インフィニット・ストラトス Homunculus《完結》   作:ひわたり

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時の流れの中で

カタカタとキーボードを叩く音が室内に響く。絶え間なく画面が点滅を繰り返し、次々と項目が移り変わる。

カタリと、その手が止まった。

「……特に問題はないな。少しだけ手直ししたが、これなら平気だろう」

「安心しました。白さんのお墨付きなら大丈夫ですね」

「あまり俺を過信するな」

生徒会室でパソコンと向かい合っていた白は良の評価を下し、生徒会長は力を抜いた。

「俺なんかより、地下の彼奴らに聞いた方が確実だろうに」

「私などの為に手を煩わせる訳にはいきませんし、こういった事は、白さんの仕事だったでしょう?」

「そうだな。今は休職中だがな」

白はパソコンの電源を落として、隣に座る生徒会長を横目で見た。

「寧ろ、よく即座に対応した方だ。零のフォローも辛いだろうに」

「これが私の仕事ですから。それに、昔から彼の事は見ていましたし」

一方的にですけどねと、生徒会長は苦笑いする。

「だから、貴方の娘さんに、彼を取られたような気分です」

「惚れてたか?」

「まさか、コレはそういう感情ではないです。弟みたいなものですよ」

暗部の家系に生まれ、生まれた瞬間に自分の役割が決まっていた。人生という舞台で演じる役者。台本は完成されていて、その通りに生きてきた。

「今の自分を後悔しているのか?」

「今日はやけに踏み込みますね」

「たまたま知り合いの人生について考える機会が多かったからな。序でに聞こうと思っただけだ」

本当なら興味もないと暗に言われてるようで、生徒会長は肩を竦める。

「やはり貴方は素っ気ない」

「俺だからな」

「……そうですね、貴方はそういう人です」

……後悔しているか、自分の人生に。

「……私は生まれてからコレが当たり前だったので、正直分かりません」

「…………」

「コレしか教わらず、コレだけをやってきて、コレだけに生きてきました。今更、他の人生なんて考えられませんし、出来もしないでしょう。他の道なんて存在しなかった」

「お前には、選択する権利もなかったと」

「教育は洗脳である、と言ったのは貴方ですよ。それが本当だとしたら、私は正しく洗脳された人間です」

正しいか悪いかも分からないまま。言われるがままに従って。無力な子供は抗えず、生きる為に親の言いなりになるだけ。

「だから、後悔も何もないです。それが誤ちであったのかさえ、今の私には分からない問題ですから」

「…………そうか」

「貴方も、同じでしたか?」

神化人間として生まれ。

人を実験動物にするような事だけを教わり、実行してきて。

多くの人間を殺して。

それしか教わってこなくて。

「……さあ、どうだろうな」

たった一人の母親が。

たった一つの正論が。

己の全てを壊した。

それは、結果的に正しかったのか。

「俺には、何もなかったからな」

思想も、選択も、感情も、心も、自分でさえ失って。

ただ空っぽで。

「ただ、生きていて良かったよ」

この世界に落ちて、ラウラに出会えた。

ただそれだけで、救われた。

「気持ちの持ちよう、などと言いたくはないがな。だが、全てを覆す程の何かを得られれば、それで良いと思う」

「そう、ですか……」

先の事など何一つ分からないけれど。そこで手にするのは、今を生き抜いた自分だから。

「お前も学生らしく青春したらどうだ」

「これでも、ある程度は好き勝手やらせてもらってますから」

ふと、楯無の事を思い出す。

暗部で働いていた彼女は、よく楽しげに笑っていた。それが仮面でもあり、本質でもあった。

彼女もまた同じ道を歩いている。

「あいつらを見習って、恋の一つでもしてみたらどうだ」

「私の初恋は昔に破れてしまいましたし」

「俺はラウラしか愛さない」

「ええ、そんな所も素敵です」

クスリと、生徒会長は笑った。

大人びた微笑みに、白は無表情で返した。

「しかし、お前も奇特な奴だ。俺などの何処に惚れる要素がある」

「そんな事言ったら、ラウラさんは貴方にゾッコンではないですか」

「ラウラだからな」

「本当に貴方はラウラさん関係だと壊れますね……」

生徒会長は呆れた溜息を吐いた。

「貴方は魅力的ですよ。ラウラさんに出会う昔の貴方を私は知らないですし、判断もできませんけど、他の女性も惚れるくらい魅力的です」

「そんなものか」

かつて持っていた異質な雰囲気も、無から動かない表情もなくなり、感情を持った白。

妻子がいるとは思えない容姿に加え、彼が働いていた時も白に惚れる女生徒は多かった。

