……」
「というわけで、後は若い2人でごゆっくり」
百花は立ち上がってサッサと部屋から出て行った。止める間もなかった零は、無意識に伸ばした手を力なく落とした。
「……でも、本当に何もない部屋ですね」
ヒカリが呆れたように言った。
本棚には参考書ばかりで面白味もない。子供の頃に来た時は気にしなかったが、ここまで娯楽物が無かったかと思う程である。
「何か買ってくれたりとか無かったのですか?」
「俺が何も頼まなかったし、いらないと言ったからな」
寧ろ、一夏や箒から欲しい物はないかと聞いてきた程だ。それに対し、いらないと首を振った幼い零は本当に欲しい物が無かったのか。そんな物を手に入れようとする余裕すら無かったのか。
「良い子だったんだよ、悪い意味でな」
零は少しだけ自虐的に笑ってから、本当に何もないのかと漁ってみた。
「クローゼットの中とか何かないかな」
零はあまり期待せずにクローゼットに手を掛ける。下に積まれていた段ボール箱は何だったかと中身を見る為に開封した。
「……ああ、これか」
零は苦虫を潰したような顔で箱をしまおうとした。そこにヒカリが肩に飛び乗るように覗き込んでくる。
「何ですか?」
ふわりと良い香りが漂って来た。ヒカリの横顔がすぐ隣にあることにどきりとしながら、平静を装って箱の中身を見せる。
「……面白い物じゃないぞ」
開かれて目に入ってきたのは、賞状や盾などの戦績の数々だった。優秀な者の証に、ヒカリは羨むこともなく、ただそれを見つめた。
「……成程」
恐らく、物置にはもっと多くの物も眠っているに違いない。これは零の足跡であり人生であり、辿ってきた道筋だ。
表彰の数以上の期待と、その重圧にずっと応えて、耐えてきた。
「でも、凄い数ですね」
「嫌味じゃなくて、俺にとってコレは当たり前だったからな」
賞をとるのが目標ではない。賞をとるのは前提なのだ。織斑零は常に1番であること。それが、世間の求める織斑零の像であったから。
「いつか、折れてしまいますよ」
「それはないよ」
何故か確信的な発言をする零。ヒカリは少しだけ体を離して、零の顔をまじまじと見た。微笑む彼はどうやら嘘は吐いていないようだ。
「だって、俺のちっぽけな頑張りは、とっくに折られたからね」
白に殴り飛ばされて気絶したあの日。
あの後、零は酷く笑えた。
努力を重ねてきた。それでも埋まらない物は沢山ある。才能は更なる才能に潰されて、どう足掻いても経験の不足を補うことは出来ない。
「俺はもう、一度折れたんだ」
周りの大人達に叱咤され、アドバイスを貰い、励まされて。
何を意固地に一人でいたのかと、呆れてしまうほどに。
「だけど、俺はもう一人じゃないから」
間違えば正してくれる大人がいる。
家族がいる。
そして何より
「ヒカリがいる」
きっとこれから先、挫折することなど幾らでもあるだろう。
それでも、もう一人ではないから。
だから、零は笑顔でいられた。
『では、僭越ながら私からのアドバイスを教えますわ』
「宜しくお願いします」
モニターの向こうのセシリアに深く頭を下げた。
『戦線を離れて久しいので、あまり大したことは言えませんが……』
セシリアはそう前置きをしてから続ける。
『私はスナイパータイプでした。遠距離からの攻撃が中心で、レーザー系を主に使っていましたの。遠隔操作型のビットを使用していたのでオールレンジ攻撃が可能でしたわ』
ここで重要なのは、全方位攻撃や遠距離攻撃の大切さの話ではないことだ。
『ビットを使用する際、一番大事な事は分かりますか?』
零は剣などの近距離を主にし、遠距離攻撃も身につけてはいる。しかし、ビットのような特殊兵装を扱ったことはない。
「自分の攻撃に当たるよう、相手を誘導することですか?」
『惜しいですわね、それも大切ですけれど』
セシリアはクスリと小さく微笑む。
『では、相手が複数いる場合を想定したらどうですか?』
その一言で、零は成程と理解した。
「全体を俯瞰すること。状況の把握が大事だと言うことですね」
出来の良い生徒を褒めるようにセシリアは頷いた。
『その通りです。白さんの映像を拝見しましたが、スピード特化のIS並の速度はあるでしょう。彼の動きに付いて行けず、振り回されている。それが落とされている最大の原因となっています』