「……一応、学園側は貴方が戻ってくる準備は整っていますよ」

「…………」

白が用務員を辞めた切っ掛けはヒカリの事故だ。

もう彼女の体の心配はないし、今では零という心の支えも出来た。もう、白がずっと見守る必要もない。

「…………」

だけど、白の心には残っている。

己の肉を千切る時、止めてと縋ったヒカリ。

置いて行かないでと、涙を流したラウラ。

「……悪いな」

自分の答えを見つけ出せるまで、今は動くことはできない。

「いえ、私も性急でした。申し訳ございません」

「性急でもないだろ。あれから、4年以上も経つ」

言葉に出して、そうかと気付いた。

「……あれから、そんなに月日が経ったんだな」

自分の手を見る。年衰えず、まだ若く保つ身体。いつかこの肉体が朽ち果てる時が来るのだろうか。人間の身体には限界がある。細胞の分裂数が規定の数に達した時、それ以上肉体は回復しない。それは神化人間も同じだと、そう思っている。

なら、自分が死ぬのはいつか。

異常に長い年月がかかるのか、それとも肉体の代償に寿命は短いのか。はたまた、普通の人間と変わらないのか。

答えは分かっている。

無茶をして寿命は縮まっただろうが、これ程頑丈で、死に難い身体だ。

白の寿命は、百年を軽く超えるだろう。

「…………」

ここまで生きて、容姿に変化がない。これ以上生きても同じかもしれない。

ラウラはどうかは分からないが、娘のヒカリは普通の体だ。神化人間の肉があるとはいえ、一部分だけだ。大元は変わらない。

周りの家族と知り合いは年老いていき、自分だけはそのままであり続ける。

……それは、きっと……。

白の思考を遮るように、ノックの音が響いた。声を掛けて入ってきたのは一夏だった。

「更織さん、書類を持ってきた……あれ、白さん」

「よう」

白は気軽に挨拶する。生徒会長が微かに微笑んで答えた。

「私の用件で手伝って貰いました」

「おいおい、白さんは休職中だぞ?」

……どいつもこいつも部外者扱いにしないんだな。

白は内心そう呟いた。

「……じゃあ、俺は行くぞ」

「はい、ありがとうございます。お疲れ様でした」

一夏は生徒会長に書類を渡し、白と共に部屋を出る。

「白さん、他の教員の方に挨拶されていきますか?」

「いや、復帰したわけでもあるまいに、余計な気を遣わせるだけだろ」

「そうですかね、皆歓迎しますよ」

「それが余計なんだよ」

相変わらずですねと笑う一夏を、白は目線だけ動かして見る。

学生の頃と比べて、随分と歳をとった。体は鍛えているが、当然全盛期よりは劣る。若く見えるとはいえ、顔の皺だってある。教えられてばかりだった若者が、今では誰かに物を教える立場になった。

同じ場所にいても、ここにいる一夏は全く違う。

「……なぁ、一夏」

「はい?」

「お前、歳をとったな」

一夏は笑う。顔の皺を歪ませて笑う。

「何言ってるんですか、白さんだって歳をとってるじゃないですか」

「……ああ、そうだな」

……本当に、その通りだ。

「お互いに、歳をとった」

それでも、白はそのままで。

白は将来、知り合い全員の最期を看取る事になる予感をした。それは多分、確信に近い何かで。

それは自分に与えられた最後の罰なのか。

それとも、それは幸福な事なのか。

結果は分からないけれど、それでも、一つの確信を得る。

長い長いこの命は、その為に残るのだと。

 

 

「…………」

ヒカリが足を止めて学園へ振り返る。

急に足を止めた彼女に、零は不思議そうに尋ねた。

「どうした?」

「お父さんの気配がしました」

「お、おう」

ヒカリが言うなら本当にいるのかもと思いながらも、それを察知出来るお前は何者だとツッコミを入れたくもなる。

「…………」

ヒカリはジッと学園を見つめたまま口を開いた。

「零くん」

「何だ?」

「私は零くんを愛しています」

真剣な声色。

「零くんも、私を愛してくれていると信じています」

そして、ヒカリは零に振り返った。

「だから、一つお願いがあります」

それは、ヒカリにとっては真剣で。

零にとっても納得できる物で。

そして、とても酷い無茶振りであった。

零はそれを了承し、ヒカリもありがとうございますと礼を言う。

「……ああ、あともう一つお願いがありました。次から自転車通学はやめましょう」

唐突な提案に零が首を傾げる。

「へ?何でだ?」

「……だって」

ヒカリは零の隣に立ち、その手を握った。

「こうして手を握る事ができないじゃないですか」

そう言って笑うヒカリは、とても幸せそうだった。

だから、零も笑顔を返す事が出来た。

 


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