衝撃の方向を変えられる白は、IS以上に急な旋回や方向変換を可能としている。白の動きを予想し攻撃するのは至難の技だ。下手に攻撃を繰り出せばそれを返されることもある。
『必要なのは全体を見渡すこと。白さんの動きは視覚外や意識外を見計らっていると考えて良いでしょう。ハイパーセンサーを使用しているとはいえ、最終的な判断は人間の脳です。隙を突かれるのは、生身でもISでも同じです』
「白さんだけを注意するなと?」
『白さんの姿と気配を追い過ぎて、それに追いつけず、結果やられてしまっています。もちろん、白さんに注意を向けていなければ話になりませんが、常に死角を防御出来る体勢でいないといけません』
言うには簡単だが、やるとなるとかなり難しい話だ。
例えるなら、嵐の夜にスナイパー戦をするようなものである。自分が敵を補足している中、スコープで敵を狙い続けている状態のままで、他の場所から自分が狙われているから防御もし続けなければいけない。一瞬でもスコープから相手を見失えば死亡。同じく、いつどこから、どの瞬間に来るか分からない攻撃を食らっても死亡。
下手に攻撃しても当たらない。引鉄を引けば暴発するかもしれない。
零の敷かれた戦いは、そんな戦闘だ。
『個人対個人ではなく、個人対複数でやっていると思うと良いでしょう。私も実際に見たわけではないですし、正直色々と衝撃的で、あまり良いアドバイスを差し上げられませんけど……』
「いえ、参考になりました。ありがとうございます」
零は改めて頭を下げた。
『……ふふっ、その真っ直ぐな目を見てると、やっぱり一夏さんの子供と思いますわね』
「似ないで欲しい所もそっくりですよ」
今まで黙っていたヒカリが横から顔を出した。セシリアは頰に手を当てて、本当に残念そうに呟いた。
『あら、それは災難ですわね……』
「災難扱いですか」
そんなに似てるかと、自覚のない零は首を傾げる。そんな零を、セシリアは一瞬だけ懐かしい目で見た。瞬きをした瞬間には、それは消えていた。
『兎も角、頑張ってくださいまし。あまり野蛮なのは好ましくありませんが、ラウラさんをあれだけ悲しませたのです。少しくらい痛い目に合わせてください』
「善処します」
ではこれでと、画面が切れた。
短い時間であったが、セシリアの取れる時間がアレが限度であったし収穫もあった。
零は伸びをして固まった体を解す。
「あー……難しいな」
「お父さんをそんな簡単に攻略出来ると思ったら大間違いですよ」
「何で誇らしそうなんだよ」
笑顔で胸を張るヒカリに零は苦笑いで返した。
時間も深夜近くだ。一夏と箒は既に就寝しているだろう。ヒカリの布団は百花の部屋に敷いている筈だ。
「じゃあ、今日はもう寝るか」
「はい」
ヒカリは答えてから、零のベッドへとモゾモゾと入り始めた。
「こらこらこらこら。出なさい」
「くっ、自然な流れだと思ったのですが……」
流石に本気では無かったのか、或いは眠いのか。どちらにせよ、思ったより素直に布団から出てきた。そのままドアへと向かい零の部屋から出る。
「では零くん、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
丁寧にお辞儀するヒカリに挨拶を返した。ドアが閉じられた後、零はひっそりと溜息を吐いた。
「…………」
……これで、漸く落ち着ける。
ヒカリの風呂上がりとパジャマ姿は些か刺激が強過ぎた。やっと頭を冷やせると安堵する。
寝るかとベッドへ歩み寄り、ピタリと足を止めた。
「…………」
短時間とはいえ、ヒカリが横になったベッドだ。少しばかり邪な考えが頭を過ってしまい、このまま横になるには何となく抵抗があった。
そこへ、ドアがノックされた。
「……?はい」
ドアを開けると、先ほど出て行ったヒカリが居た。
「どうした?忘れ物か?」
携帯でも忘れたのかと部屋を見回すが、特に何も無い。
「いえ、そうではありません」
ヒカリは気不味そうに、しかしハッキリと、零に伝えた。
「百花さんの部屋に鍵が掛かっています」
「……へ?」
間抜けた声が零から漏れた。